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概要

vol_153

2014年(平成26年)7月26日発行第153刊毎月第3土曜日発行購読無料日本シティジャーナルvol. 153Nihon City Journal発行:ネットハウス〒286-0825千葉県成田市新泉14-3TEL 0476-89-2333 FAX 0476-89-2334[平日:10:00? 19:00、土曜:12:00? 17:00]http://www.nihoncity.com成田市、佐倉市、印西市、富里市、香取市、山武市、船橋市千葉市(花見川区、美浜区)、習志野市、八千代市、四街道市酒々井町、栄町、小林、安食、多古町、横芝光町、芝山町、神崎町発行部数:500,000部三種の神器はユダヤルーツか!記紀の記述とヘブライ語の解釈から真実を解明する「三種の神器」のあらまし日本人なら一度は聞いたことがある「三種の神器」。それは、天皇家に受け継がれてきた秘宝である八咫鏡、八尺瓊曲玉、草薙剣を指します。「みくさのかむだから」とも呼ばれるこれらの神器の真相は、皇族をはじめ、実物を見たという人が皆無と言われ、例え存在したとしても誰も名乗り出ないことから、多くの謎に包まれています。「三種の神器」という言葉は日本書紀や古事記などの古文書には用いられず、日本書紀では「三種宝物」と称されています。それらの宝物を所持することは、正統な皇位継承者である証であそのものが不透明であり、神器の詳細や製作の趣旨などについても検証されないまま、今日に至っているのです。天岩戸神話に遡る神器のルーツ「三種の神器」のルーツは天孫降臨の歴史を遡り、天岩戸神話や国生み神話の時代に由来します。岩戸が閉ざされて暗闇が訪れた際、岩屋から出ることを拒む天照大神に困り果てた八百万の神々は、協議した結果、宝物を作って木に掲げ、天照大神を誘い出すことにしたのです。まず、鏡作りの職人集団により大きな鏡が鋳造され、玉造部の遠祖に導かれる別の職人集団は、曲玉を作りました。更に、青和弊り、皇室の大切な御守りとして、(あおにきて)・白和弊(しろにき古代より極めて重要な位置付けを占めました。そして歴史の流れの中で、これら「三種宝物」には神聖な意味が加えられ、いつしか「三種の神器」と呼ばれるようになったのです。伊勢神宮においては「三種の神器」のひとつである「八咫鏡」が、皇位継承を象徴する御神体として、古くから内宮にある正殿の奥に宝蔵されています。そして20年に一度行われる遷宮の際には、神宝が白い布で覆われ、夜間に限り移動されるという、最も重要な儀式が執り行われてきました。また、他のふたつの神器のうち、「草薙剣」は熱田神宮に、そして「八尺瓊曲玉」は宮中三殿の賢所に安置されていると伝承されています。しかしながら、これら「三種の神器」は今日まで何人も見ることが許されないため、その存在も含め、詳細は定かではありません。つまり「三種の神器」とは、実在て)の木綿で作られた供え物も粟国忌部の遠祖である天日鷲が作り、天香山の真坂樹を根元から掘り起こして切った枝に、「八咫鏡」、「八尺瓊曲玉」と共に掛けて、岩屋の前に立てたのです。そして岩戸の前で一同が祝詞をあげ、神事を執り行う最中、アメノウズメが楽しげに踊りました。その騒ぎが気になり、また、美しい祝詞の言葉にも心を留められた天照大神は、岩戸を少し開けて外を窺われたのです。ちょうどその時、岩戸の陰に隠れていた手力雄神は天照大神の手をとり、岩屋から誘い出すことに成功したのです。これら物語の詳細は、日本書紀や古事記に記載されています。天岩戸の舞台となった高天原において数々の宝物が作られた理由は、元来、天照大神を岩屋から誘い出すためでした。「三種の神器」に含まれる「八咫鏡」と「八尺瓊曲玉」は、その為にわざわざ作られ、岩戸の前で執り行われた神事に用いられたのです。それらふたつの神器とは異なり、「草薙剣」はスサノオが八岐大蛇を退治した際に、その尾から取り出した剣です。つまり「三種宝物」のうち、「八平原遺跡出土内行花文鏡(10号鏡)[文化庁所蔵]※1咫鏡」と「八尺瓊曲玉」は高天原にて同時期に鋳NCJ109日本とユダヤの造された神器であるとハーモニーから考えられ、続く「草薙剣」は明らかにルーツが異なる外来の剣だったのです。八岐大蛇とは、大陸からの巨大な船を象徴した言葉であるとも考えられることから、大蛇の尾とは、その船尾を指していた可能性があります。もし、その船の中に由緒ある神剣が隠されていたとするならば、「草薙剣」は大陸に由来する神宝であった可能性が見えてきます。いずれにしても「草薙剣」とは、高天原の神々によって作られた宝物以前に存在し、不思議な力を持つ神宝として大切に取り扱われていた外来の剣であったと想定されます。東アジア史を塗り替えたイスラエル民族大移動の潮流※1画像提供糸島市立伊都国歴史博物館※2画像提供島根県立古代出雲歴史博物館高天原とイスラエルの関係国生み神話と天孫降臨の物語は、アジア大陸から東の島々を探し求めて到来したイスラエルからの渡来者が主人公であるという前提で読み直すと、古代史の流れが少しずつ見えてきます。国家を失ったイスラエルの民が預言者イザヤ一行に導かれ、アジア大陸の沿岸を最終編船で東方に向かって航海しながら東南アジアを迂回し、日本列島の南方から到来したと考えてみましょう。そして大陸を離れて台湾を経由し、更に東方に向かって航海する途中、大陸棚と並行してほぼ一直線に北東方向に連なる島々を見出し、その途中で夏至の日に太陽が天空の頂点を通る、貴重な場所に目を留めたとします。周辺には広大な島が広がり、素晴らしい自然環境にも恵まれていたことから、民が休息する為の一大集落をそこに造成し、重要な分岐点として「高天原」と呼んだとするならば、不思議と神話の世界が現実味を帯びてきます。神が約束された「東の島々」を目指したイスラエルの民は、太陽が天に高く昇る「高天原」を国生みの出発点として定め、そこにまず結集したのではないでしょうか。祖国から大勢の宗教リーダーや長老らが海を渡って訪れ、数々の会合が持たれた暁に、満を持してイザヤ(伊弉諾)の一行は命を受け、高天原を出発して大陸棚の端に並ぶ南西諸島沿いを北上したのです。そして本州という大きな陸の壁に到達する手前に淡路島を見出-1-Part.IIし、そこを日本列島の地理的な中心と定めたのです。その淡路島を起点として、島々を巡り渡りながら、それらの位置付けを特定するというのが、国生み神話の主旨と考えられます。アジア大陸より日本列島へ向かう航海路から察するに、高天原は日本列島の南方に位置していたに違いはなく、アジア大陸と倭国を結ぶ重要な分岐点であったと考えられることから、その比定地として沖縄の存在が浮かび上がってきます。沖縄を含む琉球の宗教文化には、ユダヤルーツに関連する要素が多く見受けられます。また、女性祭司が中心となる歴史の流れも、天照大神による統治を発端とするだけでなく、国生みの働きの為に大勢の働き人が島を離れ、男性が一時期不在になった古代社会を反映するものと考えらます。また、レイラインと呼ばれる古代の重要拠点を結ぶ線上において、沖縄の那覇と、淡路島の中心となる神籬岩、そして神を意味する青森の八戸(ヤヘ)が一直線に並ぶことからも、沖縄の位置付けは重要であったことがわかります。その高天原において天岩戸事件が生じ、天照大神を誘い出す為に作られたのが、「八咫鏡」と「八尺瓊曲玉」などの神宝です。天孫降臨の際には、「三種宝物」が天照大神から瓊瓊杵尊に授けられ、歴史が大きく動き始めます。そして宝物は徐々に神格化されながら、いつしか「三種の神器」として知られるようになり、皇位継承、かつ国土の支配者の印として天皇家に代々伝わり、天皇制を支える一大要因になります。高天原から天下り、日本の島々が見出されて国生みが完結しただけでなく、その後、天孫降臨に結び付いたということは、高天原と日本列島が、あくまで別格の位置付けにあったことを意味します。それ故、高天原で作られた「八咫鏡」と「八尺瓊曲玉」は、天からの賜物の象徴として一線が引かれたことでしょう。また、「三種の神器」と呼ばれる神宝の内、「草薙剣」だけは元来、高天原に由来しない神宝であり、おそらく大陸より巨船によって持ち運ばれてきたものと考えられます。高天原とは、日本へ渡来してきたイスラエル系移民の中継地点という位置付けで歴史を振り返るならば、「三種の神器」のう神原神社古墳出土三角縁神獣鏡※2ち、高天原にて作られた「八咫鏡」と「八尺瓊曲玉」は、イスラエル系の神宝と言えるのではないでしょうか。また、大陸に由来すると考えられる「草薙剣」については、その出自は不透明ながらも、古代の識者が競って崇め求めるだけの不思議な価値がある重大な神宝であり、これもまた、イスラエル系の神宝である可能性があります。果たして「三種の神器」は本当に大陸に由来し、イスラエル系の職人によって製作されたものだったのでしょうか。これまで数々のユダヤルーツが噂されてきた「三種の神器」であるだけに、もう少し掘り下げて検証してみることにしました。伊勢神宮に秘蔵される「八咫鏡」天照大神の魂が宿るとされる「八咫鏡」は、岩戸隠れの際、鏡作りの遠祖、天抜戸の子が作ったものであると言い伝えられています。最初に作られた鏡には傷がついてしまったことから、実際には2つ目に作られた鏡が神宝としての「八咫鏡」となり、1つ目は日前神宮にて収蔵されることになりました。「三種神器」の中でもとりわけ「八咫鏡」が重要視されていたことは、瓊瓊杵尊が降臨する際に、その鏡を御自身と思って祀るようにと、天照大神自らが瓊瓊杵尊に命じたことからも理解することができます。「八咫鏡」は、国生みの起点となる高天原で作られたものです。もし、高天原が南西諸島の南、今日の沖縄周辺にあったとするならば、「八咫鏡」を含む数々の神宝は船に乗せられて、内地、すなわち本州まで運搬されてきたことになります。今日、「八咫鏡」は伊勢神宮にて収蔵されています。その御神体は御桶代(みひしろ)に収められ、更に檜で作られた「御船代」と呼ばれる箱に入れられています。「八咫鏡」を収蔵する箱が「御船代」と呼ばれたのは、神宝が海を渡って運ばれて来ただけでなく、国生みの主人公となった先代の渡次頁に続く