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ハートを大切にした優しい街造り目指そう!
福祉の原点は市民の開かれた心と分かち合う喜び!

アメリカで味わった開放感

1972年、今からちょうど30年前、初めて海外旅行にでかけた国はアメリカでした。当時まだ中学生だった私は米国にテニス留学をするための下調べをするため、カリフォルニア州ロスアンジェルスにあるウエストウッドと呼ばれる街に1ヶ月程滞在しました。そこはUCLAと呼ばれる州立大学が敷地の大半を占める巨大な学生街であり、その広大なキャンパスに広がる無数の施設を、外国人の中学生である私が自由に満喫できた感激は今でも忘れられません。

UCLAと言えば当時全米トップクラスの力を持つプロ指向のテニスプレーヤーが集まる大学として有名で、キャンパス内数箇所に何十面もテニスコートを所有していました。そして州立大学(公立)であるが故、大学施設の大半はテニスコートも含め市民に開放されていました。無論、チームが練習する時間帯や大学のクラスがある時だけは別ですが、それ以外の時間はテニスコートの外に設置された黒板に名前を書き入れるだけで、誰でも、その素晴らしいクオリティーのテニスコートを無料で使うことが許されていたのです。偶然ですが自分が練習している横で当時日本のデビスカップの選手である九鬼選手も練習に励んでいました。でもテニスコートなどほんの一例にしか過ぎず、陸上競技用のトラックやウェイト・リフティングのジム、図書館、食堂などでさえ、中学生の私が大学生気分で満喫することができました。

このオープン感、安心感、すなわち「誰でも受け入れるよ」という開放感が国際都市の基本的在りかたではないでしょうか。真の国際都市ではこのようにどこの国の人でも安心して訪れることができ、スポーツや文化施設、各種クリニックなど必要に応じて思う存分利用し、落ち着いた実のあるライフスタイルをエンジョイすることができるものです。

幸いにも成田は福祉施設、病院、公園、運動設備等ハード面においては大変恵まれています。大型の総合病院である日本赤十字病院を始めとして十分な数の街医者が存在するだけでなく、公園もいたるところにあり、県立公園に隣接している坂田ヶ池公園オートキャンプ場など、今後の発展が楽しみな公園も多数あります。また私立の体育館も屋内外含め、ハイグレードな運動施設を提供しているので、庶民によって十分に活用されつづけることを期待したいものです。しかしそれで満足してはいけません。まだまだやることが残されています!

公共の運動施設をもっと開放しよう

前述したようにアメリカでは公立の学校にある体育施設は一般庶民に開放されている街が大半です。そのかわり市町村が運営する体育館というものはあまりありません。このポリシーの利点は、一般にも開放するという理由で、学校内の体育施設をしっかりとメインテナンスすることにつながるということです。そうすることにより学生時代から生徒達が庶民も率先して活用したがるようなレベルの高い施設で運動をすることができることになります。一般的に日本の学校における運動施設は「子供が使うのだからいい加減で良い」と位しか考えられてないのでしょうか、テニスコートはあってもデコボコでほぼ使い物にならず、野球場、プール、バレーボール、バスケットボールのコート、及び剣道、柔道場などの設備などあっても眼を背けてしまうようなものばかりです。一般的な市営体育館に多くの予算を掛けることも一案ですが、どちらかと言えば、学校施設のグレードアップを図り、一般にも公開できるくらいのレベルにした方がそれこそ学生と市民にとって一石二鳥になるのではないでしょうか?

福祉センターの在り方をもう一度見直そう!

成田では市のマスタープランに基づいて総工費40億円の福祉センターが中台に建設されています。1200坪を超える建物に保健、医療、福祉のサービスを持たすのですが、人口10万人の町には維持管理だけでもちょっと重荷となってしまうように思えます。将来的に行政を圧迫する要因となる可能性は本当にないのでしょうか?バブル時期に建設された現在の市役所ビルを見ても、その建物が必要以上に肥大化してしまったことが懸念されます。それ故、分相応と言われるように10万人都市に適切な規模の福祉センターを将来的な運営コストを十分に考慮した上で一切の無駄を省いたプランを作成することが望ましいのです。

さてその内容です。まずシニアサロンのアイデアは良いのですが車社会を中心とする成田ではどれほどインパクトがあるか疑問です。日本は世界一の長寿国としてますます平均寿命を延ばし高齢化社会が今後も進みます。この成田シティージャーナル紙面においてもドクター米井のアンチエイジング講座が連載されており、どのようにして人間が持つ理想の寿命ともいえる120歳まで元気な人生を送れるかが語られています。このように高齢者の占める人口の割合は高くなる一方ですので、如何に老後のケアーを提供していくかが街のキャラクターを決める大きな鍵を握ることになります。日本では老人を家族で大切にケアーするという考えが未だに主流ですので、シニアの人が集まるセンターを作るならそれなりの目的を掲げる必要があり、中途半端は禁物です。ただ単に立派な施設を作るだけでなく、十分なマーケットリサーチを下積みにして本当に必要なケアーセンターの機能のみに集中しないと宝の持ち腐れになりかねません。同施設内の地域福祉センター内のキッズルームと呼ばれる施設も子育て支援をすることが目的ならば成田市内に散乱する託児所や保育園の充実を図るべきであり、単なる子供の遊び場を作っても、少数の親子の溜まり場もしくは職員の託児所になりかねません。

障害者の為の施設は建物ではなく心が大事!

最後に障害者の施設に関して言えることは、まず庶民の心が開かれて、それらのハンディを背負う人達をどこでも快く受け入れる気持ちを持つことから始めなければならないということです。日本では立派な施設を作っても障害者の方達がそこに隔離される形になってしまうのが現実です。事実、成田市において障害者の方達を見かける機会は殆どありません。大事なことは障害者の方でも堂々と生きていけるオープンな雰囲気を持った街造りを目指すことです。その土台の上に各種施設を作っていくのです。車椅子を使っている方が自分一人で昇り降りができるようにエレベーターを設置したり階段脇に斜面の緩やかなスロープを作ったり、障害者対応の公衆便所を作ったりすることは最小限の当たり前の知恵です。新規に設置する歩道が全て段差になっていることなどもってのほか、必ず車椅子の方でも通行できるように各所にスロープをつくることも急務です。障害者に優しい街が国際都市の側面です。

先日NHKの番組でアメリカ、フロリダ州にあるGIVEKIDSTHEWORLD(GKW)という児童対象の障害者施設の特集がありました。ここの特色は、まず全てがボランチアの力を結集した大規模プログラムであるということです。当初5つの大型ホテルを売却した資産家が子供達に夢を与えるための施設を作るためにその資金を使って広大な土地を購入しました。その後は複数の有名企業を中心にサポートをつのり、その結果として莫大な資金が集まり、障害児のための充実した複合リゾート施設が建設されました。驚嘆することはそこで今日働く方の大半がボランティアであるということです。また複数の学校が社会研修のために常時、中高生を学校のプログラムの一環としてGKWに送っています。そうすることにより青年時代から障害者と身近に接し、奉仕活動の実践を学ぶだけでなく、その必死に生きる障害者の姿をみて逆に励まされ、障害者に対する偏見が無くなり、彼らをごく普通に社会で受け入れる暖かい「心」が持てるようになります。また企業の優待プログラムも徹底しており、GKWのバッジをつければディズニーランドでさえもいつでも無料で入場できるほどです。またGKWのプログラムは障害児を必死でケア-する親のケアーも忘れておらず、家族も含めて皆に夢と希望を与えるようなプログラムを提供しています。毎日が格闘の日々をすごしている親をねぎらうために子供を1対1でボランティアが面倒を見ている間に、企業が高級ディナーに招待して差し上げ、親達も「がんばってきて良かった」と思えるように配慮してくれるのです。

このギヴ・キッズ・ザ・ワールドを思い起こすたびに福祉の原点を考えさせられます。それは社会一般における開放感と理解であり、たとえ障害者であっても一人の人間として尊厳を持ってのびのびと生きていくことができるオープンな環境の大切さを意味しています。どんな障害者でも是非訪ねてください、というような開放感が成田にあるでしょうか?私達の町は障害者が精神的圧迫を暗黙の内に受けており、閉塞感のみが漂うような名前だけの国際都市になりきってはないでしょうか?

21世紀は心のケアーの時代

現代社会の一番の問題は病んでいる心のケアーと言えます。一見健康そうに見える人でも心の中はボロボロ、という人が少なくありません。また小中高生の学生が抱えている心の問題もマスメディアで取り上げられている以上に根深い課題が残されているようです。ここではこれらの諸問題を取り上げるスペースはありませんが、何はともあれ、国際都市には心のケアーをするカウンセリング・センターが不可欠です。すなわち激動する現代社会の渦の中で自分を見失い、心が病む人を対象とした心のカウンセリングが必要なのです。そのために経験を積んだカウンセラーや心理学者をお招きし、トラブルに直面している若者から老人まで全ての年齢層を対象として話を聞いてあげ、慰め、励まし、生きていく指針を与えることを目的としたカウンセリングを提供することが望ましいのです。いじめや各種犯罪、自殺というような反社会的な行動に移ることを避けるためにもカウンセリング・センターを通じて心のケアーを十分に行うことが急務といえます。また心のケアーには宗教文化の復興も見逃すことができません。そのために成田山新勝寺の存在は成田にとって大きいはずです。この宗教文化の復興と共に素朴な日本社会の良さを再発見し、現代の日本国における「心」の問題に真向から取り組む必要性を思わないではいられないこの頃です。

自分の心がすさめば人の事など構っていられなくなります。しかしボランティアの活動を通して人間同士の触れ合いを深めていくことにより忘れ去られていた人間性が目覚めてきます。この「開かれた心」なくしていくら素晴らしい施設を作っても国際都市にはなり得ません。そしてボランティアの精神を庶民が大切にすることから社会福祉が始まるのだと心得るべきです。福祉は行政の問題ではありません。日本社会が抱えている私達の「心」の問題です。

(文・中島尚彦)

© 日本シティジャーナル編集部