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米国全寮制高校の最新事情
子供たちの心と体を育てる教育環境の在り方を問う

小豆島にて思う若者教育の理想と現実

2016年8月、一度は訪れてみたいと思っていた小豆島を訪ねるチャンスに恵まれました。小豆島と言えば、春の選抜高校野球大会において、21世紀枠出場校として名乗りを上げた小豆島高校(香川)と釜石高校(岩手)との対戦が思い起こされます。瀬戸内海に浮かぶ人口3万人弱の小豆島にある高校には今日も300人近くの生徒が集い、多くの少年が青春時代の情熱を野球に注いで、日々練習に励んでいます。惜しくも試合には負けてしまいましたが、大観衆の声援に囲まれてプレーした若者達は、甲子園という大舞台で思う存分活躍できたことを誇らしく思っていることでしょう。

彼らが生まれ育った小豆島は、瀬戸内でも淡路島に近い離島です。島内では周辺の島々と同様に少子化と過疎化が進み、野球少年が通っている小豆島高校も来年には閉校され、土庄高校と合併される予定です。それでも小豆島という海に囲まれた自然の中に佇む小豆島高校の存在は、教師と生徒の信頼関係が厚いだけに重要であり、家庭との連携もしっかりと築かれていることでも知られています。

小豆島は、著名な小説である「二十四の瞳」の舞台としても有名です。壺井栄が執筆したこの作品は、悲惨な戦争の現実がもたらす様々な苦悩や困難を背景に、1人の先生と12人の子供たちが離島で成長する姿を描いたものでした。子供たちの純朴な心に呼びかけるように、人として生きることの大切さを教えながら、共に苦難を乗り越えていく姿に、多くの人が感動を覚えたことでしょう。

二十四の瞳村の「せんせあそぼ」像
二十四の瞳村の「せんせあそぼ」像
その「二十四の瞳」の映画化を記念して、小豆島には「二十四の瞳映画村」が開設されました。実際に映画のロケが行われた田浦地区の海岸沿いにある、およそ1万平方メートルの敷地に建築されたロケ用の施設を改築し、映画村として一般に公開されたのです。そこには木造の校舎や茶屋、漁師の家などが佇み、ちょっとした自然公園のような趣があります。瀬戸内海を見渡せることから、誰でも都会の雑踏から逃れて、ほっとしたひと時を過ごすことができるのではないでしょうか。そのような「時間が止まる」空間が、今日の小豆島には残されています。

現代社会に生きる多くの子供たちの心が病んでいることは周知の事実です。全国各地で連日のように事件が勃発し、子供が親族を殺害するような事件はもはや珍しいことではなく、友人関係においても殺傷事件が相次いでいます。のどかで素朴な昔の日本社会の様相は失われつつあり、今や孤独と愛に飢えた多くの若者は現実逃避に走っているようにも見えます。そして自らの理想と現実のかい離を苦にするあまり、時には怒りを抑えることもできず、精神的なダメージを背負いながら歩んでいるように思えてなりません。

小豆島から穏やかな海を眺める時、ふと、食べるものにさえ困窮していた昔の方が幸せではなかったか、という思いが脳裏をかすめます。その時代に舞い戻ることは不可能ですが、それでも、時間の止まる空間が与える心の癒しこそ、今日の現代人が最も必要としていることなのかもしれません。「二十四の瞳」に描かれたような、離島という自然環境の中で培われた純朴な思いや友情を大切にする風土の中で、ゆとりある教育プログラムを提供することなど不可能なことなのでしょうか。若者が安心して学校に通い、教師との信頼関係によって結ばれた絆に支えられ、勉学に励むだけでなく、共に心や体も成長できるような学校環境を、都会に住む子供達が体験することはできないものだろうかと考える、今日この頃です。

アメリカ全寮制高校へのいざない

もはや電気さえ無くても良いのではないか?むしろ、物質的には恵まれていなかった昔の方が人間はもっと幸せではなかったのか?そんな思いが脳裏を駆け巡る中、ふと現実に戻ると、筆者の一番下の子供が運よく、アメリカでもトップクラスの全寮制高校に合格したことから、入学手続きをするためにアメリカまで同行することになりました。全寮制の学校はアメリカでは珍しくはなく、特に東海岸の北部、ニューイングランドと呼ばれる地域に多くの中学校や高校が存在します。中には小学校5年生から全寮制のプログラムを提供している学校もあり、また、中高一貫教育をモットーにしている学校も少なくありません。全寮制とは言っても100%の生徒が寮に入る学校は少なく、寮生活をする各地からの学生と、学校の周辺地域から通う地元学生のミックスによって構成されています。

子供たちを全寮制の学校に送る利点はいくつもあります。まず、公立の学校と比較すると、一般的に学業のレベルが高いことが挙げられます。全米でもトップクラスの高校は、そのほとんどが全寮制の学校であるといっても過言ではなく、米国大統領や著名人の多くは、これら全寮制高校の出身が多いことでも知られています。二つ目の利点は、全寮制という学校社会の中に10代の若者を隔離することにより、多くの社会悪や誘惑から子供たちを守ることができるということです。今日のアメリカ社会は未だに麻薬問題が絶えず、中高生の麻薬乱用率は一向に収まる兆しがありません。子供たちを麻薬の誘惑から守るという意味においても全寮制の学校は、有効な手段と言えるでしょう。また、多くのクラスメートと共同生活を営むことにより、協調性と人間関係の大切さを学びながら、友達の大切さを学ぶことができることも、魅力です。俗に言われるオタクとはかけ離れた世界が全寮制の学校には存在します。そこでは誰もがクラスメートと一緒に暮らし、共に勉強し、スポーツを楽しみながら、日々を一緒に過ごすのです。つまり、全寮制の空間ではオタクになる暇も場所もなく、共同生活を楽しむことを大事にしているのです。もう一つ、忘れてはならない利点は、子供達を学校に預けることによって、親が仕事に専念できることです。子供の教育をプロの教師が揃う学校に一任し、子育てから解放されるため、親は自分の時間を持てるようになります。

こうして子供はしっかりした教育を受け、共同生活という環境下で勉学に励みながらも友達と過ごす日々を思う存分満喫し、親も自らの仕事に専念して充実した毎日を過ごすことができるわけです。正に一石二鳥とも言えるような理にかなう生活環境ではないでしょうか。

ところが、何事も良いこと尽くしなどありえません。全寮制の学校にも、大きな落とし穴が潜在しています。まず、学費と寮生活の費用が予想外に高額であることが挙げられます。学費は大学と同一レベルであり、生徒一人当たり年間400万円前後が当たり前のようになっており、それに寮生活の費用を加えると、合わせて600万円ほどになってしまいます。アメリカでは奨学金制度が整っていますが、それでも全体の2~3割程度しか補うことができず、親の負担がかさみます。NMHでは1940年から黒人生徒向けに独自の奨学金制度も導入されていますが、それでも十分ではありません。よって借金をしてでも全寮制の高校に、という強い意志を親が持たない限り、子供達を全寮制の学校へ送ることは難しいのです。

もう一つの欠点は、全寮制高校の休みがとかく長いことです。ごく一般的に夏休みは3か月。11月にはサンクスギビング(感謝祭)の休暇が1~2週間、クリスマスを含むクリスマス休暇はおよそ2週間、そして3月にはイースターの春休みが3週間ほどあります。その他、年間通してロング・ウィークエンドと呼ばれる4~5日の休みが複数回あります。つまり、1年を通しておよそ5か月間は、学校が休みなのです!サマースクールと呼ばれる夏期講習は毎年提供されますが、それも1か月程度の期間です。よって、子供たちを全寮制の学校に預けたつもりが、1年のうち、4~5か月間は学校から放り出されることになります。無論、こうして家に帰るチャンスをふんだんに設けることにより、家族との絆を保ちながら、キャンパスライフからの息抜きの場を与えているのも事実です。

それでも、これら全寮制の学校には多くの生徒が集まり続けています。それだけ、学校教育の内容そのものが魅力的であり、メリットは十分にあると、親子共々考える人たちが多いのでしょう。そこで今回、筆者の子供が入学したNorthfield Mount Hermon(NMH)という著名校を例に、全寮制の学校について学んでみることにしました。

NMHの学校教育が著名になった所以

マサチューセッツ州西方のコネチカット川沿いにあるNMHは、宣教師として活躍されたドワイト・ムーディ氏により、1879年、神学を習得するための女子高、Northfield 神学校として設立されました。その直後の1881年、Northfield Mount Hermonという男子高も併設されています。創始者の思いは、貧しいが故に学校に行けないような若者が勉強にいそしみ、キリスト教の宣教に携わることができる知識と教養を身につけるための教育機関を創設することでした。その後、NMHは宣教師を輩出する学校として、徐々に知名度を上げていくことになります。

NMHは137年あまりの歴史を誇ります。今日では45か国前後の国々から集まる650名ほどの生徒が在籍し、そのうち約8割の生徒がキャンパス内の宿舎に住んでいます。留学生の割合は、全校生徒のおよそ25%です。NMHはこれまで27,000人の卒業生を世に送り出してきました。それら卒業生の中には有名人も多く、歌手のナタリーコール、テレビキャスターのデビッド・ハートマン、CitiCorp会長のウィリアム・ローズ、そして多くのプロスポーツの選手などが名を連ねています。

設立当初からNMHでは、生徒が仕事に携わることが義務付けられ、多くの生徒はボランティア的な活動もしてきました。例えば女子生徒は毎週10時間、学校のキャンパス内にて様々な仕事に携わることが義務付けられ、男子生徒も同様に、トイレ掃除からキッチンヘルパー、洗濯、農業も手伝うことが求められたのです。さすがに今日では、そこまでのワークプログラムを強要することはできなくなり、勉学により重きを置く必要もあることから、キャンパス内での奉仕は週4時間にまで減少されています。それでも、農業の手伝いは重要視され続け、来訪者のキャンパスツアーや食堂の片づけをはじめ、学校の事務にも生徒は携わっています。つまり寮生活を通して、キャンパスというコミュニティーの中で、様々なことを一緒に学ぶことも、教育目標の一環として捉えられているのです。

1971年、NMHは女子校と男子校が統合されて共学校となり、その後も学校は名声を維持しています。2016年では教師の数だけでも107名になり、その結果、教師に対する生徒の割合は1対6と大変低い数値に抑えられています。教師の教鞭経験年数は、平均が19年と長く、また、大学院卒の教師の割合は全体の65%にも及びます。高校ではありながらも、優秀な教師が集まっている様子が窺えます。

多岐にわたる教育プログラムを積極的に導入し、それらを統括するために多くの教師を雇用していることから、NMHの運営予算は今日、年間で48億円にまで膨れ上がっています。650人の生徒数を前提に計算すると、一人当たり、年間およそ738万円の費用が掛かっていることになります。その莫大な運営費用を支えるのが、高額な学費と寄付金です。前述したとおり、学費のみで年間400万円、寮費として更に約200万円を生徒から徴収していますが、それらで補えない分のコストを寄付金によって賄っています。寄付金は年間10億円前後にまで及ぶこともあり、NMHの基金規模は135億円を超えています。その基金から例年8.5億円という巨額の奨学金が提供され、全校生徒の3分の1が、その制度の恵みにあずかりながら学校教育を受けています。基金の総額を高く維持することは学校の活力化と成長性に直結し、ランク付けにも大きな影響を与えることから、極めて重要視されています。

羨ましいほど優秀なNMHの施設

アメリカの全寮制の高校が競っているのは、学校のランキングや、ハーバード大学、イェール大学などのアイビーリーグ校に受かった生徒数、そして基金の総額だけではありません。どの学校も、自らの敷地内に保有する施設の多様化と近代化においても競っています。その結果、全寮制の高校の中でも今日トップ20にランキングされている著名校のほとんどが、日本の大学でも持ち得ないような最新の施設を有しています。NMHもその例に漏れず、とても素晴らしい施設を誇っています。

雄大な丘陵に広がるNMHのキャンパス風景
雄大な丘陵に広がるNMHのキャンパス風景
まず、高校の敷地が1565エーカー(約634万平方メートル)、192万坪、つまり6.34平方キロメートルもあることに注目です。その大自然に恵まれた敷地の1平方キロメートルほどを有効活用して、学校のキャンパスが造成されています。そこには教室や図書館、体育館や宿舎をはじめとする35棟もの建物が並んでいるのです。また、特筆すべきは屋内外にある運動施設の数々です。まず、7面もあるサッカー場と2つの野球場に驚きを隠せません。そしてテニスコート12面、ラクロース場4面、フィールドホッケー場2面、バレーボール・コート2面、バスケットボール用のコートも3面あります。また、レスリング用の練習場や、本格的なウェイトトレーニングの施設だけでなく、綺麗に整備された陸上競技用のトラックや、6レーンのプール、そしてアイススケートリンクまで保有しているのです。これらの施設をフルに活用して、NMHの学生は60のスポーツチームで活躍しています。

また、一般的な高校に普及しているスポーツに限らず、自然の環境を活かした特殊なスポーツも盛んです。中でも、マウンテンバイク、カヌー、ヨット、トライアスロンなど、若者が興味を持てそうなスポーツの普及にも努めていることは、学生にとって大きなプラスです。そして余暇を活用しては、生徒達が、ハイキング、トレッキング、ボートによる川下りやスキー旅行などにも積極的に参加できるように、様々なプログラムを取り入れているのです。

ダンススタジオと劇団用のステージを備えたビル
ダンススタジオと劇団用のステージを備えたビル
スポーツに限らず、アーティストの育成にも熱心であり、劇団に関わるプログラムも多彩です。校内には舞台芸術に関わる12のグループが存在します。それらのグループをサポートするために、劇団アート専用の建物の中に、各種ステージ施設やトレーニング場、ダンスレッスン場などが設けられています。こうして練習を積み重ねた学生は、年間を通じて50回ものパフォーマンスやショーを繰り広げています。

これだけのバラエティーに富んだ生徒活動を支える優れた施設がキャンパス内に構築されてきたからこそ、学生達は思う存分、やりたいことを成し遂げることができます。こうして学問だけでなく、スポーツや芸術が巧みに取り入れられたカリキュラムを提供してきたNMHは、今日まで多くの芸能人やプロ選手を輩出してきました。

徹頭徹尾の受験校としてのプライド

NMHはChoate校 (チョート)やPhillips Academy校(フィリップスアカデミー)など、米国大統領を輩出してきた著名高等学校8校から成るEight School Associationのひとつとして、その名を連ねています。俗に言う難関校のトップリーグに属しているだけに、学校側が公表するミッションも、シンプルかつ大胆です。

「私たちのミッションは普通ではない!人間性と目的意識をもって行動する力をみんなが持つことだ。」

この考えは高校生活だけでなく、大学、そして社会人になってからも通用するものとして謳われています。そのため、「学ぶことの喜びを教える」ことに注力し、カリキュラムは高校でありながら、大学と同等レベルの努力が求められるCollege Model Academic Programが採用されています。簡単に言えば、学校の授業が終わってから、日々のスポーツ活動に参加し、それから夕食をとって寝るまでの間、各自が日々の宿題に3時間かけて勉強することが求められているのです。よって、毎日、長時間勉強することに慣れていない生徒は、入学直後から脱落してしまい、途中でやむを得ず退学する生徒も出るほど、その内容は厳しいものとなっています。

生徒は全員、194にわたる教科からガイドラインに従って、自らが勉強したい科目を選択し、学期ごとに3教科、1年2学期を通して年間6教科を取ります。各授業の平均人数は11名と大変少なく、この少人数制を実現することにより、先生と生徒のコミュニケーションをより密に取ることができるようになっています。また、1日の授業が終わった後は、全員、スポーツ関連の部活に参加し、生徒の希望によってはアート、課外活動などの参加も許され、これらの部活を通して、スキルと自信、そしてコミュニケーション・スキルの重要性などを学んでいくことになります。

こうして3年間の高校生生活を、クラスメートと共同生活を送りながら、みっちりと勉強にも打ち込んでいく訳ですから、卒業時には大学に進学し、勉学に励む基礎がしっかりとできるようになっていても不思議ではありません。それだけの要求や精神的プレッシャーに耐え得る生徒を選りすぐるために、面接や試験を行ってきていることから、実際に脱落して中途退学する生徒の数は、それほど多くないようです。いずれにしても、素晴らしい施設に恵まれ、多くの経験豊かな教師のサポートを日々、身近に受けることができるだけでなく、大勢の友達にも囲まれながら高校生活を送れる訳ですから、羨ましい限りです。筆者も人生をもう一度やり直すことが可能ならば、NMHのような学校でスポーツを満喫しながら、勉学に励んでみたいものです。

現代の若者に相応しい教育の在り方

前述のように、海を眺めながら、時間をふと忘れてしまうような小豆島での体験は、自然の恵みに満ちた、心休まる素晴らしいものでした。島国での素朴な生活に、一時感動を覚えたと思いきや、その1週間後には、物質文明の象徴とも言えるアメリカへと旅立ち、マサチューセッツ州にある著名受験校にて、究極の学校施設の在り方を見せつけられることになりました。それもまた感動的であり、子供達が好きなことを自由に何でも学ぶことができるキャンパスの素晴らしさは、言葉で言い尽くせません。

そんな時、ふと、近代的な設備など皆無に等しい小豆島高校で、野球に打ち込む青年たちの姿が思い起こされました。例え運動施設はさほど整えられていなくても、自然の恵みに支えられるだけで、若者は大地を駆け回り、野球に打ち込むことができます。ひたすら甲子園に出場することを夢見て頑張る若者の姿は、時には美しく、感動を与えてくれます。同様の環境下にある高校は、全国各地に多くあることでしょう。そして地方の高校からも多くの優れた野球選手がドラフト会議で指名を受けてプロ野球選手になり、時には大リーグ級のスター選手が誕生することもあります。

自由に利用できる本格的なフィットネスセンター
自由に利用できる本格的なフィットネスセンター
確かにアメリカの学校施設は素晴らしく、スポーツに打ち込む若者も多く、海の向こうからも多くのプロ野球選手が輩出されています。素晴らしい環境に恵まれていることは、大いに結構なことです。しかしながら日米野球を見ても分かるとおり、今日では投手、バッター、野手共々、日米がほぼ同じレベルで競い合っているところを見ると、例え練習環境はアメリカのように恵まれていなくても、若者が真剣に取り組むならば、世界に通用するスポーツ選手に育つことが可能であることがわかります。

フィギュアスケートをとってみても然りです。アメリカの著名高校はNMHのようにアイススケートリンクの施設を校内に保有しています。学校の周辺にもスケートリンクは各地に建てられており、コーチ陣の層も厚いことから、いつでも練習する環境が整っています。その恵まれた環境とは異なり、日本ではスケートリンクの数が大変少なく、羽生選手ら多くのスケーターが声を大にして、スケートリンクの増設をお願いしているところです。それでも日本のスケート熱は収まるところを知らず、フィギュアスケートの層は今では世界で一番厚いだけでなく、実際に多くの世界トップレベルのスケーターが日本から輩出されるまでになりました。

スケートリンクに恵まれた環境にあるアメリカよりも、練習する場所と時間が限定されている日本の方が、何故かしら実力が上になったのです。その理由は、まさにリンクが足りないことに起因するハングリー精神から生まれるスケートに対する強い情熱と、ひたむきな練習に尽きるのではないでしょうか。日本では、スケートが練習できるリンクタイムが限られていることからいったん、リンクに足をのせると、その時間を十二分に活用して必死になって練習し、オフリンクでも様々なトレーニングをします。また、練習するためにはどんな遠いところでも時間をかけて出向き、朝の4時でも夜中の11時でも、親に付き添われながら時間に関係なく練習している子供達の姿を見ることも稀ではありません。それ故、スポーツにかける情熱という点においては、むしろ施設に恵まれていない日本の若者の方に分があるようにも思えるのです。

多くの近代的な施設に恵まれ、猛烈な勉強というハードルを乗り越え、さらに自分の好きなスポーツを選りすぐってスキルを極めながらエリートへの道を歩むアメリカの全寮制高校における学生生活は、一見、格好良く聞こえます。しかしながら、物質に恵まれるばかり、すべてが当たり前に捉えられ、感謝の気持ちを忘れがちになっているようにも思えます。ましてや心が病んでいる昨今の社会情勢を振り返ると、エリートを目指してひたすら勉学とスポーツに励むことが、高校生活の在り方として本当に相応しいかどうかも疑問です。最高の施設は何でもあって当たり前という環境下で、やりたいことを自由に思う存分学べることは素晴らしいことですが、例え施設は劣っていたとしても、人との心のつながりを大事にしながら今、できることに一生懸命チャレンジしていくことの大切さを学ぶことの方が、子供達の教育にとってより重要なのかもしれないと、ふと考えるこの頃です。若者たちの心が、美しい日本の自然によって癒され、一人ひとりが本当に大切なものに目をとめて、心豊かな10代の学生生活を満喫することを願ってやみません。

(文・中島尚彦)

© 日本シティジャーナル編集部