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日本の食文化を大切にしよう!PART2
自給率の低い日本は、汚染された食材しか頼る術がなくなるか

つい先日、仕事でドイツを訪ねた際に、BADEN-BADENというリゾートタウンにある著名なレストランに招待されました。そこで出されたワインが由緒あるフランスのブランド、Cos d'Estournelというボルドー種の赤ワインで、その年代を見ると何と、1975年に醸造されたものでした。30年以上もの間ワインセラーに眠っていたのか、と不思議な思いに心が魅了される中、グラスに注がれる赤ワインの香りとその歴史の重みに深い感銘を受けました。いわゆるビンテージもののワインですが、後世に卓越したワインを残すためには、長い年月をかけてワインが樽の中で熟成するのをひたすら待つことが不可欠です。この時間というバリアーを打ち破るワイン文化から、日本人が学ぶことが多々あるようです。

昔から人は狩猟や漁業、農業を営みながらこつこつと食材を蓄え、時間をかけてそれを料理し、口にすることを日々楽しんできました。ところが近代社会においてライフスタイルが多様化する中、特に都会では自ら手をかけて食材を念入りに仕込んだり、調理したりする機会が少なくなり、むしろお腹がすいたらとりあえずファーストフードのレストランに飛び込んだり、町中に立ち並ぶコンビニショップで賞味期限付の弁当やおにぎり、肉マンを口に放り込んで空腹をしのぐのが便利と思われるようになってきたのです。

この現象に企業が目をつけないわけがありません。利潤を追求する企業は、人が望むままに、手軽に口にすることのできる高カロリー低栄養のジャンクフードを大量に売りさばくことを良しとしたのです。その過程において、いつしか多くの食材に防腐剤、人工甘味料、着色剤等の化学合成添加物が多用されるようになり、仮に少々賞味期限が切れたものを食べたとしても、何ら問題がないレベルまで食べ物が薬漬けされるようになったのです。

ゆとりを持って食することが日々の楽しみであった素朴なライフスタイルが、徐々に日本から姿を消し始めたのはいつの頃からでしょうか。今や多くの日本人は大都市周辺に住み、自らの手を土で汚す機会に恵まれることもないまま、いつしか農業を蔑視するような風潮まで漂っているように思えます。日本の優れた食文化を大切にするということは、まず食材を厳選することから始まるのにも関わらず、それをためらい、食べたいものをお金で買い求めることに慣れてしまった時、日本の食文化の崩壊が始まったのかもしれません。これらが輸入食材の急激な増加による自給率の低下、ファーストフードの蔓延、薬漬けのコンビニ食品、そして農業に対する偏見等の社会現象となって尾を引き、日本の食文化を崩壊させる一大要因となってしまったように思えてなりません。

企業の利潤追求が生んだ自給率低下

「安い、早い、うまい」が当たり前となりつつある昨今の外食産業事情を背景に、消費者が以前にも増してシビアーな金銭感覚を持ち始めました。それ故、売る側に立つ生産者や流通業者サイドでも食材調達コストの厳しい管理が必要となりました。企業は世界中から、食材を安く大量に仕入れることができる地域に目をつけて、ひたすら仕入れ原価を下げることに専念したのです。その結果、中国や東南アジア諸国からの食物輸入が急増し、日本市場に外国産の食べ物が無数に出回るようになりました。今日ではアジア諸国、アメリカ、オーストラリア等の海外諸国から大量に食材が買い付けられ、これらは日夜、空輸便、船便を通して日本に運ばれ続けています。

結果として2006年、日本国内の食糧自給率は30%台後半にまで落ち込んでしまいました。これは先進国の間では恐るべき数字であり、有事の際には国民の餓死を意味します。ところが自給率の向上や国内の農業振興にはやはり関心が薄いのか、国民の世論は国家の食料難に関して一向に盛り上がりを見せません。海に面してない内陸のドイツでさえも自給率100%を超え、あの島国であるイギリスを含むヨーロッパ諸国も、近年自給率が上がってきている最中、日本だけが落ち込み続けているのです。そしていつしか日本は中国産の農産物無くしては国民の生活が大混乱に陥ってしまう程、隣国への依存度が高くなってしまいました。

不安がよぎる中国からの輸入食材

2005年、日本の農産物輸入相手国として、中国が全体のおよそ6割を占めるまでに至り、それはアメリカからの輸入量の4倍以上にもなっています。例えばネギやキャベツなどは毎年7万トン前後、日本は海外から輸入していますが、その内、キャベツは85%以上、ネギに至っては、ほぼ100%が中国からの輸入に頼っている状況です。

では日本がそれだけ頼っている中国国内の農業事情はどうかと申しますと、実はこれが環境汚染の悪化によって、危機的状況を迎えているのです。工業地区周辺の土壌汚染はかつて類を見ないレベルまで悪化しており、基準値をはるかに超える高濃度のPCB、カドミウム、水銀、亜鉛、ヒ素、クロム、除草剤や炭化水素等の発ガン物質が各地で検出されています。河川も多種類にわたる毒性の強い有機汚染物質が検出されることが少なくありません。そして生活用水や農業用水、及び製油、醸造、化学薬品工場等が汚染源となり、河川を醜いドブ川状態にしているのです。その結果、米や野菜、果物などの農作物から水銀やカドミウム、鉛が発見されることも珍しくなくなりました。農地の灌漑を河川より行った為に、その土壌に重金属が危険なレベルまで蓄積して農地が荒廃してしまったのです。また工場廃水が大量に流れ込み、河川が極度に汚染されている地域の多くでは、川岸に無数の魚介類が死に絶え、その水を飲用した周辺の動物にも奇病が発生したり、周辺の住民にもがんや皮膚病、内臓疾患が多発するという現象がおきています。

このような実態が明らかになっているにも関わらず、日本は平常心を装って中国から安価な食材を買い続けているのです。確かに中国でも人体に害を及ぼすことのない清浄な農地は存在しますので、それらの土地で耕作された農産物を買い付ける努力はしています。しかし、これらの優秀な農地は全体の1-2割しかないのです。日本が中国から農産物を輸入する際に、いくら高額で買い付けるからと言っても、限られた優良地から栽培された農作物だけが日本に運ばれるということが果たして可能でしょうか?中国との政治問題や、民族感情を振り返るだけでも、最良の農産物が日本に輸出され、自国民には人体に害を及ぼす可能性のある食材が流通する、ということは考えづらいことです。ましてや日本政府の輸入検査には限度があり、ほぼ素通りしているのが実態です。そう目論むならば、汚染された食材が継続して日本向けに輸出されていると想像するに難しくありません。

海外から輸入される食材の問題とは

外国産の食材問題は、ここ最近話題がつきません。基準の何倍にもなるカドミウムや鉛、水銀が含まれているお米などは序の口です。中国産の鉛ガニや、寄生虫キムチ、鉛キムチも最近問題になったばかりです。また日本では劇薬に指定されているホルマリンが東南アジアでは保存料として使われており、インドネシアの首都、ジャカルタでさえ、そこでランダムに採取した麺や魚、豆腐等の主要食材の大半からホルマリンが検出されたのです。これらの食材をインドネシアから輸入することはまず無いから心配はご無用、と思ったら大間違いです。日本が海外から輸入するエビのおよそ5分の1は、インドネシアからのものです。安全である、という保証はどこにもないのです。

これらの輸入食材問題はアジア関連だけにとどまらず、アメリカからの輸入農産物に対しても、数々の疑問が投げかけられています。元来、アメリカで流通している野菜は異様に大きいのです。タマネギも、キュウリも、日本国内ものと比較すると倍以上の大きさであり、ナスやピーマンに至っては数倍の大きさです。これは単に土地柄ということで片付けられてしまいそうですが、すでに遺伝子の組み換えで大型の豚や牛がアメリカでは登場している位ですから、品種改良の繰り返しの中で、より大きな農産物が登場したと考えるのが妥当でしょう。

遺伝子組み換え作物はアメリカで既に普及していますが、これも人体に危険を及ぼす可能性が高いと指摘されています。遺伝子組み換えとは、他の動植物からとった遺伝子を作物に入れて、除草剤に強く、また殺虫成分さえも持つような農産物に根本的に作り変えてしまうことです。すなわち、薬をまいても枯れず、虫がよりついても虫の方が死んでしまうのです。

ところが現実問題として、遺伝子組み換えをした植物は不必要に昆虫を短命化して自然界の秩序を乱すだけでなく、人体における悪影響も心配されています。遺伝子を組み換えた食材を摂取することにより、アレルギー反応をおこしたり、人によっては抗生物質の効果が減退するような菌を増殖させたり、年月を経ないと気づき得ない様々な有害効果を生じる可能性が高いことも指摘されています。仮に遺伝子組み換えの作付けが日本で行われた場合、周辺の無農薬有機栽培等に殺虫成分を含む花粉がふりかかれば、その影響をダイレクトに受けることになります。つまり、海外からの輸入食材に頼っている限り、いつしか日本人が毒されるのは防ぎようがないのです。

自国を救うための唯一の方法とは

その危険から国民を守る唯一の方法は、日本人が自ら、日本民族の食文化のルーツに戻ることに他なりません。すなわち、例え手間とコストがかかったとしても、自国内でとれる食材を厳選し、自らの手でそれを調理し、時間をかけて食することを喜びとすることです。この当然あるべき日本人の食文化に復帰する時がきています。幸い、成田を含めた北総地域は古くから農業を営んでいます。「地のものを頂くこと」が、ひいては自国を救うことに他ならないのです。

(文・中島尚彦)

© 日本シティジャーナル編集部