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米国全寮制ミドルスクール諸事情
PART III 共同生活体の中で育まれる全寮制のメリットとは ?

3番目に面接を受けたThe Rectory School校は、ハートフォードとボストンの中間に位置するポムフレットという郊外の町中に、美しいキャンパスを有する学校です。白を色調とした小奇麗な洋風屋敷の延長線に校舎が立ち並び、その背後に緑の芝生がまぶしい運動競技場を5面も有します。「こんな学校に子供が行けたらいいな ! 」と、親バカな想いがよぎります。

その後、ボストン郊外にあるフェッセンデン校に車で移動し、子供と一緒に面接を受けました。アラブやアジア諸国から政治家や著名人の子供が多数在学する著名な学校で、キャンパスも格式があり、ちょっとした大学のような感じでした。最後に訪ねたのが、ニューハンプシャー州の山奥にあるカーディガン・マウンテン校です。そこでは男子校らしく、のびのびとスポーツを楽しみながら、勉学にも励む、という校風を感じることができました。

これらの素晴らしい教育施設を誇る学校を目の当たりにした結果、いつしか中学生になる長女と次女も一緒に留学させたいと思い始めたのです。そして3人の同時留学を決めた時は、既に5月の末。願書の締切日はとうに過ぎており、どの学校に入学できるかもわからず、待ったなしの緊急事態です。

お受験さながらの親子奮闘劇 !

まず、カウンセラーからは、どの学校も6月中旬から夏期講習が始まるため、すぐに願書を出さなければならないと忠告されました。とりあえず長男の願書は事前に揃えてあったので、先行して5つの学校に提出することにしました。子供達は英語が十分にできないので、願書は父親が代行して作成を手伝うしかありません。但し、本人が書かなければならないエッセイ(作文)だけは、主旨を説明した上で、日本語で書いてから、英語に翻訳することを教えました。

ところが、3人の子供達を同時に全寮制の学校に入学させる際、それぞれが別々の学校に行くべきか、3人一緒に共学の学校へ入学すべきか、男子校と女子校に分けるか等、わからないことだらけでした。やはり最終的に助けになったのは、カウンセラーの的確なアドバイスです。彼は、まず長男を合格させることに的を絞り、共学校に合格した暁には、彼を入学させる条件として、彼の姉も入学できるよう、学校にお願いする事を目論んだのです。長年の経験から、このような一見強引なやり方が功を奏するらしいのです。

嬉しいことに6月初旬には、5校全部から、長男の合格通知が舞い込んできました。次に2人の姉妹の願書をどうするか、決断の時がきました。まず、共学校でなければ姉も一緒に入学できない為、5校の内、男女共学の3校が選択肢として残りました。次に、その中から長男が自ら行きたい学校を選ぶことになり、スポーツが強い一校と、毎日お米が食べられるというもう一校のどちらかに行きたい、という結論に至りました。

この情報を元に、カウンセラーの出番がやってきました。彼は当初から長女の入学が一番難しいことを理解していたのです。願書の締め切り期日も過ぎており、長女の場合、後2年しかミドルスクールでの学校生活が残されておらず、しかも英語ができないとなれば、敬遠されて当たり前だったのです。そこで、当初のプラン通り、長女の同時入学許可を、長男が入学する為の条件として揚げ、一つの学校に的を絞って提示したのです。ところが、それから何日たっても返事が返ってきません。数日後、カウンセラーが学校とコンタクトを取ってみると、理由はともかく返事は“NO”でした。それを聞いた直後、彼は2つ目の学校にすぐにコンタクトし、同条件で折衝を開始しました。幸いにも2校目は、その年から男子寮と併設して女子寮が設けられたこともあり、すぐに合格通知を頂くことができました。

最後に次女が残されました。既に3つの共学校内、2つの切り札を使い果たし、残るは一校だけです。しかもその学校に対しては、長男が他校に入学することを決めた時点で、その旨、お断りの連絡を入れたばかりだったのです。これでは学校側から嫌われても、しかたがないと思いつつも、次女と一緒に面接を受けてみると、意外とすんなり入学の許可を頂くことができました。

生徒対先生のレシオが重要

全寮制の学校が優れている最も大きな理由が、生徒数に対する先生の割合です。一般的な学校では、良くても10対1と言われているこのレシオが、これら全寮制ミドルスクールでは、その平均値がおよそ4対1まで改善されます。子供達が入学した学校も、その恩恵から漏れることなく、4対1のレシオを誇り、各教室における生徒の平均数は10名と、少なめです。この少人数制が、生徒のレベルに合わせたきめ細かい指導と、より行き届いたケアーを可能にします。

また、生徒を良く理解してくださるプロのカウンセラーが常駐して勉強や精神面のフォローをし、寮生活においては、同居する寮長が色々な面倒を見て下さることも、安心感につながります。次女の場合、英語ができないだけでなく、元々控え目な性格であった為、全寮制という未知の世界の中で大層苦労するのではないかと、当初心配しました。ところが、学校のカウンセラーが多少日本語を話せるだけでなく、次女を娘のように可愛がって下さったので、すぐにキャンパスになじみ、学校での生活を楽しむことができるようになりました。

休みの多さに愕然とする親兄弟

全寮制の学校に子供を入れてしまうと、子供達となかなか会えなくなって淋しくなる、というような親の不安は全くご無用です。何故なら、日本の常識では考えられない程、休みが多く、頻繁に子供達が家に戻ってくるからです。まず夏休みは6月から8月一杯まで、丸々3ヶ月あります。そして11月の感謝祭では10日間、冬休みは2週間半、イースターの春休みも2週間半、その他、年を通して2~3日の休みが幾つかあります。都合、1年間でおよそ5ヶ月が休校になる計算で、生徒達はその間、家に帰ることになります。無論、お友達同士の家に泊まりに行くことも、許可さえあれば可能ですし、夏休みにサマースクールに行く生徒も少なくありません。それにしても、もう少し休みが少なくなると有難いというのが、親としての本音です。

週末は子供達にとって、楽しみが倍増

アメリカでの学生生活は、平日は一生懸命勉強し、週末はスポーツを楽しみ、遊ぶことがモットーです。週末の休みは土日の2日間ですが、土曜日はスポーツチームの試合が多く、生徒たちは汗を流します。典型的な人気スポーツは、秋のフットボールとサッカー、冬のバスケットボールとアイスホッケー、そして春の野球です。

また、スポーツだけでなく、週末には色々なプログラムが盛り込まれ、遠出をしてバスでショッピングモールに出向いたり、夜は街に映画を見に行ったりと、退屈することはありません。時には1泊2日のスキー旅行も企画されることがあり、わくわくするようなプランが満載です。参加するには寮長の許可が必要であり、部屋を片付けない人や、宿題を終わらせなかった人などは、参加する許可をもらえません。無論、親にも即座にその旨、連絡が行き届き、子供が抱えている課題、問題点について説明がなされます。こうして、親と学校との関係も親密に保たれ、信頼関係が構築されていきます。

十分な読み応えのある通信簿が凄い

これらの全寮制ミドルスクールでは、とても充実した成績レポートを保護者に提示することを常としています。まず驚かされたのは、そのレポートの量です。筆者は保護者として日本に居住しているため、学校からの成績表は3ヶ月に1回程、国際宅配便で送られてきます。封筒を開けてみると、子供の教育に関わった先生方から、細かい説明文つきの成績表が入っています。全体の通信簿に添付する形で、それぞれが個別に詳細をきちんと書いて下さるのです。これを読むことにより、子供の授業態度から、問題点などが、手をとるようにわかります。良いことも悪いことも、ありのままに書かれてあるのがアメリカらしく、ありがたいです。こうして、学校の先生方との絆を強めていくのです。

いいこと尽くめではない全寮制学校

何から何までいいこと尽くめに聞こえてしまいますが、実は欠点も多々あるようです。前述したように学費が高額であるという経済的なことは、さて置いたとしても、共同生活体の中で、大勢の若者が一緒に住居を共にする訳ですから、良いことも、悪いことも、感受性の高い若者達が影響を受けやすい環境であることに違いありません。時にはキャンパス内で、隠れて飲酒や麻薬をする生徒もいるような事も聞き、悪影響を受けないかと心配になることもあります。最も難しいのが友人関係です。みんな好きな友達なら問題はないのですが、時には全くうまの合わない、嫌いなクラスメートも現れるでしょう。それでも、一緒に同じ寮の中で暮らさなければならないのです。それだけではなく、共学の全寮制学校ですから、やれキスをした、せまられた等、男女関係の騒ぎも多く、10代の楽しみでもありながら、それが逆に悩みの種となり、時には苦痛となって学校に居づらくなってしまうこともあるようです。

全寮制ならではの貴重な体験 !

もし許されるならば、全寮制の学校生活は、是非とも一度は子供達に体験させてあげたい貴重な教育の現場といえます。様々な課題が残されているにせよ、基本的に子供の成長は、子供達同士の交わりの中から磨かれていくのが基本であり、その自然な生活をベースに、優れた教育の場を全寮制の学校は提供してくれます。子供は宝であり、将来を担う大切な存在です。幼い頃から友人にもまれ、外部環境の変化に順応する事を覚え、視野を広げて様々なことにチャレンジし、かつ肉体も日々、鍛えていくことができるなら、それにこしたことはありません。筆者の子供達も、いつまでアメリカに滞在するか、わかりません。しかし、海外で培われる経験は、必ずしや日本に帰国した際、また世界のどこへ行こうとも、役立つ時がくると信じています。

(文・中島尚彦)

© 日本シティジャーナル編集部