日本シティジャーナルロゴ

人の齢は120年、人生60歳でUターン!
2005年、老後の生活がワクワクするような心の豊かな社会を目指すため

旧約聖書には人の齢は120年と書かれており、天寿を全うするならば、人間は120歳まで生きることができるようです。世界で最も古い医学書とも言われる黄帝内経素問の一節に「食飲有節起居有常不妄作労」という大変興味深い言葉が書かれています。これは長寿を全うする為に先人が書き記した知恵の言葉です。その意味は、まず暴飲暴食を慎んで節度ある食生活を送ること、睡眠を充分に取り規則正しい生活を送ること、そして仕事は無理をしないことが大事であるということです。そうすれば人は100歳を過ぎても元気な体で過ごすことができるというのが筆者の主旨です。また近代医学の最先端をいくアンチエイジング医療でも、適度な生活環境下においてきちんと栄養分を補給し、ホルモンのバランスを整え、そしてストレスフリーの生活を営むならば、医学的根拠をもって人間は120歳まで生きることができると唱えています。無論それは最後まで自分の力で体を動かし、考え、人生を楽しむ生き方を指しています。

既に世界一の長寿大国となった日本ですが、女性の平均寿命が85~6歳というのはまだ序の口のようです。今後、医療ケアが更に発展し、人々がアンチエイジングの知識を身につけてそれを実践していけば、平均寿命が100歳を超えるのも時間の問題でしょう。すると中世の時代では50~60歳まで生きることができれば長寿を全うしたと思われていたその数字が、もはや単なる人生のUターンのポイントにしかすぎなくなるのです。

老人の定義が塗り替えられる?70歳の若さでは老人とはいえない?

そろそろ私たちは老人の定義を考え直さなければいけないのかもしれません。まず老人という言葉自体のイメージが芳しくないため、高齢者という言葉が使われるケースが増えてきています。また「何歳から高齢者と考えていますか?」という質問に対しては、おそらく大半の方が60歳から70歳代の間で答えるでしょう。というのは日本では定年が老後の始まりとなる節目と捉えられているからです。しかし60代、70代は本当に高齢者と言えるのでしょうか?

本誌の関連施設である天然温泉「大和の湯」がオープンしたのは平成10年ですが、この温泉は民間の施設でありながら、創業当初より70歳以上の高齢者の入館料を平日無料にしていました。それは成田老人クラブから「温泉をオープンしてほしい」という度重なる嘆願書が寄せられて事業計画が起こされたこと、また高齢者の方々は金銭的なゆとりも無いだろうという気配りから生まれたプランでした。

ところが、いざ温泉をオープンしてみると意外な事実に気付かされました。まず70代の方々の大半は高齢者というイメージには程遠く、激務に疲れきった40~50代の中年層よりずっと元気に見受けられます。そして経済的にも豊かな方々が多く、統計的に見ても他の世代に比べて貯蓄額のレベルが圧倒的に高いのです。健康管理体制も整い、経済的にも恵まれ、時間のゆとりもあるからこそ、ここ最近では高齢者の方でも各事業で活躍される方や、テニス、ゴルフ、マラソンなどのスポーツをごく普通に楽しむ方が大変多くなっています。これらの社会現象から察するに、70歳より更に10年若い60歳とはもはや人生の折り返し地点にしかすぎず、そこからまた60年の楽しく、希望に満ちた人生が残されているということなのです。

自殺大国日本の汚名は残念ながら現在も健在

しかし、反面では残念な事実もあります。高齢化社会においては特に定年後の人生設計をより充実させることに大きな期待が寄せられていますが、現実はそう甘くありません。近年高齢者の自殺が急増しており、社会的な問題となっています。平成16年7月に発表された警察統計資料によりますと、平成10年より自殺者が急増し始め、平成15年には過去最高の34427人もの人が自分の命を絶っているのです。これは膨大な数字といえます。成田市の人口は約10万人ですから、日本総人口のおよそ0.1%に値します。もし自殺者の数が全国均一に比例配分されるとするならば、何と毎年34人が成田市でも自殺していることになるのです。

自殺者のデータを分析しますと、平成15年の統計によれば男女別では約7:3の割合で男性の方が多く、年齢別では50歳からが急激に増えており、男性自殺者全体の約3割を60歳以上が占めています。また若年層では、減少傾向にあった小学生の自殺者が今年に入ってから突然のごとく増え始めています。これは日本国の将来にとって一大事です。

上昇傾向が明らかな自殺者数の年度推移

日本人が死を急ぐ理由はこんなにたくさんある!

大和魂と侍スピリットを叩き込まれながら育まれた日本人は元来、毅然とした態度をもち、強く逞しく、そして美徳と忠誠を愛する国民でした。そのような背景の中で、日本では古来、死を美化する風潮がありました。それは単に自分の都合で命を絶つということではなく、むしろ物事のけじめをつけるという大義名分を証するための行動であったと考えられます。ところがここ最近の自殺はそのような釈然とした理由など存在せず、自らの精神的な問題やストレス、人間関係のこじれ、自殺願望などが原因となっている場合が殆どで、強く美しかった侍スピリットを誇りに思う日本人が、いつの間にか薄弱な精神構造を露にする弱者に摩り替わってしまったように思えてなりません。

人は何故、死を急ぐのでしょうか?その理由は様々ですが、根本的な原因は現実逃避に走る甘えの精神構造にあるようです。その要因の1つとして以前から問題視されているのが親の過保護です。溺愛の内に叱られることもなく育てられてしまった人は、実社会のプレッシャーに対応できず、大人になってからも自ら問題を解決する能力が著しく欠乏しているのです。これは現代病の代表格であるうつ病の大きな原因でもあり、うつ症状が自殺の引き金となることは少なくありません。自分は一人ぼっちであるという孤独感に悩まされ、寂しさと心の空白を埋めることがないまま、虚無感だけが先行してしまうのです。また生活を支えるための激務に追われ、自分の人生を燃焼しきってしまい、精神的なゆとりが全く無くなってしまうことも危険な兆候です。その上、自覚症状が改善しない体調不良や、老後の生活に何ら期待できないこと等、すべてネガティブ面だけが脳裏を埋め尽くして失望感につながります。また精神的、霊的な呪縛をうけることも自殺の原因の1つです。本来ならば健全な宗教哲学の下に、自分はなぜ生まれて、なぜ今、生きているのかという人生の意味をしっかりと捉えていれば、自殺などするわけがありません。ところがその人生の意味さえも全く知らずに生きてきたからこそ、死を急いでしまうのではないでしょうか。

やりたいことができる60歳以降こそ人生を満喫できる本当の大ステージ

1970年代、アメリカで『ソイレント・グリーン』というSF映画が流行りました。世界的な食糧難に陥った際に、政府はソイレント・グリーンという食糧を市民に支給します。国の秘密工場で製造されたこの緊急食糧の実態は、安楽死を選択して死んだ老人の人肉を原料に作られたものだったのです。この映画は正に高齢者が行き場をなくした社会の行く末を占う話題作となりました。そこで描かれている老後の人生のイメージは、楽に死ぬことが最善の選択肢である、というように描写されています。しかし、本当に老後の生活とはそんなに惨めなものなのでしょうか?

先日、ドイツのナンバーグという郊外都市を訪ねるチャンスがありました。ドイツといえばビールとワインのメッカです。天気の良い日になると、町中、至る所にあるレストランの屋外スペースで大勢の年配の方々がビールを飲みながらのんびりとくつろいでいます。そこには夫婦で楽しく語らいながら時を過ごしている人もあれば、仲間と大声で談笑しているグループ等、様々です。また地方のリゾートタウンに行けば、高齢者の方々がのびのびとスポーツやエステを楽しみ、特に孫を含む家族や仲間と食事の時間を大切にしている光景を頻繁に見受けました。

聖書の教えを引用するならば、定年退職は50歳です。若干早いと思われる年齢ですが、それには明確な理由があります。50歳になるまではバリバリと第一線で仕事をし、それ以降は裏方に回り、長老として若い世代を教え、導くことが重要であるということです。Uターンの年齢が50であっても60であったとしても、これが最も大きな意義ではないでしょうか。自分の為だけに生きるのではなく、今まで自分が経験して来たことを活かして、次世代を担う若者を育てることに意欲を燃やすのです。その上で、余暇を楽しみながら日々読書やスポーツ、様々な鑑賞、知人との交流に費やすことができたら、老後の楽しみも増えてくるに違いありません。目指すところは若者が羨ましがるような高齢者のライフスタイルが街中に溢れることです。長生きをしたい、僕も、私も60歳から人生の大ステージを思う存分歩んでみたい、そう思えるような社会作りを2005年、目指したいものです。

(文・中島尚彦)

© 日本シティジャーナル編集部