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第62回 自分の健康は自分で守る
お互いが庇い合って健康を保つ

そもそも、この連載の題名は「未病を治す」。つまり“自分(達たち)の健康は、自分(達)で守る”ことが目標です。薬草の用い方やツボの位置と効能を知り、それを必要に応じて、実際に用いるということです。私達の祖先は、“自然界に生かされている”という当たり前のことを当たり前に謙虚に受け止めて生活してきました。自然の恵みは有難いものです。山も川も、木も岩石もカミとして崇(あが)められています。筑波山の岩、那智の瀧、北アルプスの有明山にも、カミが坐(まし)ますと考えられ信仰の対象となっています。

はてさて、ここに松尾芭蕉の『奥の細道』と吉田兼好法師の『徒然草』のある件りを記します。芭蕉は、弟子の曽良を伴って奥州へと旅立ちました。この俳諧紀行文の序で“三里に灸すゆるより、松島の月まづ心にかゝりて”とあり、吉田兼好の徒然草に第百四十七段には“灸治(キュウジ)、あまた所に成りぬれば、神事(かみわざ)に穢(けが)れありといふ事、近く、人の言ひ出だせるなり。格式等(かくしきとう)にも見えずとぞ”とあります。さらに次の段には“四十(よそじ)以後の人、身に灸を加へて、三里をやかざれば、上気の事あり。必ず灸すべし”と記しています。松尾芭蕉は今から約三百年前、吉田兼好は約七百年前に活躍された先達です。

この頃は、医を専門とした人達は極めて少なかったのです。多くは親から子へ、あるいは体験豊かな年輩の知恵者が薬草や灸を使って治療を行っていたのです。今日では、国家資格を持つ鍼(はり)灸師がおります。鍼灸(シンキュウ)と音読みします。鍼の扱いは危険を伴いますから、当然専門学校などを卒業し、国家試験に合格しなければ治療行為を行えません。しかし、芭蕉や兼好が記しているように、昔は日常的に家族や、隣人・知人がお互いに灸を据え合っていたのです。

明治以前は医療関連の施設が整っていませんでしたから、将(まさ)にお互いが庇(かば)い合い、自分たちの健康を保っていたのです。

以前にも紹介したことがありますが、二千年以上も前に著された中国医学の古典として有名な『素問』の第一篇に“決まった時間に就寝・起床すること。過労にならないこと。食べ過ぎ、飲み過ぎない。性交の度を過ぎないこと”と記されています。

古今東西、今も昔も人の欲というものは変わらないのです。人間は、一方で理性を有しています。欲求と理性のせめぎ合い。自らも、対人とも、これが難しいところですね。だからこそ、自分の健康は自分で守らなくてはいけないのです。

(一本堂横山鍼灸療院長 横山瑞生)

横山 瑞生(よこやま ずいしょう)

横山 瑞生(よこやま ずいしょう)
  • 1939年、茨城県常陸大宮市生まれ。

大塚敦節氏に漢方を、小川晴通氏に鍼灸を師事し、東京医療専門学校卒業後半年で母校の講師となる。中国医学研究会設立に参画、日中医療普及協会会長、東京都日中友好協会常任理事等、日中の友好関係へ尽力。

現在、一本堂横山鍼灸療院院長、東京医科大学にてホリスティック医学を講義中。「カラー版鍼灸解剖図」「アレルギーはツボで治る」など著書多数。

  • 診療所:東京都新宿区本塩町10 四谷エースビル101
  • お問合せ:03-3359-6693

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