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第29回 自分の健康は自分で守る

戦争ほど無意味なものはありません。国民大衆の財産や生命を奪うばかりか、文化を破壊し、精神活動も無視されてしまうのです。

1937年7月7日に始まる日中戦争は1945年に終結するも、国交断絶は1972年9月29日、時の日本国、田中角栄首相の日中共同声明まで続きました。平和が戻ると全体主義が解かれ、自由が保障されると、個人の多様な要望も伸びやかに発展します。この声明を契機にして、日中の交流は堰(せき)を切ったように盛んになったのです。

日中共同声明調印の数年前から、中国伝統医学(「中国医学」「祖国医学」と中国内では呼称することもある)を学んでいた私は、逸早(いちはや)く中華医学会の招聘(しょうへい)を受けました。1973年11月のことでした。実務協定がまだ締結されていなかったこともあって、中国へは香港経由で入境しなければなりませんでした。香港から汽車でを経て広東省の都・広州へ向かったのです。以下北京、武漢、南京、上海、杭州の医療機関、教育機関(大学、中医学院、小学校)各種の工場、人民公社を参観、と学術の交流を重ねました。その体験を今回は記し、かつては漢方医学と我国で呼称された医学が、いかように中国で発展しているかをお知らせしたいと思います。私は鍼灸医学を通して治療に当たっていますので、特にこの方面から報告します。

1949年10月1日に新中国が誕生して以来、中国伝統医学(中医学)と西洋医学(西医)を同等に扱い、更に中西医学の結合を目指して、第三の医学を創造することを国是としました。こうした方針に対して成果が挙って来たのです。

その一つが「鍼麻酔」という新事象です。一般に麻酔とは、薬剤または寒冷刺激を作用させて一時的に知覚を鈍麻・消失させることで、外科的手術の際に用いられます。必要に応じて全身と局部麻酔とがあります。今日では疾病や症状に伴う疼痛を和らげる目的でも用いられています。

鍼麻酔は文字通り、鍼を穴位(ツボ)に刺針して、身体の局部の主に痛覚を麻痺させるか鈍麻させ、外科手術する目的に用いられる方法です。

これまで鍼治療というと、疾病や症状の治療または予防を主として用いられて来ましたが、鍼治療は病症の和痛(鎮痛)や防痛に、殊の外、著効をみることは広く世間に知られています。この経験からもっと強烈な鎮痛効果を挙げることが出来ないだろうか。和痛・防痛・麻酔へと三段論法を用いて、試行錯誤を繰り返し、ついに鍼麻酔の成功が導かれたのです。

(次号へ続く)

(一本堂横山鍼灸療院長 横山瑞生)

横山 瑞生(よこやま ずいしょう)

横山 瑞生(よこやま ずいしょう)
  • 1939年、茨城県常陸大宮市生まれ。

大塚敦節氏に漢方を、小川晴通氏に鍼灸を師事し、東京医療専門学校卒業後半年で母校の講師となる。中国医学研究会設立に参画、日中医療普及協会会長、東京都日中友好協会常任理事等、日中の友好関係へ尽力。

現在、一本堂横山鍼灸療院院長、東京医科大学にてホリスティック医学を講義中。「カラー版鍼灸解剖図」「アレルギーはツボで治る」など著書多数。

  • 診療所:東京都新宿区本塩町10 四谷エースビル101
  • お問合せ:03-3359-6693

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