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第2回

遠くで祭ばやしが聞こえる。風船のはじける音、お神楽(かぐら)の鈴がひびく。もう、子供心に夢中で夜店の屋台をまわる時にはまるで別世界。五穀豊饒に感謝し豊かな収穫物を氏宮に捧げ、その後氏子らが共によろこび合う飲食の姿は誠に平和な幸せにあふれた秋祭りであった。

お祭りには何といっても「お寿し」が主役を務めるが、お餅や成り果物の柿なども豊作で、白い土蔵の壁に映えて鈴成りの風情はお祭りの頃の田舎ならでは…、親しみが湧いて来る。

秋祭りには幼い子供は子供の仕事があって、初めは大人達に混じって参加出来るのが嬉しいが、夜も更けて来ると「コックリ、コックリ」居眠りをはじめる。声がしてハッと我に返った時、大人達に笑われているのに気づき、がまんして眠らないでいよう…、と思い乍らも、一生懸命「鯖寿し」の紐を結ぶ。それを後で大人達がキッチリ結び直すのだが、(仮押さえの意味で)それでも充分大人の役に立っていたと今にしても思う。

鯖寿しは、京都特有のもので、海の遠かった地のりを考え若狭の浜で獲れたてを塩鯖にして丁度京の町につく頃、浜塩の鯖はなれて落着いて来る。

昔からそうして「浜塩」を入手出来るのをまず喜び、そして三枚におろして酢締にする。

春祭りに頂きもののあった所が書き留めてあり、何とたくさんのお返しをすることになるのか?「ここは誰の頃から?」「何代前から?」始まったのか、理由も分からないが、ともかくお返しはせねばならない…。とろ箱に藁が敷いてある塩鯖は何箱程あったかなど考え乍ら、家中鯖の匂いでいっぱい…。

昔は疎遠にならないよう、家と家のおつき合いはこうして代々保たれて来たものであった。さて鯖は酢締後、寿し飯を炊き手早くうちわであおぐ、これも子供の仕事だった。

竹の皮を一枚一枚きれいに拭き、棒状に形づけられた上に薄皮を引いた鯖が乗る。それらが流れ作業の様に小さい私の前に来る。家中全員が少しの余裕もなくそれぞれの役目に徹する。わくわくしながら息の合ったまるで家内工場のようなお祭りの前夜を「宵宮(よいみや)」といった。家紋と御神燈の提灯にあかりが入り、暮れゆく夕方は、小さな胸にも淡い郷愁を誘った。

さてさて!「京のお番菜」のことを一名しまつの料理とも申しますが、それは材料を最後迄捨てず利用し、あと始末をしながら「立派な一品」とするからで、三枚におろした骨やあら身は炭火で焼いてお酒を熱した中にじゅんといわせてから熱湯を入れ、大根のせん切りを入れる。調味料は一切何もいらない。塩のきいたそれはそれはとってもおいしい船場汁が出来る。

明日はお祭り!くたくたに疲れた体に「宵宮」の夕食は、鯖の骨やあら身のこのお汁でも、大盤振舞の明日のごちそうを思い頭の中はもういっぱいだった。

(文・今井幸代)

今井 幸代

代々旧御室御所仁和寺領の庄屋を務めた家に生まれる。
現NHK文化センター講師(京都教室・青山教室) 琴・華道は師範、ほかに茶道・仕舞・日舞・ピアノ他、京の芸事全般を習得。趣味は料理・漆器特に日本建築。
テレビ(地元KBS)・ラジオに出演中、著書多数。世界の食をリードする雑誌S A V E U R(サブール)の選ぶ「世界の100人」に日本人唯一人選出されている。

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