ブックタイトルvol_156
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vol. 156富士山特別地域気象観測所分の場合は、八合目から九合目に生じた吐き気を克服してからは、頭がボーっとしている以外は極めて快調であったため、何ら心配する必要がないように思われました。そして、旧富士山測候所の先にある富士山最高峰剣ヶ峰に向けて一気に登りつめ、日本国内では自分以上に天に近い人がいない場所を目指したのです。そしてドーム跡の真下までくると、そこには「二等三角点「富士山」」と刻まれた石碑がありました。正にこれが、今、自分が標高3775.63mの場所にいる証でした。そしてその先には、待ちに待った「日本最高峰富士山剣ヶ峰三七七六米」の石碑が見えてきました。感動の瞬間が訪れました。名実ともに、日本列島の最高峰、富士山を制覇したのです。二等三角点「富士山」感激のあまり、しばらく我を忘れていました。そしてふと気がつくと、何と、9月下旬の富士山頂が無風状態になっているのです。そして太陽は燦々と照り、ちょっとした夏日の様相です。紫外線も強く、肌が熱く感じられます。それでも真夏の太陽を山頂で浴びているような感覚は変わらず、夢か幻のようでした。しかも暫くの時間、たったひとりで日本の最高峰に居たのです。せっかくここまできたので、もっと高い所に登ろうと思い、観測所の階段のチェーンをかいくぐって登り、3776mを更に超えた標高まで登りつめました。そこから見る下界の景色は絶妙であり、言葉では言い尽くすことができません。日本最高峰を示す剣ヶ峰の石碑富士山頂ではハプニングも付きものオフシーズンの富士山では、剣ヶ峰まで登頂する人はごく僅かです。そして9月23日の一時、自分より誰一人として天に近い人が日本列島には存在しないことに、ふと、優越感を感じていました。そして一旦、階段を降りると、剣ヶ峰まで登ってきた3人の外国人に出会いました。早速、英語で話しかけると、ドイツに住んでいるフランス人のグループでした。そこで、お互いの写真を交替で撮り、自分はあまりに温かかったので、つい上半身裸のまま、写真を撮ってもらいました。富士山の頂上だからこそ、ありのままの姿を大切に記録したかったのです。そこで思わぬ事態に遭遇しました。遠くの山々を写真に収めようとシャッターを押すと、何と、コンビニで購入した39枚撮りのカメラのフィルムが切れてしまったのです。人生の最高の日だというのに、何ということでしょうか。残された答えはただ一つ。彼らにお願いして写真を撮ってもらい、後で送ってもらうしかありません。そこで友達になった外国人の一人に観測所の階段を一緒に上がってもらい、2人でそこから遠くの写真を撮ることにしました。思わぬハプニングではありましたが、別れる際に自分の名刺を渡して、必ず連絡をしてくださることをお願いしました。残念ながら、このグループからは未だに連絡がありません。とりあえず、山頂からの写真を数多く撮れたことに安心し、下山する前に、富士山の火口を一周することにしました。その時点では、おそらく感動のあまり、時間を忘れていたようです。そもそも携帯電話もなく、時計も持っておらず、太陽だけを見ながら、およその感覚を掴んでいただけなので、正確な時刻を知る術がありませんでした。火口を一周するのにどれだけ時間がかかるか、事前に調べてもいませんでした。ただ、目の前に火口全体を見渡すことができたことから、さほど時間がかかるようには思えませんでした。頂上は無風状態が続き、あまりの天気の良さに嬉しくて仕方がなく、何事も苦に思えなかったのです。おそらくその時、時刻は午後2時を回っていたことでしょう。そんな時、頂上を自分と同じく一周回ろうとしている20代の外国人を2人見つけました。早速声をかけてみると、ドイツからの旅行者であり、オフシーズンの富士山に登らずには帰国できないと熱く語るのです。2人共、短パン姿であり、驚くほどの軽装です。正に怖いものなしの境地なのでしょう。そして周囲を見渡すと、頂上周辺にはどこにも人影が見えなくなっていました。9月23日、この3人が、富士山の山頂から下山する最後のグループとなったのです。そこで3人で話し合い、火口を一緒に一周してから下山することにしました。彼らは新宿のユースホステルに宿泊し、もうこの時間では五合目からのバスもないことから、ホテルまで車で送ってあげることにしました。1時間ほど頂上を散策するうちに、すっかり仲良くなり、貴重な写真を何枚も撮ってもらったのです。偶然出会った仲間と頂上を散策ふと、太陽を見ると、その位置からして午後3時を過ぎて4時近くになっていることに気がつきました。考えてみると、午後6時前後には日没となり、暗くなるはずですから、残り2時間少々で下山を終えなければならないのです。そこで、すぐに下山を開始することにしました。富士山で遭難の危機に遭遇!今振り返っても、なぜ、自分が登山道を離れて車道を走り始めたのか、わかりません。3人で一緒に頂上から下山を始めて少し経つと、山道の脇に例の道路が見えてきたのです。これまでの経験からすると、登山道を歩いて下りるよりも、車道を走った方が早いことから、何も考えずに二手に分かれて、自分は車道を走ることにしました。五合目から登山を始めた時に、最初に少しだけ歩いた道の延長線にあるジグザグ道のように思えたからでしょうか。深く考えることもなく、吸い込まれるように、自分だけその道を走り始めていたのです。確かに頂上では終始、意識が朦朧としていたことから、判断力が鈍っていたのかもしれません。いずれにしても、そのジグザグに見える車道とはキャタピラ車が通るだけの道で、人が歩ける道ではないということを、全く知らなかったのです。走り始めてからすぐ気がついたことは、これまで自分が体験したことがない急斜面の火山灰からなる砂と岩の道のため、体のコントロールができないということです。深い火山灰のため足場が悪く、しかも斜面が急すぎるため、一度、スピードがついてしまうと止まることができなくなり、最後は転んで止まるしか術がなかったのです。もうひとつの問題は、転んだ際の痛みです。地面が砂のように柔らかければ良いのですが、砂のように見える火山灰の下には岩が隠れており、転倒する度に足腰を岩にぶつけ、あざができるほどの痛い思いをしたのです。しかしながら、ここから引き返して山を登る訳にもいかず、仕方なく我慢して、早歩きをするつもりで進むことにしました。それでも何度も転ぶほど足場は悪く、苦戦の連続です。ちょうど、アイスホッケーで、氷上を足を横にしてストップする感覚でしか止まることができなかったの-3-で、これはアイスホッケーの練習と言い聞かせるも、止まるたびに何度も転んでしまいました。そしてどのくらい時間がたったでしょうか。日の入りの状況から見て、もう夕方の6時近くになっていたはずです。体力は消耗し始め、転び疲れてきた矢先、やっとのことで山小屋が見えてきました。これはおそらく七合目くらいの小屋かなと思って近づくと、何と、富士山を登ってくる男性がいたのです。早速、挨拶をして話を聞くと、今日はここでひと眠りして、明日、山頂に行くとのこと。そして愕然としたことに、何と、そこはまだ、九合目半の山小屋だというのです。これだけ時間をかけて苦労して下りてきただけに、全くその言葉を信じることができませんでした、そして、そこからは登山道を下ることにしました。日没の時間が過ぎたせいか、辺りは一気に暗くなってきました。日没を迎える富士山登山道八合目付近まで戻ってきた時点では、あたりはすっかり暗くなってしまいました。明るい日中に歩いても足場が悪く、滑りやすい登山道だけに、夜に歩くことは危険極まりありません。また、日中は天候が良かったことから、月の明かりを期待したのですが、月は昇ることなく、かろうじて遠くの街の灯りがかすかに見える程度です。そこで手動式の懐中電灯を取り出し、レバーを手で回しながら歩くことにしました。しかしながら、これほどまで足場が悪いと、腕を動かすことにより体のバランスを崩しやすくなり、かえって転びやすくなってしまったのです。それから20分ほどでしょうか。大きな岩に躓いて転んでしまい、懐中電灯を落としてしまいました。その際、レバーが取れてしまい、真っ暗闇の中で、どこにいったのかわからなくなったのです。火山灰が積もった岩場ですから、捜しようがありません。大ピンチです。夜の登山道で懐中電灯がなくしてしまったのです。ここからは、自身の勘と、遥か彼方に見えるかすかな灯りだけで下山しなければならないと思うと、危機感が増してきました。まだ、七合目と八合目の間と思われ、更なる苦難の下山が待ち受けていたのです。命綱のみが暗闇を生き延びる道普通ならば後、1時間少々で五合目まで下山できる所まで来ていたのではないでしょうか。しかしながら、暗闇の富士山登山道は、地獄の道を歩んでいるのと一緒です。それでも、先に下山した2人の仲間が東京に帰るため、自分を待っていると思うと、のんびりはしていられません。何とかして、五合目まで下山する方法はないかと試行錯誤を繰り返しながら得た結論はひとつ。それは転ぶことを恐れることなく、登山道沿いに張ってあるロープ伝いに、猿飛佐助のように下山することです。幸いにも手袋は2ペア持っていたので、手に二重に装着し、下りることにしました。この作戦は、実はとても危険な行動でした。なぜなら、ロープづたいとは言っても、地面はでこぼこで、所々に大きな岩がころがっており、躓いたり転んだりすることが避けられなかったからです。また、少しでもスピードがついてしまうと、ロープを思い切り掴まなければ体が飛ばされてしまい、大けがをしてしまいます。それでも急いで下山しなければならないと思い、何十回も転びながら、時には岩に腰や足を打ちつけても我慢して歩き続けたのです。また、ロープを頼りに歩行するスピード調整をしたものの、時にはバランスを崩して、まるでサーカスをしているように、宙ぶらりんになるようなことも幾度となくありました。手袋も擦り切れ始め、体力も限界に近づいてきました。それでも、五合目までに戻ることを、あきらめずに、人生は我慢と、心に言い聞かせながら、ひたすら七転び八起きの精神で、下山し続けたのです。そして夜も8時を回った頃、遠くにかすかな灯りが見えてきたのです。何とそれは6合目の山小屋でした。必至の思いでその灯りを目指して足早に進み、山小屋の前に辿り着いた時には、もう、体力の限界で、小屋の前のベンチに座り込んでしまいました。すると、中から山小屋のおばさんが2人出てきて、声をかけてくださいました。そして事情を話すと、もう五合目は10分少々で行けるとのこと。そこで1000円を支払い、懐中電灯を購入してから再出発です。そこからは懐中電灯の光で登山道を照らし、最後の力を振り絞りながらも、安心して下山することができました。五合目のレストハウスエリアに辿り着いたのは夜の8時半。既に周囲は真っ暗闇で、人影もありません。仲間のドイツ人は、山小屋のおばさんの話によると2時間以上も前に戻ってきたようなので、きっと誰かの車に乗せてもらい、近くのホテルへと向かったのでしょう。悲しいやら悔しいやら、情けないやら、それでも、最高の1日であったと思えてくるのです。事実、今もって自分の人生、最高の思い出の旅であることに違いありません。オフシーズンの富士山登頂を無事、完結することができました。感謝!(文・中島尚彦)