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サブスリーへの長い道のり
不死鳥のごとくロスアンジェルス国際マラソンで蘇ることができるか ?

北京オリンピックの男子マラソンで金メダルを獲得した日本育ちのワンジル選手は、テレビのレポーターに「日本から何を学びましたか ? 」と尋ねられた際に、ただ一言「我慢」と答えました。その言葉の通り、マラソン競技は過酷な我慢競争です。エネルギーを消耗して体が衰弱しても、それを無視して、ひたすらゴールに向かって走り続けるのがマラソン競技なのです。同じ長距離を走る場合でも、ゆとりを持って走るなら健康的ですが、一旦、時間との勝負になれば、熾烈な消耗戦となります。

マラソン選手は早死にする ? !

どんなことでも無茶はいけません。それ故、自分の限界に挑みながら長時間走り続ける競技であるマラソンの選手は、健康を害するリスクを常に背負っているのです。過激な運動を強いるということは、大量のフリーラジカルが発生して酸化ストレスが激化し、肝細胞が破壊されることを意味します。

それだけ内臓に負担のかかる運動を繰り返している訳ですから、酸化ストレスの源を断つためにも、過激な運動の後は体を休めなければなりません。ところが、「ストレス発散」とばかりに、酒を飲んで鬱憤を晴らそうとするランナーもいます。そうした飲酒癖もマラソン選手の短命化の一因です。何故ならアルコールは肝臓で代謝されるため、肝機能の低下に拍車をかけるからです。その肝機能を向上させるためには、良質のタンパク質とミネラル類を摂取しなければなりません。ところがマラソン選手には「減量」という目標もあり、特にレースが近づくにつれてカロリーの高い肉類を食べるのをやめ、野菜中心の献立となります。そうした減量中に必要なタンパク質やミネラルを摂取するためには、生活習慣の改善と学習が必須なのです。

ストイックな減量こそマラソンの真髄 !

筆者は2年前、人間ドックの検査においてGOT値が上昇し始めた為、主治医からマラソンはもうやめておいたほうが賢明であると告げられました。ところが毎日のランニングをやめたとたんに体重が増え始めただけでなく、腰痛が再発したのです。そこで昨年は、練習のつもりで国内のマラソン大会に参加したところ、楽に3時間10分台で走ることができた自分を見て、もう一度フルマラソンで3時間を切るサブスリーにチャレンジする気持ちが沸いてきました。

まず最初のハードルは「減量」です。身長が172cmの筆者にとって、マラソンのベスト体重は58~60kgです。走り続けているうちに74kgあった体重が昨年中に64kgまで落ちたので、2009年のロスアンジェルス国際マラソンは60kgのベスト体重で走ることを目標としました。

たとえ4kgといえども、走る負担を考えると、余分な重石はないほうが良いに決まっています。

ところが減量は思っていた以上に過酷で64kgからの4kgは、74kgから10kg落とす以上に大変でした。お米を殆ど食べず、朝昼は極力サラダ中心の献立にしました。成田市公津の杜駅そばにあるイタリアンレストランのアントンには大変お世話になり、昼は野菜ランチ、夜は温野菜の盛り合わせなどを作って頂き、感謝しています。

ところが、思わぬ伏兵が隠れていました。それは練習の後の一杯のビールです。汗だくで喉がカラカラの時に飲み干す一杯のビールの美味しさに勝るものはありません。そしてお酒が入ると一気に食欲が進み、ふと気がつくと予想以上に食べている自分がいるのです。「これだけ走ったのだから、もうちょっと食べても大丈夫 ! 」などと考えたら負けです。食欲を我慢することもマラソンの極意です。

レースまで4ヶ月少々。1月から2ヶ月間の禁酒をし、一切のアルコールを断つことにしました。すると今までなかなか落とせなかった最後の2kgがいとも簡単に落とせたのです。そして大会10日前には35年ぶりに59kgまで減量することに成功しました。が、いかんせん体に力が入りません。知人のサブスリーランナーのアドバイスに従い、大会に向けて食べ始めることで、理想体重の60kgで大会を迎えることができたのです。

過酷なインターバルトレーニング

減量と共に新しくチャレンジしたのがインターバル・トレーニングです。これまでは、とにかく「走った距離は嘘をつかない」という言葉を信じて、時間を見つけては距離をかせいで走っていました。しかし、前回シカゴを走った時に痛感したことは、自分には絶対的なスピードが足りないということでした。

周囲のサブスリーランナーがつま先でカモシカが飛び跳ねるように軽やかに走っているのに比べ、自分の走りにはゆとりがなく、必死についていくのが精一杯でした。原因は、スピード感を上手にコントロールするだけの余裕が無かったことにあるとわかりました。そこで、これまで全く取り入れてなかった中距離のインターバル・トレーニングを始めました。

5kmの距離を時速15kmで20分間走ることを数回繰り返すインターバルが有効であると雑誌で読んだ記憶があり、まずはその練習からスタートです。これまでフルマラソンではハーフ地点まで何度も1時間30分以内で走ったことはありましたが、いざ、マシンの上で走り始めると、たった20分なのに途中で走るのが嫌になってしまい、STOPボタンを押して中途棄権してしまいそうになります。ハイスピードを維持しながら20分を走りきることができないのです。

そこで始めたばかりの頃は、トレッドミルに2%の勾配をつけて負荷をかけ、徐々にスピードを上げながら最後の1kmでは時速15~16kmまでスピードを上げるようにしたのです。そして2回目から勾配を0%にして、最初から時速15kmで走るようにしました。すると勾配負荷が無くなるため、時速15kmがとても軽やかに感じるようになりました。その勢いをもって5kmを20分で完走することを体得したのです。そして遂に、インターバルを3回繰り返すことができるようになりました。

新型インフルエンザも何のその !

今年の大会は、新型インフルエンザの流行と、開催日が5月25日という3連休最後の日に変更された為、参加者が激減し、エントリーの総数は1万5千人と、例年より1万人は少ないようでちょっと寂しい感じです。しかし、これは自分にとってはラッキーなことかもしれません。何故ならば、マラソンを始めた当初、トップ500位に入りLosAngelesTimesという有名な新聞に自分の名前を載せることを目標としました。しかし、いつの間にかトップ100位までしか掲載されなくなり、そのチャンスを逃してしまったのです。だからこそ、今回サブスリーを達成すれば確実に100位以内に入り、新聞に名前が載ります !

レース当日、心配されていた気候もマラソン大会にとって絶好の日和となりました。気温は朝が14度、天候は曇り。ちょっぴり肌寒い程度で、ロスアンジェルスでは珍しいほど涼しく、サブスリーに挑戦するには絶好のチャンスです。当日の体調も良好。ちょっと風邪気味で鼻水が出ていましたが、体重は60kgと理想値です。昨年の成田POPランで肉離れをおこした右足ハムストリングも、その後の筋トレとストレッチで回復しています。上半身の筋トレも十分で、腹筋も10代の頃を彷彿させる割れっぷり。準備万端でスタートラインに立ったのです。

マラソンにはハプニングがつきもの !

さあ、ロスアンジェルスのダウンタウンからスタートです。

今回は体も軽く、スピード感も無理なく調整しながら、ハーフを過ぎた時点では、これなら後半でサブスリー目指して走り抜けることができると思った程でした。ところが、マラソンにはハプニングがつきものです。

30kmを過ぎた地点で思いもよらず、初マラソンで痛め、それから忘れ去られていた右足の付け根に激痛が走ったのです。

これまでハムストリングやふくらはぎ、膝の痛みを心配して、十分なトレーニングを積んできたのですが、全く予期しなかった右足の付け根が硬直し、絶対絶命の大ピンチです。右手で足を揉み解しながら走り続けるのですが、痛みがどんどん増して行きます。自分を叱咤激励して走るにも限界があり、言葉にならない痛みと辛さで涙も止まりません。沿道の救急ヘルパーから「足は大丈夫か ? 」と何度も声をかけられましたが、その度に「I'm FINE」と答えはするものの、内心「もう、だめだ ! 」と心が挫けそうになります。そこに天の恵みでしょうか、沿道の応援者が箱一杯の氷を持っているのを見つけ、「あ、これだ!」と氷を右手で鷲掴みにし、それを足にあてがいながら走ることにしたのです。すると意外にも氷は簡単には融けることなく、暫くの間、壊れた足を冷やしてくれました。そして、徐々に痛みが消え去っていったのです。

残念ながらこの間の大失速で、サブスリーの夢は消え去ってしまいました。しかしながら、ここまで我慢したのだから「自己ベストは更新 ! 」と自分に激をとばし、頬をビンタしてゴールに向かってスピードアップです。

そして最後のストレッチでは、腹部の激痛をこらえてゴール ! 結果は3時間7分30秒。かろうじて自己ベストを4秒更新です。

マラソンには無念がいつも残る

レースの結果は全体で143位というほぼ想定内の成績でした。

しかし100位以内に入ってLos Angeles Timesに名前を載せるという夢は果たせず、「あの怪我さえなければ大丈夫だったのに...」と無念が残ります。果たして翌日の新聞には、トップ50名しか掲載されていないではないですか ! 年代別にはトップ3位までが掲載されており、今回の記録を後3年、維持できれば、55~60歳の年代別ではトップ3に入れることがわかりました。60代においては今回、世界記録保持者である保坂さんが2時間39分で圧勝しました。後8年間がんばり、それまでに25分短縮できれば、自分も世界一になれるかもしれない、という妄想が脳裏を掠めます。しかしそこまでしてLos AngelesTimesに名前を載せようとしても、巷の噂ではもうすぐ新聞社が倒産するかもしれないとか…。

健康維持が目的だったのに、これでは心も体も休まる暇がありません。そろそろ自分の肝臓にも、休肝日が必要と言い聞かせているこの頃です。

(文・中島尚彦)

© 日本シティジャーナル編集部