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コロナ禍になって良かったこと!
前向きに物事を考えれば、悪いことばかりじゃない!

2021年1月7日、新型コロナの感染拡大がなかなか止まらない最中、首都圏を中心に緊急事態宣言が再度、発出されることになりました。しかしながら、昨年4月の時期とは異なり、社会全般の風潮としては緊迫感も薄れ始めており、法的な強制力がない単なる行政からの「お願い」だけで、経済的な限界まで我慢を強いられている事業者がどれだけ、時間短縮に応じるか、わからない状況となっています。

是非はともかくとして、新型コロナウィルスは政府によって指定感染症と定められてしまったことから、新型コロナにかかった人は本来、問答無用で専門の病棟に隔離されて入院、あるいはそれに準ずる対応をとらなければなりません。ところが意外にも新型コロナの脅威感は当初の想定よりもひどくない、ということで、その縛りがだんだんと緩やかになり、自宅療養も含め個人の意思に任せて対応していただく、という流れに大きく舵が切り替わってきています。

気が緩んできた理由はいろいろ

無症状の感染者があまりに多く、拍子抜けになってしまったような行政対応の側面も散見されるなか、それでも行政は感染を抑え込むために対策を講じなければなりません。そして首都圏では緊急事態宣言が発出されることになったわけですが、トンネルの先が見えない、お先真っ暗なまま、どうやって営業の時間短縮をし、自粛し続けることができるのか、疑問の声が各地から行政に寄せられています。これまで我慢して自粛し、時には巣ごもりにも耐えてきたのに、再度、それらを強要されると生活していくことができない、というような悲痛な叫びは、メディアでも随時報道されています。

そもそも国民も新型コロナウィルスについて段々知識を得られるようになり、様々な疑問が投げかけられるようになりました。まず、新型コロナウィルスは、当初考えられていたほど致死率の高い、怖い病気ではないのでは、ということがあります。ただ、新しいウィルスであり、変異している事実も確認されたことから、慎重に対応しなければならないという姿勢を保つ必要性に変わりありません。次にワクチン接種については、所詮、日本は根っからのワクチン後進国ということで、安全性など短期間で確認することは不可能なはず、という見解も根強く、実際にワクチンを打つことは躊躇する、または、考えていない、という国民が大半なのではないかと推察されます。

また、メディアが実態を正確に伝えることなく、あまりにネガティブな情報ばかりを先行させるが故、国民が恐怖感を抱くように煽動しているのではないか、という疑惑も出てきます。その一例が医療体制の逼迫です。第3波による感染者数の急拡大により、医療が逼迫していることが連日、メディアで報道されています。それにしてもおかしくないでしょうか。アメリカでは2021年1月時点で、入院患者数はおよそ12万5千人となり、この人数のレベルにおいて、一部地域では集中治療室が満床となり、逼迫していると報じられています。ところが、アメリカ人口の3分の1少々の日本では、新型コロナの入院患者数は2021年1月5日時点で3025人、そのうち重症患者数は111人しかいないのです。世界的にみても、最も優れた医療機関を保有する日本が、アメリカの40分の1に満たない入院患者数を抱えるだけで、果たして医療逼迫と言えるのでしょうか。よって、多くの特に外国人記者らは、日本での医療逼迫などありえないでしょうと、疑問を呈しています。

日本政府が医療逼迫を強調する背景には、様々な政治的理由が見え隠れしています。国民の健康管理という大義名分を建前として、巨額の資金がワクチン開発と接種のために動き、そのためにも改めて恐怖感を煽り続ける必要があるようにも見えます。その真相はさておいて、たった100人少々の重症患者のみで医療逼迫を現実的な危機として知らしめなければならない理由が、指定感染症の指定です。2020年1月28日の政令で新型コロナは指定感染症となり、その患者を受け入れることのできる病院が、感染症専門の入院設備を保有する「第一種・第二種感染症指定医療機関」のみに限られてしまいました。これらの指定医療機関が有する感染症のための病床数は、日本全体の3%にも満たないのです。平成31年には第一種の指定医療機関は55、病床数はたった105床しかありません。第二種はもう少し増えて351の医療機関が対象となりましたが、それでも病床数は1758床しかありません。それ故、最も人口の多い東京でも、12の感染症指定医療機関しかなく、病床数は118床という最小限の数字しか確保されていないのが現状です。全国レベルでみると、国民が入院できる病床数は一般と感染症の病床を合わせておよそ90万床もあります。これは素晴らしい数字であり、日本の医療体制が優れていることを意味します。ところが、新型コロナに関しては、そのうちの3%に満たない病床数しか利用できないのです。そして行政からの手厚い支援策もないことから、特に民間病院においては、コロナ関連の重篤患者を受け入れてもよいと前向きに検討している事例は2割にも満たないと言われ、指定医療機関のみの病床数の少なさから、逼迫の声が挙がっているわけです。

もしかすると、新型コロナに関する日本の医療逼迫という報道は、これら法令によって縛られたが故、人為的に作り出されたものであるといっても過言ではないかもしれません。その結果、指定機関以外の病院は患者数が激減し、病院に空きが出過ぎているという報告もあとを絶たず、指定機関意外の多くの病院経営を圧迫する一因となっています。しかも一般庶民による感染予防対策の充実により、誰もが風邪をひかなくなり、インフルエンザにもかかりにくくなったことから、例年、これらの患者だけで、ある意味で経営が潤う内科や小児科医らは、(大きな声では言えませんが)収入が激減しているのです。コロナ禍を機に今いちど、バランスとれた医療体制とはいかなるものかを見直し、その感染度、危険度を踏まえたうえで、感染症指定医療機関の指定基準を再検討する必要があります。

WITHコロナ時代のメリット

こんな言い方をすると医療従事者からは白い目で見られ、世間からたたかれそうですね。しかしながら、私たちは現実をしかと見極めて、物事の良し悪しを判断しなければなりません。実は、新型コロナウィルスの蔓延社会を体験することにより、いろいろなメリットがあることもわかってきたのです。

最も大事な点は、とにもかくにも日本国民の死者数が急減したことが挙げられます。厚生労働省の統計をみると、日本国内で死亡した人の数は、2019年1月から10月までの期間は114万7219人であったの対し、2020年は113万2904人と、1万4千人以上も減少したのです。1.2%にも及ぶ減少率が想定外であり、世間に誤解されるとでも考えられたのでしょうか、厚生労働省は例年12月に発表する年間推計数の発表を見送り、その理由を「例年とは動向が異なる」ためと公表しました。コロナ禍において、死者数が大幅に減っていることが大きくメディアで取り上げられると、新型コロナ対策が後手に回ることを恐れた結果ではないでしょうか。

それはそうとして、新型コロナ対策による衛生管理の強化は、様々な感染症をも抑制するという意味において、社会全体に目を見張る良い結果を与えました。特筆すべきは、例年5万人以上の死者をだしている肺炎とインフルエンザを中心とした、呼吸器系の疾患を原因とする病気による死者数です。1月から7月までの累計だけをとってみても、2019年は6万人を超えていた死者数が、1万1千人以上も急減したのです!特にインフルエンザによる死者数の激減は顕著であり、死者数が7割も減りました。最終的2020年、呼吸器系の疾患による死者数は1万7千人前後まで減少すると想定されます。

国民みんながマスクをすることにより、予防対策がしっかりと行われたことが功を奏し、呼吸器系の疾患が著しく緩和され、死者数を大幅に減らすことができたのです。いつもマスクを着用していれば、インフルエンザにかかる確率も極めて低くなり、その他、様々な感染症による病気を防ぐことができます。病気にかからないために本気で取り組もうと思うならば、コロナ禍の教訓から、まず、日頃マスクを着用することがいかに重要であるかを、誰もが身をもって体験することができました。

コロナ禍による恩恵は、マスク着用による予防効果だけではありません。もう一つのプラス効果が、「ステイホーム」、すなわち自粛要請に応じた自宅待機です。普段は表を出歩いている人達が巣ごもりをして家にいることは、外部社会との接触がなくなることをも意味します。すると、交通事故に代表される不慮の事故も防ぐことができます。当然のことながら、交通機関を使って移動をせず、街中を歩くこともない訳ですから、事故に遭遇する確率はほぼ皆無となります。また、外出することが少なくなることは、外気の温度差に体が触れる機会を減らすことをも意味し、それが心筋梗塞などの心疾患や、脳梗塞、くも膜下出血などの脳溢血による死者数を減らすことにもつながると考えられます。実際、循環系の疾患と脳血管疾患による死者数は、2020年にはおよそ8千人も減少しています。あとは、地震、雷、火事、(おやじ‐古い格言)のみを心配し、自らの体をケアして自己の免疫疾患や持病などの個人的な病気に気をつかうだけで、例年よりも1万人以上の生命を救う結果になるのです。

それにしても不可解なことは、例年3000人を超えるインフルエンザによる死者数が激減し、7割以上も減り、それだけ全国の病床数が空けられることになるにもかかわらず、医療の逼迫、という言葉のみが先行していることです。インフルエンザだけをとっても、2000人以上の命がセーブされ、その他、感染症や循環器系の疾患による病死の数も減少していることから、医療機関全体をみると、むしろ空きが生じていることは明白です。2020年10月までの新型コロナによる死者数は1670人であり、年間を通しては、およそ3500人の方が亡くなると推測されています。それでも、コロナ対策により減少した国民全体の死者数は1万数千名を下ることはなく、より多くの生命が助かったという結果になりました。

さらにはWithコロナ時代の到来により、遅れていた日本の社会に、一気にデジタル化の波が押し寄せる結果にもなりました。サイバーキャッシュの時代と叫ばれつつも、周辺諸国ではキャッシュレス化が急速に進む最中、日本国内ではどうしてもこれまでの現金重視のやり方から脱皮することができませんでした。特に地方にいくと、どうしても現金に重きをおいた決済方法しかなかったのですが、お札やコインを触ること自体、菌がうつる可能性も指摘され、不潔ではないか、というような話もメディアで流布されたおかげもあり、一気にキャッシュレス化が地方でも進んでいく結果となりました。

また、リモートで回線を通じて話をすることができる会話ツールの普及も急速に広まる結果ともなりました。その代表格がZoomと呼ばれるコミュニケーション・ツールです。距離が離れていても、互いの表情を画面で確認しながら同時に話し合うことができることから、その便利さを大勢の人が短期間で体験することとなり、一気に普及したのです。今や、学校の授業もZoom を介して行われることは珍しくなく、居場所を気にすることなく、どこからでも学生が授業を受けることができるようになりました。こうしてコロナ禍のおかげで、日本においてもデジタル化の恩恵を受けることができるようになりました。

それでも心配なコロナ禍の今後

コロナ禍の対策から生じるメリットは多々あるものの、やはり懸念事項は残されたままです。まず、感染症を避けるため、いつまでマスクを着用し続け、自らを社会から隔離して孤立させるのか、という問題が立ちはだかります。人との距離をおくことにより、確実に感染症から自分を守ることはできます。しかしながら、そのような孤立思考は社会との断絶を意味し、果たして人間が幸せに生きる道と言えるかどうか、疑問が残ります。願わくは、周囲の人々と親しく交流を保ちながら、感染症からも身を守りたいものです。

そのためにワクチンを打つということも選択肢として残されています。しかし新型コロナのワクチン接種における安全性はまだ確立されておらず、ワクチンを嫌う日本社会において、新型コロナのワクチンが普及するには、まだまだ時間がかかりそうです。また、アメリカのように急速に感染が広まっている地域では、ワクチンの接種ではなく、自然感染により集団免疫を確保するほうがよいのではないか、という議論さえ巻き起こっているのです。無症状の感染者が多い場合、その方が人為的に作られたワクチンを接種するより安全、という専門家の意見もあり、諸外国のコロナ対策の動向からも目が離せません。

さらには、コロナ禍によるステイホームの日常化により、孤独に悩む人達が増えてきていることも、重大な課題のひとつです。その結果、精神状態が不安定になり、なかには自殺や孤独死も増えてきている傾向がみられます。新型コロナに感染しないために人を避けて孤立した結果、精神面において傷をおい、しいては死をもいとわないようになるとするならば、果たして真のコロナ対策と言えるのか、疑問が残ります。

新しい時代の幕開けとも言える2021年、何としてでもコロナ禍に勝利し、病魔に負けることなく、人生の日々を楽しく、かつ有意義に過ごしていきたいものです。そのためにも、人との関わり合いは不可欠であり、人間社会における交流の重要性も、大切にしていかなければなりません。そして単にデジタル化したリモートでのお付き合いだけでなく、実際に対面し、時には肌を寄せ合い、人生のひと時を、お互いが楽しく過ごすことも大事です。そのためにも、コロナ禍がもたらした意外な利点をフルに活用し、新たなる感染対策を講じたうえで、人間社会がより豊かになるよう、みんなで協力していきたいものです。

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(文・中島尚彦)

© 日本シティジャーナル編集部