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-私のカメレオン- 最終回

私のカメレオン

私のカメレオン、ファーティマの話も今回が最後です。私は仕事や旅行でジュネーブを空けることが多かったのですが、ファーティマは一度満腹に食べれば、一週間くらいなら餌がなくても平気な様子でした。しかし急に1ヶ月ほど日本に一時帰国することになったときには、さすがに餌をどうしようかと考えました。観察していると、ファーティマも一度に10匹以上のコオロギを食べることはないとわかりました。満腹になると、たとえコオロギが頭の上に乗ってもじっとそのままでいるのです。だから、問題はどうやってコオロギを1ヶ月生きさせるかでした。結局のところ、そのためにはコオロギの餌となる野菜を乾燥させることなく、1ヶ月持たせればいいわけです。しかし砂漠に住んでいたファーティマは、あまりに水気の多いところは苦手のようでした。そこで考えたのは、ファーティマを入れていたケースを2階建てにして1階には十分湿らせた土を入れ、その上にキャベツなどの野菜を山ほど入れてから、コオロギを100匹くらい入れました。コオロギは喜んでキャベツの下にもぐりこんでいきました。その上で、1階と2階をつなぐ部分に穴を開け、枝を何本も渡しました。こうしておけば、ファーティマは、いつもは2階で過ごし、おなかがすいたら1階まで降りていって、キャベツの隙間から出てくるコオロギを狙えばよいのです。この仕組みはとてもよく機能して、1ヵ月後に戻ってきたときには、まだ何匹ものコオロギが生き残っていたほどでした。こうして、私とファーティマの生活はずっと順調に続いていくかに思えました。

しかし、別れは突然きました。ある朝、いつものようにファーティマを飼っているケースを覗くと、いつもいるはずの枝の上にファーティマの姿はなく、ケースの底に横たわっていました。あわてて取り出しましたが、彼女はすでに冷たくなっていました。思えば、ペットを飼うということは人間の自己満足に過ぎないのかもしれません。ファーティマの直接の死因は不明です。餌や飼育環境はそれほどひどいものではなかったと思います。でも、あちこち連れ出したり、手のひらに載せたりしてストレスがたまったのかもしれません。あるいは何らかの病気にかかったのかもしれないし、何年も生きた末に寿命が尽きたのかもしれません。でも、私が面白がってジュネーブまで連れてきたりしなかったら、案外、モロッコのどこかでもっと長生きをしたのかもしれません。生物界は生命連鎖の過程において、結局他の生物を食べることによってどの生命も命をつないでいます。カメレオンだってコオロギを食べることによって生きているわけです。生物界の頂点に立つ人間もまた他の生物を食べ生きながらえています。牛だってラクダだってそういう目的で飼育されているし、それは当たり前のことなのかもしれません。しかしペットというものは食べるために飼う動物ではありません。人間がその動物を自然から切り離し、身近に置いて、感情移入したり、場合によっては感情を互いに通わせたりするために飼うのです。ファーティマのおかげで私の人生も豊かになりました。カメレオンというこの地球上で我々と共生している生物について理解が深まりました。

でも、果たして動物にとって人間のペットになることが幸せなのか、人間と動物の関係にとってよいことなのか、私は冷たくなったファーティマを前にして思いをめぐらせました。ファーティマはジュネーブで土に還りましたが、わたしの結論はいまだに出ていません。

(文:井上 健)

井上 健(いのうえ けん)

井上 健(いのうえ けん)

1957年東京生まれ。早稲田大学政経学部在学中に400日間世界一周の一人旅をし、国際協力の道に志す。卒業後、イギリスのサセックス大学開発研究所に留学、開発学修士号取得。その後、国際公務員として、ワシントン(世界銀行)、トリニダード・トバゴ(国連開発計画)、タイ(国連カンボジア人道支援室)、カンボジア(国連カンボジア暫定統治機構)、ソマリア(国連ソマリア活動)、スイスとドイツ(国連ボランティア計画)、コソボ(国連コソボ暫定統治機構)、東京(アジア生産性機構)に勤務し、現在は東ティモールの国連統合ミッションでガバナンス部長を務める。専門は、国際開発協力、人道支援、平和維持・構築など国際協力業務一般。好奇心が旺盛で、世界各地を訪ねて、何でも食べ飲み人々と交流することが大好き。これまで住んだ国は12カ国、訪れた国は80ヶ国余り。毎週必ず何かひとつ生まれてはじめての経験をすることを心がけている。

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