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東京マラソンに乾杯!-PART2-
自らの足で首都圏を走り抜ける感動は一生涯の思い出!

「パン ! 」という号砲と共に、3万のランナーが新宿都庁前から一斉に走り始め、雨が降りしきる中、東京都心42.195kmを駆け巡るコースへと旅立ちました。スポーツウェアーのみで30分以上も冬の雨に打たれながらスタート地点で待機していたこともあり、完全に体が冷え切ってしまった状態でのスタートです。それでも東京を走るという初めての体験に誰もが感動を隠せません。これまでの雨と寒さを忘れたかのごとく、スタートの瞬間、都庁周辺は歓喜に包まれました。

寒さのために体が硬直しているので、まずはウォームアップを兼ねてゆっくりと走ることが大事です。幸いにも東京マラソンのコースは最初の5kmが下り坂で、ここを落ち着いて走っていけば、自分のペースを掴むことができます。この最初の5km区間は若干緩めの22分30秒で走る計画を立て、新宿の歌舞伎町や防衛庁、そして飯田橋から皇居沿いの通りに抜けるまで、風景を楽しみながら走ろうと事前に考えていたのです。

ランナー渋滞の為スタートから失速 !

ところがスタート直後から早速問題にぶつかりました。ランナーが余りに密集したまま走り出し、しかもその大半がゆっくりと走る為、自分の決めたペースで思うように進むことができないのです。3万人規模のマラソン大会は海外で幾度となく経験してきましたが、ここまでの「大渋滞」は体験したことがありません。おそらく自分の申告した過去のベスト記録に対して、指定されたスタートセクションが後方すぎたのでしょう。でもここで無理して遅いランナーを追い抜いて不必要に体力を消耗するよりも、逆に力をセーブして後半に賭けた方が得策であろうと考え、ここはひたすら我慢をすることにしました。

しかし5km地点のタイムを見て大仰天 ! 何と1分半以上遅れて24分を超えていたのです。早速、頭の中で計算が始まります。100秒の遅れを残りおよそ35kmで取り戻すために、単純に100秒を35で割り、1kmあたり3秒程、当初の予定より早く走らなければなりません。そこでエンジンを始動、「スピードアップだ ! 」と自分に言い聞かせ、一気にペースをあげたのです。

更に待ち構える3つのコース障害・・・

東京マラソンでは1kmごとに標識があると聞いて安心していました。ペース配分を確実に実行するために、1kmごとに腕時計でタイムを細かにチェックしてスピードを調整する走り方を身につけているからです。ところが最初の5km、どこにもサインが見あたりません。それもそのはず、東京マラソンでは係の人が1kmごとに距離の書かれた小さなプラカードを手に持って立っているだけだったのです。そんな小さなカードを胸に掲げても、人ごみに隠れて見える訳がありません。海外ならば頭上に道路を横切る巨大な横断幕をかけたり、ポールに標識を掲げて遠くから誰でも見れるようにします。

仕方なく1kmごと、そろそろかなと思う度に、プラカードを持っている人を探しながら走ることになりました。そんなことで神経を使うこと自体、走るリズムを狂わすことになり、タイムロスに繋がってしまうのです。

また、マラソンレースでは水分の補給が不可欠であり、如何にしてスムースに給水をするかが良い記録を出す鍵となります。ところが驚いたことに、最初の給水所ではボランティアの方々が大勢いるにも関わらず、誰もコップを手渡そうとする気配は無く、大きな台の上にびっしりとドリンクの入ったコップが並べられていただけだったのです。これは問題です。何故ならランナーはかなりのスピードで走っている為、コップを綺麗に並べられてもうまく取りようがないのです。実際、筆者も時速14kmで走りながらコップを取ろうとして、ドミノのように多くのコップを倒してしまいました。こうして給水所を通る度に神経を使い、走るリズムを少し崩してしまいました。給水所では手渡しが基本なのですが、初回のマラソン大会ということで、ボランティアの方々が要領を得てなかったようです。

やはり東京マラソンの一番の障害は、雨のために生じた道路上の水溜りです。日頃は車が通る道ですから、当然水はけが悪い箇所が道路上のあちこちにできています。その水溜りに「ビシャ ! 」と足を踏み入れるだけでランニングシューズの中がぐじょぐじょになり、気持ち悪い上に足周りが重たくなります。それ故、水溜りをできるだけ避けるために、時折左右に蛇行しながら気を遣って走り続けました。水溜りはタイムロスに繋がりますが、こればかりは致し方がありません。

沿道沿いの170万人が走る力 !

東京マラソンは新宿都庁から飯田橋、皇居を経て品川でUターンしてから、銀座の大通りを走りぬけ、浅草で再びUターンして銀座、築地を経由して台場のゴールに向かうという壮大なマラソンコースです。銀座や浅草雷門周辺は、普段でも週末には数十万人が訪れる東京の名所、そして東京マラソン自体、3万人もの参加者を有する巨大な市民レースですからランナーの親族や応援団だけでも数十万人に膨れ上がり、その結果、沿道を埋め尽くした観衆は170万人とも言われる程になりました。その観衆の声援が、極寒の中を走りぬくランナーにとって大きな力となります。

この一大イベントに自分の家族を呼ばない手はありません。小学4年生と5歳になる男の子2人を会社の仲間に頼んで、まずハーフ地点直後の銀座通りで待機してもらいました。そしてその関門を通過した後はお台場のラストストレッチに移動してもらい、体力が尽き果てるであろうゴール直前の41km地点で、次男が死ぬ思いで激走してくる父親に助けの手を差し伸べ、スペシャルドリンクを手渡すというシナリオを企てたのです。無論、子供だけでなく、友人や親族、会社の仲間も含めて大勢応援に駆けつけ、日比谷公園、銀座、茅場町、新富町等の要所で、彼らの大声援を聞くことができました。このサポーターの声援があってこそ、記録更新の夢を果たすことができます !

スタート直後の5kmをゆっくりと走ったこともあり、ハーフ越えの銀座目抜き通りでは余力は十分です。銀座通りの大観衆の声援に支えられ、ここから気合を入れ直して後半戦はペースを落とさないように気をつけながら勝負にでよう、と思っていた矢先、会社同僚の大声が聞こえました。道路沿いに目を向けると、応援するために2人の息子が走ってくる父親を待ち構えている姿が見えました。「よっしゃ ! 」と左手で子供達にガッツポーズ ! でもそんな元気が残っているのはここまででした。

マラソンは最後の5kmが大勝負 !

あまりの寒さと、雨に打たれながら走ってきたことも重なり、浅草の雷門が見えてきたころから体力が一気に消耗してきました。背中にテープで貼り付けてある栄養補給用の非常食を取り出して、その甘いシロップをなめながらエネルギーを備蓄しますが、軽い吐き気も覚え、気分が優れません。それでも当初の想定どおり、35km地点まではさほど難なく走り切ることができ、築地を抜けて、新富町から台場のゴールに向けた最後の5kmが勝負所となりました。

残り5kmとわかっていても、この時点での疲労感は激しく、足も棒のようになってきていました。また精神的なプレッシャーも加わり、どこまで自分をプッシュするべきか、自己問答が頭の中を駆け巡ります。何人も知人が沿道からスペシャルドリンクを差し出してくれるのですが、それを手にすることもなく、ひたすらゴールに向かって走ることだけに集中するしか術がない状態でした。

とにかく足を前に出しながら、背筋をピンと伸ばして前傾姿勢を保ち、後は腹筋を使って脚を前に出して進むことだけに集中して走り続けていると、ついに台場に向けた最後のストレッチが目に入ってきたのです。このストレッチの最後にはきっと子供がドリンクを手にして待っていてくれる ! と思うと、不思議と力が入ります。すると確かに最後の四つ角の手前で次男を発見しました。子供から差し伸べられたドリンクをしっかりと受け取ると、残りは1km ! 後は気合でゴールに向けてラストスパートあるのみです。

一体、何人追い抜いたのでしょうか。最初の5kmがスローだった分、予想以上に余力があり、また途中から1kmあたり4分20秒台をキープして走り続けることができたので、少なくとも数百人は追い抜いたように思います。そして待望のゴールラインでは時計の表示が遠くから目に入り、3時間10分は確実に切れることがわかった為、喜び勇んで手を飛行機のようにかざして蛇行しながらゴールしました ! 目標の3時間10分切りを実現し、何ら失速することなく、チップタイム3時間8分37秒での完走です。

レースの後のお祭りは ?

初めての東京マラソンということで、シカゴマラソンの無料生ビールや、ホノルルマラソンの無料マッサージのようなサービスだけでなく、お台場では色々な催し物や、屋台の食べ物でも満喫できるかと期待に胸を膨らませていたのですが何も無く、単に着替えてさようなら、というスタイルには、さすがにがっかりさせられました。しかしレース後は、家族や知人らと合流してお昼を食べ、それから皆で恵比寿のライブハウスに突入し、ドンちゃん騒ぎをして、3時間8分の快走を祝福して頂きました。

2年前のホノルルでは3時間24分。昨年のロスアンジェルスは3時16分、そして今回の東京では3時間8分の記録です。この流れで行けば、当然次の記録は8分短縮して何と夢の3時間00分か ! しかしマラソンは甘くなく、1分の時間を詰めることに死闘が伴います。4月16日行われるボストンマラソンには既にエントリー済み。わくわく、どきどきする内は、まだまだ走れる・・・更なる記録挑戦への夢が続きます。

(文・中島尚彦)

© 日本シティジャーナル編集部