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52歳から始めるアイスホッケー
幼児から実年層の男女が楽しむ過激なスポーツの魅力に迫る!

2009年の夏、我が家に異変がおきました。アメリカに留学している中学1年生の長男が、大きなアイスホッケーのバッグを携えて、夏休みに一時帰国したのです。話を聞いてみると、初心者ながら学校のチームに入ったので、夏休みを利用して練習に専念したいとのこと。成田周辺や東京近郊にアイスホッケーを練習する場所があるのでしょうか。早速、調べてみました。

千葉周辺のアイススケート場

千葉や東京には、年間を通して営業しているスケート場がいくつか存在します。まず、幕張メッセから稲毛海浜公園を過ぎ、千葉港方面に向かった海沿いには、ゴミ焼却炉の余熱を利用したアクアリンク千葉があります。また、東京には国立競技場横に明治神宮スケート場、そして高田馬場にはシチズンプラザがあります。更に西東京には西武沿線の東伏見にダイドードリンコのスケート場、加えて東大和駅前にもあります。東京近郊には、アイススケートを練習する環境が結構整っていたのです。

どのアイススケート場も平日の午後になると、フィギュアスケートを練習する女の子でリンクが一杯になり、熱心に練習に励む大勢の子供達の姿を目にすることができます。また、これらのアイススケート場は、それぞれがアイスホッケーのジュニアチームを持っています。どのチームも幼児から中学生まで少なくとも数十名の部員を抱え、メンバーの中には女の子も一緒にプレーしているチームも少なくありません。

日曜の早朝4時半起床はつらい!

早速、各チームに問い合わせてみると、「稲毛ではビジターをいつでも受付けている」という情報を得ることができました。成田から近いということもあり、長男はすぐにそのチーム練習に参加することになりました。しかし、チームが練習できる時間帯が早朝か夜遅くに限られていたことに、まず驚かされました。アイスホッケーの練習となると、一般の方と一緒に滑ることはできないため、リンクを貸し切る必要があります。すると必然的に営業時間外の練習となりますが、営業時間の前後はフィギュアスケートの練習でリンクが貸し切られていることが多いので、その為稲毛では毎週日曜日の朝、5時45分から定例の練習が行われていたのです。これにはさすがに参りました。成田から稲毛まで車で40分。リンクに立つ前に着替えてウォームアップをする為には最低でも20分程かかります。つまり日曜の朝、4時45分までに家を出ないと練習に間に合わないのです。仕事疲れから、「日曜の朝くらいは寝かせてほしい!」、と心の中で叫びつつも、「子供の為なら仕方ない」と潔く諦めるしかありません。

さらに、週1回の練習では物足りないのか、長男は東京のシチズン、明治神宮と複数のチームをかけもちで練習するようになりました。そして7月も下旬を過ぎると、各地でアイスホッケーの合宿や色々な泊りがけのキャンプも頻繁に催されていることがわかり、結果として昨夏は、当初の想定よりも、かなり密度の濃い夏季の練習スケジュールを組むことができました。

家族2人目のホッケー選手が出現!

或る日、それまでスケートをしたことが全く無い二男も、兄に感化されたのか、突然「自分もホッケーをやる!」と言いだし、2人のアイスホッケー選手を抱えた生活が始まりました。二男は小学校が成田ということもあり、すぐに稲毛マリナーズのチームに入部しました。稲毛のチームは歴史が浅い分、他の競合チームと比較すると、ちょっと弱いのですが、コーチ陣がしっかりしており、とても親切に教えて頂けるので、未経験の子供にとっては絶好のチームです。

それにしても毎日曜日の朝、4時半起床というのはさすがに厳しく、自らの体調管理に不安を覚えるようになりました。さらに長男は、東京の明治神宮のチームに入部すると言いだし、兄弟が2つのチームに分かれてしまったのです。しかも、初心者の二男は基本スキルを思うように習得することができず、技術的な進歩がみられません。

そこで、どうしたら二男がもっと的確にスケートのコツを覚え、早くチームに貢献することができるのかと色々考えた末の結論は、父親である自分がアイスホッケーを学び、自ら子供に直接アドバイスするしかない!ということでした。

子供の時から憧れたアイスホッケー

思えば、筆者とアイススケートの最初の出会いは代々木体育館でした。東京オリンピックが終了した直後の昭和40年、代々木体育館は、夏はプール、冬はスケート場として一般市民に開放されました。そこから目と鼻の先に住んでいた当時小学生の筆者は、冬になると週末は体育館でスケートを楽しんでいました。無論、誰か教えてくれる人がいる訳でもなく、普通に前向きにだけ滑れるようにはなっても、それ以上のスキルを身につけることができませんでした。上手なスケーターが、「ガニ股」滑りや、急ターンをしている姿を見て、いつか自分もあんな風に格好良く滑りたい、と心から願ったものでした。それから45年程経った今、夢を叶える時がやってきたのです。

しかし、マラソンで鍛えた足腰だからといっても、長距離走と、瞬発力を要するアイスホッケーでは使う筋肉が違います。しかも以前、痛めた膝も完治しておらず、年齢的な不安も頭をよぎります。また、スケートの基本が全くできていない初心者を受け入れてくれるチームが存在するのか甚だ疑問であり、問題は山積みです。

インターネットで色々調べていくうちに、「サーティーンリーブズ」という大人チームのサイトに辿りつき、そこに、「初心者歓迎」と書いてある言葉が目に入りました!早速メールで「本当の初心者ですが、参加できますでしょうか?」と問い合わせると、すぐに「大丈夫です!」と返事がきました。その言葉に励まされ、とにかく一度、トライしてみることにしました。

始めてのアイスホッケー体験

遂にその時がきました。場所は西東京の東大和駅前のリンク、時間は夜の10時半から1時間半というアイスホッケーならではの深夜練習です。リンクに辿りつくと、そこには40~50代の中年プレーヤーが大勢着替えていました。20代の若い人も参加し、色々な年齢層が集まって結成されているチームのようです。そして準備ができた人からウォームアップが始まり、みんな、パックをスティックでさばきながら滑走し出しました。それを見て一気にボルテージが下がり、「これはやっぱり無理だ!」と心の中で呟くも、いつしか吸い込まれるようにリンクに立っている自分がいました。

笛と共に全員がリンク中央に円陣を組み、スティックで氷を叩いてから練習が正式にスタートします。何をどうしてよいかさっぱり分からず、氷上でうろうろしていると、後ろから女性コーチが現れて、「こちらにきて!」と一喝!その日は、もう一人、3回目の参加という初心者がいたため、急遽別メニューを組んで頂き、スケーティングの基本を中心にレッスンを受けました。コーチが女性であることには驚かされましたが、それ以上に感心したことは、当初の想像以上に、初心者に対してとても丁寧に教えて頂けたことです。そのコーチングに安心したのも束の間、チーム全体がフォーメーションの練習に入りました。なんと、これには初心者も参加してくださいとのこと。恐怖の訪れです。何故ならば、それまでスティックでパックに触れたことさえなかったからです。また、パスを交換しながら規定のコースをドリブルしてシュートするのですが、その全体像が把握できません。しかし、黙っていても順番が回ってくるので、やらない訳にはいきません。

いよいよ自分の番となり、思い切って見切り発車をしました。そして必死にフォーメーションの動きについて行こうと見よう見まねで動いているつもりが、全く違う方向へ滑ったり、パックを受ける前に転んだり、ゴール前で転倒したりと散々です。

最後に30分の試合形式の練習となり、2つのチームに分かれて、6人のグループが5分ずつ交代します。初日から試合に参加することなど、「そんな無茶な!」と考える間もなく、当然メンバーに入れられ、早速順番が回ってきました。有無を言わずにリンクに飛び出し、これまた見よう見まねで滑るのですが、とにかくパックをひたすら追うも、転びまくりです。

そして時には激しくフェンスに追突し、また、頭からリンクにたたきつけられるように2度も横転し、強い衝撃を受けました。幸いヘルメットをかぶっているので怪我はありませんが、軽い脳震盪は避けられません。激しいスケーティングと防具の保温効果でびっしょりと汗だくになりながら、「なんのこれしき!」と自らに檄を飛ばしている内に、時間がきて練習が終了しました。初参加の洗礼は、かなり過激なものでした。

全米プロプレーヤーとの試合に参加?

それから1カ月後、スケーティングは自分なりに別メニューで練習した効果があり、だいぶ落ち着いて滑れるようになりました。その矢先、定例の練習会にアメリカのプロリーグで活躍している現役の選手3人が、ゲストで一緒に練習に参加することになりました。再び「まさか!」が現実になる時がやってきました。前半のレッスンでは、プロプレーヤーの凄いお手本を拝見しながら、何とかそれに一歩でも近づくことを夢みて練習します。コートの逆側から30mものロングシュートを叩きこんだり、いとも簡単に空中でパックをスティックでキャッチしているプロの姿に、心がわくわくします。

そして遂に、定例の練習試合となりました。初心者の自分も混ざってアメリカプロリーグの現役選手を相手に試合をすることに。もう、恥も外聞もありません。かなうわけのない米軍に向かってひたすら竹槍を持って突撃あるのみ!と、その一心でリンク上のあちらこちらで自爆しては転びまくり、時には他の選手に激突して氷上にくずれ落ちたのです。アイスホッケーの醍醐味は、子供から熟年層まで楽しめる、防具をつけたスピーディーなフルコンタクトの肉弾戦にあります。その旨みを52歳の体が覚えてしまった今、もはや恐れるものは何もありません。ミイラ取りがミイラになり、家族で3人目のホッケー選手の誕生です。

(文・中島尚彦)

© 日本シティジャーナル編集部