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紀伊水道に浮かぶ離島 伊島への旅
島の美しい海岸に積み重なる漂着ゴミの山に驚愕。

ふとしたきっかけで、1週間ほど伊島という離島に滞在することになりました。知人が伊島の民家を購入したので、その家の掃除を買って出たのです。早速インターネットで伊島について調べてみました。伊島は、四国最東端、徳島県阿南市の蒲生田岬の東方沖合6㎞紀伊水道に浮かぶ離島で、隣接する前島、棚子島という2つの島と、それを取り巻く無数の岩礁からなっています。島の周囲は9.5㎞、人口200人弱のとても小さな島です。伊島という名前は、上空から見た島の形が、ひらがなの「い」に似ていることから付けられたという説もあるそうです。

それまで、伊島という島の存在など全く知りませんでしたし、四国を訪れたことさえありませんでした。しかし、海に浮かぶ小さな離島という言葉にとても心を惹かれ、全く知らない離島に1週間も滞在できるという、初めての体験に心が躍ります。

自然が残る伊島へ渡る

伊島に渡るには、阿南市の津乃峯町にある答島港から、1日3往復する連絡船を使います。連絡船の名前は「みしま」。定員48名の、小さな旅客船です。座席の座り心地も決して良くありませんが、幸いにも旅の当日は天気も良く、波も穏やかだったので、気楽に海の旅を楽しめそうです。エンジンの振動が激しくなったかと思うと出航の時間となり、徐々に岸壁が遠ざかっていきました。乗船時間は約30分。くつろぐ間もなくアッという間に海の向こうに伊島の港が近付いてくるのがわかります。伊島の港には、目印ともいえる巨大な防波水門がそびえ立っているので、すぐにわかります。そして静かに港に接岸し、いよいよ島に上陸です。

その日は青空が広がり、汗ばむほどの夏日でした。港を歩くと磯の香りが漂ってきます。伊島では、人が住んでいるのは漁港周辺の狭いエリアだけのようです。伊島の総世帯数は100軒弱しかなく、家々は、狭いところに軒を重ねるように建っています。島内の通路は広いところでも2mほどしかありません。

島民の主な移動手段は徒歩か自転車であり、動力付きの車といえば、市場などで使われているターレットトラックだけで、車は走っていません。家々の軒先には荷物を運ぶための一輪車や荷車が必ず置かれていました。

伊島の港は、立派な防波堤で囲われ、隣の前島とは橋で結ばれています。防波堤の中央には、港内に設置されたものとしては全国初の可動式防波水門があり、台風などの暴風雨の際に、漁船と島民の安全を守るための防波堤としての役割を担っています。 しかし今では港に数隻しか漁船が停泊しておらず、この島にも住民の高齢化と過疎化という現実問題が押し寄せています。

伊島の魅力

荒磯釣りのメッカとしても伊島は有名であり、島の周辺には大小さまざまな荒磯が取り巻き、格好の磯釣りポイントとなっています。週末ともなると、メジナ(グレ)やクロダイ(チヌ)を目当てに釣り客が船で訪れます。夏には、ヨットやクルーザー客が立ち寄ることも多いそうです。島民の多くは漁業を営んでおり、素潜り漁、刺し網漁、定置網漁が行われています。素潜り漁といえば、女性の海女が有名ですが、伊島の素潜り漁は男の仕事で海の武士という意味で海士(アマ)と呼ばれ、主に養殖アワビが獲られています。また、底刺し網漁ではイセエビなどが主な特産物です。

自然も豊かで、島の8割を占める山々にはイシマササユリをはじめ本土ではなかなか見かけなくなった多種多様な動植物が生息しています。また、ハイタカをはじめ多くの渡り鳥の飛来地としても有名で、滞在中も、山頂付近を旋回するトンビの姿を多数見かけました。

宿泊先に荷物を下ろして一息ついた後、知人に島を案内してもらうことになりました。まずは、島の西側にある弁天島と僧渡浜に向かいました。弁天島に向かうには、港の西のはずれにある山道を歩いていきます。大人一人がようやく通れるほどの狭く急な階段が続いたかと思うと、突然階段がなくなり山道となります。しかも、傾斜が急で安全のためか所々にロープが張られています。まるで獣道のような細い山道をドンドン進んでいきます。草の間からはるか下に海岸が所々に見え、その角度からみても、かなりの急斜面であることがわかります。足を踏み外したら下まで一直線に落ちそうで、ちょっと怖くなりました。暫く歩き続けると、ようやく道も下り坂となり、コンクリートで造成された小さな船着場の水路に出ました。弁天島はその水路の向こう側にあり、運よく引き潮だったので水路の底を歩いて渡ることができました。

そして、弁天島を越えて暫く歩くと、そこが僧渡浜です。離島の浜ということで、美しい景色を予想していた私の目に飛び込んできたのは、驚くべき光景でした。

浜一面を覆うゴミの山

ようやく辿り着いた僧渡浜は、 その美しく弧を描く海岸線とは裏腹に、膨大な量のゴミで埋め尽くされていたのです。まさに足の踏み場もないという表現がピッタリ。満ち潮の際の波打ち際まで、ビッシリとゴミが山積しています。特に流木の量は半端ではありません。人間の胴周りほどもあるような太いものから、細かな枝が波打ち際をなぞるように積み重なっているのです。加えて目立つのが魚網やウキなどの漁具です。魚網やロープ、流木などがまるで地層のように積み重なっており、地面がまったく見えません。

所々に目に付くカラフルな色は、ビールケース、ポリタンク、ウキといったプラスチックで出来たゴミです。周囲をみれば、ビニールやペットボトル、洗剤容器など、日常生活で見かけるゴミも埋もれています。中にはどこから流れてきたのか、ゴルフバッグなども転がっていました。しかもプラスチックのゴミは、浜辺で長時間紫外線にさらされ続けたためか、とてももろくなっており、粉々に砕けた破片が砂のように周囲に散らばっているのです。正直、このゴミを片付けるとなると、どこから手をつけてよいのか途方にくれるほどの量です。しかも、この浜に陸上からアクセスするルートは、私達が歩いてきた細く険しい山道しかありません。また、海岸沿いは岩場が多く、干潮時でも港まで歩いて行くには無理があります。

島の人に聞いてみると、老人の比率の高い島の住民だけでは、浜のゴミを回収するのは無理なようです。しかもめったに行かない浜なので、 そのまま放置するしかないのが現状です。しかし、本当にどうすることもできないのでしょうか?本来美しくあるべき島が、ゴミ溜めのまま放置されてよいでしょうか? ゴミに埋もれた伊島の姿を実際に自分の眼で見たときの衝撃は、島から戻った今も忘れることができません。

この体験が、自分の漂着ゴミに対する考えを一変させるきっかけとなったのです。

漂着ゴミを無くすには

伊島は自然の宝庫です。庭先にカニが顔を出したり、道路をゆっくりとクサガメが横断するのを見かけることなど日常茶飯事。島の8割は、手付かずの自然が残されています。この貴重な自然をいつまでも大切にしたいと願うのは、自分だけではないはずです。それに、実際に伊島の漂着ゴミの現状を目の当たりにした今、このまま放置しておく訳にはいきません。何とかして綺麗な伊島の浜を取り戻したいという気持ちが湧きあがってきました。そのためにはどうしたらよいのでしょうか。

伊島の僧渡浜を覆い尽くすほどの大量の漂着ゴミは、もはや島民だけでは手に負えない状況になっていることは明確です。いろいろ調べてみると、10年ほど前に徳島のボランティア団体が伊島を訪れ、「伊島クリーンアップ作戦」という活動によって僧渡浜の漂着ゴミは一度回収されました。しかしその後、回収に訪れるボランティア団体は途絶えてしまい、現在の状況に至っているそうです。その理由を、ボランティア団体に電話で訊ねてみました。すると、現在は蒲生田岬など徳島側のゴミ回収作業に参加することが多く、さらに県外からも協力を要請されることが増えた為、伊島まで手が回らなくなってしまった、という答えが返ってきました。

つまり、誰かが率先して伊島の漂着ゴミを回収するために立ち上がらなければ、ゴミの山は永遠に存在し続けるのです。

伊島クリーンアップ作戦 第2弾

そこで、自らアクションをおこし、何とかしてゴミを回収する方法を模索する為の手始めとして、再度、ボランティア団体 に連絡をとってみることにしました。これが「伊島クリーンアップ作戦 第2弾」の実施に向けての最初のステップです。まず、第1回目の伊島クリーンアップ作戦に参加したNPO法人 新町川を守る会に連絡し、当時の活動内容についてお話を伺いました。2000年7月2日に行われた伊島クリーンアップ作戦は、徳島県新漁業士会(FFA)と共同で開催され、約200人のボランティアの方々が集まり、伊島の漂着ゴミを回収したそうです。 蒲生田岬の漂着ゴミの回収に最近は力を注いでいる理由は、蒲生田岬はウミガメの産卵地として有名である為、各団体の清掃活動も蒲生田岬を中心として行う機会が多いためのようです。しかしながら、スケジュールさえ合えば、伊島の漂着ゴミの回収にも協力しますという心強いお言葉を頂きました。

蒲生田岬のクリーンアップ作戦では、行政側も積極的にサポートしているという話を聞き、次に、阿南市役所に連絡を取ってみました。窓口として紹介された環境保全課では、伊島の漂着ゴミの問題については十分理解しているようでした。しかし、 島民がほとんど利用しない浜であり、漁業にも影響が少ないということで、どうしてもプライオリティが低くならざるを得ないことを正直に話してくれました。また、伊島は離島ということもあり、大勢のボランティア参加者を運ぶにはそれだけの船を用意しなくてはならないこと、島にはトイレをはじめ参加者をケアするための施設が足りないこともあり、なかなか実施が難しいということもわかりました。

多くの課題が山積みの「伊島クリーンアップ作戦 第2弾」の船出となりました。しかし、もはや後戻りはできません。どうしたら島民をはじめ、行政や一般市民が漂着ゴミの問題に注目してくれるのか。また、それを解決するためのアクションを起こすことができるか、じっくりとその起爆剤となる案を練っている、この頃です。

(文・根本隆一)

© 日本シティジャーナル編集部