ブックタイトル日本シティジャーナル vol.165

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概要

日本シティジャーナル vol.165

2015年(平成27年)7月19日発行第165刊毎月第3土曜日発行購読無料を和比野と名付けられました。直後、地域の有力者である久求都彦(くくつひこ)が宮を造営する場所を紹介するために訪れ、御宮処として久求社が定められただけでなく、更に「吉き大宮処有り」と、新たなる候補地が紹介され、倭姫命はすぐに行幸されたことが「世記」に書かれています。その後、大若子命も船で参上し、「宇遅の五十鈴の河上に、吉き御宮処あり」と倭姫命に新しい候補地を紹介します。倭姫命の熱心は止まることを知らず、どこへでも足を伸ばして現地を自分の目で確認することを大事にしたのです。その後も鷲取小浜、御塩浜など各地を船で移動し続けながら、御宮処の推奨地を巡り渡りましたが、いずれも天照大神を祀るにふさわしい聖地ではなかったのです。ひたすら御巡幸を続けられた倭姫命は、次に五十鈴河後の江まで移動され、そこから歴史が大きく動き始めます。御塩浜から五十鈴河後の江に船で到達するまでは、倭姫命は五十鈴河の場所を存じてなかったようです。それ故、「この河の名前は何ぞ」と聞かれ、その河が五十鈴河であることを知った時、倭姫命はたいそうお喜びになられたことでしょう。その上流には御巡幸の最終目的地が存在することにもはや疑いの余地はなかったのです。直後、倭姫命を訪れた荒崎姫の紹介をきっかけに、「皇太神の御前の荒崎」と呼ばれた神前岬に神前社が建立されました。そして五十鈴河の上流に向けて河を上り、御津浦、鹿乃見、止鹿乃淵など、自らが命名した由緒ある場所を経由し、河上りの行幸を続けたのです。そして到達した場所が、伊勢神宮から北東方向におよそ4km離れた神宮新田の東側を流れる矢田川沿いの口矢田の森にて奉られた矢田宮と、そこから1km少々離れた場所にある五十鈴河沿いの家田田上宮です。これらの宮に隣接する神宮新田とは、朝御饌・夕御饌処の御田を定め奉るために特別に選ばれた土地であり、神宮に奉る御料米を収穫する皇太神の御田ということからしても、最終目的地はもはや、目前に迫っていたことがわかります。口矢田の森のそばを流れる矢田川家田田上宮から次の御巡幸地である奈尾之根宮までは2km程しかなく、そこが最後の宮処となります。奈尾之根宮へ到達すると、そこでは大勢の有力者が倭姫命を待っていたのです。中でも猿田彦神の裔である宇治土公の祖、大田命との出会いは重要でした。その場でも、倭姫命は「吉き宮処あるや」と尋ねられ、そこで得た答えが最終目的地となる伊勢神宮の場所を決定づける言葉でした。「五十鈴の河上は、是れ大日本国の中に殊に勝て霊地に侍るなり. . .定めて主の出現御坐さむとする時、献るべしと思いて、この処に礼ひ祭り申せり」という言葉に従って倭姫命がその場所をご覧になるために足を運ぶと、そこは確かに遠い昔、天照大神が誓願された豊葦原瑞穂国内の伊勢のかさはやの国であり、美しい宮処に最もふさわしい地だったのです。垂仁2 6年、倭姫命は満を持して、天照大神を度会の五十鈴河神に遷し奉り、遂に、元伊勢御巡幸リクライニングチェアの長旅が幕を閉じたのです。矢田宮と家田田上宮のレイライン伊勢市楠部町を県道37号線沿いに東方へと向かい、五十鈴河を渡ると右側に神宮新田が見えてきます。そこから更に500m程先、五十鈴河に繋がる矢田川沿いに口矢田の森へと続く小道があります。神宮新田の東南方向にあたり、御田ノ森とも呼ばれる小高い丘は、今日では随所に雑草が生い茂り、昔の風情を感じることは難しいですが、それでも倭姫命が行幸された大切な場所であることに変わりなく、そこに矢田宮が建立されたのです。また、矢田宮の次に訪れた巡幸地は家田田上宮と呼ばれています。その比定地は五十鈴河沿いに建立された伊勢神宮皇大神宮の摂社、大土御祖神社です。地元の言い伝えによると、遠い昔、大土御祖神社の近くには船着き場があり、そこに倭姫命が来られ、家田田上宮にて時をすごされたとのことです。矢田宮そばの神宮新田矢田宮、家田田上宮、及び神宮新田は互いに隣接し、地図上でもほぼ同じ位置にあることから、レイラインを考察する際には、これら3つの聖地をひとつとして考えることにします。矢田宮をはじめとするこれらの聖地は複数の重要なレイラインが交差する地点に建立されています。まず、レイラインの指標として頻繁に用いられている日本最高峰富士山と四国の室戸岬を結ぶ線に注目です。その線と、ゆったり座れてコンパクト新商品登場!淡路島の伊弉諾神宮と同緯度の線が交差する地点に矢田宮が存在します。それは矢田宮が富士山の地の力と結びつき、伊耶那岐神とも繋がりを持っていることを意味します。また、剣の神宝と深く関与する諏訪大社前宮本殿と、紀伊大島を結ぶ線、そして、伊雑宮と琵琶湖に浮かぶ竹生島を結ぶ線も、同様に矢田宮の地を通り抜けています。更に注目すべきもうひとつのレイラインが矢田宮に絡んでいます。それが、伊島、神島(歌島)、江の島と呼ばれる3つの島を結ぶ線です。この線上には三輪山をはじめ、伊吹山、御在所岳、摩耶山、剣山などの多くの霊峰とレイライン上で重要な繋がりを持つ瀧原宮があります。その瀧原宮を介して列島各地の聖地と紐付けられることは、矢田宮の存在にとって極めて重要な事項であると考えられたことでしょう。また、徳島最東端に位置する伊島の北部沿岸は剣山と同緯度にあります。よって、伊島、歌島、江の島を結ぶレイラインと繋がることは、剣山とも結び付けられることを意味します。他の御巡幸地と同様に矢田宮の場所も、剣山を強く意識した上で見出された可能性を、レイラインの存在から知ることができます。奈尾之根宮(宇治山田神社)のレイライン倭姫命姫による御巡幸の旅は、奈尾之根宮を最後の宮処として完結します。その場所は矢田宮のある楠部から伊勢神宮内宮へ至る途中であると考えられ、全体の距離も1.5 k m程しかなく、いずれにしても伊勢神宮の近郊に存在したことになります。「神宮要綱」には「奈尾之根は一に納米(なうしね)と書し」と記載高級チークガーデンベンチ場所を選ばないシンプルデザイン宇治山田神社に至る参道されていることから、その比定地の候補地として、内宮田社の那自売(なじめ)神社が挙げられています。諸説はあるものの、那自売神社は宇治山田神社に合祀されたという記録もあり、伊勢神宮の歴史と文化の総合博物館である神宮徴古館でも、那自売神社が宇治山田神社と表記されていることから、奈尾之根宮の比定地は宇治山田神社である可能性が高いと言えます。宇治山田神社の厳かな境内宇治山田神社の境内はそれほど大きくはないものの、宗像大社を彷彿させるような厳かな雰囲気に包まれており、社殿の床下には神籬が置かれています。また、700m程西方に向かうと猿田彦神社もあります。レイライン上、特筆すべき点としては矢田宮と同緯度、すなわち、伊弉諾神宮を通る線上に並んでいるということです。それ故、矢田宮と同様に、多くの地の力に紐付けられた聖地と考えられます。宇治山田神社は、倭姫命が御巡幸された聖地である可能性を秘めた由緒ある神社として、今日まで大切に守られています。(文・中島尚彦)引き続き、他の元伊勢御巡幸地のレイラインについても、http://www.historyjp.com/で紹介しています。是非、ご覧下さい。エレガントなデザインで優雅なひとときGBT010(ガーデンベンチ)\23,800(税込\25,704)●素材:高級チーク無垢●幅1,100×奥行き430×高さ1,000mm●折りたたみ式●インドネシア製GBT630(ガーデンベンチ)\63,800(税込\68,904)●素材:高級チーク無垢●幅1,680×奥行き660×高さ1,050mm●完成品●インドネシア製御在所岳頂上この他、多数商品を取り揃えております。お得なセール情報も満載!是非ファニチャーハウスのWEBサイトをご覧下さい。オットマン一体型なので、使わない時にはしまえて広々!RC18BK\19,800(税込\21,384)●素材:[前]ソフトレザー(ポリウレタン)、[後]PVC●色:[張地]ブラック、[脚部]ナチュラル●幅750×奥行き800-1,455×高さ985-855mm●リクライニング:無段階式脚のデザインがとってもキュート!携帯電話からはコチラ!www.furniturehouse.co.jp※ショールームは現在準備中です。何卒、ご了承下さい。〒286-0825千葉県成田市新泉14-3ご注文・お問合せは、WEBサイト・電話・ファックスからwww.furniturehouse.co.jpTEL:0476-24-5111FAX:0476-24-5112営業時間平日10:00~19:00土曜12:00~17:00送料・お支払い方法・発送時期などについては、お問い合わせください。お客様のご都合によるキャンセル・返品は承っておりません。※掲載している価格は2015年7月現在のものです。最新の価格はファニチャーハウスWEBサイトにてご確認下さい。-2-