ブックタイトル日本シティジャーナル vol.162
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2015年(平成27年)4月25日発行第162刊毎月第3土曜日発行購読無料日本シティジャーナルvol. 162Nihon City Journal発行:ネットハウス〒286-0825千葉県成田市新泉14-3TEL 0476-89-2333 FAX 0476-89-2334[平日]10:00~19:00[土曜]12:00~17:00http://www.nihoncity.com成田市、佐倉市、印西市、富里市、香取市、山武市、船橋市千葉市(花見川区、美浜区)、習志野市、八千代市、四街道市酒々井町、栄町、小林、安食、多古町、横芝光町、芝山町、神崎町発行部数:500,000部元伊勢と三輪山のレイラインVol.VII御巡幸地の指標となった伊吹山と竹生島の重要性滋賀県の最高峰である伊吹山は、古代から比類なき霊峰として崇められてきました。標高1,377mを誇る伊吹山頂は、琵琶湖の西岸や東方の岐阜など周辺の平野部から眺めることができる、神が宿る山として知れ渡っNCJ109日本とユダヤのハーモニーから続く東アジア史を塗り替代えたイスラエルイスラエルの知恵が絡んでい民族大移動の潮流たのです。その地勢の特異性に目を留めた古代の識者らは、御巡幸地を定めるための指標としても積極的に伊吹山を用いたようです。その結果、坂田宮に続く元伊勢の御巡幸地の中には、伊吹山とレイライン上で結び付く聖地が少なくありません。伊吹山は日本書紀の中で「五十葺山」とも記されていることから、元来は「いそぶき」と呼ばれていた時代もあったようです。「イソ」「五十」という名のルーツには、海人豪族とイスラエルが絡んでいる可能性があります。琵琶湖の西方には安曇川が流れ、周辺には船木関も複数存在したことから、古代では渡来系の海人豪族がその地域一帯を拠点としていたと考えられています。安曇氏の祖神は海の神、神道の神である阿曇磯良(あずみのいそら)、磯武良(いそたけら)です。安曇氏の伝承が残されている対馬の和多都美神社では、三柱鳥居の中に磯良恵比須の岩が祀られています。これら多くの「いそ」という呼び名は、イスラエルの「イス」に由来するものではないでしょうか。「イスラエル」とは、ヤコブが神と取っ組み合いをして勝ったことから、「神が戦う」、「神に勝つ」、「神の皇子」もしくは「神が支配する」という意味であるというのが一般的な見解ですが、定説には至っていません。いずれにしても、神の祝福を得ながら神の支伊吹山のレイライン配下において国家の安泰を願う意味が込められている言葉に違いはなく、「磯」「磯良恵」「五十」「五十鈴」が、イスラエルの「イス」に関連している可能性があります。五十葺山とも呼ばれた伊吹山が命名された背景にも同様に、古たかもしれません。海人豪族は高度な航海技術と造船の経験をもって大陸より渡来したと考えられています。安曇氏や船木氏もその例に漏れません。日本書紀によると、天智天皇の時代に百済から多くの渡来人が蒲生郡に移住してきたという記載が見られます。当時の琵琶湖周辺は湿地帯であった故に、土木・灌漑の技術を持つ渡来系の民は琵琶湖界隈でも集落を形成することができたのです。琵琶湖の東南、桐原郷は渡来系の大友曰佐の本拠地であり、古代では琵琶湖西方の志賀郡大友郷(大津市)にも拠点を持っていました。新撰姓氏録には「大友氏百済国人」と記されていることから、大友氏も渡来系であることに違いはなく、周辺の遺跡から発掘された遺物や、特殊な構造の横穴式石室を有する墓の構造からも、渡来系の民が多く居住していたことがわかります。その他にも穴太氏、志賀氏、三津首氏、西織氏などの渡来系氏族の名が知られています。これだけ多くの豪族が大陸より海を渡って渡来してきた訳ですから、その中にイスラエル系の民族が絡んでいると考えても何ら不思議はありません。いずれにしても、蒲生郡が位置する琵琶湖の東方では、古代から渡来系氏族が地域一帯を占めるようになり、古代文化の発展の担い手となったのです。その琵琶湖に隣接する最高峰が伊吹山です。そして神が宿る山として頭ひとつ抜きん出ていたからこそ、伊吹山は列島の指標と絡んでレイラインを構成するための要因となることが多く、元伊勢御巡幸地を特定する際にも頻繁に用いられました。そこで今一度、古代の人々が伊吹山を指標として、琵琶湖東方にある最終編Part.II坂田宮から続く元伊勢御巡幸地や周辺の聖地をどのように特定したのか、レイラインを考察しながら振り返ってみることにします。元伊勢の行程を占う伊吹山のレイライン伊吹山は多くのレイラインが交差する中心点です。中で最も重要な線が、富士山と出雲の八雲山を結ぶ線です。このレイラインは、その途中で近畿の霊峰として名高い伊吹山と琵琶湖の竹生島(ちくぶしま)を通り抜けます。その富士山のレイラインと交差するもう1本の重要な線が、伊吹山と剣山を結ぶレイラインです。その線上には元伊勢の御巡幸地である坂田宮が存在することから、このレイラインが坂田宮の御巡幸地を特定する際に用いられ、伊吹山と剣山という2つの霊峰の力を吸収することが目論まれたと推測されます。この2本のレイラインが交差する伊吹山は、富士山、八雲山、剣山という名高い3霊峰の地の力を共伊吹山竹生島と伊吹山を琵琶湖上から眺める日本列島各地に存在する虚空蔵山1秋田県由利本荘市大簗2秋田県由利本荘市東由利法内上里3宮城県栗原市4山形県鶴岡市5長野県上田市・坂城町6長野県松本市・筑北村7静岡県焼津市8石川県能美市9兵庫県三田市・篠山市10鳥取県岩美町1618 1711岡山県笠岡市・里庄町12広島県東広島市志和町13広島県東広島市黒瀬町14香川県さぬき市15高知県土佐市・須崎市・佐川町16佐賀県武雄市・嬉野市17長崎県川棚町18長崎県西海市12 1113有するもうひとつの霊峰として崇められたのでしょう。また、造船技術で抜きん出ていた豪族である船木氏の本拠地となった本巣郡の船来山と、宗像大社中津宮を結ぶレイラインが伊吹山を通り抜けることにも注目です。古代、列島周辺を船で行き来した海人豪族は、当初、対馬から宗像にかけて拠点を広げた後、瀬戸内を東方へと向かい、淡路島を越えて琵琶湖周辺にまで辿り着いたのです。中には率先して琵琶湖の東方にも拠点を広げる氏族も存在し、船木氏のように本巣郡の船木を本拠地として、地域周辺に様々な貢献をする氏族も歴史に名乗りを上げるようになります。伊吹山は坂田宮に限らず、その後の元伊勢御巡幸の地を特定するための指標としても用いられました。まず、伊吹山と静岡の焼津近郊、太平洋岸に面した虚空蔵山(こくぞうさん)を結ぶレイラインに注目してみましょう。虚空蔵山は静岡県の瀬戸川河口の北側に位置する小高い山であり、その対岸には宗像神社があります。下田市には船木の拠点もあることから、河口周辺の地域一帯には古くから海人族が住み着いていたのです。そして坂田宮に続く御巡幸地が、この虚空蔵山と伊吹山を結ぶレイライン上に2社、並んでいます。伊久良伊吹山のレイライン(拡大図)151014985 67河宮に比定される宇波刀神社と、次の中嶋宮に比定される酒見神社は確かにレイライン上に一列に並び、綿密に地勢に絡むレイラインを検証した結果であることを証しているようです。その宇波刀神社は本巣郡の船来山と南北に渡り、同経度線上に並んでいます。このレイラインはちょうど宇波刀神社の地点で、伊吹山と虚空蔵山を結ぶレイラインと交差しています。宇波刀神社は船木山、伊吹山、虚空蔵山を指標としてその社の場所が特定されたと考えられます。また、伊久良河宮の比定地候補の次点として挙げられている神戸町の宇波刀神社と天神神社は、伊吹山と同緯度線上に並んでいます。これらは安八町の宇波刀神社が設立された後、伊吹山の緯度線に繋がる神社が待望された結果、新たに建立されたと推測されます。伊吹山と伊久良河宮、中嶋宮を一直線に結ぶ線上にある虚空蔵山は、一般的にあまり知られていませんが、元伊勢御巡幸の時代では、にわかに脚光を浴びていたようです。虚空蔵山は今日、全国に少なくとも17か所あり、その多くが海岸近くか、大河沿いに位置しています。一連の虚空蔵山が水際に多く存在するという事実の背景には、古代、海人豪族の関41 23宗像大社中津宮八雲山虚空蔵山(三田市)伊弉諾神宮虚空蔵山(さぬき市)剣山虚空蔵山(高知)住吉大社伊勢神宮内宮富士山虚空蔵山焼津下田市至八雲山至宗像大社中津宮竹生島八幡山坂田宮日牟禮八幡宮伊吹山船来山宇天波神宇波刀神社至富士山刀神酒見神社神社社(神戸至虚空蔵山町)至剣山至住吉大社-1-次頁に続く