日本シティジャーナルロゴ

第56回 自分の健康は自分で守る

中国の伝統医学を今日中国では、中国医学とか祖国医学と呼んでいます。我が国では江戸時代の末期に西洋医学が、オランダから当時としては新しい医学として迎えられました。この折、日本に存在していた医学(医療)は二種に分類することができます。ひとつは日本の伝統医療、すなわち民間療法です。もうひとつは、オランダから当時としては新しい医学として迎えられました。この折、日本に存在していた医学(医療)は、二種中国の伝統医学です。

この中国伝統医学は、漢の時代に成立しました。歴史を辿れば、今から約六千年前頃に産声をあげたと伝えられています。先に述べましたように、オランダ医学と区別するために、漢の時代に完成をみたことから漢の医方「漢方」と命名されました。

太平洋戦争が終結して3年後には日本東洋医学会が創設されました。現代医学を別称、西洋医学と呼ぶのに対する命名です。戦争時は西洋医学(医療)が中心に活躍します。しかし平和時になると東洋医学が多く、活用されます。このあたりの事情については稿を改めて解説を加えたいと思います。

さて東洋医学という言葉が、今やひとり歩きをしているように思われます。この医学には、草根木皮を用いる薬剤、漢方薬、はり(鍼)、もぐさに火を点じ皮膚の上から温熱刺激を施す、きゅう(灸)、手をかざして氣の順(めぐ)りをよくする、氣功(きこう)、それに手を用いて治療に当たる、按摩療法。これらの総称が東洋医学療法というわけです。しかし、東洋には他にインド・チベット・イスラムの世界に発達した医学療法があります。ですから漢方を東洋医学と呼ぶのは狭義である、中国伝統医学ということになります。

東洋医学には、診断から治療に至るまで、経験の集積を、中国で発展した哲学である、陰陽論・五行説を用いて理論構築し、今日まで何と二千年余の歴史と伝統があります。ですから、陰陽論・五行説を学ぶためにはまずは原典を温(たず)ねなければなりません。いうまでもなく、中国の古典ですから、漢字で著されています。

私は17歳の頃、漢方の世界を志しました。幸い昭和期の有名な漢方医、大塚敬節先生に師事することができました。先生の下で漢字の成り立ちから勉強を始めました。漢字の世界も、また奥が深いものがあります。若いうちに覚えたことは、好く身についているものです。講演や原稿を書くときも、テーマに沿って、漢字を登場させて頂いています。私たちは、毎日文字を目にしていますから、この方法は事象を説明するための立派な道具になります。

漢方(東洋医学)について、次号からしばらく記したいと思います。

(一本堂横山鍼灸療院長 横山瑞生)

横山 瑞生(よこやま ずいしょう)

横山 瑞生(よこやま ずいしょう)
  • 1939年、茨城県常陸大宮市生まれ。

大塚敦節氏に漢方を、小川晴通氏に鍼灸を師事し、東京医療専門学校卒業後半年で母校の講師となる。中国医学研究会設立に参画、日中医療普及協会会長、東京都日中友好協会常任理事等、日中の友好関係へ尽力。

現在、一本堂横山鍼灸療院院長、東京医科大学にてホリスティック医学を講義中。「カラー版鍼灸解剖図」「アレルギーはツボで治る」など著書多数。

  • 診療所:東京都新宿区本塩町10 四谷エースビル101
  • お問合せ:03-3359-6693

© 日本シティジャーナル編集部