日本シティジャーナルロゴ

ロスアンジェルス国際マラソン激走談話 PART 1
2度目の挑戦で見えてきたマラソンの怖さと面白さ!

ホノルルでの初マラソンであれ程つらい思いをし、「2度とマラソンなんかするものか!」と自分に言い聞かせたにもかかわらず、想像以上に中毒性の強いスポーツに感化されたのか、1週間もすると再びやる気満々になっていました。ホノルルの大会直後は暫くの間まともに歩くことができずにとても痛い思いをしたのですが、そんな苦しみを乗り越えてまで何故、また走ろうとするのか良く自分でもわからない時があります。走るのが好きですか、と聞かれても決して「はい」とは今でも言えません。どちらかと言えば走って汗を流した後のビールが最高に美味しく、長時間走れば美味しい物をいっぱい食べても太らないので、美酒に酔いしれる為に走っているというのが本音に近いのかもしれません。もう一つ理由があるとすれば、それは負けず嫌いの自分にとってホノルルマラソンの結果がふがいなく、もっと成績を伸ばすことができたはず、という自負がありました。たかが4時間という壁を切っただけの記録では決して満足できなかったのです。普段からさほどトレーニングをしている訳ではありませんが、自分の実力から察して限界に挑戦すれば、必ず3時間30分で走り抜くことができる、というのが当初からの一貫した自分の考えです。それ故、ホノルルで体験した後半の失速は、例え経験不足が原因ではあったとしても屈辱以外の何ものでもありません。高橋尚子選手は失速を体験して以来、その精神的ダメージ故にレースから遠ざかっているようですが、自分は失速直後でも気持ちを切り替えて再度挑戦し、失速の恐怖に打ち勝つことができるように思えてきたのです。そんな気持ちに揺れている最中、ホノルルマラソンから3ヶ月も隔てられてない3月4日という日程ではありますが、自分が少年時代に育った第2のホームタウンともいえるロスアンジェルスで国際マラソン大会が開催されることを知り、問答無用で即座にエントリーをしました。

ロスアンジェルス国際マラソンでは自己ベストを大幅に更新できるか?

ロスマラソンでは絶対に勝機がある、と確信した理由は幾つかあります。まず既に1度フルマラソンを完走した経験があることです。その経験を活かして失速を避けるための工夫をすれば、記録をグーンと伸ばすことができるはずです。またロスアンジェルスは走るコースを事前に全て知っているという安心感だけでなく、ホノルルよりも道が平坦で走りやすいということも大きな励ましです。そして気候はホノルルの様に湿気や強風もなく、もう少し涼しいため、気楽に走ることができるように思われました。またフィジカルな面においても、ホノルルマラソン前夜の2時間睡眠とは違って今回は睡眠をとる時間の余裕があり、ロスに到着してから3日後の大会であったため時差との格闘も少なく、これも記録を伸ばせる要因と考えられました。それぞれの理由が記録を3分ずつ短縮すると考えれば、普通に走っても15分は記録を短縮して3時間45分となり、そこに更なる努力と我慢というファクターを付加すれば、3時間30分という記録も決して夢ではない、と考えたのです。

更にインセンチブとしてホノルルの時と同じように3時間30分で走らなければ飛行機に乗れないという過酷な条件を自分で組み立ててみました。ロスマラソンのスタートは朝の8時30分ですが、3時間半で完走すれば、当日ロスから成田行きの最終便であるシンガポール航空の1時20分発の便にかろうじて飛び乗ることができるという実に難しい賭けに出たのです。ゴールラインがあるダウンタウンから空港まではおよそ30分かかるため、全てを完璧にこなさなければチェックインは不可能です。こういう自分を追い込むようなチャレンジがまた面白く感じられました。

記録を伸ばすために必要な戦略的な思考と心のゆとり

3時間30分という記録を実現する為には、後半、30kmを超えてからの失速を回避しなければいけません。ちょっとだけマラソンに関する本や雑誌を読みかじってすぐにわかったことなのですが、誰でも極度のエネルギーの消耗により、走り始めてから3時間前後で体の自由が利かなくなる失速を体験するということです。ホノルルの時は何も食べずに慌ててレースに参加して苦い失速を体験した為、今回は事前に良く寝て、良く食べることにしました。そこで朝の5時半、ロスアンジェルスのダウンタウンにある24時間営業で著名なパントリーというレストランに出向き、ハムステーキとポテト、トーストをたらふく食べてから走ることに決めました。

また、前半を飛ばしすぎたり緊張のあまり余分なエネルギーを消耗しないようにするために、時速12kmのスピードを厳守しながらリラックスして走ることにしました。その為にラップタイムを事前に計算して腕にボールペンで書き、走りながらチェックするだけでなく、給水ポイントで毎回水と栄養の補給をきちんと行い、脱水症状や栄養の消耗を防ぐための補給を怠らないように自分に言い聞かせました。またリラックスして楽しく走るためにも多少の笑顔を絶やさず走ろうと考え、時にはコース沿いで観戦しながら手を差し出してエールを送ってくれる子供達の手を走りながらパーンとたたいて楽しむことにしました。

予期せぬハプニングに襲われるのがマラソンの醍醐味と言えるのか!

さて準備は万全です。今年のロスマラソンはホノルルと同じおよそ2万5千人の参加者。エネルギーもたらふく食べた朝食で満タン。ストレッチも十分。腰痛や体の故障も今回はなし。気候は雲ひとつないカリフォルニアらしい晴天。文句無しの好環境でスタートを切ったつもりだったのですが、やはりマラソンには考えもしなかったアクシデントがつき物なのでしょう。

まずはトイレの問題に直撃しました。スタート30分前にトイレに行ったのですが、水を飲み続けていたため、スタート直後から尿意をもよおしてしまいました。仕方なく10km地点まで我慢してからトイレに入りましたが問題はトイレの後です。軽くなって元気が出るかと思ったら全くその逆であり、体がずっしりと重く感じられてもう走りたくないという気分に一挙に落ち込み、元のペースに戻すのに相当な時間がかかってしまいました。

しかし一番の問題は気温です。当日は快晴で多少も気温が上がるとは聞いていましたが、マラソンスタート直後、既に気温が25度に跳ね上がっていたのです!スタート地点はダウンタウンの高層ビルの日陰になっていてわからなかったのですが、高層ビル街を抜けて直射日光を浴びると、その熱波が一気に伝わってきました。それから気温は鰻のぼり。この日は結果として史上最も暑い日となってしまい、3月だというのに昼前には気温が30度を超え、特にアスファルト道路上は異常な熱気に包まれてしまいました。このような熱波は予想外であり、正に異常事態です。

レースが始まって2-3時間もすると、救急車のけたたましいサイレンが数分ごとに鳴り響き、道路際の芝生にはいたるところに倒れたランナーがそのまま寝込む姿が見受けられました。実際、ダウンタウンのゴールライン近辺には数十台の救急車が待機しており、救護に大わらわでした。そのような過酷な条件の中で唯一の助けは、コース沿いで応援する人たちが浴びせてくれるホースシャワーです。あの熱波の中で浴びるホースの噴水は正に命の水のように思えました。

30km地点ではホノルルマラソンで味わった嫌な吐き気を再び感じ、脱水か栄養の欠乏のどちらかが原因であると考えられた為、給水所で思いっきり水をコップ1杯分飲み干しました。ところが何の効果も無かったため、むしろ栄養失調の可能性が高いと想定し、今度はゲータレードという栄養ドリンクを一気に飲み干しました。すると一瞬にして吐き気が無くなってすっきりしたのです。これで自信をつけた自分は、颯爽とコースを予定通り時速12キロで3時間以上走り続けましたが、後6kmという所に差し掛かったところで今度は突然、左ひざに鋭い痛みを感じました。元々左ひざの靭帯は昔の怪我が元で耐久性に疑問があったため、かなり強くテーピングをしていたのですが、それでもこの過酷な条件下で走り続けたツケが回ってきたのでしょう。このまま走り続ければ膝の故障で完全にリタイアしてしまう恐れもあるため、ちょっと無念ではありましたが意図的に時速を10km以下に落とし、そのまま足を引き摺りながらゴールまで走り続けました。その結果、タイムは目標より若干下回り、3時間41分となってしまいました。それから慌てて空港まで車で飛ばしたのですが、さすがにシンガポール航空の便に間に合わせることはできませんでした。

後3分早い記録で走っていれば自分の名前が新聞に掲載された!

翌朝、ロスアンジェルスタイムズという全国紙に等しい新聞を見て驚きました。自分のタイムは参加者の中ですでにトップ3%に入っていたのですが、後2分少々早く走っていれば、トップ483位のランナーとして新聞に名前が掲載されていたのです!これは本当に惜しいことをしました。あの時、膝の痛みがなければ3分どころか絶対に3時間30分を実現する自信はあったからです!後もう少しの努力で自己の記録をLA TIMESに残すことができる!そして3時間30分を切れば、その後もう20分短縮することにより、次は東京国際マラソンの出場も夢ではありませんこれを如何にして週3回走るだけで実現するかがこれからの課題となりそうです。今回で本当に辞めようと考えていたはずのマラソンが、ますます面白く感じられるこの頃です。

あと2分少々早く走っていたらTOP484ランナーとしてLATIMESに筆者の名前が掲載されていた!

(文・中島尚彦)

© 日本シティジャーナル編集部