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真の国際都市構築には教育システムの改善が不可欠!!
日本の将来を担う若者の為に、教育の抜本的改革が急務!

教育は人生における宝です。教育こそが一個人から社会までも変貌させることができるのです。それは単なる知識教養の蓄積だけでなく人生そのものに影響を及ぼすライフワークです。それらの知識と経験を生かしてより良いライフスタイルをエンジョイし必要な生計の糧を得ながら社会に貢献していくことを体得することは、教育の目指すところでもあります。しかしこの大切な教育に関する根本が今の日本社会において揺らいでいます!日本の学生の学力レベルがアジア各国と比較してここ近年かなり落ちてきていることはメディアの報道で周知の事実ですが、一般的に現代の若者は勉強そのものに対する意欲だけでなく目的意識や向上心までが極端に欠乏してきているのです。最近の風潮としてできるだけ楽をしながら勝手気ままな生活をする願望が顕著に見られ、学業の大切さが全く霞んでしまったように見えます。そこで成田周辺地区でどういう教育の問題を抱えているかをまず理解するために、実際に県立高校で教師を務めている先生に現場からレポートして頂きました。

成田近郊教育の現場から高校の実態を緊急レポート

「私は千葉県の県立高校に勤務して11年目になる教員です。現在は千葉県でもいわゆる『教育困難校』に位置付けられている学校の最前線で奮闘しています。日本全国の高校中退者が年間11万人を超えているそうですが、私の勤務する学校は退学者が極端に多く、年平均90人程、年間で80人~100人の生徒が学校を中退または転学していきます。中退者の多くは高校1年在籍中に去っていきます。私の学年もこの3年間で102人辞めていきました。その理由は様々です。高校レベルの学習についていけない生徒や、学校側の「停学」措置などに従えないで去っていく生徒もいます。また欠席癖がどうしても抜けず、欠席数オーバーで結局退学していくという生徒も増えています。

ここには現在の教育の諸問題が凝縮されていると思います。教員の中には金八先生顔負けの先生もおりますが、私自身は教員の指導力に限界を感じることも多々あります。例えばこんなことがありました。私のクラスの生徒がタバコを持っていたというので特別指導(停学)となり早速家庭連絡をしたところ「タバコくらいでがたがた呼び出さないでくれ」ということでした。やむを得ず生徒を連れて、母親に事実を報告すべく家庭訪問したところ、母親が私と息子の前でタバコを吸っているのです。そこへ中学生の弟がくわえタバコで帰宅してきました。また父親は「昔の先生はタバコなんてのはそっと見逃してくれて、後でげんこつくらいですましてくれたんだけどねぇ。今の先生はなんかこう情けってもんがないねぇ」などと息子の前で教員を批判するような状況でした。その生徒に一体どうすれば適正な指導が出来るでしょうか。このような事例は枚挙にいとまがありませんが、私は家庭教育の崩壊を批判するつもりは毛頭ないのです。ただ昨今のように駅や商店街などで高校生が制服で堂々と喫煙しタバコの吸殻やお菓子のゴミなどを傍若無人に撤き散らしていることに対して誰が注意を出来るかというと、警察官か駅員、教員くらいしか現実にはいません。さすがに高校生も「先生に見つかったらまずい」とは思っています。私は最寄の駅や商店街からの通報で出動することがよくあります。

次に欠席についてですが、恐らく一般の人は私の学校の出席簿を見たら仰天すると思います。その遅刻・欠席の数の多いこと、しかも年々増えているのです。雨の日などは1クラスの出席数が10人程度、クラスによっては一桁しかいないことすらあります。他の学校では朝誰も来てないということもしばしばあると聞きます。また夏休みなどの長期休業中の遅寝遅起きの習慣が抜けず結局欠席数オーバーになってしまう生徒が何と多いことか。特に4月、9月、1~3月はほぼ全員の担任が受け持ちの生徒の何人かに毎朝8時頃と10時頃にモーニングコールを入れています。担任によっては朝迎えに行く先生もいますが、私はそこまですることは生徒の将来のためによくないと判断しモーニングコールだけにしております。本当はそれも筋違いと言うことは重々承知しておりますが、学校は「親に頼まれて行ってやっている」という意識が蔓延している状況ではやむを得ないことだと割り切っています。

本来、高校や大学というのは自らの意思で学ぶために行くものであったはずです。その学ぶ意思が無い生徒たちはどうしたら良いのでしょうか。私は高校を去っていく生徒たちに「社会に出たら一生懸命働けよ。がんばれよ」と、自信を持って働くように励ましております。無理して高校に3年間縛りつけておくより本人が「フリーアルバイターでもいいから働きたい、勉強したくない」というのならその意思を尊重しようと思うようになり、時には保護者の方と意見が分かれたこともあります。この3月だけでも私の学校を去った生徒が20人近くいましたが、「挨拶や言葉遣いをきちんとして、上司の言うことを聞いてしっかりと体を使って働きなさい」と言って、肩をたたいて送り出しました。しかし、もともと中学校の義務教育を終えた時点で働きたいと思っていた人達なのですから、かえって自然に見受けられる生徒も多いです。

以上のような高校は千葉県200校のうちほんの1割程度にしかすぎませんが、高校生のマナー、言葉遣いを含めた従来の日本的美徳が崩壊しつつあることは、どの学校も程度の差こそあれ共通しているようです。私は社会に出て働きたいと思う中学生が胸を張って就職を選択できるような進路指導、家庭教育を実践することが急務と考えております。誤解の無いよう断っておきますが、私の学校でも部活動を一生懸命頑張る子もいますし、皆勤もいます。また掃除や奉仕作業など進学校の生徒よりも気持ち良く体を動かす生徒も多いという面もあります。勉強は不得意でもそういう気持ちのいい生徒たちと過ごせたらなと思いつつ、また最前線で奮闘する日々であります。」

教育の原点とは何か?コミュニケーションが大事!

上記のレポートから根本的な課題を幾つか見出してみましょう。まず大切なことは教師側の、教育そのものに対する情熱です。もっと生徒達の意見や悩みを聞き、彼らが本当にやりたい事を理解しその目的に向けて希望を与え、チャンスを作ってあげることです。その為に、一緒に時間を過ごし自然に会話できる場をもっと増やしても良いのではないでしょうか?

1970年代、高校生当時アメリカに一人で留学していた私は、多少言語のハンディキャップがある上に異国文化になじめないこともあり、非常に気持ちが落ち込んでしまった時期がありました。そんな時すかさず手を差し伸べてくれた何人かの高校時代の先生を30年たった今でも忘れることができません。ある日私は機械と工作を担当していた高齢のトム先生に「セスナ機を持っているので一緒に飛行機に乗って町を見物しないか?」と誘っていただき、早速同乗させてもらいました。初めてセスナ機に乗り、ロスアンジェルスの上空を一回りして太平洋と広大な町並み、そして内陸の山脈までも一望した時、何か心の重荷が吹っ切れる思いがしました。社会科を教えていたブランドン先生は小型ヨットを所有しており、私とスエーデンから留学していた2人の生徒は一緒にレドンド・ビーチからロスアンジェルス沖のカタリナ島までヨットの旅に連れて行って頂きました。また生徒を自宅に招いては色々な悩みを聞いてくれる先生もいて、自分も誘われる度にちょっとした安堵感を覚えたものです。アメリカではこうして教師と生徒がプライベートでも自由に交流していますが、そのような開放感、オープンな雰囲気は今後日本でも、もっと必要になってくることでしょう。

カリキュラムの抜本的大改革が必要!

次にカリキュラムの内容そのものに焦点をあててみましょう。生徒が学校で勉強したい、学びたい、と興味を持てるようなカリキュラムを組むために、中学校、高校レベルでの授業内容を抜本的に見直す時期が来たと考えられます。学校とは知的教養だけを身につける場所ではなく、専門分野や実践中心の実務経験なども含めた総合的な教育の場であるという認識に切り替えるべきです。そして選択肢をもっとふんだんに取り入れて、生徒が自らの好みや目標に応じて「これは勉強してみたかった」という課目をオファーするのです。例えば以下のカリキュラム等は、ごく当たり前に組み込んでも良いのではないでしょうか?

1. 自動車運転免許

既存の自動車教習所には申し訳ないですが、国民全員が免許を持つようになった今、学校教育の一環として高校2-3年生のレベルで生徒全員が自動車免許の取得を目指すカリキュラムを早急に組み、また校内で車両管理も含めた設備の導入を図るべきです。そうすることにより、格安に免許が取得できるという理由で生徒たちが最後まで高校に残って一部の授業であれ楽しむというモーチベーションが生まれるでしょう。もちろん、免許取得のためには最低の単位取得や卒業見込みを条件とします。

2. 専門職のクラスを多数導入

実社会ですぐに活用できるような専門職のクラスを多数導入し、選択できるようにしてはどうでしょうか。学校を出ても仕事を得られるという自信を持たせ、何より働くことの楽しさを体験してもらうためです。例えば自動車修理、木工家具製作、CADグラフィックスやホームページ製作等、面白いトピックは山ほどあります。時代の流れに応じてタイムリーなカリキュラムを生徒にオファーし、実際に企業に生徒を短時間派遣するようなインターンシップのプログラムを高校生のレベルで活用することも今後の課題です。

3. 趣味と実益を兼ねたクラスを用意

学校という教育の場は学問の習得と仕事の訓練場だけではないはずです。人間関係を大切にし、ライフスタイルをより一層エンジョイするための様々なツールを体得するところでもあるべきです。例えばタイ料理教室、ソーシャルダンス、BLUES&ROCKバンド等のクラスなどがあっても面白いでしょう。このようにできるだけ多種多様のカリキュラムを設け、生徒達が自由にクラスを選択できる範囲を広げるべきです。特定の授業に興味を持つ若者が多くいればそれなりに良い先生が現れ、授業が盛り上がるだけでなく、学校全体に活気が戻るはずです。

これらを実現する道のりは長いですが、行政の意識改革がまず行われ、教育に対する情熱が教師の中に復活し、学校内のインフラも改善されて多種多様の特殊カリキュラムがオファーできる施設が整い、生徒の間で「学校も面白いじゃん!」という言葉が交わされるようになることは夢ではありません。私達の世代で実現できる教育改革の第1歩です。

(文・中島尚彦)

© 日本シティジャーナル編集部