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戦後60年、アジアと共生する
新生日本の姿は如何に!

第2次世界大戦は日本に悲惨な結果をもたらしました。太平洋戦争を通して亡くなったといわれる想定300万人以上の国民、狂気の沙汰としか思えない原子爆弾による2回の被爆、沖縄や北方領土の没収、そして日本軍の敗退と時を同じくして自害していった多くの女性や子供達の悲劇を思うだけでも心が痛みます。その後、軍事裁判を経て戦犯者は裁かれ、貧困と飢えに多くの人が苦しむ最中、空襲で廃墟と化した瓦礫の中から、新しい国造りが米国主導のもとに行われ、それが近代日本国家の新しい始まりとなったのです。そして戦後、日本は迷惑をかけた隣国に対して惜しみなく援助を提供してきました。これだけ茨の道を通ってきた日本ですから、ごく普通に考えれば戦争責任の問題は終結しているように思えるのですが、実は違うのです。

それにしても、未だに戦争責任問題が尾を引いている国は、世界のどこを見ても日本しかないでしょう。戦争にまつわる隣国とのトラブルはくすぶり続け、その延長線上にある昨今の尖閣諸島、竹島、北方領土や、教科書検定、靖国参拝等に関る問題が日本に重くのしかかったままになっています。日本国民はもはやいつまでも消極的な姿勢を貫いている訳にはいきません。グローバルな新しい時代に向けて、国際社会における日本の責任はますます大きくなってきています。それ故、世界平和を実現して日本の持てる力を惜しみなく発揮する為にも、過去の問題に真っ向から取り組むことが不可欠です。

戦争責任に関心の薄い現代の日本人

実は終戦を迎えたとたん、日本は「一億総ざんげ」とも言われるように、恥を忍びつつ戦争問題に取り組むことをやめているのです。大勢の戦死者を出した敗戦の傷は深く、それまでに培われてきた国体論や愛国心を根こそぎ否定された国民は、心に穴が開いたまま廃墟をさまよい歩きました。そして戦争放棄という新しい国家の旗印の下に、日本人は平和をこよなく愛すべく再教育を受け、戦争の悪夢を忘れて戦後の復興に専念することになります。

その国民教育の原動力となったのは米国主導の占領軍統治であり、国民はこぞって米国仕込みの教育を受けました。また、戦争に負けた日本人は占領軍に仕えることも一種の美徳とわきまえ、米軍の駐在を律儀に受け入れただけでなく、日本人に対して意外にも優しく、明るく振舞う在日米軍に対して、いつしか親近感さえ覚えるようになりました。結果として日本はアメリカが提供する安全保障の傘下で、戦争の心配や再軍備の必要性を思い煩うことなく、国家の経済的発展のみに専念することが可能となったのです。アメリカの惜しみない協力無くしては戦後の驚異的な経済的発展は無かったでしょう。この米国の存在が、戦後、子供達の世代にまで良かれ悪しかれ大きなインパクトを与えたのです。

戦後復興期の戦争を知らない子供達

戦後の復興期にあたる昭和30年代、日本では白黒テレビが普及し始め、東京の道路には自家用車が走り始めました。東京渋谷の中心にあったワシントンハイツと呼ばれる大きな米軍の施設には大勢の軍人が駐在しており、当時は米軍の存在そのものが、東京都民にとって大変身近なものに感じられていた時代でした。このワシントンハイツが東京オリンピックを機に日本に返却され、そこがオリンピック村となり、その後、オリンピック競技場や、NHKビルに姿を変えていくことになります。また昭和30年代後半の人気テレビ番組を振り返ると、如何に米国絡みの戦争ものが多かったか気づきます。当初、テレビ番組は米軍の検閲を受けており、そのコンテンツが細部にわたりチェックされていました。無論、その目的は日本の軍国主義を完全に排除し、テレビを通して日本人が米国好きになるように教育することでした。その結果、定期的に放映されたのが、当時米国で流行していたコンバット、ギャラントメン等の連続戦争ドラマです。米国製テレビ番組ですから、当然の事ながら常に米国が正義の使者として勝ち、悪徳ドイツは最後にいつも負ける、というお決まりのパターンです。

これらの戦争番組を見て育った日本の子供達は、幼い頃から戦争ごっこを楽しみ、戦勝国である米国を好きになるように自然と洗脳されていったのです。デパートのおもちゃ売り場にはどこもかしこも戦争グッズが並び、コンバットを題材にした兵士のミニ人形や、戦車や軍艦、空母、飛行機などのプラモデルが売れるようになりました。そして米国の音楽を聴き、野球を楽しみながら米国文化に触れた多くの青少年達は、いつしか米国に憧れるようになりました。また日の丸や君が代さえも否定するのが当たり前のような教育も同時に受けてきた為、自国の存在価値さえわからず、日本国民としてのアイデンティティーを持たない若者が増え始めたのです。それが今日、無関心層が多数を占める一大要因となり、結果として、隣国との諸問題等がないがしろにされてきたことは否定できません。今、日本は国家の軌道修正を必要としています。

真のリーダーとして日本が目覚める時

これからの日本は、先手を打って自らの考えを国際社会に対して提言し、諸問題の解決に向けて、何でも積極的に取り組んでいける国にならなければいけません。日本は世界第2位の経済大国であり、先進新諸国の中で唯一、欧米諸国と対等に長年外交政策に取り組んでいるアジアの雄なのです。だからこそ隣国とのトラブルにおいても、日本が積極的にリーダーシップをとって、解決の道を提示していくことが、外交政策における今後の課題です。また、戦争責任等、過去の問題からいつまでも解放されずにいる周辺諸国の心の呪縛に対しては、日本は正しい歴史の認識と、できる限りの誠意をもって、それを取り除く努力を継続することが必要です。その為に、以下の4項目に注目してみました。

1.意見をはっきり言う国になる

海外諸国と意見の食い違いが見られる時、常に日本は毅然とした態度をもって、言うべきことをしっかりと語り、YesはYES、NoはNO、と、国家としての意思表示を明確にすることが大事です。隣国と協調路線を歩む際、時には妥協することも大事ですが、まずは率直な意見交換をいつも心がける必要があります。また諸外国から反発がある度に、とりあえずのリップサービスでその場逃れの発言等しようものなら、問題解決の先送りにしかなりません。国家の関係も人間同士の関係と一緒であり、本音の議論が繰り返されて意見の摺り合わせが行わなければ、最終的に仲良くなることができないのです。

2.世界史を国民がしっかり勉強する

歴史とはそれを解釈する視点によって史実に対する理解が大きく変わってしまうことがあります。その為、日本人はもっと歴史を学ぶことを大切に考え、正しい解釈ができるように一生懸命勉強することを心がけなければなりません。つまるところ隣国との問題は、歴史の解釈の相違によって双方が歩み寄れないことがトラブルの根源にあります。だからこそ、歴史の勉強会を各地で発足させ、学校教育においても、歴史を学ぶことが楽しくなるようなカリキュラムを構築していくべきでしょう。

3.過去の清算は終了している立場を明言する

昔に遡って過去の過ちをいつまでも国家レベルで追求することは民族紛争を拡大し、世界秩序の崩壊につながりかねない危険性を持っています。例えばヨーロッパの大国に侵略されて植民地となった国はアジアやアフリカに多数ありますが、野蛮な横行が続き、多くの資源が搾取された被植民地国に対し、その損害賠償を支払うような話は聞いたことがありません。アメリカの奴隷制度にしても同じことが言えます。もし大勢の黒人犠牲者が礎となっている今日の米国社会で、人権侵害の代償をその子孫であるアフリカ系米国人の方々に支払うことが容認されたら、米国はひっくり返ってしまうでしょう。その膨大な賠償額は、計算方法さえわかりません。

それ故、過去の戦争責任における清算は済んでおり、それらに関るクレームについては一切取り合わないという姿勢を政府が明確に打ち出すことが重要です。それは相手を突っぱねるという意味ではなく、日本がこれまで実践してきた戦後の貢献をきちんと理解してもらうことにつきます。日本以上に惜しみなく海外諸国に経済援助の手を差し伸べている国が今日存在するでしょうか?財政赤字が問題視されている昨今の経済情勢の中でも、事ある度に自国を犠牲にしてまで他国への援助を提供しているのが日本の誠意の証なのです。

4.教科書の検定を国際レベルに広げる

教科書問題は、未来を担う子供の教育に多大なる影響を与える重要課題です。だからこそ日本だけに限らず、世界各国で用いられている教科書の記述が史実に対して正確、かつ公平に記載されていることを目指さなければなりません。今日、たまたま日本の教科書問題が話題となっていますが、実際には日本を非難する隣国の教科書にはもっと多くの偏見と史実の誤認が見受けられるのではないでしょうか。確かに愛国心を盛り上げ、自国民をマインドコントロールする為に教科書を利用する国も少なくないようです。これではいつまでたっても歴史の解釈が一致することはできず、各国の共生が難しくなります。それ故、教科書の諮問機関を国連レベルで設置し、国連に加盟している諸国がその指導に従って公平な記述をすることを約束し、それを実践していくことを提言します。

新生日本は戦前とは打って変わり、今や国も、教育方針も、人々の考え方や価値観も全てが新しくなりました。これからの日本にとって大事なことは未来に向かって世界各国が互いに協力して新しい世界の秩序を創り上げ、世界平和を実現するために日本がリーダーシップをもって貢献することです。平和を愛し、諸国との共生を目指すリーダー格の日本だからこそ、今一度、外交政策の方向性を考え直す時期がきています。

(文・中島尚彦)

© 日本シティジャーナル編集部