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夏の終わり

ヨット

7月下旬、梅雨が明け、学校も夏休みを迎え、海の家もアルバイト店員が勢ぞろいして、浜辺は夏真っ盛りとなります。都会で仕事をしているときは知らず知らずのうちに日陰を探して歩いてしまいますが、海岸で海パン姿に変身すると太陽の光は気にならず、日光を全身に受け、足の裏に感じる焼けた砂の熱さが心地よい気分です。

学生時代のヨット部の夏合宿は、そんな7月後半の2~3週間と、8月後半お盆明けから9月の初旬までの2回に分かれて内房の富浦の海岸で行なわれていました。前半の合宿開始の時点では、まだ海水浴客を迎えるための準備もこれからで、海の家も建築中、遊泳区域を仕切るブイもまだ張られていない状態です。

この時期はヨットをどんなに場所を占有して置いても何の問題もありません。(当然地元の了解、漁協への挨拶はしています)ところが7月20日を過ぎると浜は海水浴客であふれかえり、ヨットは邪魔ものとなります。練習のために朝8時に海に出ると日中は浜へ戻ることはできず、海水浴客が帰路に向う夕方5時頃にようやく浜にスペースができます。尤も、ヨットが壊れて修理に戻る以外は一日中練習で海の上にいるのが当たり前のため、浜が混んでいようとなかろうと関係無いといえばそれまでの事ではあります。運悪く修理で浜に戻れば、岸近くで下級生が腰まで海につかりながら船を押さえているか、錨を打って浜が空くのを待つしかありません。練習を終え、浜に戻ると帰りがけの海水浴客から好奇の眼差しで見つめられるのもチョットした優越感を感じて良い気分になったものです。砂浜に置いたヨットにはしっかりとカバーをかけ、最盛期は、花火遊びで燃やされてしまわないようにと夜の海岸でヨットの見張りも必要です。昼間の練習の疲れをものともせず、ヨットの見張りといいながら浜辺で宴会を始める者あり、花火で楽しんでいる浴衣姿の女性の集団に吸い寄せられてしまう者ありと、体力にものを言わせ消灯時間までの短い時間を楽しんでいました。

そんな状態も8月のお盆過ぎからはめっきりと変化し、海水浴客の数もだんだん減ってきます。浜を独り占めできるようになってうれしい反面、つらい練習から浜へ戻ってきても誰も見てくれていないと疲れは倍増します。9月に入ると海の家も取り壊され海岸には何も無くなり、広々とした元の状態に戻ります。海も透明度を増して一足先に秋の雰囲気が漂います。こんなときに思わず昔ヒットしたトワエ・モアの「誰もいない海」を口ずさみながら一人波打ち際を歩いてしまいます。日没の時間も早くなり、片づけをぐずぐずしていると合宿所に戻る頃にはとっぷりと日が暮れ、灯りのついた合宿所からの夕食の匂いが胃袋を刺激します。夏休みの宿題も本気でやらなければどうしようもなくなってくるこの時期、都会ではまだまだ暑く本格的な秋はもう少し先ですが、海では一足早く夏が終わります。空気の透明度が増し、遠く富士山の姿が見える日も多くなります。水も澄み、船の下には海草の間を泳ぐ小魚の群れが見えます。少し物寂しく感じますが、季節の移り変わりを実感できる良い時期です。四季の変化を肌で感じた一瞬は深く記憶に残り、25年経った今でもその情景は昨日のように思い出すことができます。昨日のことを忘れ昔のことを覚えているというのは、単に年寄りの域に一歩近づいているだけだとも言えますが・・・。

(文:高坂昌信)

© 日本シティジャーナル編集部