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原子力発電の未来を問う
日本は脱原発社会を目指すべきか、今が決断の時!

2011年3月11日に起きた東日本大震災による福島第一原発の大事故を受け、世界各国で様々な議論が沸騰しています。その中で、既に原発を5基保有するスイスは、2034年末までに全面停止することを決定。17基保有するドイツはスイスよりも12年早く、2022年までに全面停止する方針を固めました。独メルケル首相は「ドイツの壮大な挑戦だが、次の世代に多大な好機をもたらす」と国民に理解を求め、ドイツの有識者からなる倫理委員会のテプファー元環境相も、「ドイツの社会には以前から原子力に頼るべきでないとの確信があり、福島の事故でその動きが加速した」と語り、既に2割近くに達している風力や太陽光による自然エネルギーへの依存度を、更に増加させていくことを明言しました。そして脱原発を実現しても温暖化ガス削減の目標は堅持できるとし、その為には自然エネルギーを促進する斬新な政策だけでなく、民生の分野においてもエネルギー効率を60%まで改善するという高い目標が掲げられたのです。その追い風として、今後、次世代送電網であるスマートグリッドの普及により、太陽光パネル等からの小規模発電を含む電力情報をインターネット経由で解析しながら効率的な電力の配分を行い、余力を有する近隣の発電所から素早く電力を融通する事で、電力の減衰までも最小限に食い止めることが期待されています。

これら脱原発の動きに対し、原発の輸出国であるフランス、及び、イギリス、アメリカは原発維持の政策を堅持しています。世界的にも上昇トレンドにある電力の需要を満たす為には、原発の存在が不可欠であるという大前提の元に、産業界からも安定した経済成長を実現する為には、今後の展開に不透明さが残る自然エネルギーの強化を推し進めるよりも、電力の供給が確実に約束される原発を活用し続けるべきという声が多く聞かれます。そして原発問題を更に複雑にするのが、その根底に潜む原子力産業と呼ばれる巨大な企業連合の存在であり、その利権と思惑が見え隠れすることです。

日本では原発の開発維持の為に国家予算から年間4500億円もの巨費が、自治体のハコモノや研究費に注がれ、電力会社もおよそ2兆円規模の支出をしています。これら莫大な資金が毎年うごめく巨大市場だからこそ、長年に渡り様々な企業体が結託して事業を営み、今日ではその数は500を超えると言われています。しかも原発の建設は100年ビジネスとも言われ、初期の企画から廃炉までに実に一世紀も要します。その結果、「ゆりかごから墓場まで」長年に渡り利潤を維持できる格好のプロジェクトとして位置づけられた「原発利権」には多くの企業が取り巻くこととなり、我が国では国家ぐるみでその利権を温存しながら原発を推進してきたのです。そして天下りの官僚が関連団体のトップを占め、電力会社を実質的に牛耳り、数々の教育機関にも強い影響力を及ぼすことにより、いつしか原発の建設が推進され、原発安全神話が国民の間に世論として暗黙の内に浸透するに至ったのではないでしょうか。

実は筆者も、福島第一原発の事故が起こるまでは、東京都の石原都知事が語ったように、「原発がなくなったら、他にどういう代替え案があるのか?」と、ごく当たり前に必要な社会インフラの一部と考えていました。ところが今回の事故後、インターネットを介して昨今、話題にのぼっている平井憲夫氏の手記を目にし、原発の問題について初めて真剣に悩むこととなりました。故平井氏は1級プラント配管技能士の原発労働者として、長年に渡り原発の現場で従事され、1997年1月に死去しています。平井氏の見解には賛否両論があり、果ては実在しないとまで言われることもあるようですが、http://bb.itojuku.net/iclass/open/000.jspのビデオにも登場する通り、実在の人物です。その内容についての細かい議論はともかく、原発安全神話の崩壊が現実となってしまった今、平井氏が主張していた理論上の高度な安全設計と、現場での施工レベルとの大きなギャップという致命的な問題から目を逸らす訳にはいきません。しかも平成23年に経済産業省が公表した、日本全国の原発における危険度調査で、30年以内に震度6以上の強震が発生する可能性を検証した上での分析結果によると、福島第一原発の危険度は0.0%となっていたのです。如何に原発の安全性が、絵に描いた餅のように現実と乖離しているかが証明されたように思えてなりません。

筆者は80年代、米国カリフォルニア州で不動産の開発に携わり、ショッピングセンターや病院の設計、施工、管理に従事していました。当時、大型病院を施工管理した時に驚いたことは、レベルの低い施工業者の下請けが来る度に、未熟な職人による、ずさんな施工が横行したことです。大型病院という社会的にも重要な施設において、排水用の配管が図面に反して逆勾配に設置されたり、単純な建築作業でさえも、でたらめな処理をする業者が目につきました。それ故、現場を見回りながら問題点を見出しては、やり直しを命じていたのです。原発という大変高度で複雑な設備を取り入れた現場での作業では、尚更、その管理者は極めて熟練した有能な経験者でなければならないはずですが、果たしてそれが可能でしょうか。また、これまでどれ程の優秀な熟練工が原発の建築現場に結集して、我が身の危険を顧みず工事に携わってきたのでしょうか?優秀な施工業者であればある程、他に銭を稼げる仕事が全国に山ほど存在する為、自分の命を縮めることになるかもしれない原発の建築現場に、わざわざ足を運ぶ理由があるのでしょうか?ごく常識的に考えても、平井氏の主張が、よりリアルな警告として今更ながら蘇ってくるのです。

この度、原発の存在意義を議論する叩き台となればという願いを込めて、平井氏の原稿をこれまで目にすることのなかった多くの皆様にその内容を紹介したく、本誌に掲載する運びとなりました。核爆弾による悲惨な被害を2度も受けた日本が、原子力発電の存在に今後も依存し続けていくのか、「原発安全神話」が崩壊した今、新たなる発想の転換期を迎えています。

(文・中島尚彦)

原発がどんなものか知ってほしい 平井憲夫 手記

(紙面の都合上一部割愛、要約しております)

1. 私は原発反対運動家ではありません

20年間、原子力発電所の現場で働いていた者です。原発については賛成だとか、危険だとか、安全だとかいろんな論争がありますが、私は「原発とはこういうものですよ」と、殆どの人が知らない原発の中のお話をします。そして、最後まで読んでいただくと、原発がみなさんが思っているようなものではなく、毎日、被曝者を生み、大変な差別をつくっているものでもあることがよく分かると思います。初めて聞かれる話も多いと思います。どうか最後まで読んで、それから、原発をどうしたらいいか、皆さんで考えられたらいいと思います。原発について設計の話をする人はたくさんいますが、私のように施工、造る話をする人がいないのです。しかし、現場を知らないと、原発の本当のことは分かりません。私はプラント、大きな化学製造工場などの配管が専門です。20代の終わりごろに、日本に原発を造るというのでスカウトされて、原発に行きました。一作業員だったら、何十年いても分かりませんが、現場監督として長く働きましたから、原発の中のことは殆ど知っています。

2.「安全」は机上の話

去年(1995年)の1月17日に阪神大震災が起きて、国民の中から「地震で原発が壊れたりしないか」という不安の声が高くなりました。原発は地震で本当に大丈夫か、と。しかし、決して大丈夫ではありません。国や電力会社は、耐震設計を考え、固い岩盤の上に建設されているので安全だと強調していますが、これは机上の話です。この地震の次の日、私は神戸に行ってみて、余りにも原発との共通点の多さに、改めて考えさせられました。まさか新幹線の線路が落下したり、高速道路が横倒しになるとは、それまで国民の誰一人考えてもみなかったと思います。世間一般に、原発や新幹線、高速道路などは官庁検査によって、きびしい検査が行われていると思われています。しかし、新幹線の橋脚部のコンクリートの中には型枠の木片が入っていたし、高速道路の支柱の鉄骨の溶接は溶け込み不良でした。一見、溶接がされているように見えていても、溶接そのものがなされていなくて、溶接部が全部はずれてしまっていました。何故このような事が起きてしまったのでしょうか。その根本は、余りにも机上の設計ばかりに重点を置いていて、現場の施工、管理を怠った為です。それが直接の原因ではなくても、このような事故が起きてしまうのです。

3.素人が造る原発

原発でも、原子炉の中に針金が入っていたり、配管の中に道具や工具を入れたまま配管をつないでしまったり、いわゆる人が間違える事故…があまりにも多すぎます。それは現場にプロの職人が少なく、いくら設計が立派でも、設計通りには造られていないからです。机上の設計の議論は、最高の技量を持った職人が施工することが絶対条件です。しかし、原発を造る人がどんな技量を持った人であるのか、現場がどうなっているのかという議論は一度もされたことがありません。原発にしろ、建設現場にしろ、作業者から検査官まで総素人によって造られているのが現実ですから、原発や新幹線、高速道路がいつ大事故を起こしても不思議ではないのです。日本の原発の設計も優秀で、二重、三重に多重防護されていて、どこかで故障が起きるとちゃんと止まるようになっています。しかし、これは設計の段階までです。施工、造る段階でおかしくなってしまっているのです。仮に自分の家を建てる時に、立派な一級建築士に設計をしてもらっても、大工や左官屋の腕が悪かったら、雨漏りはする、建具は合わなくなったりしますが、残念ながらこれが日本の原発なのです。一昔前までは、現場作業には棒心と呼ばれる職人、現場の若い監督以上の経験を積んだ職人が班長として必ずいました。職人は自分の仕事にプライドを持っていて、事故や手抜きは恥だと考えていましたし、事故の恐ろしさもよく知っていました。それが十年くらい前から、現場に職人がいなくなりました。全くの素人を経験不問という形で募集しています。素人の人は事故の怖さを知らない、なにが不正工事やら手抜きかも、全く知らないで作業しています。それが今の原発の実情です。例えば東京電力の福島原発では、針金を原子炉の中に落としたまま運転していて、一歩間違えば、世界中を巻き込むような大事故になっていたところでした。本人は針金を落としたことは知っていたのに、それがどれだけの大事故につながるかの認識は全然なかったのです。そういう意味では老朽化した原発も危ないのですが、新しい原発も素人が造るという意味で危ないのは同じです。現場に職人が少なくなってから、素人でも造れるように工事がマニュアル化されるようになりました。マニュアル化というのは図面を見て作るのではなく、工場である程度組み立てた物を持ってきて、現場で1番と1番、2番と2番というように、ただ積木を積み重ねるようにして合わせていくんです。そうすると、今、自分が何をしているのか、どれほど重要なことをしているのか、全く分からないままに造っていくことになるのです。こういうことも、事故や故障がひんぱんに起こるようになった原因の一つです。また、原発には放射能の被曝の問題があって後継者を育てることが出来ない職場なのです。原発の作業現場は暗くて暑いし、防護マスクも付けていて、互いに話をすることも出来ないような所ですから、身振り手振りなんです。これではちゃんとした技術を教えることができません。それに、いわゆる腕のいい人程、年間の許容線量を先に使ってしまって中に入れなくなります。だから余計に素人でもいいということになってしまうんです。また、例えば溶接の職人ですと目がやられます。30歳すぎたらもうだめで、細かい仕事が出来なくなります。そうすると、細かい仕事が多い石油プラントなどでは使いものになりませんから、だったら、まあ、日当が安くても原発の方にでも行こうかなあということになります。皆さんは何か勘違いしていて、原発というのはとても技術的に高度なものだと思い込んでいるかも知れないけれど、そんな高級なものではないのです。ですから、素人が造る原発ということで、原発はこれから先、本当にどうしようもなくなってきます。

4.名ばかりの検査・検査官

原発を造る職人がいなくなっても検査をきっちりやればいいという人がいます。しかし、その検査体制が問題なのです。出来上がったものを見るのが日本の検査ですから、それではダメなのです。検査は施工の過程を見ることが重要なのです。検査官が溶接なら溶接を、「そうではない。よく見ていなさい。このようにするんだ」と自分でやって見せる技量がないと本当の検査にはなりません。そういう技量の無い検査官にまともな検査が出来るわけがないのです。メーカーや施主の説明を聞き、書類さえ整っていれば合格とする、これが今の官庁検査の実態です。原発の事故が余りにも頻繁に起き出した頃に、運転管理専門官を各原発に置くことが閣議で決まりました。原発の新設や定検(定期検査)の後の運転の許可を出す役人です。私もその役人が素人だとは知っていましたが、ここまでひどいとは知らなかったです。というのは、水戸で講演をしていた時、会場から「実は恥ずかしいんですが、まるっきり素人です」と、科技庁(科学技術庁)の者だとはっきり名乗って発言した人がいました。その人は「自分たちの職場の職員は、被曝するから絶対に現場に出さなかった。折から行政改革で農水省の役人が余っているというので、昨日まで養蚕の指導をしていた人やハマチ養殖の指導をしていた人を、次の日には専門検査官として赴任させた。そういう何にも知らない人が原発の専門検査官として運転許可を出した。美浜原発にいた専門官は三か月前までは、お米の検査をしていた人だった」と、その人たちの実名を挙げて話してくれました。このように全くの素人が出す原発の運転許可を信用できますか。東京電力の福島原発で、緊急炉心冷却装置(ECCS)が作動した大事故が起きた時、読売新聞が「現地専門官カヤの外」と報道していましたが、その人は自分の担当している原発で大事故が起きたことを次の日の新聞で知ったのです。なぜ専門官が何も知らなかったのか。それは電力会社の人は専門官がまったくの素人であることを知っていますから、火事場のような騒ぎの中で子どもに教えるように、いちいち説明する時間がなかったので、その人を現場にも入れないで放って置いたのです。だから何も知らなかったのです。そんないい加減な人の下に原子力検査協会の人がいます。この人がどんな人かというと、この協会は通産省を定年退職した人の天下り先ですから、全然畑違いの人です。この人が原発の工事のあらゆる検査の権限を持っていて、この人のOKが出ないと仕事が進まないのですが、検査のことはなにも知りません。ですから検査と言ってもただ見に行くだけです。けれども大変な権限を持っています。この協会の下に電力会社があり、その下に原子炉メーカーの日立・東芝・三菱の三社があります。私は日立にいましたが、このメーカーの下に工事会社があるんです。つまり、メーカーから上も素人、その下の工事会社も殆ど素人ということになります。だから原発の事故のことも電力会社ではなくメーカーでないと、詳しいことは分からないのです。私は現役のころも辞めてからも、ずっと言っていますが、天下りや特殊法人ではなく、本当の第三者的な機関、通産省は原発を推進しているところですから、そういう所と全く関係のない機関を作って、その機関が検査をする。そして検査官は配管のことなど経験を積んだ人、現場のたたき上げの職人が検査と指導を行えば、溶接の不具合や手抜き工事も見抜けるからと、一生懸命に言ってきましたが、未だに何も変わっていません。このように日本の原発行政は余りにも無責任でお粗末なものなんです。

5.いいかげんな原発の耐震設計

阪神大震災後に慌ただしく日本中の原発の耐震設計を見直して、その結果を九月に発表しましたが、「どの原発も、どんな地震が起きても大丈夫」という呆れたものでした。私が関わった限り、始めのころの原発では地震のことなど真面目に考えていなかったのです。それを新しいのも古いのも一緒くたにして大丈夫だなんて、とんでもないことです。1993年に女川原発の一号機が震度4くらいの地震で出力が急上昇して自動停止したことがありましたが、この事故は大変な事故でした。なぜ大変だったかというと、この原発では1984年に震度5で止まるような工事をしているのですが、それが震度5ではないのに止まったのです。わかりやすく言うと、高速道路を運転中ブレーキを踏まないのに突然、急ブレーキがかかって止まったと同じことなんです。これは東北電力が言うように、止まったからよかった、というような簡単なことではありません。5で止まるように設計されているものが4で止まったということは、5では止まらない可能性もあるということなんです。つまり、いろんなことが設計通りにいかないということの現れなんです。こういう地震で異常な止まり方をした原発は1987年に福島原発でも起きていますが、同じ型の原発が全国で10もあります。これは地震と原発のことを考えるとき、非常に恐ろしいことではないでしょうか。

6.定期点検工事も素人が

原発は1年くらい運転すると必ず止めて検査をすることになっていて、定期検査、定検といっています。原子炉には70気圧とか、150気圧とかいうものすごい圧力がかけられていて、配管の中には水、といっても300℃もある熱湯ですが、水や水蒸気がすごい勢いで通り、配管の厚さが半分くらいに薄くなってしまう所もあるのです。そういう配管とかバルブとかを定検でどうしても取り替えなくてはならないのですが、この作業に必ず被曝が伴う訳です。原発は一回動かすと、中は放射能、放射線で一杯になりますから、その中で人間が放射線を浴びながら働いているのです。そういう現場へ行くのには、自分の服を全部脱いで防護服に着替えて入ります。防護服というと、放射能から体を守る服のように聞こえますが、そうではないんですよ。放射線の量を計るアラームメーターは防護服の中のチョッキに付けているのですから。つまり防護服は放射能を外に持ち出さないための単なる作業着です。作業している人を放射能から守るものではないのです。だから作業が終わって外に出る時には、パンツー枚になって被曝していないかどうか検査をするんです。体の表面に放射能がついている、いわゆる外部被曝ですと、シャワーで洗うと大体流せますから、放射能がゼロになるまで徹底的に洗ってからやっと出られます。また、安全靴といって備付けの靴に履き替えますが、この靴もサイズが自分の足にきちっと合うものはありませんから、大事な働く足元がちゃんと定まりません。それに放射能を吸わないように全面マスクを付けたりします。そういう格好で現場に入り、放射能の心配をしながら働く訳ですから、実際、原発の中ではいい仕事は絶対に出来ません。普通の職場とはまったく違うのです。そういう仕事をする人が95%以上まるっきりの素人です。お百姓や漁師の人が自分の仕事が暇な冬場などにやります。言葉は悪いのですが、いわゆる出稼ぎの人です。そういう経験のない人が、怖さを全く知らないで作業をする訳です。例えばボルトをネジで締める作業をするとき、「対角線に締めなさい、締めないと漏れるよ」と教えますが、作業する現場は放射線管理区域ですから、放射能が一杯あって最悪な所です。作業現場に入る時はアラームメーターをつけて入りますが、現場は場所によって放射線の量が違いますから、作業の出来る時間が違います。分刻みです。現場に入る前にその日の作業と時間、時間というのはその日に浴びてよい放射能の量で時間が決まるわけですが、その現場が20分間作業ができる所だとすると、20分経つとアラームメーターが鳴るようにしてある。だから、「アラームメーターが鳴ったら現場から出なさいよ」と指示します。でも現場には時計がありません。時計を持って入ると時計が放射能で汚染されますから腹時計です。そうやって現場に行きます。そこではボルトをネジで締めながら、もう10分は過ぎたかな、15分は過ぎたかなと、頭はそっちの方にばかり行きます。アラームメーターが鳴るのが怖いですから。アラームメーターというのはビーッととんでもない音がしますので、初めての人はその音が鳴ると、顔から血の気が引く位怖いものです。これは経験した者でないと分かりません。ビーッと鳴ると、レントゲンなら何十枚もいっぺんに写したくらいの放射線の量に当たります。ですからネジを対角線に締めなさいと言っても、言われた通りには出来なくて、ただ締めればいいと、どうしてもいい加滅になってしまうのです。するとどうなりますか。

7.放射能垂れ流しの海

冬に定検工事をすることが多いのですが、定検が終わると海に放射能を含んだ水が何十トンも流れてしまうのです。はっきり言って今、日本列島で取れる魚で、安心して食べられる魚はほとんどありません。日本の海が放射能で汚染されてしまっているのです。海に放射能で汚れた水をたれ流すのは定検の時だけではありません。原発はすごい熱を出すので、日本では海水で冷やしてその水を海に捨てていますが、これが放射能を含んだ温排水で一分間に何十トンにもなります。原発の事故があっても県などがあわてて安全宣言を出しますし、電力会社はそれ以上に隠そうとします。それに国民もほとんど無関心ですから、日本の海は汚れっぱなしです。防護服には放射性物質がいっぱいついていますから、それを最初は水洗いして、全部海に流しています。排水口で放射線の量を計ると、すごい量です。こういう所で魚の養殖をしています。安全な食べ物を求めている人たちは、こういうことも知って、原発にもっと関心をもって欲しいものです。このままでは放射能に汚染されていない物を選べなくなると思います。数年前の石川県の志賀原発の差止め裁判の報告会で、80歳近い行商をしているおばあさんがこんな話をしました。「私はいままで原発のことを知らなかった。今日、昆布とわかめをお得意さんに持っていったら、そこの若奥さんに「悪いけどもう買えないよ、今日で終わりね、志賀原発が運転に入ったから」って言われた。原発のことは何も分からないけど、初めて実感として原発のことが分かった。どうしたらいいのか」って途方に暮れていました。皆さんの知らない所で、日本の海が放射能で汚染され続けています。

8.内部被曝が一番怖い

原発の建屋の中は全部の物が放射性物質に変わってきます。物が全て放射性物質になり、放射線を出すようになるのです。どんなに厚い鉄でも放射線が突き抜けるからです。体の外から浴びる外部被曝も怖いですが、一番怖いのは内部被曝です。埃、どこにでもある塵とか埃。原発の中ではこの埃が放射能を浴びて放射性物質となって飛んでいます。この放射能をおびた埃が口や鼻から入ると、それが内部被曝になります。原発の作業では片付けや掃除で一番内部被曝をしますが、この体の中から放射線を浴びる内部被曝の方が外部被曝よりもずっと危険なのです。体の中から直接放射線を浴びるわけですから。体の中に入った放射能は通常は、三日位で汗や小便と一緒に出てしまいますが、三日なら三日、放射能を体の中に置いたままになります。また、体から出るといっても、人間が勝手に決めた基準ですから、決してゼロにはなりません。これが非常に怖いのです。どんなに微量でも、体の中に蓄積されていきますから。原発を見学した人なら分かると思いますが、一般の人が見学できるところはとても綺麗にしてあり、職員も「きれいでしょう」と自慢そうに言いますが、それは当たり前なのです。綺麗にしておかないと放射能の埃が飛んで危険ですから。私はその内部被曝を百回以上もして、癌になってしまいました。癌の宣告を受けたとき、本当に死ぬのが怖くて怖くてどうしようかと考えました。でも私の母が何時も言っていたのですが、「死ぬより大きいことはないよ」と。じゃ死ぬ前になにかやろうと。原発のことで、私が知っていることをすべて明るみに出そうと思ったのです。

9.普通の職場環境とは全く違う

放射能というのは蓄積します。いくら徴量でも十年なら十年分が蓄積します。これが怖いのです。日本の放射線管理というのは年間50ミリシーベルトを守ればいい、それを越えなければいいという姿勢です。例えば定検工事ですと三ケ月位かかりますから、それで割ると一日分が出ます。でも放射線量が高い所ですと、一日に五分から七分間しか作業が出来ない所もあります。しかしそれでは全く仕事になりませんから、三日分とか、一週間分を一遍に浴びせながら作業をさせるのです。これは絶対にやってはいけない方法ですが、そうして10分間なり20分間なりの作業ができるのです。そんなことをすると白血病とかガンになると知っているとまだ良いのですが…電力会社はこういうことを一切教えません。稼動中の原発で、機械に付いている大きなネジが一本緩んだことがありました。動いている原発は放射能の量が物凄いですから、その一本のネジを締めるのに働く人30人を用意しました。一列に並んでヨーイドンで七メートル位先にあるネジまで走って行きます。行って一、二、三と数えるくらいで、もうアラームメーターがビーッと鳴る。中には走って行ってネジを締めるスパナはどこにあるんだ?と言ったら、もう終わりの人もいる。ネジをたった一山、二山、三山締めるだけで百六十人分、金額で四百万円位かかりました。なぜ原発を止めて修理しないのかと疑問に思われるかもしれませんが、原発を一日止めると何億円もの損になりますから、電力会社は出来るだけ止めないのです。放射能というのは非常に危険なものですが、企業というものは人の命よりもお金なのです。

10.「絶対安全」だと五時間の洗脳教育

原発など、放射能のある職場で働く人を放射線従事者といいます。日本の放射線従事者は今までに約27万人ですが、その殆どが原発作業者です。今も9万人位の人が原発で働いています。その人たちが年一回行われる原発の定検工事などを、毎日被曝しながら支えているのです。原発で初めて働く作業者に対し、放射線管理教育を約五時間かけて行います。この教育の最大の目的は、不安の解消の為です。原発が危険だとは一切教えません。国の被曝線量で管理しているので、絶対大丈夫なので安心して働きなさい、世間で原発反対の人たちが放射能でガンや白血病に冒されると言っているが、あれはマッカナ、オオウソである、国が決めたことを守っていれば絶対に大丈夫だと五時間かけて洗脳します。こういう「原発安全」の洗脳を、電力会社は地域の人にも行っています。有名人を呼んで講演会を開いたり、文化サークルで料理教室をしたり、カラー印刷の立派なチラシを新聞折り込みしたりして。だから事故があって、ちょっと不安に思ったとしても、そういう安全宣伝にすぐに洗脳されてしまって、「原発がなくなったら、電気がなくなって困る」と思い込むようになるのです。私自身が20年近く現場の責任者として、働く人にオウムの麻原以上のマインドコントロール「洗脳教育」をやって来ました。何人殺したかわかりません。みなさんから現場で働く人は不安に思っていないのかとよく聞かれますが、放射能の危険や被曝のことは一切知らされていませんから、不安だとは大半の人は思っていません。体の具合が悪くなっても、それが原発のせいだとは全然考えもしないのです。作業者全員が毎日被曝をする。それをいかに本人や外部に知られないように処理するかが責任者の仕事です。本人や外部に被曝の問題が漏れるようでは、現場責任者は失格なのです。これが原発の現場です。私はこのような仕事を長くやっていて、毎日がいたたまれない日も多く、夜は酒の力を借り、酒量が日毎に増していきました。そうした自分自身に問いかけることも多くなっていました。一体何の為に誰の為に、このような嘘の毎日を過ごさねばならないのかと。気がついたら20年の原発労働で、私の体も被曝でぼろぼろになっていました。

11.だれが助けるのか

また東京電力の福島原発で現場作業員がグラインダーで額を切って、大怪我をしたことがありました。血が吹き出ていて一刻を争う大怪我でしたから、直ぐに救急車を呼んで運び出しました。ところがその怪我人は放射能まみれだったのです。でも電力会社も慌てていたので防護服を脱がせたり体を洗ったりする除洗をしなかった。救急隊員にも放射能汚染の知識が全くなかったので、その怪我人は放射能の除洗をしないままに病院に運ばれてしまったんです。だからその怪我人を触った救急隊員が汚染される、救急車も汚染される、医者も看護婦さんも、その看護婦さんが触った他の患者さんも汚染される、その患者さんが外へ出て、また汚染が広がるという風に、町中がパニックになる程の大変な事態になってしまいました。みんなが大怪我をして出血のひどい人を何とか助けたいと思って必死だっただけで放射能は全く見えませんから、その人が放射能で汚染されていることなんか、誰も気が付かなかったんですよ。一人でもこんなに大変なんです。それが仮に大事故が起きて大勢の住民が放射能で汚染された時、一体どうなるのでしょうか。

12.びっくりした美浜原発細管破断事故!

皆さんが知らないのか、無関心なのか、日本の原発はびっくりするような大事故を度々起こしています。スリーマイル島とかチェルノブイリに匹敵する大事故です。1989年に東京電力の福島第二原発で再循環ポンプがバラバラになった大事故も、世界で初めての事故でした。そして1991年2月に関西電力の美浜原発で細管が破断した事故は、放射能を直接に大気中や海へ大量に放出した大事故でした。チェルノブイリの事故の時には、私はあまり驚かなかったんですよ。原発を造っていて、そういう事故が必ず起こると分かっていましたから。だからああ、たまたまチェルノブイリで起きたと、たまたま日本ではなかったと思ったんです。しかし美浜の事故の時はもうびっくりして、足がガクガクふるえて椅子から立ち上がれない程でした。この事故はECCS(緊急炉心冷却装置)を手動で動かして原発を止めたという意味で、重大な事故だったんです。ECCSというのは、原発の安全を守るための最後の砦に当たります。これが効かなかったらお終りです。だからECCSを動かした美浜の事故というのは、一億数千万人の人を乗せたバスが高速道路を100キロのスピードで走っているのにブレーキも効かない、サイドブレーキも効かない、崖にぶつけてやっと止めたというような大事故だったんです。原子炉の中の放射能を含んだ水が海へ流れ出て、炉が空焚きになる寸前だったのです。日本が誇る多重防護の安全弁が次々と効かなくて、あと0.7秒でチェルノブイリになるところだった。それも土曜日だったのですが、たまたまベテランの職員が来ていて、自動停止するはずが停止しなくて、とっさの判断で手動で止めて、世界を巻き込むような大事故に至らなかったのです。日本中の人が、いや世界中の人が本当に運がよかったのですよ。この事故は、2ミリくらいの細い配管についている触れ止め金具、何千本もある細管が振動で触れ合わないようにしてある金具が設計通りに入っていなかったのが原因でした。施工ミスです。そのことが20年近い何回もの定検でも見つからなかったのですから定検のいい加減さがばれた事故でもあった。入らなければ切って捨てる、合わなければ引っ張るという、設計者がまさかと思うようなことが、現場では当たり前に行われているということが分かった事故でもあったんです。

13.もんじゅの大事故

去年(1995年)の12月8日に、福井県の敦賀にある動燃(動力炉・核燃料開発事業団)のもんじゅでナトリウム漏れの大事故を起こしました。もんじゅの事故はこれが初めてではなく、それまでにも度々事故を起こしていて、私は建設中に六回も呼ばれて行きました。というのは、所長とか監督とか職人とか元部下だった人達がもんじゅの担当もしているので、何か困ったことがあると私を呼ぶんですね。もう会社を辞めていましたが、原発だけは事故が起きたら取り返しがつきませんから、放っては置けないので行くのです。ある時電話がかかって、「配管がどうしても合わないから来てくれ」という。行って見ますと、特別に作った配管も既製品の配管もすべて図面通り、寸法通りになっている。でも合わない。どうして合わないのか、いろいろ考えましたが、なかなか分からなかった。一晩考えてようやく分かりました。もんじゅは、日立、東芝、三菱、富士電機などの寄せ集めのメーカーで造ったもので、其々の会社の設計基準が違っていたのです。図面を引くときに私が居た日立は0.5㎜切捨て、東芝と三菱は0.5㎜切上げ、日本原研は0.5㎜切下げなんです。たった0.5㎜ですが、百箇所も集まると大変な違いになるのです。だから数字も線も合っているのに合わなかったのですね。これではダメだということで、みんな作り直させました。何しろ国の威信がかかっていますからお金は掛けるんです。どうしてそういうことになるかというと、それぞれのノウハウ、企業秘密ということがあって、全体で話し合いをして、この0.5㎜について切上げるか、切下げるか、どちらかに統一しようという様な話し合いをしていなかったのです。今回のもんじゅの事故の原因となった温度センサーにしても、メーカー同士での話し合いもされていなかったのではないでしょうか。どんなプラントの配管にもあのような温度計がついていますが、私はあんなに長いのは見たことがありません。おそらく施工した時に危ないと分かっていた人がいたはずですね。でも、よその会社のことだからほっとけばいい、自分の会社の責任ではないと。動燃自体が電力会社からの出向で出来た寄せ集めですが、メーカーも寄せ集めなんです。これでは事故は起こるべくして起こる、事故が起きないほうが不思議で、起こって当たり前なんです。しかしこんな重大事故でも、国は「事故」と言いません。美浜原発の大事故の時と同じように「事象があった」と言っていました。私は事故の後、直ぐに福井県の議会から呼ばれて行きました。あそこには15基も原発がありますが、誘致したのは自民党の議員さんなんですね。だから私はそういう人に何時も、「事故が起きたらあなた方のせいだよ、反対していた人には責任はないよ」と言ってきました。この度、その議員さんたちに呼ばれたのです。「今回は腹を据えて動燃とケンカする、どうしたらよいか教えてほしい」と相談を受けたのです。それで、私がまず最初に言ったことは、「これは事故なんです、事故。事象というような言葉に誤魔化されちゃあだめだよ」と言いました。県議会で動燃が「今回の事象は……」と説明を始めたら、「事故だろ!事故!」と議員が叫んでいたのが、テレビで写っていましたが、あれも黙っていたら、軽い「事象」ということにされていたんです。地元の人たちだけではなく、私たちも向こうの言う「事象」というような軽い言葉に誤魔化されてはいけないんです。普通の人にとって、「事故」というのと「事象」というのとでは、捉え方が全く違います。この国が事故を事象などと言い換えるような姑息なことをしているので、日本人には原発の事故の危機感が殆どないのです。

14.日本のプルトニウムがフランスの核兵器に?

もんじゅに使われているプルトニウムは日本がフランスに再処理を依頼して抽出したものです。再処理というのは原発で燃やしてしまったウラン燃料の中に出来たプルトニウムを取り出すことですが、プルトニウムはそういう風に人工的にしか作れないものです。そのプルトニウムがもんじゅには約1.4トンも使われています。長崎の原爆は約八キロだったそうですが、一体もんじゅのプルトニウムでどのくらいの原爆ができますか。それに、どんなに微量でも肺ガンを起こす猛毒物質です。半減期が2万4千年もあるので、永久に放射能を出し続けます。だからその名前がプルートー、地獄の王という名前からつけられたように、プルトニウムはこの世で一番危険な物といわれるわけですよ。しかし日本のプルトニウムが去年(1995年)南太平洋でフランスが行った核実験に使われた可能性が大きいことを知っている人は余りいません。フランスの再処理工場ではプルトニウムを作るのに核兵器用も原発用も区別がないのです。だから日本のプルトニウムがこの時の核実験に使われてしまったことはほとんど間違いありません。日本がこの核実験に反対をきっちり言えなかったのには、そういう理由があるからです。もし日本政府が本気でフランスの核実験を止めさせたかったら簡単だったのです。つまり再処理の契約を止めればよかったんです。でもそれをしなかった。日本とフランスの貿易額で二番目に多いのは、この再処理のお金なんですよ。国民はそんなことも知らないで、いくら「核実験に反対、反対」といっても仕方がありません。それに唯一の被曝国と言いながら、日本のプルトニウムがタヒチの人々を被曝させ、綺麗な海を放射能で汚してしまったに違いありません。世界中が諦めたのに日本だけはまだこんなもので電気を作ろうとしているんです。普通の原発で、ウランとプルトニウムを混ぜた燃料(MOX燃料)を燃やす、いわゆるプルサーマルをやろうとしています。しかしこれは非常に危険です。分かりやすくいうと石油ストーブでガソリンを燃やすようなことなんです。原発の元々の設計がプルトニウムを燃すようになっていません。プルトニウムは核分裂の力がウランとはケタ違いに大きいんです。だから原爆の材料にしている訳ですから。いくら資源がない国だからといっても、あまりに酷すぎるんじゃないでしょうか。早く原発を止めて、プルトニウムを使うなんてことも止めなければ、あちこちで被曝者が増えていくばかりです。

15.日本には途中でやめる勇気がない

世界では原発の時代は終わりです。原発の先進国のアメリカでは、二月(1996年)に2015年までに原発を半分にすると発表しました。それにプルトニウムの研究も大統領命令で止めています。あんなに怖い物、研究さえ止めました。もんじゅのようにプルトニウムを使う原発、高速増殖炉も、アメリカはもちろんイギリスもドイツも止めました。ドイツは出来上がったのを止めてリゾートパークにしてしまいました。世界の国がプルトニウムで発電するのは不可能だと分かって止めたんです。日本政府も今度のもんじゅの事故で「失敗した」と思っているでしょう。でも、まだ止めない。これからもやると言っています。どうして日本が止めないかというと、日本には一旦決めた事を途中で止める勇気がないからで、この国が途中で止める勇気がないというのは非常に怖いです。皆さんもそんな例は山程ご存じでしょう。とにかく日本の原子力政策はいい加減なのです。日本は原発を始める時から後のことは何にも考えていなかった。その内に何とかなるだろうと。そんないい加減なことでやってきたんです。そうやって何十年もたった。でも、廃棄物一つのことさえどうにもできないんです。もう一つ大変なことは、今までは大学に原子力工学科があってそれなりに学生がいましたが、今は若い人たちが原子力から離れてしまい、東大をはじめ殆どの大学からなくなってしまいました。机の上で研究する大学生さえいなくなったのです。また日立と東芝にある原子力部門の人も三分の一に減って、コ・ジェネレーション(電気とお湯を同時に作る効率のよい発電設備)のガス・タービンの方へ行きました。メーカーでさえ、原子力はもう終わりだと思っているのです。原子力局長をやっていた島村武久さんという人が退官して、『原子力談義』という本で、「日本政府がやっているのは、ただのつじつま合わせに過ぎない、電気が足りないのでも何でもない。あまりに無計画にウランとかプルトニウムを持ちすぎてしまったことが原因です。はっきりノーといわないから持たされてしまったのです。そして日本はそれらで核兵器を作るんじゃないかと世界の国々から見られる、その疑惑を否定するために核の平和利用、つまり、原発をもっともっと造ろうということになるのです」と書いていますが、これもこの国の姿なんです。

16.廃炉も解体も出来ない原発

「安全」は机上の話 1966年に、日本で初めてイギリスから輸入した16万キロワットの営業用原子炉が茨城県の東海村で稼動しました。その後はアメリカから輸入した原発で、途中で自前で造るようになりましたが、今ではこの狭い日本に135万キロワットというような巨大な原発を含めて51の原発が運転されています。具体的な廃炉・解体や廃棄物のことなど考えないままに動かし始めた原発ですが、厚い鉄でできた原子炉も大量の放射能を浴びるとボロボロになるんです。だから最初、耐用年数は十年だと言っていて、十年で廃炉、解体する予定でいました。しかし1981年に10年たった東京電力の福島原発の一号機で、当初考えていたような廃炉・解体が全然出来ないことが分かりました。このことは国会でも原子炉は核反応に耐えられないと問題になりました。この時、私も加わってこの原子炉の廃炉、解体についてどうするか、毎日のようにああでもない、こうでもないと検討をしたのですが、放射能だらけの原発を無理やりに廃炉、解体しようとしても、造るときの何倍ものお金がかかることや、どうしても大量の被曝が避けられないことなど、どうしようもないことが分かったのです。原子炉のすぐ下の方では決められた線量を守ろうとすると、たった十数秒くらいしかいられないんですから。机の上では何でもできますが、実際には人の手でやらなければならず、とんでもない被曝を伴う訳です。ですから放射能がゼロにならないと何にもできないのです。放射能がある限り廃炉、解体は不可能なのです。人間にできなければロボットでという人もいます。でも研究はしていますが、ロボットが放射能で狂ってしまって使えないのです。結局、福島の原発では廃炉にすることができないというので、原発を売り込んだアメリカのメーカーが自分の国から作業者を送り込み、日本では到底考えられない程の大量の被曝をさせて原子炉の修理をしたのです。今でもその原発は動いています。最初に耐用年数が十年といわれていた原発が、もう30年近く動いています。そんな原発が11もある。くたびれてヨタヨタになっても動かし続けていて、私は心配でたまりません。また、神奈川県の川崎にある武蔵工大の原子炉はたった100キロワットの研究炉ですが、これも放射能漏れを起こして止まっています。机上の計算では修理に20億円、廃炉にするには60億円もかかるそうですが、大学の年間予算に相当するお金をかけても廃炉にはできないのです。まず停止して放射能がなくなるまで管理するしかないのです。それが100万キロワットというような大きな原発ですと、本当にどうしようもありません。

17.「閉鎖」して、監視・管理

なぜ原発は廃炉や解体ができないのでしょうか。それは、原発は水と蒸気で運転されているものなので、運転を止めてそのままに放置しておくと、すぐサビが来てボロボロになって穴が開いて放射能が漏れてくるからです。原発は核燃料を入れて一回でも運転すると、放射能だらけになって、止めたままにしておくことも、廃炉、解体することもできない物になってしまうのです。先進各国で閉鎖した原発は数多くあります。廃炉、解体ができないので、みんな「閉鎖」なんです。閉鎖とは発電を止めて核燃料を取り出しておくことですが、ここからが大変です。放射能まみれになってしまった原発は、発電している時と同じように、水を入れて動かし続けなければなりません。水の圧力で配管が薄くなったり、部品の具合が悪くなったりしますから、定検もしてそういう所の補修をし、放射能が外に漏れださないようにしなければなりません。放射能が無くなるまで発電している時と同じように監視し、管理をし続けなければならないのです。今、運転中が51、建設中が3、全部で54の原発が日本列島を取り巻いています。これ以上運転を続けると余りにも危険な原発もいくつかあります。この他に大学や会社の研究用の原子炉もありますから、日本には今、小さいのは100キロワット、大きいのは135万キロワット、大小合わせて76もの原子炉があることになります。しかし日本の電力会社が電気を作らない、金儲けにならない閉鎖した原発を本気で監視し続けるか大変疑問です。それなのに更に、新規立地や増設を行おうとしています。その中には東海地震のことで心配な浜岡に五機目の増設をしようとしていたり、福島ではサッカー場と引換えにした増設もあります。新設では新潟の巻町や三重の芦浜、山口の上関、石川の珠洲、青森の大間や東通などいくつもあります。それで2010年には70~80基にしようと。実際、言葉は悪いですが、この国は狂っているとしか思えません。これから先、必ずやってくる原発の閉鎖、これは本当に大変深刻な問題です。近い将来、閉鎖された原発が日本国中いたるところに出現する。これは不安というより、不気味です。ゾーとするのは、私だけでしょうか。

18.どうしようもない放射性廃棄物

それから原発を運転すると必ず出る核のゴミ、毎日出ています。低レベル放射性廃棄物、名前は低レベルですが、中にはこのドラム缶の側に五時間もいたら、致死量の被曝をするようなものもあります。そんなものが全国の原発で約80万本以上溜まっています。日本が原発を始めてから1969年までは、どこの原発でも核のゴミはドラム缶に詰めて近くの海に捨てていました。その頃はそれが当たり前だったのです。私が茨城県の東海原発にいた時、業者はドラム缶をトラックで運んでから、船に乗せて、千葉の沖に捨てに行っていました。しかし、私が原発はちょっとおかしいぞと思ったのはこのことからでした。海に捨てたドラム缶は一年も経つと腐ってしまうのに、中の放射性のゴミはどうなるのだろうか、魚はどうなるのだろうかと思ったのがはじめでした。現在は原発のゴミは、青森の六ケ所村へ持って行っています。全部で三百万本のドラム缶をこれから三百年間管理すると言っていますが、一体、三百年ももつドラム缶があるのか、廃棄物業者が三百年間も続くのかどうか。もう一つの高レベル廃棄物、これは使用済み核燃料を再処理してプルトニウムを取り出した後に残った放射性廃棄物です。日本はイギリスとフランスの会社に再処理を頼んでいます。去年(1995年)フランスから、28本の高レベル廃棄物として返ってきました。これはどろどろの高レベル廃棄物をガラスと一緒に固めて、金属容器に入れたものです。この容器の側に二分間いると死んでしまうほどの放射線を出すそうですが、これを一時的に青森県の六ケ所村に置いて、30年から50年間くらい冷やし続け、その後どこか他の場所に持って行き、地中深く埋める予定だと言っていますが、予定地は全く決まっていません。余所の国でも計画だけはあっても、実際にこの高レベル廃棄物を処分した国はありません。みんな困っています。原発自体についても国は止めてから5年か10年間、密閉管理してから粉々に砕いてドラム缶に入れて、原発の敷地内に埋める等とのんきなことを言っていますが、それでも一基で数万トンくらいの放射能まみれの廃材が出るんですよ。生活のゴミでさえ捨てる所がないのに、一体どうしようというんでしょうか。とにかく日本中が核のゴミだらけになる事は目に見えています。早くなんとかしないといけません。それには一日も早く原発を止めるしかないんですよ。私が5年程前に北海道で話をしていた時、「放射能のゴミを50年、300年監視続ける」と言ったら、中学生の女の子が、手を挙げて、「お聞きしていいですか。今、廃棄物を50年、300年監視するといいましたが、今の大人がするんですか?そうじゃないでしょう。次の私たちの世代、また、その次の世代がするんじゃないんですか。だけど、私たちはいやだ」と叫ぶように言いました。この子に返事の出来る大人はいますか。それに50年とか300年とかいうと、それだけ経てばいいんだというふうに聞こえますが、そうじゃありません。原発が動いている限り、終わりのない永遠の50年であり、300年だということです。

19.住民の被曝と恐ろしい差別

日本の原発は今までは放射能を一切出していませんと何十年も嘘をついてきた。でもそういう嘘がつけなくなったのです。原発にある高い排気塔からは放射能が出ています。出ているのではなくて出しているんですが、24時間放射能を出していますから、その周辺に住んでいる人達は一日中、放射能を浴びて被曝しているのです。ある女性から手紙が来ました。23歳です。便箋に涙の跡がにじんでいました。「東京で就職して恋愛し、結婚が決まって結納も交わしました。ところが突然相手から婚約を解消されてしまったのです。相手の人は君には何にも悪い所はない、自分も一緒になりたいと思っている。でも親達からあなたが福井県の敦賀で十数年間育っている。原発の周辺では白血病の子どもが生まれる確率が高いという。白血病の孫の顔は不憫で見たくない。だから結婚するのはやめてくれ、といわれたからと。私が何か悪いことしましたか」と書いてありました。この娘さんに何の罪がありますか。こういう話が方々で起きています。この話は原発現地の話ではない、東京で起きた話です、東京で。皆さんは、原発で働いていた男性と自分の娘とか、この女性のように、原発の近くで育った娘さんと自分の息子とかの結婚を心から喜べますか。若い人も、そういう人と恋愛するかも知れないですから、全く人ごとではないのです。こういう差別の話は言えば差別になる。でも言わなければ分からない事なんです。原発に反対している人も原発は事故や故障が怖いだけではない、こういうことが起きるから原発はいやなんだと言って欲しいと思います。原発は事故だけではなしに、人の心まで壊しているのですから。

20.私、子ども生んでも大丈夫ですか…

最後に私自身が大変ショックを受けた話ですが、北海道の泊原発の隣の共和町で、教職員組合主催の講演をしていた時のお話をします。どこへ行っても必ずこのお話はしています。後の話は全部忘れてくださっても結構ですが、この話だけはぜひ覚えておいてください。その講演会は夜の集まりでしたが父母と教職員が半々くらいで、およそ300人位の人が来ていました。その中には中学生や高校生もいました。原発は今の大人の問題ではない、私たち子どもの問題だからと聞きに来ていたのです。話が一通り終わったので、私が質問はありませんかというと、中学二年の女の子が泣きながら手を挙げて、こういうことを言いました。「今夜この会場に集まっている大人たちは、大ウソつきのええかっこしばっかりだ。私はその顔を見に来たんだ。どんな顔をして来ているのかと。今の大人たち、特にここにいる大人たちは農薬問題、ゴルフ場問題、原発問題、何かと言えば子ども達の為にと言って運動するふりばかりしている。私は泊原発のすぐ近くの共和町に住んで、24時間被曝している。原子力発電所の周辺、イギリスのセラフィールドで白血病の子どもが生まれる確率が高いというのは、本を読んで知っている。私も女の子です。年頃になったら結婚もするでしょう。私、子ども生んでも大丈夫なんですか?」と、泣きながら300人の大人達に聞いているのです。でも誰も答えてあげられない。「原発がそんなに大変なものなら、今頃でなくて、なぜ最初に造るときに一生懸命反対してくれなかったのか。まして、ここに来ている大人たちは、二号機も造らせたじゃないのか。例え電気がなくなってもいいから、私は原発は嫌だ」と。ちょうど、泊原発の二号機が試運転に入った時だったんです。「何で、今になってこういう集会しているのか分からない。私が大人で子どもがいたら、命懸けで体を張ってでも原発を止めている」と言う。「二基目が出来て、今までの倍私は放射能を浴びている。でも私は北海道から逃げない」って、泣きながら訴えました。私が「そういう悩みをお母さんや先生に話したことがあるの」と聞きましたら、「この会場には先生やお母さんも来ている、でも話したことはない」と言います。「女の子同志ではいつもその話をしている。結婚もできない、子供も産めない」って。担任の先生達も、今の生徒達がそういう悩みを抱えていることを少しも知らなかったそうです。これは決して原子力防災の8キロとか10キロの問題ではない、50キロ、100キロ圏でそういうことが一杯起きているのです。そういう悩みを今の中学生、高校生が持っていることを絶えず知っていてほしいのです。

21.原発がある限り、安心できない

皆さんにはここまでのことから、原発がどんなものか分かってもらえたと思います。チェルノブイリで原発の大事故が起きて、原発は怖いなーと思った人も多かったと思います。でも「原発が止まったら、電気が無くなって困る」と、特に都会の人は原発から遠いですから少々怖くても仕方がないと、そう考えている人は多いんじゃないでしょうか。でもそれは国や電力会社が「原発は核の平和利用です」「日本の原発は絶対に事故を起こしません。安全だから安心しなさい」「日本には資源がないから、原発は絶対に必要なんですよ」と、大金をかけて宣伝をしている結果なんです。もんじゅの事故のように、本当のことはずーっと隠しています。

原発は確かに電気を作っています。しかし、私が20年間働いてこの目で見たり、この体で経験したことは、原発は働く人を絶対に被曝させなければ動かないものだということです。それに原発を造る時から地域の人達は賛成だ、反対だと割れて、心をズタズタにされる。出来たら出来たで被曝させられ、何の罪もないのに差別されて苦しんでいるんです。皆さんは原発が事故を起こしたら怖いのは知っている。だったら事故さえ起こさなければいいのか。平和利用なのかと。そうじゃないでしょう。私のような話、働く人が被曝して死んでいったり地域の人が苦しんでいる限り、原発は平和利用なんかではないんです。それに安全なことと安心だということは違うんです。原発がある限り安心できないのですから。それから今は電気を作っているように見えても、何万年も管理しなければならない核のゴミに膨大な電気や石油がいるのです。それは今作っている以上のエネルギーになることは間違いないんですよ。それに、その核のゴミや閉鎖した原発を管理するのは、私たちの子孫なのです。

そんな原発が、どうして平和利用だなんて言えますか。だから、私は何度も言いますが、原発は絶対に核の平和利用ではありません。だから私はお願いしたい。朝、必ず自分のお子さんの顔やお孫さんの顔をしっかりと見てほしいと。果たしてこのまま日本だけが原子力発電所をどんどん造って大丈夫なのかどうか、事故だけでなく、地震で壊れる心配もあって、このままでは本当に取り返しのつかないことが起きてしまうと。これをどうしても知って欲しいのです。ですから私はこれ以上原発を増やしてはいけない、原発の増設は絶対に反対だという信念でやっています。そして稼働している原発も着実に止めなければならないと思っています。原発がある限り、世界に本当の平和はこないのですから。

© 日本シティジャーナル編集部