成田シティージャーナル===============
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成田の将来と日本の未来を見据えて撃つ!
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発行:ネットハウス
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成田市、佐倉市、印西市、富里市、酒々井町、栄町、小林、安食に折込
発行部数:176,000部
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成田市の影に潜む下総松崎の行方!
公園と天然温泉の開発プロジェクトで浮き彫りとなる諸問題

 成田市の大竹では現在、日本でも初の試みと言えるデザイナーズ日帰り温泉の建築が進められています。単なる天然温泉施設だけでは100%の満足を得ることができなくなってきている昨今の温泉事情を分析し、利用者の声、また周辺の公園事情も考慮した上で、最高級の和風モダンデザインを誇る千葉県屈指の温泉施設に改造してしまおうということになったのです。デザイナーズ温泉施設の存在は言うまでもなく観光客の増加につながりますが、単に成田市の観光業の促進だけでなく、地元の雇用も促進され、インフラの整備が加速し周辺地域の経済が活性化するというメリットがあります。またこの温泉では地元で採れる農産物の直販コーナーが設置される予定になっており、周辺農家との協力体制も視野に入っています。ところがこのプロジェクトを推し進めていくにあたり、行政絡みの問題が浮き彫りになってきたのです。

下総松崎駅周辺はいつまで未開発のまま放置されるか

 天然温泉や坂田ヶ池公園、風土記の丘はJR下総松崎駅から徒歩で行ける距離にあるため、自動車でのアクセスだけでなく、観光客が電車でも気軽に来訪できなければなりません。まして国際都市といわれる成田市に3つしかないJR駅の1つなのですから、駅周辺がきちんと整備されるのは当然のことでしょう。ところが現実は下総松崎駅の周辺が未開発のまま長年放置された状態となっています。駅に直結する道路は公園側の1本しかなく、反対側の印旛沼側は全て田んぼです。また半無人駅のためか小さな売店が1つ駅前にあるだけで、何ら商業施設がなく、道路も狭くタクシー乗り場もありません。まさに前時代的な国鉄時代の様相をそのまま継承しているのです。
 何故いつまでも未開発のままなのかというと、駅周辺の人口が少なく、駅の利用者も近隣の成田西陵高校(旧成田園芸高校)を除けば殆ど皆無というのが実態だからです。では何故人口が増えないのでしょうか?
 まず成田市は本来ならば下総松崎駅周辺の開発に関するマスタープランを描き、それを実現するためにリーダーシップをとって住民の意向をまとめながら、デベロッパー(不動産開発会社)が参入しやすいように基本インフラの整備を推し進めなければならないのですが、それが全くなされていません。行政の強い指導無しに、駅周辺の山林や印旛沼側の広大な農地とそれに絡む大勢の地権者の意向をまとめ、入り組んだ細かい道路を整備して区画整理を実現することはできません。
 2つめの理由はバブルで焦げ付いた1万5千坪以上にわたる広大な土地です。80年代の話になりますが、駅から200m程離れた小高い丘にある山林から風土記の丘方面に向かって西南総合開発という不動産会社が土地を徐々に買い占め、そこに戸建売りの住宅を建設する計画がありました。無論、成田市のマスタープランの中にも大竹地区の総合開発計画が入っており、一時は行政側も民間デベロッパーの貢献に期待をかけたようです。ところが地権者との売買交渉が難航し、数年がかりで行われた買収劇も虫食いのように所々穴が空いたままで、結局開発にふさわしいまとまった一筆の土地とすることができませんでした。そしてじきにバブルが崩壊し、平均坪単価6万円とも言われる実勢価格よりもかなり高額に取得した土地は、いつの間にか不良債権として完全に焦げ付いてしまったのです。これらの土地は現在でも買い手がつかないまま放置されており、なす術がありません。
 この不動産の流動性を妨げるもう1つの大きい要素が住民エゴです。大勢の地権者が入り組み虫食い状態となっている未開発の土地を、開発にふさわしいまとまった土地にするためには、地権者の1人1人がその状況を理解した上で土地を手放さなければ事業計画が推進できないのです。ところがバブル時代の高額な坪単価が忘れられないのか、売却条件で折り合いがつかなかったり、様々な個人的理由で交渉にさえ臨まない地権者が存在するために開発計画が困難になり、その結果下総松崎駅から坂田ヶ池公園につながる広大な土地は大半が竹やぶと雑草のまま放置されてしまいました。これでは何時まで待っても街が変わる訳がありません。

成田市も都市計画の構想を随時見直さなければならない

 さて、総工費34億円という巨額な投資にて完成した坂田ヶ池公園オートキャンプ場ですから、成田市は税金の無駄遣いと非難されないためにも相当の来訪者を見込んでいるはずです。また、天然温泉施設の大改造プランが明らかになるにつれ、下総松崎周辺を訪れる行楽客は更に増加の一途を辿ることと考えられます。事実、今年のゴールデンウイーク中には坂田ヶ池公園と温泉周辺は車と人で溢れ返っていました。しかしながらこれ程の大規模な市営公園と天然温泉という人気スポットが共存するにも関わらず、下総松崎駅周辺にはファミリーレストランや宿泊施設さえ、全く存在しないのです。 つい先日も成田市観光協会の方から、「早く温泉の周辺に宿泊施設を作って頂けないでしょうか」という声があがりました。温泉の効能を聞きつけて湯治の為に遠方からはるばる来られる方々は、最低でも2〜3日費やして温泉を利用したい為、近隣に宿泊施設ができることを以前より熱望されています。ましてや公園キャンプ場や房総風土記の丘も隣接しているのですから、その周辺にレストランやモダンな宿泊施設、また運動施設等があってこそ、初めて千葉県でもトップクラスの行楽地となり得るのではないでしょうか?その為に、早急に都市計画の要綱を見直し、公園の周辺に商業施設の建築ができるように市街化調整区域の領域を即刻見直す必要があります。市民の誰もが誇れる一大リゾートタウンとして生まれ変わることにより、初めて公園の建設に費やした34億円の妥当性を見出すことができるのでないでしょうか。

行政が担うべきリーダーシップを阻害する旧世代の風習を排除せよ

 成田を地元とする年配者の方々は今でも自分達の街を部落と呼んでおり、その一見古風な街の姿がまた成田の良い所でもあります。ところが成田市とこれらの部落を代表する成田市内の各地区長とのやり取りを見る限り、時代の流れに逆行する慣習の姿が時折浮かび上がってきます。その一例として坂田ヶ池公園周辺の道路事情があります。
 松崎街道とも呼ばれる県道から坂田ヶ池公園への進入路には、すぐそばに天然温泉施設もあるため、週末は多くの車が行き来するようになりました。ところがその途中にはJRの踏切があり、また道路幅が大変狭く、更に片側は水路とガードレールがある為、実際には道路幅4mさえも確保できていない箇所があります。その為、自動車が双方向に自由に行き来することができず、以前から接触事故が多発しています。成田市もやっとのことで昨年、県道から進入して直ぐの20m区間のみ道路拡張を行いましたが、これだけでは全く不十分であり、全面的な道路拡張が望まれます。温泉側からは5600名以上の道路拡張に関する市民の署名が集められて市にも提出されており、まして成田市が自ら造成した大型公園も交通量が増加した理由の1つとなっている訳ですから、市が道路を整備することは当然です。
 しかし成田市は自ら行政判断することを避けて、あくまで地元区長からの要望書に基づいて道路拡張の是非を検討するという立場を取っています。勿論、地元の要望も大事ですが、問題はこれらの背景に潜む時代遅れの政治構造です。まず区長という存在がその地区の選ばれた代表者というよりもむしろ順番で交代している場合が多く、その制度は単なる形式にしか過ぎません。行政側が区長を立てることにより、責任の転嫁をする為の手段になり易くなっているのです。また市民が何か要望を抱いて区長に挨拶に行くことは、長年のしきたりに従い土産物を携えて訪問することを意味するのですが、このごく常識的な贈答品のやり取りでさえも、昨今の政治解釈においては一種の賄賂とみなされてしまい、結果として成田市は賄賂が横行する実態を黙認するだけでなく、返ってその排除すべき古き慣習を暗黙の内に広める立場に回っているのが実態です。
 大事なことは、区長からの要望書であろうが一市民の声であろうが、外国人ビジターの意見であろうが、それらの声を行政が聞きとめて、自ら判断し、正しい事、やるべき事を行動に移すことです。成田市が巨大公園を造っておきながら、周辺道路を整備するためには地元からの要望書が必要、というような責任転嫁とも思えるナンセンスな考えはもう通用しません。公園が完成し、温泉も拡張されて周辺一体の交通量が明らかに増えることが予想されるのですから、市は率先して道路アクセスを整備すれば良いのです。今後の行政の在るべき姿を見つめ直す時が来たのではないでしょうか?

成田市自ら構造改革の担い手になってほしい

 成田市は「市民の声」、「地元の要望」という耳障りの良い言葉を役人の誰もが連呼する中で、何時の間にか「言われなければやらない」という消極的な体質を身につけてしまったようです。住民とのトラブルや責任を回避するために常に逃げ腰になって相手からの要望を受身で待つのでは無く、常に前向きに、問題の解決に取り組む姿勢をもってこそ、初めて成田市が生き生きとした国際都市に生まれ変わるのではないでしょうか。 今、成田に必要なのは国際社会に通じる強い行政のリーダーシップです。是非とも毅然とした態度をもって、政策に取り組んで下さることを期待してやみません。

(文:中島尚彦)

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成田でsail on!

Voyage32 夏の終わり

 7月下旬、梅雨が明け、学校も夏休みを迎え、海の家もアルバイト店員が勢ぞろいして、浜辺は夏真っ盛りとなります。都会で仕事をしているときは知らず知らずのうちに日陰を探して歩いてしまいますが、海岸で海パン姿に変身すると太陽の光は気にならず、日光を全身に受け、足の裏に感じる焼けた砂の熱さが心地よい気分です。
 学生時代のヨット部の夏合宿は、そんな7月後半の2〜3週間と、8月後半お盆明けから9月の初旬までの2回に分かれて内房の富浦の海岸で行なわれていました。前半の合宿開始の時点では、まだ海水浴客を迎えるための準備もこれからで、海の家も建築中、遊泳区域を仕切るブイもまだ張られていない状態です。

 この時期はヨットをどんなに場所を占有して置いても何の問題もありません。(当然地元の了解、漁協への挨拶はしています)ところが7月20日を過ぎると浜は海水浴客であふれかえり、ヨットは邪魔ものとなります。練習のために朝8時に海に出ると日中は浜へ戻ることはできず、海水浴客が帰路に向う夕方5時頃にようやく浜にスペースができます。尤も、ヨットが壊れて修理に戻る以外は一日中練習で海の上にいるのが当たり前のため、浜が混んでいようとなかろうと関係無いといえばそれまでの事ではあります。運悪く修理で浜に戻れば、岸近くで下級生が腰まで海につかりながら船を押さえているか、錨を打って浜が空くのを待つしかありません。練習を終え、浜に戻ると帰りがけの海水浴客から好奇の眼差しで見つめられるのもチョットした優越感を感じて良い気分になったものです。砂浜に置いたヨットにはしっかりとカバーをかけ、最盛期は、花火遊びで燃やされてしまわないようにと夜の海岸でヨットの見張りも必要です。昼間の練習の疲れをものともせず、ヨットの見張りといいながら浜辺で宴会を始める者あり、花火で楽しんでいる浴衣姿の女性の集団に吸い寄せられてしまう者ありと、体力にものを言わせ消灯時間までの短い時間を楽しんでいました。

 そんな状態も8月のお盆過ぎからはめっきりと変化し、海水浴客の数もだんだん減ってきます。浜を独り占めできるようになってうれしい反面、つらい練習から浜へ戻ってきても誰も見てくれていないと疲れは倍増します。9月に入ると海の家も取り壊され海岸には何も無くなり、広々とした元の状態に戻ります。海も透明度を増して一足先に秋の雰囲気が漂います。こんなときに思わず昔ヒットしたトワエ・モアの「誰もいない海」を口ずさみながら一人波打ち際を歩いてしまいます。日没の時間も早くなり、片づけをぐずぐずしていると合宿所に戻る頃にはとっぷりと日が暮れ、灯りのついた合宿所からの夕食の匂いが胃袋を刺激します。夏休みの宿題も本気でやらなければどうしようもなくなってくるこの時期、都会ではまだまだ暑く本格的な秋はもう少し先ですが、海では一足早く夏が終わります。空気の透明度が増し、遠く富士山の姿が見える日も多くなります。水も澄み、船の下には海草の間を泳ぐ小魚の群れが見えます。少し物寂しく感じますが、季節の移り変わりを実感できる良い時期です。四季の変化を肌で感じた一瞬は深く記憶に残り、25年経った今でもその情景は昨日のように思い出すことができます。昨日のことを忘れ昔のことを覚えているというのは、単に年寄りの域に一歩近づいているだけだとも言えますが・・・。

(文:高坂昌信)

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ここが変だよ!成田

JR下総松崎駅前に世にも汚い看板が何故いつまでも放置されているか?

 国際都市成田といえども、その成田市内の北のはずれにあるJR下総松崎駅は、見事な程昔ながらのローカルな体裁を今日まで維持しています。何も新しいものが全て良いとは限らず、映画『鉄道員(ぽっぽや)』に登場する北海道の田舎駅のような古めかしさがあっても、それはそれで情緒があって良いものです。ところがいくら古風であっても管理不行き届きとなると別問題です。下総松崎駅前に立てられている案内板がまさにその象徴と言えるでしょう。特に左側の千葉県が管理すべき「水鳥の道」がひどく、表面が汚くて殆どまともに字が見えないだけでなく、ボロボロのまま放置されています。撤去するか、または造り直して体裁を整えるか、どちらか早急に実施しなければなりません。県の案内板ではありますが、あくまで成田市内の問題は成田がイニシアチブを取って解決しなければならないのです。それにしてもこの「水鳥の道」はどこにあるのでしょう?下総松崎駅から田園地帯を通り、印旛沼の堤を沿って「甚兵衛渡し」に入る「水鳥の道」は珍しい水鳥を観察でき、四季を通じてハイキングや釣り等に適しているそうですが、今となってはどうやら幻の道と言えそうです。

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日本とユダヤのハーモニー
第2部 日本語のルーツ
第4章
祇園祭りに潜むイスラエルの影 その1

イスラエルの謝恩祭が祇園祭りのルーツか・・・

 夏祭りと言えば、誰でも全国各地で7月に開催される祇園祭を思い起こすでしょう。成田山新勝寺においても毎年祇園祭が催され、大勢の参拝客を集めています。祭のハイライトといえば「山車(ダシ)」が上げられます。町ごとにプライドをもって手がけられた「山車」を町内の仲間と一緒に綱をとりながら大声をあげて引っぱり回すだけでなく、成田山の境内においては「山車」の競い合いが行われます。これを見ずして成田の祇園祭を語れません。そして「山車」を引っ張る際に、メガホンを持った人が大声で「オイサ」、「エィサ」、「イッサ」と叫び周囲の仲間が同じ言葉を連呼する姿には、先祖代々より伝承されてきた不思議な力を感じます。

 この「エィサ」という掛け声の意味は外来語として解釈することができます。「エィサ」は「イサ」という言葉がヘブライ語にルーツを持つ「救い主」を意味する言葉とほぼ同じ発音であるため、非日常的な祭りのエクスタシーのなかで救いの神「イサ」を歓喜に包まれながら力を込めて連呼しているうちに、少しずつ訛って「エィサ」、「イッサ」となったと思われます。しかし「イサ」の掛け声とヘブライ語との発音の類似性を単なる偶然として片付けられないのは、それ以外にも祇園祭には先祖代々より守られている慣習や使用されている言葉等において、イスラエルの謝恩祭というお祭りに酷似している点が余りに多くあるからです。

 まず祇園祭が開催される月日に注目してみましょう。全国各地で行われる夏祭りの中でも日本三大祭の一つに挙げられる京都の祇園祭は別名で天王祭とも呼ばれ、この祭りの総本山とも言える京都八坂神社を始めとする多くの神社では、例年7月17日に山車が街中を引き回され、祭は最高潮に達します。では何故、祇園祭の山車は7月17日に引き回しを行なうのでしょうか?何故、全国各地で7月17日前後に盆踊りが催され、民衆が熱狂につつまれてお祭りをするようになったのでしょうか?その答えはどうも聖書に書かれているノアの洪水の話に秘められているようです。旧約聖書の創世記には、大昔人類は洪水によって滅亡の危機を迎えたことがあり、神の哀れみによってノアとその親族だけが箱舟によって難を免れたことが書かれています。そしてこの洪水が起こった後にノアを乗せた箱舟が陸地に辿り着いた日が、何と7月17日だったのです。聖書の創世記、8章3-4節にはこう書かれています。  「それで水はしだいに地の上から引いて、150日の後には水が減り、箱舟は7月17日にアララテの山にとどまった。」
 7月17日とは人類の救いの日であり、山の頂上から始まる新しい歴史の始まりの日だったのです。またノアはそこで祭壇を築き、動物をいけにえとして捧げ、神を祭ったことが書かれています(創世記8章20節)。そこでノアの子孫であるユダヤ人は7月17日が毎年やって来るたびに先祖の救いを記念して謝恩祭を開き、皆で祝うようになりました。更に注目すべきは、ノアの箱舟がランディングしたアララテ山です。今日のアルメニヤ近郊にあるタガーマ州のハラン(タガーマハラ)にあるこの山こそ、古事記や日本書紀に記載されている高天原であることは以前に述べたとおりです。そこは人類の歴史が始まったランドマークであり、前7-8世紀イスラエルの国家が崩壊した直後に国家のリーダーらが集った場所でもあり、正に日本の歴史の原点に相応しい麗しき山だったのです。

(文:中島尚彦)

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かもねぎの
COME ON MUSIC!! 30

カモネギ名曲選その1「京都慕情」

夏の京都は風情があっていいですね。さて今回から様々な名曲にまつわる逸話などもご紹介したいと思います。
最近のマイブームは渚ゆう子。みうらじゅん監修の京都シリーズのベストアルバム『京都フェロモン菩薩』も話題になりましたが、その中でも「京都慕情」は京都の名所を盛り込んだラブソングです。作曲はベンチャーズですが、非常に日本的な情緒にあふれています。最近ではサニーサイドアップというグループもカバーしています。この曲はコード進行も実に面白く、C→Dm→Em→F→C→Am→Dm7→Cとルートを追っていけば、ドレミファソラ〜となる直球ストレートなダイアトニック進行です。あまりにもストレートすぎて逆に思いつかないんじゃないですかね。それと渚ゆう子サウンドを決定付けたのが大正琴。普段ロックやブルースしか聴かない私にとってこれは新鮮でした。特定の楽器がジャンルを印象付けることがよくあります。ブルーグラスならバンジョー、ブルースならハーモニカ、ハワイアンならウクレレなどなど。異論はあるかもしれませんが大正琴というのは渚ゆう子サウンドではないかと思います。実際この曲は面白いことにゆったりしたリズムはもちろん、HIPHOPなどのスクエアなビートにもマッチします。また12弦ギターをフューチャーしたアコースティックバージョンも面白いのでは?アレンジもしやすいところが最近また再評価をされている秘訣かもしれませんね。夏の京都に思いを馳せて大正琴の音色に耳を澄ませてみてはいかがでしょうか?

★★★★★★★★NEGGY加茂スケジュール★★★★★★★★
8/21、8/22 成田ふるさと祭り。KING JOE フェロモンズ(京都慕情やります) 
STRANGE CORNER 木村建材BAND EFなど成田を中心に活動するバンドが
多数終結。
8/29 成田坂田が池公園 KING JOE他
坂田が池公園での2回目の野外ライブです。

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Dr,米井のアンチエイジング講座 パート2

内から外からお肌のアンチエイジング 第22回

症状ごとの特殊ケア その5 「乳房(バスト)の護り神」

 小さいバストを大きくしたり、垂れたバストを元に戻したりするような便利な薬は世の中にはありません。商品名「バストアップ」と称されるようなサプリメントはたいていは気休めです。どうしても小さいバストを大きくしたり、垂れたバストを元に戻したりしたい場合は美容外科の門戸をたたき、豊胸術やバストのリフトアップ術を受けるべきでしょう。そして、豊かになったバストやリフトアップしたバストをできるだけ長く維持する方法を考えましょう。

◆プロテーゼ(人工乳腺)挿入術
 一般的には、大胸筋(胸の筋肉)の下にスペースをつくり、ここにプロテーゼを挿入します。傷は脇の下に2〜3cm程度です。シリコン膜でできたバッグに生理的食塩水を注入したものがプロテーゼです。手術時間は1〜2時間程度。プロテーゼの種類や大きさはいろいろあります。
 自分自身の脂肪を注入する手術もありますが、効果が弱かったり(ほんの少し膨らむ程度)、時間とともに溶けて吸収されてしまうので、あまりお勧めできません。術後1ヶ月程度は、包帯やブラジャーできちんとバストの固定をします。プロテーゼによる皮膜の拘縮がおこることがありますので、プロテーゼが固まってしまわないように、術後のマッサージが大切です。

◆食事療法
 バストを護るための食材の代表は、キャベツ・芽キャベツ・ブロッコリー等のアブラナ科の野菜です。これらの野菜には豊富なビタミン類の他に、抗酸化物質、インドール-3-カルビノール、スルフォラファンが含まれています。インドール-3-カルビノールやスルフォラファンはバストを恐ろしい乳ガンから護る働きがあります。これらの野菜が不足している場合は「発芽ブロッコリー」のサプリメントで補ってください。
 バストを護るビタミンはC・E・B・A、バストの肌のためにはコラーゲンやグルコサミン、バストのふくよかさを支える脂肪組織のためには、オメガ3脂肪酸など良質な脂肪を摂りましょう。その他、植物由来の天然女性ホルモンを含む食材がお勧めです。豆腐などの大豆製品、ざくろなどがその代表です。コエンザイムQ10などの抗酸化剤も有効です。

著者プロフィール:米井 嘉一(よねい よしかず)
1958年東京生まれ。慶應義塾大学医学部卒。現在、日本鋼管病院内科・人間ドック脳ドック室長、(株)サウンドハウス産業医。Anti-Aging Medicine
(抗加齢医学)の伝道師としてテレビ、ラジオ、雑誌等で活動中
米井抗加齢研究所(http://www.yonei-labo.com/)所長
日本抗加齢医学会 http://www.anti-aging.gr.jp 

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くらしを考える 第3回

限りある資源「水」

 蛇口をひねればいつでも水が豊富に使える私たちは、水を空気と同じような感覚で捉えがちです。しかしこれからの地球上の大きな問題の1つは水資源でしょう。国連の報告によれば、世界の水の利用量は1900年から現在までに人口増加の2倍以上にあたる約6倍のペースで増加しており、加えて水質汚染、地球温暖化などの原因で2050年には全世界で70億人が深刻な水不足に陥る恐れがあります。「水不足」というと飲料水を先ず考えますが、実はその数十倍の生活用水、さらにその10倍以上の水が食糧生産に必要です。つまり世界の水不足とは食糧を作る水が不足すること、すなわち食糧危機なのです。日本の多量の食品輸入は食糧生産に必要な水資源を海外に依存することであり、世界の水危機は日本の食糧危機に直結します。輸入食糧生産に必要な水は間接水(バーチャルウォーター)と呼ばれ、その総量は日本で1年間に使われる農業用水量に匹敵します。間接水の主な輸入先であるアメリカ・カナダ・オーストラリアでは今、深刻な水危機が起きています。アメリカでは農業生産拡大の為の過剰揚水で農場が干上がり、将来を悲観した農家が次々と農業をやめていく姿が先日のテレビに映し出されました。中国でも農業用水の取りすぎで黄河の断流がしばしば発生するなど水不足は年々深刻化し、あと20年で水不足が食料不足となると言われています。日本の間接水の輸入量は年間1人当たり500m3、飲料水の約500倍です。これを減らすには日本の食糧自給率アップ以外ありません。しかしながら、自らの土地で作ったものを自らの土地で消費する地産地消の生活が抜本的な水不足の解決になるとしても、今更大昔のような自給自足的な生活が出来るわけはなく、せめて私たちの日常生活の中で節水できるもの、既に一部の都市で実行されている水の循環利用、雨水の利用などを全国的な規模で展開すべきではないでしょうか。

消費生活コンサルタント 桐原照子