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52歳から始めるアイスホッケー Part.II
文化の違いから考察する優れたプレーヤーの育成術とは

2人の子供達に負けじと52歳から始めたアイスホッケーも、既に1年が過ぎました。一旦始めれば、とことんやりきるまでは気が済まない性格なのでしょう。そろそろやめようかと何度か思いつつも、ふと練習し続けている自分がいました。45歳から始めたマラソンもレースを20回完走するまで、7年間走り続けました。「わかっちゃいるけど、やめられない」、そんな思いにかられた氷上の格闘技は、まだ始まったばかりだったのです。

実年アイスホッケーは怪我がつきもの

この歳でアイスホッケーを始めてまず気がつくことは、これまで使ったことのない筋肉を酷使するため、体中のあちらこちらに違和感を覚え、想定外の怪我が多発することです。マラソンとウェイトトレーニングで鍛えあげられた脚力と持久力、そしてテニスで培われた腕力には多少なりとも自信はありました。しかし、それは単なる妄想にしかすぎませんでした。まず股関節回り、つまり内股周辺の筋肉が大変引っ張られやすい競技のため、すぐに痛めて肉離れを起こしてしまいました。しかもそこは一度怪我をすると治るのに時間がかかり、再発しやすい為、幾度となく苦しめられました。次に腕の故障が頻繁に生じました。シュートをする際に欠かせない、スティックの下側を支える右腕の前腕筋を痛め、1か月程スティックを振れなくなってしまったのです。テニスをしていても、右腕だけは怪我したことがなかっただけに、油断があったようです。それが治ったかと思うと、今度はスティックの根元を持つ左腕の腕橈骨筋を痛めて腱鞘炎のようになり、手首を外側に曲げられず、テーピングで固定するはめに陥りました。あげくの果ては、仕事でパソコンのキーボードを打つ時にも痛みを覚えるようになり、これには閉口してしまいました。最悪は自らの不注意で、スケートに関係なく足首の骨を家具の角にぶつけたことです。何とこの打撲傷により、スケート靴を履くと足首が固いスケート靴の内側にあたり、とても痛むようになりました。その上、練習からの転倒による腰の痣も消えることなく、正に体はポンコツ車のように、がたがたになっていることを感じずにはいられませんでした。

自分なりの結論は簡単です。52歳から始めるアイスホッケーは、リハビリと筋トレが不可欠です。怪我をした箇所は入念に時間をかけて治療し、痛みがほぼ無くなるまでゆっくりと養生し、ストレッチをしながら回復を待ち、回復後はウェイトトレーニングでリハビリです。また、打撲傷や痣等の痛みがある周辺にはパッド等をあてがい、衝撃からくる痛みを和らげます。スケート靴の中にも、足の痛みを覚える箇所には骨があたらないようにパッドを工夫しながら挿入します。そして体の痛い個所にはテーピングを心がけ、できるだけ週1回程度の練習は極力休まないように努力したのです。試行錯誤を繰り返しながらもこうして半年程すると、やっと体がホッケー向きに改善されてきたのでしょう。怪我の再発する頻度が徐々に低くなり、左腕の痛み以外はさほど感じなくなりました。

アイスタイムは裏切らない

実年からの参戦ということで、とにかく経験が決定的に不足していることから、どうしたら短期間で上手に滑れるようになるかと悩むことも多く、夢にまでホッケーをしている姿を見るようになりました。解決方法はただ一つ。そのヒントはマラソンランナーとして著名な野口みずき選手の言葉にありました。彼女の語った言葉の中に「走った距離は裏切らない」という有名な格言があります。アイスホッケーも「アイスタイムは裏切らない」、つまり如何にして氷上の時間を多くとり、スケートをするかということが、スケートの上達と自信につながります。

日本では、そのアイスタイムを見つけるのに一苦労します。東京と成田を行き来する筆者は、時折、通勤途中にある稲毛のアクアリンク千葉や高田馬場シチズン、そして明治神宮スケート場で練習をしています。また西武線沿線の東大和では、時折カジュアル・ホッケーといって、ホッケープレーヤーが防具をつけて自由に練習をするプログラムがあります。そのスケジュールを伺っては、それしか練習する時はないと割り切り、積極的に参加するようにしています。果たして仕事と子育てに追われる52歳の初心者が、そこまで一生賢明にやる意味があるか等、考える猶予もないまま、振り返ればとにかく上手になりたいという一心で練習を続けていたのです。

上達する為に打破しなければならぬ壁

氷上の格闘技に参加する為には、幾つかの難しいハードルがあることが、1年間の練習を通してわかってきました。まずは日本のアイスホッケー事情を理解し、夜更かしをしなければ練習ができないという現実を覚悟することです。スケート場が少ないこともあり、大人のチーム練習は得てして夜10時以降に行われることが多く、夜半過ぎに開催されることも少なくありません。規則正しい生活が絶対、という方には乗り越えることが難しい大きな壁です。しかも夜更かしをすると、翌日の仕事に大きく響くという現実問題が残ります。最近では稲毛マリナーズの練習に参加したことがありますが、夜11時45分に始まり、それから1時間半の練習を1時15分に終え、家にすぐに帰っても夜中の2時を回り、それからシャワー、寝る準備をすると早朝の3時です。その3時間後、6時に起きて会社に出社するということは苦痛であり、余程ホッケーが好きでなければ乗り越えられない壁です。しかしランナーズハイと同様に、夜でも一旦氷に乗ればホッケーハイになる面白さを体験すると、つらいことも我慢できるようになります。

次の壁は、痛みを恐れないということです。アイスホッケーはリンク上での転倒はもとより、プレーヤー同士の衝突、フェンスへの激突など、肉体への衝撃がとかく多いスポーツです。その上、プレー中の怪我も多く、体に痛みが走ることが少なくありません。つい先日の練習試合でもチームの仲間が転倒して肩を脱臼し、そのまま病院へ緊急搬送となりました。多少の危険があっても、その楽しさのあまり体の痛みなどものともしない前向きな心の姿勢が不可欠です。

第3の壁からは技術的な課題で、まず確実に止まることをマスターする必要があります。ところが急ブレーキは初心者にとって大変難しいことなのです。上手なプレーヤーを見ていると、スケートが「シャー!」と氷を削り、気持ち良い音をたてて止まります。ところが初心者の止まり方は、ガッガッと氷をひっかくようになりがちで、いざ止まろうと思っても躊躇してバランスを崩すため、転びやすいのです。この壁を乗り越える為には、とにかく止まる練習を繰り返し続けるしかありません。

次の壁は、パックをスティックでコントロールしながら、更に周囲を見渡さなければならないという壁です。初心者は、スケーティングそのものが不安定なだけでなく、パックコントロールも上手にできないため、必至に氷上のパックを追いかけるだけになりがちです。だからどうしても周囲に目を配ることができず、しかも頻繁にパックを見失い、慌ててしまう為にバランスを崩し、味方にパスを出すことは愚か、自爆して転んでしまうことも少なくありません。筆者も「今日こそは回りを見ながらプレー!」と自分にゲキを飛ばしても、いざ滑り始めると下ばかり見て、めくらパスを何度も繰り返していました。

5番目の壁は、後方滑走を恐れないことです。アイススケートには前方と後方滑走が伴い、初心者にとっては、この後方滑走が最大の難関の一つとなります。フィギュアスケートの選手はいとも簡単に後方滑走をしてターンを繰り返す為、その姿をテレビで見慣れていると、それがどれ程難しく、また怖いことであるかを理解しづらいかもしれません。何しろ頭の後ろに目がついている訳ではなく、左右を一瞬見届けながら、直感を活かして滑りまくるのです。これは初心者にとっては恐怖です。しかも後述する通り、後方滑走においてもスケート靴を斜めに思いきり倒して「アウトエッジ」でターンしなければならないのです。前進のターンさえ難しいのに、後進もターンする訳ですから、誰しもこの壁につまずき、進歩が頭打ちとなりがちです。

6番目のハードルは筆者にとっても難関となった「アウトエッジの壁」です。アイススケートの基本はエッジコントロールです。スケートの刃には2つの角があり、足の内側となる「インエッジ」と、外側の「アウトエッジ」があります。普通にスケート場でレンタルするようなスケート靴は、アウトとインの間が平らになっているのですが、競技用のスケート靴は「エッジ」を研いで、アウトとインの両側を立たせます。この鋭いエッジがあるからこそ、急激なターンでも氷を削りながらくるりと回ることができるのです。そのエッジコントロールを内側、外側、両方でコントロールしながらスケートをするのですが、これが実に難しい!

人間は誰も本能的に足の内側、体の芯に向かって体重をかけますから、どうしても自然にスケートがインエッジになります。それを体の外側に体重を移動して逆側に向かってターンする訳ですから、転倒しないかという恐怖が伴います。1年近くアウトエッジの壁を克服できないまま悩んでいたある日、コーチから立ったままアウトエッジで氷をえぐることを練習するように教わりました。いとも簡単なヒントではありましたが、「これがアウトエッジの感覚だ!」ということを体験すると、この壁を乗り越えることができます。

自信を持つことが成功の秘訣

アイスホッケーの最大の難関、第7番目の壁は「自信」です。この1年間、複数のアメリカ人コーチと話をする機会に恵まれました。そして、プレーヤーが成長する為に一番大事なことは何ですかと聞くと、一応に同じ返事が返ってくるのです。それは、自分は絶対に「できる!」という自信をもってプレーするということです。アメリカのコーチは確かに煩い程、選手を怒鳴りちらすことがありますが、励ますことも決して忘れず、一旦試合になると、「You can do it!」、絶対にできる、「GO for IT!」、それ行け!とゲキを飛ばしてプレーヤーを勇気づけます。大勢に励まされながら、プレーヤーはそれまで練習してきた成果を、試合でも自信を持ってプレーすることが大事なのです。

ところが日本では自分のプレーに「自信」を持てないプレーヤーが多いようです。ジュニアプレーヤーを例にとれば、コーチからは叱られ続け、親からは「なぜ、そんなことができないの!」と、怒鳴られてばかり。だから試合になると緊張して自分のプレーに自信を持つことができず、本来の力を発揮することができないのでしょう。筆者にとっても「自信喪失」は大変悩ましい壁となっています。自分一人で練習している時は、かなり高度な技術が伴うプレーをこなすことができても、いざ、チーム加わって一緒にプレーをし始めると、体が固まって、「ビビって」しまうのです。ごく当たり前のことが出来なくなるということは、正に自信喪失の問題と言えます。つまるところ、ゲーム展開が極めて速いアイスホッケーで成功する秘訣は、素早い判断力と勇気、そしてその時点における最高のプレーを「自信」を持ってやり遂げることに尽きます。

その為に必要不可欠な自信は、どうやって培うことができるのでしょうか。子供を例にとれば、良くできた時には、「おー、すごいね、こんなにできるんだ!」と褒めちぎると、成長が早いと最近では良く語られるようになりました。理屈ではわかるものの、いざ、親の立場になると、どうしても子供を叱ることに徹してしまいがちです。そして「何故できない!」、「何できちんとやらない?」、と否定的な発言に終始してしまうのです。その結果、ジュニアプレーヤーは自信を持つことができずに、「また失敗してしまうかな?」、「また転ぶかな?」と考えるだけで不安心理が高まり、本番になると緊張してしまうのです。そのような不安を払拭する為にも、ジュニアプレーヤーにとって、励ましの言葉は重要です。同様に、大人のプレーヤーにとっても自信を持つことは大切であり、ひたすら前向きに取り組みながら、確信に満ちたプレーができるようになるまで、練習を続けるしかありません。つまり、アイスホッケーの最大の敵は、自分自身に他ならないのです。

ホッケー文化が異なる米国諸事情

ラブストーリー(ある愛の詩)という映画が1970年、世界中で大ヒットし、日本でも多くの方がその映画を見て、涙を流しました。ハーバード大学でアイスホッケーをプレーする富豪の息子と、ハーバード大学関連の女子大に通う庶民的なガールフレンドとの恋愛物語です。その映画を見てから40年以上経った今、やっとその映画の背景に描写されていたアイスホッケーの意味がわかってきました。実はアメリカでは、一流大学へ入学する諸条件の一つとして、アイスホッケー歴が重要視され、進学の為のツールとして用いられていたのです。

アイスホッケーは元来カナダの国技であり、アメリカではニューイングランドと呼ばれる米国東北部の地域を中心に、およそ北側の寒い地域で活発にプレーされています。実はこのスポーツこそ、米国社会において、人種的には白人同士が楽しむことのできる最後の聖域となる冬の人気スポーツなのです。確かにプロのアイスホッケーの試合を見ても、有色人種の姿を殆ど見かけることはなく、稀にアジア系のプレーヤーが登場するにすぎません。ましてや黒人のプレーヤーは皆無であり、未だに筆者は一度も見かけたことがありません。意図的にそういう仕組みになっているかどうかは別として、白人の上流社会の中で育まれ、エリートコースを歩みながら、アイスホッケーにも優れた才能を発揮することが、トップレベルの大学に行き、社会的に成功する早道となっていたのです。

アイスホッケーが上達する為には前述した通り、とにかくアイスタイムを増やすことが不可欠です。また優秀なコーチにつき、しかも強いチームのメンバーとなって、一緒に練習する必要があります。その為アメリカでは、子供が幼い頃から親は一生懸命になって地元のスケート場に子供を車で送り迎えして、プロのコーチからプライベートレッスンを受けさせます。レッスン代は1時間70ドルが今日の相場。そして地元チームに入部させて練習の回数を増やします。チームの数も多く、選択肢が豊富であることから、家からの距離やコーチの質、子供のキャラクターに合ったチームを選び、とにかく子供達がアイスホッケーを好きになるように仕向けます。そして分厚いジュニアの選手層の中で、全員がAAA, A, B, Cと4段階のプレーヤーにランク付けされるため、何とか一つでも上位のランクに認定されるよう、頑張って練習に励むのです。

そして小学校を卒業する時点で経済的な余裕があるならば、子供達をハリーポッターが通っていたような全寮制の学校に送りこみます。このような学校はボーディング・スクールと呼ばれ、アメリカでは特にニューイングランドの地域に複数存在します。これらの寮制度を提供する学校の殆どは、生徒の大半が寮に入りますが、地元から通う生徒もいるという、ハイブリッドの形をとっています。そしてミドル・スクールと呼ばれる中学校の場合、日本の小学校5~6年生のレベル、つまり11歳前後から入学して、寮生となることができるのも特筆すべきことです。

これらの私立校には著名な政治家や財閥の子供たちが入学することが多く、ケネディー家やブッシュ大統領自身は勿論、最近ではオバマ大統領のお嬢様もコネチカット州の某有名女子校に在籍しているようです。由緒ある格式の高い学校に対しては、卒業生からの寄付金も半端ではなく、その経済力を用いて夢のような設備を整えたキャンパスを誇示する学校が少なくありません。そしてキャンパス内にスケート場を独自に保有する学校も多く、ニューイングランド地域のボーディング・スクールでは、特に高校のレベルではスケート場はなくてはならない存在です。つまり学校内にスケート場がないと、有能な学生を集めることができないと考えられているのです。また、スケートを保有しない中学校でも、必ず近くの私立高校、もしくは私営、公営のスケート場と提携して、学生たちが定期的に練習できるようにしています。こうしてアメリカでは、スケート場を保有するボーディング・スクールを中心に学校同士のリーグが組まれ、若手の成長を育んでいます。幼いころからプロコーチに鍛えられ、地元ジュニアリーグで頻繁に試合を重ねてきた彼らは、中学校からボーディング・スクールに入学し、常にチームの仲間と一緒にスケート場のそばで生活しながら、レベルの高いリーグでプレーを続けることにより、優れたプレーヤーに成長し続けるのです。

更に、親子が一緒になってアイスホッケーにのめり込む理由は、単にスポーツとして好まれているだけでなく、優秀なプレーヤーとしてチームキャプテンを務めたりすることにより、ハーバードやプリンストン大学等のアイビーリーグと呼ばれる米国の超エリート大学に進学したり、奨学金を得る為の重要な要素となることがわかっているからです。アメリカの大学では日本のような受験というものがなく、SATと呼ばれる全国テストのスコアと学校での成績、そしてスポーツ等での部活における活躍ぶり等を総合的に評価する書類審査をもって、入学の合否が決められます。特にアイビーリーグでは、単に成績が優れているだけでは入学できないことが多いのです。成績が良いことは当たり前として、その上にスポーツでも活躍し、チーム内ではリーダーシップを発揮するような人格が求められています。また、アメリカの学校制度ではスポーツがシーズン制になっている為、秋はフットボール、冬はアイスホッケーかバスケットボール、春は野球やラクロス等の選択肢があり、単にアイスホッケーだけでなく、他のスポーツにも才能を発揮することが求められます。こうしてエリートの学生は、学業は無論、アイスホッケーで優秀な成績を収め、その他のスポーツでも活躍をしてチームのキャプテンとして名を連ねることにより、著名大学により容易く進学することができるようになります。その原動力の一つとして、アイスホッケー歴は重要であり、著名大学へ進むための切り札にもなります。

泥臭い雰囲気の漂うアイスホッケー

 白人上流社会のスポーツの象徴であるアイスホッケーと比較すると、日本の土壌は大違いです。ジュニアプレーヤーの人口は大変少ないだけでなく、進学とも縁がありません。むしろ受験の妨げになるということで、小学校高学年になるとアイスホッケーを断念する子供達が後を絶たない程です。地域的にも北海道では苫小牧、関東では日光、中部では長野、甲府にチームが集中し、そこに首都圏のプレーヤーが加わる程度です。また、大人のリーグも存在しますが、これも学生時代からプレーしている人達を中心に、大人になってからアイスホッケーを始めた人が加わって練習を楽しむ程度です。プロリーグも財政難から廃止される方向にあり、アイスホッケー人口の層は、中々厚くなりません。ましてやアイスホッケーを本職として生活するコーチは数少なく、ホッケーだけではなかなか食べていけないのです。また女子リーグも有り、女性プレーヤーが練習している姿を各地のスケート場で見かけることもありますが、まだマイナーな存在です。

 例えこれだけ土壌が違っても、やはり大切なことは、日本のプレーヤーの殆どはアイスホッケーが好きでプレーし、人種や学歴、出世とは全く関係のないところで、ありのままのスポーツを楽しんでいることです。そこには泥臭さも感じられ、庶民的な集いの側面さえ見受けられます。昔ながらの王子製紙、国土開発、西武等、基幹産業に付随するアクの強いイメージが残る日本のアイスホッケーの歴史ではありますが、むしろそれが微笑ましくも思えてきます。アイスホッケーを楽しむプレーヤーの裾野が底辺に広がることが、きっと新たなる時代の幕開けとなるはずです。

フィギュアスケートから学ぶこと

スケート場の少ない日本ですが、実はフィギュアスケートにおいては、そのプレーヤー層は名実と共に世界一と言っても過言ではありません。同じスケート場を利用するスポーツでありながら、何故、フィギュアスケートは世界一を誇り、アイスホッケーのレベルは相対的に大変低いレベルにあるのでしょうか。

その鍵は、教育熱心な母親の存在にあるのではないかと考えています。スケートが上手になる為には、まず幼児の頃から特訓を受ける為、親が徹底して関与しなければなりません。それには経済的なゆとりと時間が必要ですが、今日の日本社会では、お母さん方がその特権を持っている場合が多く、子供を連日のようにスケート場に連れて行き、真横でじっと子供の成長ぶりを見守るのです。よって、どのスケート場も、ここ最近はジュニアのフィギュアスケーターと、子供達の母親で一杯です。それだけの時間と費用を子供にかけられる環境にあるからこそ、スケート場が少ない分、早朝から夜中まで子供達を送り迎えして、母親がまず一生懸命になるのです。そのひたむきな母親の存在こそ、世界トップレベルのスケーターを育む秘訣です。

さてアイスホッケーはというと、必ずしも母親の存在が重要視されるとは言い切れないようです。アメリカではおよそ女の子は母親が、男の子は父親がスケート場を連れまわしていることが多く、特にアイスホッケーの場合は、父親が一緒にプレーする家庭において、優れたジュニアプレーヤーが多く育っています。アイスホッケーが中々アメリカのレベルに近づくことができないのは、この父親の存在感が決定的に欠けているからではないかと考えています。つまるところ、男子のスポーツで今日活躍している著名なプレーヤーの多くは、野球でも、サッカーでも、ボクシングでも、幼い頃から父親が執拗に関与したからこそ、成功したと言える事例が少なくありません。

アイスホッケーも例外ではありません。確かにアメリカ人と比較すると、肉体的には大きな差がありますが、サッカーでも、なでしこジャパンが世界の頂点に立ったように、アイスホッケーでも敏捷性とチーム力、技術を活かして世界のレベルに到達することは決して不可能ではないはずです。その為にもまず父親が現状を理解して立ち上がり、子供達の為に時間を費やし、子供達に夢を託すことが大切ではないかと思うこの頃です。好きこそ物の上手なれ。親子そろってアイスホッケーが大好きでたまらない、という風潮が漂い、父親が奮起することこそ、日本のプレーヤーがアメリカのレベルに近づく原点であることを痛感しているこの頃です。

米国Avon Old Farm 高校にて次男の誠也と練習する筆者

(文・中島尚彦)

© 日本シティジャーナル編集部