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予防接種の今後を考える
疾病の流行を防ぐ為に、集団予防接種は不可欠!

はしかと破傷風、結核、ポリオ、百日咳、そしてジフテリアの6大感染症により、毎年、世界中で数百万人の子供達が、尊い命を奪われています。その幼児の死亡数は1日5000-7000人とも言われ、今や多くの慈善団体を通じ、予防接種の普及の為、様々な支援が発展途上国に対して行われています。

ところが日本では、予防接種の在り方が長年論じられている内に、接種を受けていない若者が急増してしまいました。そして昨年、はしかの猛威が世間を賑わせ、今年は収束すると思いきや、関東地方を中心に、未だに患者数が増加傾向にあります。2月までの患者数は既に2200人以上と報告され、年齢別に見ると、10 代の患者がおよそ半分を占めており、患者の大半は、過去にはしかの予防接種を受けてないことが判明しました。相当数の日本人が予防接種の必要性に対して無関心である実態が浮き彫りになったのです。

およそ近代国家で、はしかが流行するような国は、今時、日本以外、あまりないでしょう。世間の危機意識も相当鈍っているせいか、「はしかが流行!」と聞いても、困ったものだ程度にしか捉えていない方も少なくないようです。年配層の間では、未だに、はしかや水疱瘡等は誰でもかかる当たり前の病気だから、早めにかかった方が良いという声があることからも、予防接種の知識が欠如していることが伺えます。

実際、日本における予防接種の行政対策は遅れをとっており、国際問題化することさえあります。例えばアメリカの疫病対策センターは、昨年流行したはしかの感染源が、日本から渡米してきた少年野球チームにあったと発表しています。昨今のグローバル社会は、誰でも、どこでも自由に行き来でき、いつまでも日本だけの問題として考えることはできません。また、日本を訪れる人の数も増えてきており、様々な病気への感染リスクも高まってきています。予防接種の徹底は、もはや国家が一丸となって対策に取り組まなければならない重要な課題なのです。

日本が予防接種後進国の理由

今更ながら、はしかや百日咳が流行して世間を騒がすことなど、国家の恥と言えます。しかし何故、行政側は単なる「お願い」や呼びかけに終始するだけで、集団予防接種を実施しないのでしょうか?その理由は、どうやら予防接種の歴史にあるようです。

戦後の1948年、予防接種法が発布されて以来、様々なワクチンが国内で導入されてきました。50年代では主に結核と日本脳炎、60年代はポリオに加えインフルエンザ、そして68年からはDTPワクチンの定期接種も始まりました。ところが1970年の小樽種痘禍事件で、0歳の幼児が種痘接種により、不全麻痺を含む神経合併症から重篤な後遺症が残ったことが法廷で争われ、原告が勝訴したことを機に、予防接種に対する一種の拒否反応がマスメディア等を介して社会に植えつけられていきました。やがて病気を防ぐために児童全員に予防接種を強制するのは人権問題であるとの批判まで噴出し始めたのです。

確かに60年代までのワクチンは全粒子ワクチンと言われ、副作用が生じる可能性があったにも関わらず、行政の対応が不適切な時期がありました。その後、HAワクチンが1972年に実用化され、副作用の危険も100万分の1という低率であることから世界中に普及し、現在に至っています。ところが日本では1975年、DTPワクチンによる死亡事故が2件発生したことを機に、接種が中止され、集団訴訟が頻繁に起きるようになりました。1981年には副作用の少ないDTaPが導入され、DTPの定期接種が再開されますが、予防接種には重篤な副作用が生じる可能性が少なからずあることが強調され続け、予防接種全般に対する不信感をマスメディア等が煽ったのです。その結果、80年代以降、ワクチンの摂取率が急激に低下していくことになります。

1992年には、MMR訴訟が起こされ、世界的定番であるMMRワクチンの接種までが中止されてしまいました。MMRは、はしか、おたふくかぜ、風しんを一度の接種で予防できるワクチンとして1989年より導入されましたが、これも死亡事例が出たことにより、法廷で争われたのです。そして1993年、大阪地裁は予防接種と被害の因果関係を認め、国に過失責任があるという判決を下しました。その後も同様の訴訟が各地で起こされた結果、予防接種に対する不信感を払拭することができないまま世論の影響も受け、予防接種法は余儀なく改正されることになります。

今日の予防接種ルールとは

予防接種法では、予防接種を行うことが政令で定められている疾病としてジフテリア、百日咳、ポリオ、麻しん、風しん、日本脳炎、破傷風、結核の8つが掲げられています。これらは一類疾病と呼ばれる重大な伝染病ですが、「個人の発病又はその重症化の防止」を目的とする二類疾病には、インフルエンザも含まれています。予防接種の元来の目的は予防接種法に記載されており、「伝染のおそれがある疾病の発生及びまん延を予防」し、「公衆衛生の向上及び増進に寄与すること」です。それを実行する為の特権として、第三条には「市町村長は…期日又は期間を指定して、予防接種を行わなければならない」と書かれています。また、予防接種法施行令第一条では、皆が接種を受けることを大原則として、定期の予防接種を実施すべき対象者が疾病名ごとに明確に定められています。

ところが、幾度となく訴訟が繰り返され、予防接種の危険性が設定されていく内に、予防接種であっても、やはり個人の権利を尊重しなければならないという解釈が主流となり、予防接種法が改正されたのです。その結果、今日では接種対象者が予防接種を受ける義務が無くなってしまいました。つまり、以前の集団接種とは全く異なり、予防接種とは希望する人だけが行うという考え方になったのです。これは俗に言う、インフォームド・コンセント、つまり医師の説明を受けた上で、対象者が同意する場合に限り、予防接種を受けるという考え方への方向転換です。

インフォームド・コンセントは必要か?

社会を脅かす疾病の数々を未然に防ぐ為の予防接種にも関わらず、インフォームド・コンセントの対象となることで、行政指導が曖昧になってしまったようです。受けなくて良いものなら受けない方がよい、という安易な既成概念が広まると同時に記録の保管や接種履歴のチェックもずさんになり、いつしか接種を受けない子供達の数が増大してしまったのです。また、はしかの予防には最低でも2回の接種が必要であることがわかっていますが、2005年までは1度の接種しか行われておらず、現在の小中高校生、大学生の大半が免疫不足となっているのが現実です。つまり、多くの若者が、はしかを発症する可能性を未だに抱えたままなのです。

今や行政関係者は対策にやっきになっており、国をあげて「予防接種を受けてください!」と、アピールを続け、厚生労働省は文部科学省を介して中高生にも予防接種の必要性を周知徹底し、大学においてはワクチン接種の無料化等で、何とか接種者を増やそうと努力をしています。しかしこのような緊迫した状況下でも、インフォームド・コンセントを前提とした、「個別接種」に頼らざるを得ないのでしょうか?それとも対象者全員に「集団接種」をすべきでしょうか?

米国の予防接種は問答無用

予防接種の先進国、アメリカでは州によって予防接種に関する法律が若干違いますが、一様に集団接種が義務付けられています。その為、子供達は誰でも法律に準じた接種を全て受けたという証明がなければ、学校に入学できません。そこにはインフォームド・コンセントという曖昧な対応など微塵もありません。アメリカ合衆国はメルティング・ポットと呼ばれる様に、世界中から様々な人種の方が移民してくるため、疾病の蔓延を防ぐ最善策として、予防接種が当然の事ながら実施されています。

一例としてコネチカット州の予防接種法を検証してみます。幼児を含む子供達の接種条件は、DTaPが最低4回、ポリオが最低3回、MMRは1回、その内、はしかは最低2回かMMRを2回、B型肝炎は3回、そして水疱瘡が1回です。また幼児に限り、ヘモフィルス-インフルエンザb型菌を1回接種します。これらの接種をもれなく行うことにより、疾病の流行を未然に防いでいます。

予防接種の在るべき姿とは

予防接種を実施するにあたり、十分な説明が必要であることに議論の余地はありません。しかし日本ではそれがインフォームド・コンセントという個人の権利に関連付けられ、合意しなければ接種を拒否する選択肢が合法的に残されてしまったことは問題です。予防接種は、蔓延する可能性の高い疾病への有効な対策なのです。個人の心情や権利も確かに大切ですが、公衆衛生の保全も不可欠であり、特にまだ予防接種を受けていない乳幼児や一般市民への配慮も当然ながら必要です。

学校での寮生活を考えてみてください。ひとつの学校は予防接種を受けていない子供達だらけ。もう一つの学校は全員が予防接種をもれなく受けている学校。自分の可愛い子供を学校に預けるのに、どちらを選ぶでしょうか?もし、大勢の子供たちが何ら予防接種を受けずに共同生活した場合、はしかや水疱瘡が発症すれば、一気に学級閉鎖となり、学校生活は崩壊します。おそらく、殆どの親が予防接種を義務付けている学校に子供を行かせるはずです。疾病に対する最善の予防策を子供に授けることは、大人の義務と言えるでしょう。

社会の秩序を著しく乱す危険性の高い疾病の蔓延を防ぐ為、予防接種は必須であり、人々が一丸となってその必要性を理解し、協力するべきです。また、インフォームド・コンセントの考え方は医療の常識となりつつありますが、それは予防接種には当てはまらないことを認識するべきです。今や、予防接種の後進国となってしまった日本。これまで社会に培われてきた偏見を早急に払拭し、疫病の蔓延を未然に食い止める為にも、集団予防接種の重要性が再認識されるべきです。そして行政はもう一歩踏み出して早急に予防接種法を再度、改正するべきです。効果的な対策を今すぐに実践しない限り、日本はいつまでも疾病に冒され続け、世界から批難される可能性を残すことになるのです。

(文・中島尚彦)

© 日本シティジャーナル編集部