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キーワード
天皇家と渡来人
カテゴリー: 歴史に関するコメント
名前:
鷹の羽
スレッドNo.:596
登録日:
2013/04/06 1:16:02
記事No.:695
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%88%B8%E7%B1%8D%E5%88%B6%E5%BA%A6   庚午年籍

540年(欽明元年)八月の条「秦人(はたひと)・漢人(あやひと)等、諸蕃(しょばん)より投化せる者を招集して、国群に安置し、戸籍に編貫す。秦人の戸数七千五十三戸、大蔵掾(おおくらのじょう)を以て、秦伴造(はたのとものみやつこ)となす」(『日本書紀』)。
**秦伴造・・・大伴氏

569年(欽明30)の春正月に、詔で吉備の白猪屯倉(しらいのみやけ)では、年齢が十歳あまりに達しているのに、籍に漏れているために賦課を免ぜられている者が多い。膽津(いつ)を遣わして田部の丁籍を検定せよと述べた。4月になって、膽津は詔に述べられているとおりによく丁(よほろ)を調査して籍を定め、田戸を編成したので、その功をほめて白猪史(しらいのふひと)の姓を賜い、田令(たづかい)に任じた(『日本書紀」)
**白猪
さらに574年(敏達3)十月の条に、大臣の蘇我馬子を吉備に遣わし、白猪屯倉と田部とを増益して、その田部の名籍を膽津に授けたとある(『日本書紀』)。
蘇我馬子・・・嶋臣を名乗る。

717年(霊亀3)四月、百姓の違法の出家を禁じ、行基の活動を禁圧する。五月、太計帳・青苗簿・輸租帳などの式を諸国に領下する。五月、能登・安房・石城・石背の四国を建てる。国別の衛士数を定める。この年、藤原不比等らに命じて、律令を撰定する。(養老律令)
行基。石城、石背の国を建てる。能登=石川。安房(鹿島神宮)〜蘇我入(丹生)鹿

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E8%B2%AB  本貫地
本貫(ほんがん、ほんかん)は古代東アジアにおいて戸籍の編成(貫籍)が行われた土地をいう。転じて、氏族集団の発祥の地を指すようになった

http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/nikki3/nikki119.html
筑前 島郡 川辺里(現在の糸島市付近)〜正倉院=天皇家?
蘇我氏は「嶋臣=嶋氏の家臣」を名乗った!!

嶋物部・・・丹後〜丹波付近→秦氏が活動した伝承の多い土地。
北九州も・・・宇佐神宮もその1つ

嶋氏は「神官・社家」などが多い・・・中島神社もその1つ(お菓子の祖)

古代の天皇家を支えた三大氏族が「物部・蘇我・大伴(秦・藤原氏系)」
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