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アスベストの恐怖が今、始まる
起こるべくして起きた人災を行政が防ぐことができなかった実態の謎!

今、日本ではアスベストが社会的大問題となっています。アスベストが原因とされる中皮腫による健康被害が日本で急速に拡大しているだけでなく、被害を受けた従業員の家族や周辺の人々にも二次災害が拡大していることが確認されたのです。経済産業省によると、アスベスト製品の製造業者のみを対象にした調査結果からだけでも既に死者が400人近く認定されており、その他企業を含めるとアスベストが原因と断定できる死者は500人を超えています。しかしこれは氷山の一角にすぎません。アスベストを原因とする病気は潜伏期間が長いだけに、その因果関係の解明も困難を極め、今となっては現場の検証もできない為、結局労災認定を受ける割合が潜在的被害者の1割弱とも言われています。それ故、数年前に早稲田大学の調査機関によって発表された「今後40年間で10万人が中皮腫で死亡する」という予測が、より現実味を帯びてきています。

今から半世紀も前の1950年代から、アスベストはその危険性が海外で指摘されてきました。72年には国際労働機関(ILO)がその発がん性に対して警告を発し、旧労働省も76年にはアスベストの危険性を認識していたのです。78年にはアメリカ政府が警告を発し、直後の80年にはWHOもアスベストを発がん物質と断定した為、それ以降、欧米の先進諸国はこぞってアスベストの「全面使用禁止」を前提にした厳しい対策を取り始め、アスベストの撤去作業が積極的に進められました。そして86年には国際労働機構もアスベストの使用を制限する条約を盛り込むなど、アスベスト対策は海外諸国で着実に実践されたのです。

では何故、今になって日本が騒ぎ始めたのでしょうか?世界が騒いだ数十年前の当時、日本では何故、積極的に対応することをためらってしまったのでしょうか?

アスベストとは如何なるものか

アスベストは石綿と呼ばれる繊維状の天然鉱物です。柔らかでありながら磨耗に強く、耐火性と断熱性にも優れ、しかも安価に大量生産することができます。その為アスベストは、特に戦後、世界各地でセメントと混合してパイプや水道管等の建材やブレーキをはじめとする数千種類もの工業製品の素材として急速に普及したのです。そしてその優れた断熱性と耐火性故に、建物内の天井や壁などにアスベストを直接吹付ける工法が重宝されるようになりました。最終的にアスベストは建設業だけでなく、加工や溶接などの金属業、造船、自動車等の運輸業、電気業など、多種多様の業界に広く浸透していくことになります。

ところがアスベストは人間の健康を害する大変危険な物質でもあります。アスベストは羽毛のような細かい物質のため、空中を飛散して人体の肺に簡単に入ってしまい、一旦肺の中に入ると微小なとげのように刺さったまま、体内に残ってしまいます。そして長い年月がたつと、その刺さった箇所が硬化して呼吸機能を低下させ、石綿肺や肺がんを起こし、粘膜にできる癌の一種である「悪性中皮腫」を発病させてしまうのです。この病気は始末の悪いことに潜伏期間が20~50年と極端に長いだけでなく、発病後は有効な治療法がまだありません。アスベストから人体を守るためには、アスベストに近づかないことしかないのが実情です。

アメリカでの徹底したアスベスト対策

80年代、アメリカでは合衆国政府の指導に従って、各州の地方自治体が徹底したアスベスト対策を実施しました。特に不動産業界におけるアスベスト対策の取り締まりは厳しく、ビルや土地、建物の所有者、施工業者、購入予定者、そして売買に関わる仲介業者までも含めてアスベスト撤去に対する責任を負わされました。例えばカリフォルニア州においては当時、商業物件の売買において、アスベスト・フリー、すなわちアスベストが撤去されている、もしくは含まれてないことを保障しなければ不動産の売買契約を成立させることができませんでした。また建物を増改築する際にもアスベスト対策をとらざるをえないように行政指導を受けたのです。その結果、地権者を始めとして、買い手、仲介業者も含めて、皆アスベストの撤去に躍起になったのです。このような厳しい対策が功を奏したのでしょう、今日ではカリフォルニア州でアスベストが問題視されることはまずありません。

アスベストに汚染されたままの日本列島

ところが日本では、アスベストが殆ど規制を受けずに今日まで使用され続けてしまったのです!欧米でアスベストが危険物質と認定された後も、日本のアスベスト輸入量は更に急増し、輸入量が74年にピークを迎えた後でさえも、87年までの十数年間、毎年25~30万トンという大量のアスベストが世界各地から日本へと輸入され続けました。

80年代後半、全国小中学校の校舎でアスベストが大量に使用されていることが社会問題となり、やっと89年に大気汚染防止法改正でアスベストが特定粉塵に加えられ、限定的な対策が採られました。その結果、輸入量は1989年より減少傾向となったのですが、実際には2004年まで建材や自動車部品用としてのアスベストの輸入は原則として禁止されることはありませんでした。しかも、今回上場企業が死者数を公表したことで再度社会問題化したにも関わらず、文科省の大臣は学校施設でのアスベスト使用実態を再調査し、年内に結果をまとめて対策を講じるという悠長な話をしているのです。アスベストによる死者が多数確認されている現実とは裏腹に、アスベストの在庫分に関しては特例を設けて使用できるような仕組みを未だに許していること自体、行政の軟弱な体質を暴露しているように思えてなりません。

アスベスト問題が発覚してから半世紀たった今日でも、日本全国にアスベストによって汚染された建築物が無数に残っています。特にアスベストが建材として多用された6~70年代の建造物は老朽化が進んでおり、それらの解体工事には未だにアスベストの恐怖が潜んでいます。

後手に回りすぎた行政対策の大失敗

厚生労働省(旧厚生省)はアスベストに対してこれまで何ら対策をとらなかったわけではありません。1975年にはアスベストの吹き付けを禁止する法令も盛り込まれ、その後も特定化学物質障害予防規則に基づいて、アスベストを第二類物質に指定することにより、規制を試みてきました。しかし、例えば特定化学物質障害予防規則における行政指導では単に事業者が主任者を選任し、責任をもって現場を管理してアスベスト被害の防止措置を講じ、従業員の健康診断を実施することを促すだけの、大変曖昧な内容のものばかりです。法的拘束力が乏しい行政指導では、利潤を追求する大企業の経営戦略を修正指導できる訳がありません。

またアスベストを全面禁止にする動きも厚生省の一部にはあったようですが、実現しませんでした。まずマスク着用等の防塵対策や飛散防止策等の安全策をとれば、事故は防げるという甘い認識が蔓延していたことです。また断熱性に優れた建材としてのアスベストの代替品が他には無く、その他資材の安全性も確認できていない、という企業の一方的な主張を鵜呑みにしてしまった行政の甘い判断もあります。また海外からの貿易摩擦に関連するプレッシャーがあります。当時、GATTOと呼ばれる関税及び貿易一般協定があり、それが一方的に輸入を規制していたため、大幅な貿易黒字を抱える日本にとって、国内での取引が禁じられていないアスベストの輸入を禁止することができなかったのです。最後に、アスベストの危険性は認知されていても大企業の強い要望を断固拒否してまで規制を課すまでには及ばない、社会的な構造があったことが致命傷となりました。すなわち行政と大企業との癒着故に、在庫過多に陥いらせるような経済的負担はタブーと受け止められたのです。言い方を変えれば、労働者の安全確保を優先するよりも、企業利潤を優先させたことがアスベスト被害を拡大させた理由でもあります。

アスベストの輸入に積極的に関わった輸入商社や製造メーカー、建築資材の販売会社、ゼネコンを含め、行政担当者の責任が未だに問われないこと自体、不思議でなりません。欧米人が買わなくなったアスベストを、日本に故意にダンプし続けるため、企業と行政の癒着構造がうまく利用されてしまったと仮定するのは考えすぎでしょうか。規制によって欧米への行き場を失った南アフリカやジンバブエ産のアスベストは、そのはけ口として行政対策で後手に回った日本へばら撒かれたと推測できます。

アスベストの恐怖はこれからが本番?

アスベストの恐怖が現実となり、死者が急増していることに伴い、今年度7月より「石綿障害予防規則」が施行されました。これは建築物の解体前にアスベストの使用状況を確認し、除去計画を労働基準監督署に届けることを義務付けて、安全管理を強化することが目的です。またアスベストの撤去に伴い、建築物の所有者に対しても責任をもたすようにしました。しかしアスベストの撤去作業は大変割高であり、撤去作業の工程が面倒なため、実際にルールが守られて工事が行われるか疑問が残ります。またアスベスト含有の判断を検証できる業者も少なく、小規模の改築が対象外とされている事なども含めると、アスベスト含有建材の飛散防止対策自体が不十分であるといわざるをえません。

いつの日でも後悔はつきものです。一連のアスベスト事件は経済産業省の担当官による答弁「これほどの大被害の発生を正直予想していなかった。もう少し早く調査すべきだった」にその問題点が凝縮されます。後手に回った行政の大失策を今更言い訳しているようでは、尊い命を奪われた善良な市民がいつまでも浮かばれないでしょう。

(文・中島尚彦)

© 日本シティジャーナル編集部