日本シティジャーナルロゴ

誰が何と言っても日本がイチバン!!
国際都市のスポンサーとして日本の素晴らしさをもっと語ろう !

日本は最高の国です。世界中どこを見渡しても、これほど麗しく、これほど恋しく思う国はありません。海外を旅するとやはり日本に帰りたくなる。その風土、文化、情緒等、他国にない日本の持ち味は数えたらきりがありません。住めば都といえども、同じ住むならやはり日本しかない、とは言いすぎでしょうか?アメリカ人が事ある度に「We are No1!」「USA!」と大声で叫ぶように、自分の最愛の国が1番だ、と思うことは身勝手なことでしょうか?

結論から言うならば、健全な愛国心こそ世界平和実現の為に不可欠なのです。自分の国と文化を愛することができて、始めて他国の文化に対する理解も深まり、互いに尊重するようになります。愛国心を持たぬ国民はいつしかアイデンティティーを見失い、時代の波に飲まれて無力の民と化していくものです。日本は決してそんな生半可な道を歩んではいけない。日本には底力があり、まだまだ世界に対して貢献すべき使命が残されているのです。

世界は人種偏見とトラブルで一杯

愛国心といっても一歩間違えるととんでもない人種偏見と差別感情、果ては迫害と戦争という最悪の結末に達してしまいます。今日世界各地で起きている紛争を見てもわかる通り、人類の歴史には民族同士の争いが絶えないのです。戦争など絶対してはいけない、と誰もが思うことですが、国境に隣接している国々や、複数の民族が同一地域に居住する場合等、住民の生命をかけた利害関係が絡むため、想像を越える緊張感が漂います。現に世界のメルティング・ポットと言われているアメリカでさえも今だ人種偏見が絶えず、黒人に対しては勿論、インディアン、アジア系の住民に対する嫌がらせは今日も続いています。南アフリカなど、人種差別を合法化しているくらいですから、現実問題として人種偏見を無くすことはほぼ不可能と言えます。

人は自分の国と土地を求めて戦う

2002年10月24日未明におきたモスクワ市内における劇場占領事件は500名以上の人質が取られ、百数十名の死亡者がでるという悲惨な結末となりました。きっかけはチェチェンの独立紛争です。今日、世界各地で起きている民族間の地域紛争や戦争は、その大半が土地の権利、主権をめぐる争いが主な原因です。そして政治的圧力や迫害を経て愛国心が偏見に満ちた民族運動と化していくうちに、過激な戦争やテロ行為へと結びついてしまうのです。パレスチナにおける度重なるテロとイスラエルの報復行為にしても、アフリカ各地における部族間の衝突にしても同様に、人々は自ら居住する土地を確保し、時には奪い、そこで自分の主権を確立するために争いを続けていくのです。

幸いにも日本は島国であり、国境がないため周辺国との紛争にさらされる機会が殆ど無いまま今日まで至りました。ところが逆に考えると周辺との緊張感に欠けるために愛国心をはぐくむ機会を見失い、この立地条件に甘んじているうちに日本人としてのあるべき姿を見失ってしまったようです。

今の日本人に欠けているもの

まず第一に愛国心について素直に語れない情熱の欠乏があげられます。ここで語る愛国心とは偏愛的なナショナリズムではなく、ごく平凡で素朴な自分の故郷、祖国への思いを言います。国とその民を愛し、その文化を尊重し、とにかく「大好きだ」というこのごく当たり前の情熱が今の日本人には極端に欠乏しているのです。次にあげられるのが自分に対する自信と自尊心の欠乏です。自己の主体性を見失ったが故、結果として日本人はコンプレックスの塊となり、ひたすら外国の猿真似をするようになってしまいました。日本特有のブランド志向も、「赤信号、皆で渡れば怖くない」という右へならえの考え方も全て、この主体性の欠乏に起因しています。その自信の無さが消極的態度となって現れ、社会時事に対しても無関心になってしまいました。問題があれば誰かが解決してくれる、自分は関わりたくないという身勝手な考えが当たり前となってしまったのです。もう一つ、欠乏していることは在留外国人に対する理解と思いやり、開かれた心です。人種差別は今でも日本で続いており、大手を広げてどんな人でも是非いらっしゃい、と自信をもって語る人はごく僅かです。これでは国際都市に成り得ません。

故郷を思う情熱が都市構成の基本

2001年9月11日におきた同時多発テロは世界に衝撃を与えた悲惨な事件でした。事件の現場近辺にいた人々の多くは恐怖と悲しみのどん底に陥りながらも、全ての交通機関が麻痺して混乱を極める中、ひたすら自分の家を目指して歩き始めたそうです。そしてこの事件をきっかけに多くの米国市民が今一度、家族の絆を再確認し、自分が戻れる故郷、魂のふるさとがあることを感謝するきっかけとなり、皆の想いが一つとなりました。

今の日本はどうでしょう?日々平穏な暮らしができるという意味では世界で一番安心できる国かもしれません。それだけに人々も悠長であり、楽な生活に慣れてしまったあまり、心の中が空っぽになってしまったように思えてなりません。「このままでこの国は大丈夫だろうか」と首を傾げてしまう程、魂を失ったような人ばかりが目立つ昨今、今一度、自己の原点を見つめなおし、自分の家族、ふるさと、国があること自体に感謝を捧げましょう。この暖かい思いが国際都市のキャラクターを創生していくベースとなるのです。

自尊心を保つ心のケアーが大切

自分を愛することが出来ない人は、人を愛することが出来ないと、よく聞きます。今自分が生きていること、その奇跡さえ感謝できず、「何で生まれてきてしまったのだろうか?」と否定的な思いに満ちている限り、周囲の人を気遣うことはできません。自分の存在価値を見出すことができず、セルフエスティームともよばれる自尊心が傷つくと逆に人を嫌悪して傷つけるようになり、当然自分の国も、世界の国々も愛することが出来なくなってしまいます。

自分を愛するということは、まず着飾らないありのままの自分の存在に対して感謝することであり、生きていることの喜びを味わうことにあります。これも今日の日本では死に直面する大病を煩ったりでもしなければ一体どれ程の人が実感していることでしょうか?今、生きているという感動、生きることそのものの大切さを、自らの存在に尊い価値を見出してこそ、初めて隣人を尊いと思うようになり、好意をもって接することができるようになるのです。だからこそ心のケアーは国際都市の市民に不可欠なのです。

在留異国人を暖かくもてなそう

成田が国際都市として実践しなければならないことは、諸外国の人々を暖かく受け入れることです。日本人が日本を愛するが故に、他国の人々に対するもてなしを暖かい心持ちで提供するのです。自分が外国を訪れた時に親切にして頂くと誰もが有り難いと思う様に、自分がしてもらいたいことを諸外国からのビジターに対して快く提供するのです。このホスピタリティーの精神は国際都市に不可欠です。

しかしこれが実に難しいのです。島国根性とかよく言われますが、海外の民と居住を共にしたことがない大半の日本人は国際都市、と口では言いながら、本心は外国人と関わりたくない、分からないからいやだ、という気持ちがどこかにあります。例えばアフリカから出稼ぎに来ている方がアパートを借りにきたとします。すると大半の大家さんは「外人はいや」、ましてや黒人の方は駄目、と言います。しかし、その見解こそ国際都市には全く通用しない人種偏見です。アメリカでは既に法律化され常識となっていることですが、雇用や賃貸の際に人種や個人の偏見を理由に断ることが法律で禁じられているのです。すなわち、アパートの持ち主はどんな人に対しても平等に審査をしなければならず、もし人種偏見をもって断ることがあろうものなら訴えられてしまいます。だからこそ国際ルールに則った法律が成田、そして日本全体に必要です。

単純素直な愛国心が一番自然

ここ最近の日本代表が登場するサッカーの試合はいつ行っても気持ちが良いものです。国立競技場に5万人以上の観衆が集まる時など、大勢の若者が無数の日の丸を掲げ、大和魂のはちまきを頭に巻いて、両手を前に伸ばして大声で「ニッポンチャチャチャ」と手拍子を打つのです。そして君が代を歌う時は誰もが起立し、厳粛にかつ、大声で魂いっぱい心から歌います。そして試合中にゴールでもあろうものならば地響きのような大歓声と共にスタジアムは興奮の坩堝と化し、再びニッポンコールが始まる。この理屈抜きの魂から湧き上がる情熱がとにかく感動的です。

醜い過去など全ての国々が持っており、その負い目ある歴史があってこそ、今日の私達があります。だから日の丸も君が代もあえて否定しない。そしてひたすら魂が燃え尽きるまでニッポン代表を応援する。皆が一丸となって一つ心となって日本チームを応援することの素晴らしさ。この単純にニッポンが好き!ニッポンを応援したい!という気持ちが国際都市となる第一歩と心得てはいかがでしょうか。

(文・中島尚彦)

© 日本シティジャーナル編集部