ブックタイトルvol_154
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vol. 154イスラエルの存在が見え隠れしているようです。後述するとおり、伊雑宮を通るレイライン上に位置し、元伊勢としても有名な籠神社の奥宮である真名井神社の紋も、同じくイスラエルを象徴するダビデの星でした。伊雑宮が伊勢神宮の本宮であるという根拠は、それを立証するまでには至らないでしょう。しかしながら、その可能性を払拭することはできず、これからも伊雑宮を伊勢の本宮として心から大事に考える人々は絶えないことでしょう。いずれにしても大切なことは、宗教家の議論はさておき、伊勢の地、全体が神の祝福を受けた古代の聖地であると理解することではないでしょうか。伊勢神宮のレイライン伊勢神宮には天照大神を祀る皇大神宮と、衣食住の守り神である豊受大御神を祀る豊受大神宮のふたつの正宮があり、前者は内宮、後者は外宮と呼ばれています。内宮で祀られている天照大神は、三種神器のひとつである八咫鏡を指しています。天照大神が語られた「宝鏡を視まさむこと、吾を視るがごとくすべし」、そして「与に床を同じくして殿を共にして斎鏡と為すべし」という教えに従い、日向に天孫降臨した瓊瓊杵尊をはじめとし、初代神武天皇の時代より第10代崇神天皇に至るまで天皇はみな、天照大神を宮中に置き、日々、観察することを皇室の務めとしたのです。その後、崇神天皇の時代、天照大神は豊鍬入姫命に託され、宮中から大和の笠縫邑に遷されます。そして各地を移動しながら、1世紀近くの年月をかけて垂仁天皇の時代、倭姫命最新の情報/応募方法はWEBサイトをご覧くださいwww.soundhouse.co.jp/recruitにより天照大海神は、最終的に伊勢の度会の地である宇治の五十鈴川の川上に至られ、そこが今日、伊勢神宮として知られるようになります。今からおよそ2000年前のことでした。その途中、一時的に鎮座された場所は、元伊勢と呼ばれるようになります。五十鈴川の川上のほとりに鎮まったとされる天照大神ですが、古事記には「伊須受の宮」とも記されている内宮が造営されたのは、7世紀、持統天皇の時代です。倭姫命が伊勢の地に来られてからおよそ6世紀の年月が経ち、それまでの間、天照大神は伊勢国のどこかで祀られていたことになります。ではどのようにして、最終的な伊勢の到達地点が見出されたのでしょうか。伊勢を回りまわっているうちに、偶然、その場所に辿り着いたのでしょうか。一般論としては、尾張や三河方面との繋がりに優れている交通の要所であるだけでなく、大和朝廷から東方経略を推し進めるためではないかと言われています。つまり、大和朝廷の東方への発展に向けて、陸海の交通の便にも優れた伊勢の地が、大御神を祀る場所として特定されたというのです。しかし実際の地勢を見ると、伊勢の東方は海であり、陸路の視点からはむしろ孤立しているように見受けられ、優位性を見出せません。また、海路については前述した通り、伊雑宮がある熊野灘に面した伊雑ノ浦が古代の重要港であり、伊勢湾側に流れる五十鈴川の周辺に港を作ったとしても、大きな利点はないようです。また、東方との行き来を考えるならば、尾張の方が陸海の交通に圧倒的な優位性があり、しかも崇神天皇の妃である尾張大海媛は尾張連の祖であることから、なぜ、尾張が選ばれなかったのか、疑問に思えます。ありきたりの考察では、伊勢神宮の地を選ぶ明確な理由は見あたりません。それ故、新しい切り口から、なぜ、伊勢神宮の場所でなければならなかったのかを考える必要があります。どのようにして古代人が、天照大神を鎮座させるに相応しい聖地をピンポイントで見出すことができたのでしょうか。その答えを、レイラインの考察から見出すことができます。古代人が天照大神を祀る聖地を探すにあたり、重要視した立地条件を考えてみましょう。当然のことながら、その場所は津波や地震の危険が少なく、盗難防止にも対処しやすい安全な場所であることが望まれたことでしょう。その前提で考えられた条件のひとつが、建国の父である天照大神の父、伊耶那岐命と結び付く土地柄であるということではないでしょうか。伊耶那岐命は既に日本列島の中心となる淡路島に葬られていたことか業績好調!物流センター・スタッフ募集最先端のシステムと設備を導入した物流センター株式会社主婦をはじめ女性スタッフ多数活躍中週4日、1日4時間~応相談最新鋭システムと設備が整った物流センターで、ピッキング・梱包などの入出荷業務です。伊勢神宮のレイライン海神神社和多都美神社パートも社保完備年二回賞与[パート]時給1,050円同時募集物流センター・正社員スタッフ[正]月給17.6?23.0万円未経験者歓迎、フォークリフトやトラック運転の経験者優遇致します。また、物流センターでの管理業務経験者、業務指導を行う管理職候補、厚遇します。[時間]パート…下記時間内で週4日、1日4時間以上正社員…平日・土曜7:00~17:00[休日]日祝日、隔週土曜、年末年始休暇、有給休暇[待遇]社保完備、年2回賞与、駐車場完備、社宅(独身・家族用、正社員のみ)etc.【お問合せ】担当:サウンドハウス採用係0476-89-1777e-mail : job@soundhouse.co.jp〒286-0825千葉県成田市新泉14-3(野毛平工業団地内)甑島中津宮ヒラバイ山-3-沖津宮宗像大社(辺津宮)高千穂神社日向出雲大社八雲山石上布都御魂神社石鎚山剣山伊弉諾神宮真名井神社籠神社天橋立神籬石日前神宮石上神宮三輪山熊野本宮大社熊野速玉大社神倉山熊野那智大社ら、その場所に紐付けられる土地であることが望まれたのです。次に検討されたのは、列島の地の力と結び付くために、聖なる高山の中でも最も高い富士山との繋がりを持つことです。また、既に見出されている列島内の聖地との繋がりも重要視されたことでしょう。特に、古代の聖地としてレイライン上でも明らかに地の力を結集したと考えられる伊雑宮の聖地は重要視されたのではないでしょうか。その上で、大陸から渡来してきたイスラエルの先祖との繋がりを持つことができる土地であることが望まれたことでしょう。これらすべての要望を叶えることができる場所を、レイラインを用いて見出すことができたのです。まず、伊耶那岐命と地の繋がりを持つためには、伊耶那岐命が永眠された墓が建立された場所と同じ緯度線が想定されます。その東西に渡る緯度線は、西は対馬の海神神社から、東は志摩を越え伊勢湾まで至ります。この緯度線上に聖地を見出すことができれば、伊耶那岐命と繋がりをレイライン上で保つことができるのです。次なる目標は、日本の最高峰、富士山と紐付けることです。そのためには淡路島を通る伊耶那岐命のレイライン上から、富士山頂に夏至の日の出が見える場所を探し求めることになります。すると、五十鈴川の川上にある伊勢神宮の場所が、ぴたりと見つかります。また、列島内の他の聖地同士を結ぶレイラインの存在にも注視する必要があります。中でも、元伊勢の存在は重要です。まず、元伊勢の中でも著名な籠神社に注目してみましょう。籠神社の背景には丹後国の海部宮司家による由緒ある歴史があり、お伊勢様と呼ばれる伊勢神宮と深い繋がりを持っています。籠神社では豊受大神、天照大神、海神が祀られているだけでなく、「丹後国式社證実考」によると伊耶那岐命も、祭神として記載されています。つまり、籠神社は国生みの一環として伊耶那岐命尾張(熱田神宮)斎宮伊勢神宮伊雑宮守屋山諏訪大社29°27′阿久遺跡富士山が創設に深く関わり、海の神とも結び付いていたのです。また、籠神社の奥宮は真名井神社であり、伊勢神宮や伊雑宮と同様に、ダビデの星と呼ばれる六芒星が神紋となっていました。伊耶那岐命の出自がイスラエルとするならば、その子である天照大神も同じであり、天照大神を祀る元伊勢の神紋が六芒星であることは当然の結果でしょう。この籠神社と、宮で奉仕する斎王の御所となった斎宮は、共に元伊勢として知られており、それらを結ぶ線上に、伊勢神宮の場所があるのです。つまり伊勢神宮の地は、籠神社と斎宮を同一線上に並べて、元伊勢のレイラインも構成していたのです。さらに淡路島を通る伊耶那岐命のレイライン上に存在する海神神社と籠神社を結ぶレイラインも重要な意味を持っています。海神神社はその名のとおり海の神を祀り、海上安全を祈願することを重要視した神社です。そして、籠神社を結ぶ線上の東方には諏訪大社があります。諏訪大社も海神神社と同様に海の守り神と深く関わり持ち、水信仰の御利益が謳われています。それゆえ、列島各地の港のそばには古代から、随所にお諏訪様が祀られるようになりました。そして、この諏訪大社から冬至の日の入りが見られる南西方向に向けた線上には、伊耶那岐命の墓がある淡路島が存在しその先端にはエルサレムと同緯度のヒラバイ山があるのです。これらのレイラインで結ばれた聖地は、すべてイスラエルのエルサレムに紐付けられ、その地の力を誇示する象徴の場所となります。レイライン上での繋がりは決して偶然ではなく、古代の英知を結集して計算づくめで構築した結果ではないでしょうか。富士山頂から昇る夏至の日の出を拝する地の利に恵まれ、大自然の地勢と、数々の聖地に結び付けられた伊勢神宮は、こうして※米国Music Tra[時間]正社員…[休日]日祝日[待遇]社保完同時募集中商品発システ経理・総日本屈指の聖なる宮として、いつ国内最大規の日も国民の篤い信望を集める株式会社こととなりました。(文・中島尚彦)