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生と死 Part.Ⅳ
日本国に死刑制度は必要か 死刑存廃問題を誰もが真剣に考える時がきた!

「一寸の虫にも五分の魂」ということわざの通り、生命は尊くかけがえのないものです。特に人が人間らしく生きる権利ほど大切なものはなく、いかなることがあっても、人の命に他人が手をかけるようなことがあってはなりません。しかし昨今の日本でも凶悪犯罪が後を絶たず、何の罪もない人々や幼い子供たちまでもが犠牲になっていることに怒りを隠せません。被害者親族の嘆きと怒りは、察するに余りあります。

もし、死刑と呼ばれる極刑が一種の抑止力となって犯罪を阻止する働きがあるとするならば、社会の秩序を保ち善良な人々を守るためにも、死刑制度を維持するべきなのでしょうか。人が人を裁くのではなく、法が人を裁くという解釈をすれば、死刑制度の存在は許されるのでしょうか。人の生死を取り扱う課題は複雑であり、また正直触れたくないものでもあります。だからこそ、あえて死刑制度について考察してみました。

死刑制度を支える世論の流れ

男女500人を対象に行われた日本の死刑制度に関する2007年度のアンケート調査では、およそ半数の回答者が「もっと適すべき」と答えています。また死刑制度そのものを容認する回答者も含めると、およそ8割が死刑制度に対して肯定的な意見を持っていることがわかりました。凶悪犯に対する国民の厳罰感情が高まっており、極悪非道な罪には極刑を臨むのが当たり前、という風潮が今の日本社会にあるようです。

しかし、例え日本の世論が死刑制度を後押ししたとしても、国際世論というものもあり、必もそれが正しい判断とは限りません。死刑制度についてはアムネスティ・インターナショナルが中心となって、その非人道性を世界各国に訴えています。

世界各国の死刑制度とは

死刑制度はどの国でも存在するかというと、実はそうではありません。ヨーロッパの殆どの国では死刑制度を既に廃止しており、南米でも廃止した国が多数を占めています。逆に死刑制度を維持している国はアジア各国、アフリカ、中東が中心で、それにアメリカが加わります。つまり、死刑制度に対する見解が世界で真二つに分かれているのです。

アムネスティによると、2003年はアメリカ・中国・イラン・ベトナムの4カ国だけで世界全体の97%にあたる死刑執行が行われました。中でも中国の執行数は3400件と抜きん出ており、実際の数字はそれ以上とも言われています。また中国における死刑制度の問題はその驚異的な数字だけでなく、むしろ公開処刑が今でも行われていることや、死刑囚の臓器売買を巡って役人の賄賂が横行する、闇の関係にあるようです。

アメリカにおける死刑の動向

凶悪な殺人事件が後を絶たないアメリカでは、意外にもここ近年、死刑制度に対する批判がむしろ高まってきています。死刑判決の数も、年間300件を超えていた90年代前半をピークに減少し続け、昨年では114件にまで減りました。実際の死刑執行件数も99年の約100件をピークに、昨年は53件になったのです。

厳罰感情が根強く存在しているにも関わらず、それに相反して死刑制度反対の声が高まっている一番の理由は、DNA鑑定によって死刑判決が覆った事件が、これまでに少なくとも14件あったからです。またアメリカが採用している薬物注入による執行方法は、医学倫理に反するという非難も根強くあります。こうした中、昨年行われた米国でのアンケート調査では、凶悪な殺人犯に対する妥当な刑として「仮釈放なしの終身刑」を選んだ人の数が、「死刑」を選んだ人を上回ったのです。

アメリカ連邦政府は国家として死刑制度を維持していますが、各州で独自の法規制をひいているため、テキサス州のように例年多数の死刑執行を行う州もあれば、死刑制度を廃止している州もあります。今日では全米50州の内、犯罪の少ない東海岸にあるニューイングランド諸州や北部内陸州とアラスカ、及びハワイ等の12州において、事実上死刑執行が凍結され、グアムを初めとする米領各諸島などの島々でも死刑制度が廃止されています。またニューヨーク州のように、裁判所によっては死刑制度を違憲と断定した州もあり、その捉え方は様々です。いずれにしてもアメリカは死刑執行を凍結する方向に向かっているようです。

世界各国の死刑制度とは

「目には目を、歯には歯を」という有名な言葉が聖書にありますが、この教えを今日も実践している国はイスラム教圏内では少なくありません。他人の生命を奪うものは、同様に自分の命をもって責任を取り、代償を支払う、すなわち死刑に処するという考え方が根本にある為、死刑制度への抵抗があまりないのでしょう。しかしこのような考えは、カトリック教会を始めとして他宗教から批判を受けていることも事実です。

宗教とは別に、死刑制度は犯罪を企てている者を威嚇lし、犯行を思いとどまらせる効果があるとされています。例えばシンガポールでは麻薬を国内に持ち込んだり、あるいは所有するだけで死刑となります。その抑止効果のおかげで、シンガポールでは麻薬の問題は皆無に等しいと言われています。同様に厳しい戒律下にある幾つかのイスラム国家では、死刑は勿論、窃盗犯に対してさえ断手と呼ばれる見せしめの体罰を執行することにより、徹底して法の力をアピールしているようです。

死刑反対派の意見としては、犯罪の抑止力になること自体が統計的に実証されていないことを指摘しますが、上記の例からも、多少なりとも抑止効果があるようです。また死刑を執行することにより、一般社会に対して危害を加える可能性のある者を排除することにもなります。これらの目的を達成する為に、死刑制度が必要なのでしょうか。

死刑制度のコストとは

死刑存廃問題を議論する際、その経済性についても考える必要があります。人間の命は金銭で図れるものではなく、正義と社会秩序を保ち、人権を保護するためには十分な経費をかけることは当然のことです。しかし救いの手を必要としている人々は、世界中に溢れています。そして国としても予算の割り振りに優先順位がある以上、死刑制度に関連する諸費用についての議論を避ける訳にはいかないのです。

では死刑を執行した場合と、終身刑に限定して長年受刑者を拘禁する場合と、どちらがよりコスト高になるのでしょうか。アメリカでは一説によると死刑囚1人に対して、死刑を執行するまで全ての経費を含めておよそ2-300万ドル、つまり3億円前後の費用がかかると言われています。これらの経費には訴訟費用や収容施設の維持費、実際の死刑執行コストや葬儀費までもが含まれます。中でも実際の死刑執行コストはかなり高額になるようです。しかし終身刑にしても、受刑者が死ぬまで国が面倒を見る訳ですから、その経済的負担は重くのしかかります。老年になってからの医療費や介護費用等も視野に入れると、今日の高齢化社会においては終身刑の方がコスト高になる可能性が高いと考えられますが、議論の余地はあるようです。

罪償うは死にあらず?

もし凶悪犯罪を死で償わせず、終身刑までとした場合の問題点は何でしょうか。まず抑止力の低下により、凶悪犯罪が増えることが指摘されています。また終身刑とは言え過去の実績からしても、遠い将来に保釈される可能性を否定できません。それ故、犯罪者にとっては都合の良い法改正に思えるでしょう。次に、終身刑は長期間に渡り受刑者を税金で養う為、国への経済的負担が挙げられます。また刑務所への入所志望者の増加に繋がることも指摘されています。年金制度も崩壊し始め、生活保護もあてにならず、ホームレスになる恐れもある状況に陥った社会的弱者は、いっそ刑務所で楽に余生を過そうと、わざと犯罪に走る訳です。実際、日本の刑務所は高齢者や社会的弱者が多数を占めており、この指摘には説得力があります。

こうして徐々に増加する終身囚を拘禁する為に多額の国家予算を投じるとすれば、肝心な社会福祉や海外支援のための予算が圧迫されることにもなりかねません。この負担は誰が担うべきでしょうか。

死刑存廃議論に終止符を打てるか?

死刑存廃論の考え方を整理する為の一案として、例えば国を2つに分けて想定してみるとよいでしょう。A国には死刑制度が維持され、死刑を宣告された人は速やかに処刑されます。この国には死刑囚のための収容所が有りません。B国は死刑制度が無く、凶悪犯は全員収容所に拘禁される為、必要に応じて収容所が増築されます。読者の方は、AとB、どちらの国に住みたいでしょうか?自分の家のそばに収容所があり、そこで凶悪犯罪者が、自分たちが払った税金で生活することに心から納得できるでしょうか。それらを良しとするならば、B国に住めます。それに納得できないのであれば死刑制度を維持したA国に住むしかないのです。

もう一つの考え方は、死刑制度を廃止する条件として、終身囚をサポートする為の費用を、死刑廃止支持者を中心として、別途徴収する方法を導入することです。海外でよく見られる寄付金選択制度のように、納税時に申告書に自らチェックマークを付けて、1人均一千円でも寄付する訳です。これにより、プライオリティーの高い福祉事業等に全く影響を与えず、予算を組むことができます。しかしながら、果たして寄付する文化がまだまだ欧米に比べると希薄な日本で、凶悪犯罪者が生活する為に毎年寄付する人が一体どれ程存在するか疑問です。寄付金が集まらなかったらどうするのでしょうか。奇麗事だけでは決して済まされない難しい問題を、死刑存廃問題は抱えています。

(文・中島尚彦)

© 日本シティジャーナル編集部