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第3回 ~柚子の頃~

思い思いに染まりゆく 木々のうたかたは 世の習いであってもわびし。

秋…大自然の贈物に恵まれて人の心は、何故かひととき落ちつくように思われますのは、豊かな収穫物に満たされるからでありましょうか。いえ、農耕民族の本能がそうさせるからでありましょうか…。

花よ蝶よ緑よ…とはなやいだ木々は、はや燃えるような美しい色彩を最期にして、ひと葉ひと葉散り落ちて行くさざめに余儀ないのも人の世に似て…。

そんなむなしい秋にこれは又、何という黄金のような柚子でありましょうか。

鈴成りの風情は、かんと冴えた碧空に映えて見事なコントラストを描く。

美しいこの柚子が黄ばむと大根が出番を待っているといわれますが「細く切って一夜漬けに」「いえお昆布も柚子も入れて、あちゃら漬け風に…」気の早い年寄りはチョッキンチョッキン昆布を切り始める。

こうしてめぐり来る季節と食が話題に上るのも例年のごとし「ピシッ」と締まった真っ直ぐな大根、みづみづしい緑の葉をギリッとねじり取って先づ第一番に大根おろしに…真白い雪のような大根おろしにお醤油で「の」の字を書いてみる。

あの胸おどる瞬間。それは私の小さい頃から今も同様で、そして田舎育ちであることの幸せをしみじみ感じるのも。

その昔「建長4年(1252年)12月親鸞上人は吹雪の中、師の法然上人の遺跡を嵯峨月輪寺に訪れる途次、ここに止留、しばし雪をさけられた時、信徒らが大根を煮ておもてなしした故事に因でいる」と郷土史にもあり、以来約760年後の現在も、毎年末この鳴滝の地の了徳寺に於いて厄除祈願として大根焚き供養は善男善女でにぎわっている。

山際に接した地質からか、この鳴滝大根は昨今スーパーで見るぶよぶよのような肥満さはないが、形全体上品にまとまり、特に漬物にも好しとされて来た。

愛宕おろしが吹きすさぶ朝、素足にわらじばきの妙心寺修行僧の托鉢がある。清楚に刈り上げられた頭、耳たぶが寒さで赤くはれている様で、今も私の心にやきついていて子供心に「行」の厳しさを感じたものだった。

お寒さも頂上に達する粉雪の舞う中「法、ホォ、法、ホォ」と遠い風に乗って近づいて来る。全身の限り唱え乍ら修行僧の声は高く低くやがて吹雪の中に消えてゆく。

毎年の事乍ら、妙心寺の托鉢があるから…とせっせと大根を洗う祖母、みるみる山のように積まれて行く白い大根、やがて、それを僧にゆだねると、静かな満ち足りた笑顔いっぱいに私にむけていた嬉しそうな祖母のその手は真っ赤だった。川の水はさぞ冷たかったであろうに…。大根を前にして、そんな祖母と、今祖母の身である私自身を静かに重ねてみる。やさしさときびしさを備えていた祖母の口ぐせは「切り目、正しからずんば、食うべからず…」いがんだもの口にしましたら、いがみます。

お料理でも何でもキッチリしないと…後はきかなくても私には分ります。

それが今日、私のくらしの、料理の基本ともなって…。

ところで大根は繊維に沿って正確に切りますのが普通ですが、時々輪切りにして舌ざわりの変化もまた一趣。

薄く切って塩押しをし、水気を絞って(ブルドックソースの)玉ねぎソースを散らします。緑の葉も同様、そして柚子を添えますと色彩、お味共々美しい一品が出来上がります。

やがてふうふうと大根の熱あつのおでんの旬も間近。

(文・今井幸代)

今井 幸代

代々旧御室御所仁和寺領の庄屋を務めた家に生まれる。
現NHK文化センター講師(京都教室・青山教室) 琴・華道は師範、ほかに茶道・仕舞・日舞・ピアノ他、京の芸事全般を習得。趣味は料理・漆器特に日本建築。
テレビ(地元KBS)・ラジオに出演中、著書多数。世界の食をリードする雑誌S A V E U R(サブール)の選ぶ「世界の100人」に日本人唯一人選出されている。

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