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近代近代社会における都市計画の在り方
序編 住民自ら街づくりを手掛ける情熱が今の成田にあるか?

近年に例を見ない高さ10m以上の巨大な津波に襲われて大きな被害を受けた、タイ・プーケット島のパトンビーチからレポートしています。プーケットといえばここ数年、日本からの観光客が大幅に増加してきた人気のリゾートタウンです。ここは大自然の美を極めた砂浜や透き通るように綺麗な海と、水中で群れをなして泳いでいる無数の熱帯魚を目の当たりにすることができるだけでなく、世界的な高級スパ・リゾートブームの先駆けとなったアマンリゾートの初代作、アマンプリがある所としても有名です。このプーケット島の西海岸にあるスリンビーチから海岸沿い10数キロの道のりを自らの足で走りながらパトンビーチまでやってきましたが、その途中、道路脇にある広大な敷地に津波で亡くなった人が埋められているのを目にしました。小高く盛られた土の上には無数の小さな石碑が立っており、初めて目にする臨海墓地の光景に津波被害の甚大さを痛感せずにはいられませんでした。

都市開発の原点は、皆の力を結集して街を良くしたいという住民の情熱!

大災害に見舞われたプーケットではありますが、津波から既に1ヶ月以上たった今、町の再建が急速に進んでいます。パトンビーチでは至る所で電ノコとかなづちの音が響き渡り、大勢の住民が災害の痛みを乗り越えて家屋や店舗の修繕に取り組んでいました。そこには工事業者や政府の高官らの姿は全く見られず、あくまで住民らしき人々が自力で懸命に建て直し工事に取り組んでいるように見受けられました。彼らの自然な笑顔と復興にかける生き生きとした姿こそ、崩れかけた町並みが立ち直っていく原点となっているに違いありません。このように「自分の住む町を良くしたい!」と心底思う情熱こそ、都市開発が成功する為の原動力として最も大切な要素ではないでしょうか?そして住民が街の発展に深い関心を持って、自ら様々な課題に取り組んで行く時に始めて経験則に基づく実践的アイデアが生まれ、本当の意味で「民意」という住民共通の理念が生まれてきます。

都市開発は平たく言えば「町興し」と同じ意味ですが、ごく一般的には古きものを捨てて、全てを新しくするような近代的街づくりのイメージに捉えられがちです。しかし都市開発の目的は、住民がより安全で住み易くなるように、街の在り方そのものに様々な工夫を凝らしながら改善していくことにあるので、必ずしも近代的なイメージを想定する必要はありません。例えば日本の街の景観を古き良き時代のままに保全するという前提で、上下水道を整備して美味しく清潔な水を住宅に配給したり、無電柱化を実現して街の景観をより自然に見えるようにしたりすること等も都市開発に関わる課題です。勿論、全く何も無い原野にデベロッパーが介入して総合的な開発を企画し、そこに戸建住宅の建築を行ったり、ショッピングセンターを造成したりすることも都市開発の一面です。これらの様々な都市開発プランが潤滑に進められていく為には、何と言っても住民の町興しに対する熱い情熱と理解、そして積極的な係わり合いが不可欠です。

甘えの構造による住民エゴの台頭が住民本位の健全な街づくりを阻害する

このような「住民本位」の町興し、すなわち自分達の住む町を自らの手で労苦を重ねながらより良くしていこうという情熱が、どうも成田には欠けているようです。しかし無理もありません。何しろ農業中心で生計を立てていた成田に、有無を言わさず国家の裁定によって国際空港が誘致されてきたのです。その結果、国や企業による周辺地域の土地の買収が一気に進み、それまで二束三文であった地価は高騰して棚からぼた餅式に土地成金が誕生しました。また空港事業に関連する様々なビジネスが成田に拠点を持ち始めることにより、雇用環境が大幅に改善されただけでなく、周辺都市から成田界隈に移住してくる人々も増加したのです。これらの経済的効果が波及した結果、成田は中堅の市町村としては群を抜いた成長力で発展し続け、大半の住民が何らかの形でその恩恵を受けてきたと考えられます。

成田の都市開発は空港経済を中心とした外部からの介入によって推し進められてきた為、地元住民は今まで特に苦労を体験せずに、その経済的恩恵をある意味で独り占めすることに慣れきってしまい、いつしか受身の姿勢が蔓延してしまったのでしょう。本来ならば「住民本位」の都市開発を実現するために空港問題以外の様々な行政課題についても、住民自らもっと積極的に意見を交わした上で、行政に反映されるべく努力するはずのところが、それらも空港の繁栄下に埋もれてしまったように見受けられます。

この消極的な姿勢がいつしか「甘えの構造」の元凶となって一部に住民エゴが台頭し、街づくりに建設的に取り組もうとしないどころか、逆に自らの利権のみに固執するあまり、健全な都市開発を阻止する反対勢力になってしまったことが危惧されます。成田の発展は空港経済のおかげであり、その空港にまつわる人の流れは、海外からのビジターであっても、地方からの移住者であっても、成田界隈からの就業者であっても、皆が大切にしなければならない成田の宝なのです。どんな我侭でもまかり通った時代は終焉を迎えました。これからの時代は皆が共存し、共に栄えることを前提に住民本位の都市計画の構想を練ることが当たり前であり、そうして初めて民意を大切にした行政が実現するのではないでしょうか。

成田に住む庶民が巷では乞食呼ばわれされてしまう所以

多少のひがみもあるには違いないですが、上記の住民エゴと我侭を理由に成田市民が「乞食住民」と呼ばれていることを耳にしたことがあります。自らは努力せずにまるで物乞いのように、欲しいもの、やってもらいたいことがあればそれを言い続け、誰かが与えてくれることを期待するという貧しい依存意識を指して言っています。例えば空港建設に対する当初の反対運動にもこの貧民意識が見られたのではないでしょうか。国際空港の早期竣工は国民全体の願いであり、成田に寄せられた期待は大きかったのです。しかし結果は歴史に残る闘争と化してしまい、一部の根強い反対派の人々は国の妥協案にも譲ろうとはしませんでした。その是非はともかくとして、反対派の人々はしぶとく居座り続けたからこそ、最終的にはより有利な条件で用地買収の交渉を成立させることができました。結果として、当時反対派の人々がどんなに素晴らしいイデオロギーを掲げていたとしても、地元の住民が如何に正当な被害者意識を持っていたとしても、結局の所、お金目当ての策であったと言われても仕方がありません。実際、反対運動に参加した人々の多くは今や、そこで獲得した資金で家を建て、新しい事業を展開して、しっかりとその後の生活をエンジョイしています。本当に地元成田を思うなら、自分が空港圏に居住することによって受けた恵みを何らかの形で社会に還元し、皆で一緒に街づくりに励もうという前向きな姿勢があっても良いはずです。そのようなポジティブな考え方を持つ住民が少ないからこそ、いつになっても周囲から与えてもらって豊かになり続けてきたというイメージが払拭できずに、いらぬ所で乞食住民呼ばわりされてしまうのです。

住民本位の都市開発を実現するには献身的なチームワークが不可欠

しかし空港の民営化も実現した今日の成田は、自分達が自らの力で立ちあがり、自らの運命を築いていかなければならないという、良い意味での緊張感が漂い始めています。民意をできるだけ公平に都市計画や他の行政庶務に反映させる為にも、今一度都市計画の在り方を見直す時が来たように思われます。住民自ら街づくりに積極的に関与していく時代の到来ではないでしょうか。

「住民本位」の街づくりを実現する為に大切なことは、住民自ら良く話し合い、「民意」に基づいた未来像なるものをきちんと形成し、そのビジョンを共有することです。そしてその「民意」を原点として経験に富んだポリシーメーカーが都市計画のマスタープランを構築し、実行計画に移すことにあります。特に一番大きな影響力を持っているのは市長及び、ポリシーメーカーとしての責任を担う市議会議員、そして彼らにアドバイスを与える専門家らです。だからこそ民意が正しく行政に反映されるためにも、住民選挙による投票が重要な意味を持つことになります。願わくは、政治家として活躍されるこれらのポリシーメーカーが単に住民の良き理解者として街のビジョンを共有し、彼らの代弁者となっているだけでなく、実務経験に豊かであり、都市計画のプランにおいても様々な難しい課題に積極的に取り組む勇士であってほしいものです。

しかし政治経済に絡む問題には複雑を極めることが多く、いくら民主主義国家と言えども多数決では決定できない問題が山積みです。住民全員の権利が絡む都市計画においては特にその問題が顕著に現れます。空港問題にしてもしかり、多数決をもって決めて良いなら即刻反対派の住民を排除して空港建設が推進されるべきでしたが、用地買収に関わる地元住民の権利問題をきちんと解決することができなかった為、問題が長期化してしまったのです。その為に生じた国家の損害は計り知れず、成田市の歴史においても大きな汚点となってしまいました。

同様の問題を今後避けるためにも、今一度、住民自ら手を取り合って立ち上がるべきです。そしてお互いが前向きに様々な課題を熱心に話し合い、意見交換する過程の中で何が本当の「民意」なのかを模索し、その上で、自らが信頼する政治のエキスパートに実務を委ね、ビジョンの実現に向けてハッスルするのです。住民の情熱と政治家の誠意が合体してこそ、初めてよき街づくりが可能となります。全員の今後の活躍に期待してやみません。

(文・中島尚彦)

© 日本シティジャーナル編集部