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第21回 自分の健康は自分で守る

江戸時代、幕府・大名などから関係諸方面および庶民に公布した法令・規則を伝達する文書を御触書(おふれがき)とか御達(おたっ)しといいました。その御触書に次のようなものがあります。「春秋灸をすゑ、患ひせぬように心がくべし。なるほど作業に精を入れたく存じ候(そうら)へども、患ひ所よりも年の作を外れ、身上つぶれ申すべく候間、その心得第一なり。女房子供も同然の事」。1597(慶長二)年に公儀が発しています。約四百年以前、オランダ医学が移入される百年ほど前のことです。

明治新政府が成立し、世情が安定するに従って、政治・経済が整ってきました。明治政府は西洋の文明・文化の移入に務めるようになります。いわゆる文明開化。近代化や欧化主義の風が吹き荒ぶ時代。それまでの医療の主流は漢方でしたが、漢方医学は陳腐で科学的裏付けに乏しいという理由で、医学界から法的に葬られてしまいました。代わりに自然科学に根差す西洋医学が日本の医学と定められました。こうした背景のもと、漢方は次第に陰が薄くなって行きましたが、民衆の中には、科学的証明はいざしらず、効くものは効く、という実証主義を支持する風潮も依然存在しました。

横山大観画伯は、橋本雅邦・岡倉天心に師事し、東京美術学校を卒えた後、薮田春草らと共に日本美術院の創立に身を置いた人物ですが、彼は人後に落ちず、愛飲家としても知られています。愛飲家には痔疾を患う者が少なくありません。

あるとき灸の名手沢田健師を伴って京都に赴いたことがありました。痔の治療には灸が神効を示します。散策から宿に戻った大観“先程の灸はあまり効かぬ”と言うと、沢田師、灸の後をしばし見つめて、“ああ、一寸ツボの位置がづれている。すえ直しましょう”と。その後、画伯は一睡すると、書几に向って手紙を確めつゝ“君の灸は実に良く効くヮ”と賞賛したという。

疾病(しっぺい)によっては、漢方薬や鍼よりも灸の方が著効があるものがしばしば見られます。このとき沢田師の使った灸のツボは、孔最(コウサイ)、百会(ヒャクエ)、承山(ショウザン)だったようです。百会穴(ヒャクエツボ)は頭の直上から少々後方の凹の中。孔最は図を参照して下さい。もぐさの大きさは米粒大。真接灸で冬では七ツ、夏なら三~五ツ。水疱疹(ひぶくれ)ができても、それを潰さない事が肝要です。日本人には痔を患う人が多いです。しかし、近年食事や洗面所の改善などで減る傾向にあることは喜ばしいことです。

(一本堂横山鍼灸療院長 横山瑞生)

横山 瑞生(よこやま ずいしょう)

横山 瑞生(よこやま ずいしょう)
  • 1939年、茨城県常陸大宮市生まれ。

大塚敦節氏に漢方を、小川晴通氏に鍼灸を師事し、東京医療専門学校卒業後半年で母校の講師となる。中国医学研究会設立に参画、日中医療普及協会会長、東京都日中友好協会常任理事等、日中の友好関係へ尽力。

現在、一本堂横山鍼灸療院院長、東京医科大学にてホリスティック医学を講義中。「カラー版鍼灸解剖図」「アレルギーはツボで治る」など著書多数。

  • 診療所:東京都新宿区本塩町10 四谷エースビル101
  • お問合せ:03-3359-6693

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