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マラソンの激走ドラマはまだ続く!
沿道沿いの暖かい大歓声に支えられたシカゴマラソンの思い出

初マラソンに挑戦するレース前の元気な姿・・・

ベルリンマラソンと同様にコース全体に傾斜が少なく、ほぼフラットな状態で始終走れるため、世界記録を生み出しやすいスピードコースとして認知されています。

このシカゴマラソンに今年は日本から人気ランナーの千葉真子がエントリーすることになり、アテネオリンピックの金メダリスト、野口みずきによって更新された日本新記録を破ることに期待がかかりました。持ち前の茶目っ気と明るさで大勢のファンを魅了してきた千葉真子は、昨年の成田ハーフマラソンにゲスト・ランナーとしても参加しています。無論、男子ランナーも、世界トップクラスを誇るケニヤからのスピード軍団を筆頭に、日本からも多数の有力ランナーが集まり、日本では夜の10時からテレビで生中継されることになりました。

成田から参戦!マラソン4勇士

今回シカゴマラソンに日本からエントリーしたランナーはおよそ130余名。成田からは少なくとも4人が参加しました。まずは井上照芳29歳、千葉県柏市出身。職業はインターネット関連の製作。趣味は映画鑑賞。一見ひ弱で小柄な電車男風ですが、絶対に完走できるという自信をもって今回マラソンに初挑戦です。次に佐賀県唐津市出身のNEGGY加茂。特技はブルースギター、仕事でも楽器の営業に携わる九州男児です。大のビール好きである為ここ最近体重が増えすぎ、この巨漢で42kmを走れるのか疑問視する人が後を絶ちません。そして渡邉篤史32歳。千葉市出身のマラソン男であり、筆者にこっそりとマラソンを紹介した張本人でもあります。趣味は料理とロックギター。1年程前からお腹の周りに余分なものがつきはじめ、体重がなかなか落ちず、そのせいか、思うように記録が伸びずに苦しんでいるランナー。

そしてマラソン暦2年にてレース参戦が5回の筆者です。大好きなテニスを一時中断して仕事の傍らちょこちょこと走り、汗をかくのを楽しんでいる47歳の企業経営者。走れば走る程体が引き締まって気持ちよくなるのを良いことに、減量を続けて見事10kg減を実現。ひざの半月版をすり減らしてでも、シカゴでは自己ベストを更新することを宣言。今回の目標は3時間20分。そしてその記録を踏み台に、12月のホノルルマラソンでは10分台を達成することを虎視眈々と狙っている…

42kmに挑戦する4勇士の下準備とは

今回のチャレンジャー、加茂選手と井上選手は初のマラソン体験です。2人がレースに参加することを決断した時点では既に3ヶ月を切っていたため、とにかく毎日少しでも走り始めることをまずアドバイス。毎週火曜日の早朝7時に4人で集合し、1時間程走ることにしました。一ヶ月前には河口湖で1泊2日の合宿。練習メニューは、1周17kmある河口湖を加茂選手が1周、井上選手は一周半の22km、渡邉選手は2周の34km、そして筆者は2周半の39kmをとにかく走りぬくことです。土曜の午後、同時にスタートしたのですが、かつて10km以上を走ったことのない加茂、井上両選手にとって河口湖畔を走ることはかなり過酷な試練だったようです。両者とも走り終えた時点で「つらすぎる」と、倒れこむようにホテルで寝込んでしまいました。また渡邉選手までもが弱音をはいて、規定の34kmを走らないまま1周半で撤退してしまったのです。「走った距離は裏切らない」のがマラソンの鉄則です。これでは先が思いやられます。

10月9日朝、ドラマが始まる

当日の予報は曇り時々晴れ。朝方の気温は肌寒い7度、そして日中の最高気温は15度前後という絶好のマラソン日和です。早朝からスタート地点があるダウンタウンの公園は何千、何万というランナーで賑わっていました。多少なりともマラソンの先輩である筆者が初マラソン走者の2人に教えたことはたった2つ。まず、最初の20kmは回りにせかされずにひたすらマイペースで早歩きをし、ハーフを過ぎた位から走り始めること。もうひとつの鉄則として「棄権」の2文字を自分の辞書から消し、ひたすら前に前にと足を出していくことだけを考える。この2つだけ厳守すれば、地獄の失速体験を避けて無事ゴールを割れるのだと。4人一緒に写真をとった後、お互いにお別れの挨拶を交わし、それぞれが自分のスターティング・ポイントに散って行きました。

午前8時、4万人近い大群衆が一斉にスタートラインめがけて動き出し、42kmのドラマへと旅立って行きました。スタート時の盛り上がりは何といっても快感につきます。今回はかなり走り込んできたこともあり、体調はさほど悪くはありません。しかしデスクワークからくるストレスからか、レースの1週間前から背中の痛みと軽い腰痛を覚えていました。それが完治しないまま、持病の左ひざの痛みを抱えて参加するマラソンだけに、一抹の不安を隠せません。

アメリカでは42.195kmのマラソンはマイルで表示され、26.2マイルのレースとして1マイルごとに標識が立っています。この距離をいかにしてコンスタントに走り続けるかが勝負の境目です。自分の持っている力より少しでもペースを早めてしまうと、途中で地獄の失速が待ち構えており、逆にあまりゆっくり走りすぎると、後からいくらペースをあげても記録が伸びなくなってしまいます。この大切な教訓を過去5回のマラソンで体得してきた結果、今回は1マイルのラップタイムを7分43秒で走り続けることに専念することにしました。このペースで26.2マイルを走り抜けると202分少々、およそ3時間22分となり、自己ベストタイムの更新となるわけです。しかも1マイル7分43秒というのは自分にとっては無理のないペースであり、「絶対にいける!」はずでした。ところが厳しいドラマがいつも待ち構えているのがマラソンの現実です。

決死の覚悟からドラマは完結する

ハーフの少し手前から完治してない腰痛がずきんずきんと痛み始め、だんだんとその痛みが足の方に下ってきたのです!さらにいつの間にか右足の付け根から大腿筋の上部までがパンパンに張ってしまい、走れば走る程、痛みが増してくるようになりました。「こんな状態で走れる訳がない!」と心の中で叫びつつ、ポケットの中に入れてあった筋肉痛用のジェルを取り出して、必死に右手で塗りながら走り続けました。ところが15マイル地点を過ぎるともはや痛みと苦しみに絶えられなくなり、「もう無理だ」と思った瞬間、あえなく失速し始めてしまったのです。「せっかくここまで走ったのに」、と心の中で呟きつつ走っていると、遠くから歓声が耳に入ってきました。コース沿いに道路を曲がると、突然、道の両側に数千名とも思える大観衆が現れたのです!そしてかつてない熱狂的な大歓声と「You can do it!」(絶対にできるぞ!)というエールにすっぽりと包まれたその時、それまで弱気に沈んでいた自分のマラソン魂が覚めたのです!こんなに大勢の方が声援を送ってくれているのに何を考えてんだ!そう思ったとたん、不思議と走りながら涙がこみ上げてくるのでした。この瞬間、「死んでも自己ベストを更新する」という言葉が心に刻み込まれました。

この大声援に支えられつつ、冷静にゲームプランを立て直してみました。腰痛でスピードダウンした分、脚力は余力が十分に残っていることを確認。右足の痛みを我慢することが課題でしたが、当初からのプランである1マイル7分43秒のペースにスピードを戻し、最後の2マイルでペースを上げて今までの遅れを一気に取り戻す、という戦略に変更です。大声援のおかげで再び元気良く走り始め、20マイルを超えた時点から3時間30分のペースメーカーを何人も抜き、23マイル付近からは3時間20分のペースメーカーが視野に入ってきたのです。自己ベストの3時間27分を更新するためには、この3時間20分のペースメーカーに追いつくことを目標にしなければなりません。そこで「死んでもベスト更新だ!」と心の中で叫びつつがむしゃらに走り込み、最後のゴールストレッチ!大勢の観衆が見守る中、自分の持てる力を全部振り絞って一気に駆け抜け、両手を挙げてガッツのゴール!そこには感無量の思いに天を仰ぎ見、涙を抑えきれないマラソン魂が佇んでいました。タイムは自己ベストの3時間25分4秒。一時はギブアップに追い込まれながら、奇跡の復活を成し遂げることができたのは、正にサポーターのおかげです。

その他、同志の結末は...

加茂 - 激走の末、6時間4分でゴール。
その直後、発熱してホテルで倒れる。

井上 - 最後の2マイルを悶絶のうちに走り
ながらも5時間の好タイムでゴール。

渡邉 - 途中で靴が脱げるアクシデントに
見舞われ、 その後、失速、4時間21分。
マラソンの激走ドラマはまだ続く...

(文・中島尚彦)

© 日本シティジャーナル編集部