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東京マラソンに乾杯!-PART1-
真冬の雨に打たれながら走った3万人のランナーに祝福あれ!

かつて類を見ない国内最大級のマラソンイベント「東京マラソン」。日本で開催される多くのレース名には「国際」という言葉が含まれていますが、「東京マラソン」にはその必要はありません。ニューヨークやシカゴ、ベルリンと同様、世界が認知する国際都市であるからこそ「東京マラソン」と言うだけで世界最大級の市民マラソン大会となりうるのです。2月18日、遂にレースの幕が落とされることになりました。

皇居や銀座を中心とする都心のメジャーな幹線道路を思う存分走ることができる初めてのチャンスであり、東京生まれの筆者にとっても、第1回の東京マラソンへの参加は人生に一度しかないビッグチャンスです。3万人の出場枠に対して10万人の応募という近年まれに見る熾烈なゼッケン獲得抽選に幸いにも当選!これまで海外の大会でしか走ったことのない筆者が、10回目となるマラソンを遂に日本の大舞台にてチャレンジすることになりました。マラソンランナーにとって、生まれ故郷で走ること以上の幸せはありません。

走った距離は決して裏切らない!

東京マラソンの参加が決まってからレースまでおよそ5ヶ月余り。その限られた期間でのトレーニングで最善の結果を出すには、計画性をもって周到に準備することが重要です。これまでの自己ベストは半年前にロスアンジェルスで達成した3時間16分。最後の2kmでひどく苦しみ、完全燃焼して燃え尽きた体験を振り返りながら、自己の限界を見極めた上で、どこまで更にステップアップできるか、その可能性を追求しました。

マラソンで勝利する為には練習量を増やすしかありません。「走った距離は裏切らない」という言葉は真実であり、走り込めば走り込むほど体のメタボリズムが長距離走に順応してくるようです。それ故、まず走る量を増やすことに徹し、以前にも増して車を運転することを避け、10km圏内の目的地へは極力走ることにしました。また、都内での仕事には機会ある度にマラソンの練習を兼ねて走って出掛け、毎週末に子供達をサッカー練習場に連れて行く度に、1周5kmの皇居周辺を時間の許す限り何周も走ることにしました。皇居はランナーのメッカで、日頃から大勢の人達が走っている為、どんなに疲れていても不思議とモチベーションが高められ、いつの間にか一生懸命走ることができます。

極めつけは、持久走と言われる長時間走の導入です。レースで想定する記録と同じ時間をノンストップで走り続けるのが持久走の目的です。走るペースは1-2割落としますが、それでも体の新陳代謝のリズムをレースに合わせ、耐久力を養うことができます。レースの終盤、必ず足が棒になって止まりそうになりますが、その苦しい時にどうやって足を動かし続けるか、体験を兼ねて体に教え込むのが持久走の醍醐味でもあります。その為、1周17kmの河口湖を2周半走ったり、皇居を7周走ったりして、体を慣らしていきました。また、今回から初めて、週3回、欠かさず腹筋と背筋のトレーニングを取り入れ、腹筋、背筋運動共に150回まで反復できるようにしました。マラソンには強い背筋が不可欠であり、背筋をピンと伸ばして前傾で走るとスピードが自然と出ます。また腹筋こそ、レースの終盤で壊れてぼろぼろになった足を持ち上げ、前に出して走り続ける為の最終手段です。この練習プランで準備は万全です。

目標は3時間5分に決定!

東京マラソンのコースは、最初の5kmがゆるい下り坂、その後は殆ど平坦という、いわゆる高速コースです。復路が長くゆるやかな上り坂となるロスアンジェルスよりも楽なので、これだけでも記録は3分短縮できるはずです。また沿道で声援を送ってくれる100万人以上の観衆の存在を考えると、その応援から力を得て、2分はタイムが早くなると踏みました。また1kg体重が落ちれば3分早く走れるというランナー仲間での説を信じて更に4kg体重を落とし、遂に30年前の自分の体重と同じ61kgまでの減量に成功したのです。これで更に5分はスピードアップできると見越しました。そして以前よりもトレーニング量を増やしたことで、少なくとも合計で12分は自己ベストを更新できると確信したのです。

しかし、マラソンは欲をかいて自分の力以上に記録を伸ばそうとすると、正に地獄の苦しみの「失速」という罠が待ち構えていますので要注意です。それでも今回は3時間10分の壁は確実に切れる自信がありました。それ故、死んでも10分を切ることを公言した上で、自らの目標タイムを3時間5分と決めたのです!

何故、東京マラソンの日だけが雨で寒い?

今年は暖冬。2月も東京は殆ど毎日が快晴。観測史上初の、冬に雪が一度も降らないという異常気象の中、暖かい気候で走るのが大好きな自分にとっては最高の環境が訪れると思っていました。ところが大会一週間前の天気予報では、2月18日は何と雨!しかも気温は5度という予想。まさかと思いつつ、毎日のように天気予報とにらめっこをしながら危機感を募らせ、レース当日に着るランニングウェアーも、ランニングシャツはやめて半袖とし、肘と腕を暖かくカバーする腕巻きも装着することにしました。

レース当日の朝、5時に起きると案の定、雨が降っていました。しかも風が時折強く吹き、真冬を感じさせる寒さです。6時30分には一緒に走る仲間と共に、朝食として熱量の元となるパンケーキをごっそりたいらげ、腹ごしらえをした後は着替えです。とにかく走り始めるまで体が冷えきらないように温かく保たなければならないので、ランニングウェアーの上にはベストを羽織り、その上に厚いウォームアップ・スーツを着て、更にウィンドブレーカーを着ることにしました。これなら雨に濡れてもそんなに寒くはありません。

さあ、いざ、出陣!新宿都庁のスタートラインに向けて出発です。レースのスタートは9時10分ですから、8時30分頃まで新宿都庁周辺に辿り着けば十分、と踏んでいた自分が甘かったのでしょうか。JR線で8時25分頃に新宿駅に着き、駅周辺のただならぬ雰囲気の中、都庁に向かって新宿西口の地下道を歩いていると、突然遠くから「8時30分で荷物の預かりを終了します!」というアナウンスが聞こえてきたのです!東京マラソンはスタート地点とゴール地点が違うため、選手の荷物を番号付の袋に入れてトラックで輸送することになっています。つまりここで預けないとゴール地点で自分の荷物が受け取れないのです。所持品には携帯電話もあればお金もあるし、これはまずいとあせりながら、大勢のランナーでごった返す中、荷物トラックを探して走り回り、やっとのことで自分のゼッケンが指定されているトラックを見つけ出して荷物を預けることができました。

とたんに今度はスタート地点から「8時45分まで並ばれないと最後尾からのスタートになります」とのアナウンス。これにはさすがに驚き、怒りを隠せませんでした。自分のスタートポジションはDセクションで、かなり前の方です。雨が降っているのでぎりぎりまで雨宿りをしたかったのに、どうもそれが許されないようです。マラソンレースで、しかも雨がザーザー降る寒い中、スタート前に選手を30分近くもずぶ濡れで立たせるなど聞いたことがありません。それでも仕方なく都庁玄関前のスタートセクションで他の選手と一緒に「立ちんぼ」をすることにしました。既に膨大な数のランナーが並んでいましたので、雨の中でも身動きさえとれません。「この状態でずっと待てとは、酷だ!」と思いつつもどうしようもできず、摂氏5度という真冬の寒さの中雨に打たれ続けたのです。

トイレに行けない東京マラソン!

実はこの軍隊じみた「立ちんぼ」状態の最大の問題はトイレだったのです!都庁周辺には400基の簡易トイレが設置されると聞いていましたが、1000基あっても大袈裟ではありません。3万人のランナーが参加し、その大半はスタート直前にトイレに行かなくてはレースを走りきれないからです。しかもこの寒さで余計トイレが近くなるのは当たり前です。ベルリンのように周辺に森林がある訳でもなく、駅からの地下道に簡易トイレが設置されていた訳でもありません。その結果、都庁周辺ではこれまで見たこともない長蛇の列が簡易トイレの前にできていました。

これまで9回海外の国際マラソン大会を走り、貴重な体験を積んできましたが、大勢のランナーが窮地でどうするかを見てきた教訓は、こういう切羽詰った情況でも活かされました。エリートランナーにとってはトイレを我慢したままスタートして、レースの途中でトイレに行く、ということは考えられません。とにかくスタート直前に出し切るしかないのです。秘策は2つに1つ。まず一番簡単なのは、その場でしゃがみこみ、小水を道路に流すことです。これはさすがに目立つため、どうも日本人にとっては勇気のいることです。次の秘策はさりげなく漏らしてしまうことです。マラソン大会ではウォームアップ・スーツはスタート地点に脱ぎ捨てるもので、通常はそのスーツが寄付されたりします。しかし今回は雨でどうせ濡れてしまう為、それを尿瓶の役割として立ったまま丸めた自分のスーツに向かって周囲にわからないように用を足すのです。こうすれば道路にたれ流しになることもありませんし、変な目でみられることもないでしょう。但し、後でそれを拾った人がどう思うかは全く別次元の話です。

スタート数分前には石原都知事の元気一杯の挨拶があり、その直後、突然真横の歩道に小出監督が雨に濡れながらも、手を振ってランナーにエールを送っている姿をみかけました。そして遂にガンの音と共に、3万人のランナーが雨と風、極寒の中を一斉に走り始めました。再び過酷なマラソンドラマの幕が切って落とされたのです。

(次号へ続く)

(文・中島尚彦)

© 日本シティジャーナル編集部