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第5回 ~筍の春~

このたび、ご災難の方々さまに心からお見舞い申し上げます。

木々をゆるがした北風も去り、村里のはづれを流れる小川の水が小さな音を立て始めると、京の西北、ここ嵯峨にも春が来る。

陽当りの良い土手のくぼみにも草花が咲きはじめやがて、タンポポ、れんげ、すみれなど顔を合せると、あたり一面、菜の花のじゅうたんのような美しさにおおわれ、そして、一瞬の静なる日があったかと思うとパッと目を見開くような美しい桜の花の絵巻がくりひろげられる「桜の花の香りに誘れて『筍』が目を醒します 嵯峨の今井でございます」…こんなご挨拶を致しながら私は筍の春を歓びに包まれつつ毎年テレビ、ラヂオの番組をにぎわせて参りました。

この嵯峨では昔から「この花が咲くと何々が顔を出すとよく言われますが、春は「筍と桜」秋は「金木犀と松茸」というような組み合わせが自然と生まれていて、誰でも知っていましたものです。

我家にも竹薮があり白い柔らかい筍が出来るのですが、この筍は全部土の中に埋っていて、掘り起こしてから秒を争うと言われ、大急ぎで帰りすぐ大きなお釜で米糠、鷹の爪唐辛子を入れ、とっぷりゆがきます。

そして、ゆがいている間、決してふたをあけてはなりません。すっかり醒めてからざあざあと水に流し乍ら糠もあくも洗い落すのです。京のおばんざいに出合いもの…というのがございますが「筍」は何といっても木の芽、若布が一番「相性」が合うといわれます。白みそ、お酒、甘酢を上手に溶いて、こまかくきざんだ木の芽をふんだんに入れますと香り高い木の芽あえが出来上ります。

木の芽が手に入り難い町かたでは、ほうれん草をすり鉢ですった中に少量の木の芽を入れてまに合わせているのを見ますが、私の作りますのはほんとの木の芽だけで、十分ふんだんに和えるのです。すると春の色と香りが部屋中にひろがって思わず「わあっ」と歓声が上がります。

若布と筍のお吸いものも、おだしをおいしくていねいに立て、お椀にそそぎ、上から手のひらでポンとたたいて香りを出した木の芽を盛りおすすめ致します。

山椒のことを木の芽といいますが、ひなびた山の香りがして静かな里村の幸せがひろがってまいりますようです。

こうして筍の春を謳歌しながら行く春を楽しみます頃、雅やかな都の伝統行事が次々とくりひろげられる中で祇園の「都をどり」「京おどり」など、町中がにぎわい、私もつられて毎年春の着物を作ってしまいます。しかし、今年は国難とも思われます出来事で、とても気も心もすぐれませんが…。

あっと言うまに旬はすんで行きますもので、桜の花びらの一つ一つが潤っている時、不思議と筍も柔らかく美味ですが、花の表面が造花のようにカサカサになって来ますと桜も筍も峠を越した事を意味します。

筍が竹となり、そして竹はお箸や竹かごとなり、つる野菜の支えとなって嵯峨の暮らしを守るのです。そして竹は皮を落し、皮は鯖寿司や羊羹を包む風流な包装となり、時にはお茶席のお庭草履にもなるのです。

竹には殺菌作用があると言われますが、お寿司や羊羹ばかりでなく、御飯が腐らないよう竹篭に入れスルスルと井戸に吊し夏は冷蔵庫にも、何と多用途な貴重さでありましょうか。

「竹に上下の節有」節有ったればこそ強いのです。人の世の礼節を表す言葉をたづさえ竹は私に人生の指針をも教えてくれます。さやさやと小笹のゆれる音は嵯峨の音、小さな竹篭に民芸品への郷愁を覚えはじめた私でもありました。

(文・今井幸代)

今井 幸代

代々旧御室御所仁和寺領の庄屋を務めた家に生まれる。
現NHK文化センター講師(京都教室・青山教室) 琴・華道は師範、ほかに茶道・仕舞・日舞・ピアノ他、京の芸事全般を習得。趣味は料理・漆器特に日本建築。
テレビ(地元KBS)・ラジオに出演中、著書多数。世界の食をリードする雑誌S A V E U R(サブール)の選ぶ「世界の100人」に日本人唯一人選出されている。

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