ブックタイトル日本シティジャーナル vol.167
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日本シティジャーナル vol.167
2015年(平成27年)9月30日発行第167刊毎月第3土曜日発行購読無料とが急務となり、その秘蔵場所が密かに協議されたと想定されます。内乱は長期化する可能性もあったことから、後世の人々でも理解し、探しあてることができる秘策が検討されたのです。レイラインを用いた神宝隠蔽の秘策天照大神と言われる八咫鏡は五十鈴宮、今日の伊勢神宮に祀られていますが、果たしてそれが本物の神宝であるかどうか、見分けることは困難です。例え伊勢神宮の八咫鏡を手にすることができたとしても、それを比較検討する手段がないのが実情です。いずれにしてもレプリカが存在したことは史書の記述から明らかであり、本物の神宝は、レプリカとすり替えられた可能性があります。例えばエジプトのピラミッドにおいては、王のミイラを略奪の危険から保護するため、実際の埋葬室を別の場所に設けて、ミイラの場所を隠蔽した事例があることは周知の事実です。その場所はピラミッド内の王の間とはかけ離れた場所に存在し、古代人の知恵を振り絞って考え抜かれた奇想天外な隠蔽策の結果と考えられています。同様に、天皇家の神宝も人目に触れぬうちに、いつしかレプリカとすり替えられ、本物は全く別の場所に隠蔽されたとは考えられないでしょうか。暴徒の襲撃や略奪から長期にわたり神宝を守護するためには、ピラミッドの埋葬室隠蔽に匹敵する秘策が不可欠だったのです。五十鈴宮は地理的に見ると、外敵の侵略から無防備な土地であることがわかります。特に国内情勢が不安定な時期、朝廷の防衛力が十分に及ばない地域において、新しく造営する宮の境内に大切な神宝を祀るということには、相当な危険が伴ったはずです。そのようなリスクを背負ってまで、伊勢の聖地に神宝を祀ったとは考えづらいのです。それ故、元伊勢を御巡幸される途中で、本物の神宝がレプリカとすり替えられた可能性が現実性を帯びてきます。もし、そうだとするならば、本物の神宝が秘蔵された場所が、別に存在し、そのメッセージを後世に伝えるために計画されたのが、元伊勢の御巡幸であったという見方が浮上してきます。元伊勢の御巡幸とは、本物の神宝の行方を後世に伝えるべく、暗号のごとく綿密に仕組んだ計画であり、歴史に類を見ない壮大なスケールの皇族の旅であったとは考えられないでしょうか。しかしながら時代を超えてまで、神宝の秘蔵場所を後世に暗号メッセージとして伝えることなどできるのでしょうか。その手法として用いられたのが、元伊勢御巡幸地を、中心となる指標に結び付けたレイラインの構想です。列島内に広がる様々な地の指標と、神宝の秘蔵場所とを結ぶレイライン上に、全ての御巡幸地を見出し、それらのレイラインが交差する地点が神宝の安置場所として理解できるように仕組んだのです。その結果が元伊勢の御巡幸と考えられます。そしてレイラインの交差点には、四国の剣山が聳え立っているのです。剣山と結び付く三輪山の不思議四国の剣山が三輪山とレイライン上にて結び付く霊峰であることは、三輪山のレイラインを検証することにより明らかになります。元伊勢の基点となる三輪山と、天孫降臨の地、高千穂の中心地である高千穂神社を地図上で結ぶと、その直線上に剣山の頂上がぴたりと位置しています。剣山は大自然の指標であり、大物主大神の介入による三輪山の霊峰化は、瓊瓊杵尊による高千穂への天孫降臨より先立ちます。よって剣山と三輪山を指標として用い、これらの2つの霊峰を結ぶレイラインと四国足摺岬の緯度線が交差する地点を特定することにより、天孫降臨する高千穂の聖地をピンポイントで見出すことができたと推察できます。三輪山のレイラインの検証から、古代より剣山が三輪山や高千穂と共に天孫降臨に結び付けられた重要な霊峰として認識されていたことがわかります。三輪山のレイラインに関与する聖地や地の指標には、「3」という数字が頻繁に登場することも注目に値します。古代では、「3」という数字が神への信仰に関連して用いられることが多く、三輪山がその発端であったかもしれません。三輪山とレイライン上で結び付いている日向国の高千穂においても、天照大神の孫にあたる瓊瓊杵尊が、三種の神器を携えて高天原から天下っています。さらに三輪山から真北へ向かい日本海に到達すると、その周辺に広がる5つの湖は「三方五湖」と呼ばれ、ここでも「3」がキーワードになっているのです。「三輪」の語源については、古事記に三輪山伝説が記されている程度の史料しかありません。そこには男性の素性を知らずに身ごもった乙女が、麻糸を男の着物に刺して翌朝に辿ってみると三輪山の神の社に辿り着き、麻糸が3巻残ったことから「三輪」と呼ぶようになったと記されています。その後、「三輪」は神(みわ)とも表記されるようになり、神の代名詞にもなりました。大神神社の「大神」を「おおみわ」と読むようになったのも、大神神社が三輪山をご神体としているからに他なりません。そしていつしか「三」は聖なる神に関連する数字とみなされるようになりました。檜原神社の三ツ鳥居三輪山では禁足地の中に、明神型の鳥居を横一列に組み合わせた形の3連の鳥居が、大神神社の拝殿と、その御神体である三輪山の禁足地を分ける場所に立てられています。三ツ鳥居とも呼ばれるこの鳥居の年代や由来については不明であり、「古来一社の神秘なり」と伝えられています。また、大神神社の摂社であり、元伊勢の御巡幸地のひとつである檜原神社にも同様の鳥居が存在します。この三ツ鳥居に関連すると考えられる三角形の鳥居が、三輪山からほぼ同緯度の西方、600kmほど離れた対馬にもあります。島の中央付近、対馬の西海岸沿いには、伊弉諾神宮や伊勢神宮に紐付けられた海人神社が建立され、その元宮である和多都美神社には、3つの鳥居が組み合わさって3角形を成す三角鳥居が建っているのです。和多都美神社の三柱鳥居この和多津美神社は、対馬の海に面していながら実は、山の神とも絡み、剣山にも紐付けられています。天孫降臨の直後、瓊瓊杵尊の子である火遠理命(ほおりのみこと)、別名山幸彦は、兄の釣針を無くし、綿津見神の宮(和多津美神社)へと導かれました。そこで山の神、大山津見神の娘である豊玉姫と結婚し、三柱となる3人の子供に恵まれ、3年の月日が流れるのです。山幸彦の孫が神武天皇となることから、この史話は極めて重要な意味を持っています。豊玉姫の父である大山津見神は、御巡幸地である吉佐宮、今日の籠神社・真名井神社と剣山を結ぶレイライン上の四国石立山頂にて祀られているのです。それ剣山と絡む元伊勢のレイライン出雲大社621516諏訪大社守屋山1114 1516富士山17熱田神宮御在所岳131218三輪山1910 11二上山7 320 21 1 9228天香具山瀧原宮101 , 3 , 74 , 8鹿島神宮香取神宮1945宗像大社(辺津宮)石鎚山杖立山高越山杖立山剣山高城山石立山熊野本宮大社(大斎宮)虚空蔵山(高知)室戸岬高千穂神社17日向(宮崎)141笠縫邑(檜原神社/大神神社摂社)[高千穂神社ー剣山ー笠縫邑ー三輪山]12敢都美恵宮(都美恵神社)[剣山ー敢都美恵宮ー熱田神宮]2吉佐宮(真名井神社)[石立山ー剣山ー高越山ー吉佐宮]13甲賀日雲宮(若宮神社、垂水頓宮址)[剣山ー甲賀日雲宮ー御在所岳]3伊豆加志本宮[剣山ー三輪山ー与喜天満神社]14坂田宮(坂田宮)[日向(宮崎)ー剣山ー坂田宮]4奈久佐浜宮(日前神宮)[剣山ー奈久佐浜宮ー富士山]15伊久良河宮(宇波刀神社)[剣山ー伊久良河宮ー諏訪大社]5奈久佐浜宮(濱宮)[剣山ー奈久佐浜宮(濱宮)ー斎宮]16中嶋宮(酒見神社)[剣山ー中嶋宮ー守屋山)6名方浜宮(伊勢神社)[室戸岬ー剣山ー名方浜宮]17桑名野代宮(野志里神社)[虚空蔵山(高知)ー剣山ー桑名野代宮]7御室嶺上宮[三輪山、高宮神社(大神神社摂社)]18奈其波志忍山宮(布気皇館太神社)[剣山ー二上山ー布気皇館太神社]8宇多秋宮(阿紀神社)[剣山ー阿紀神社ー富士山ー香取神宮]19藤方片樋宮(加良比乃神社)[剣山ー藤方片樋宮ー鹿島神宮]9佐々波多宮(篠畑神社)[剣山ー天香久山ー佐々波多宮]20飯野高宮(神山神社)[剣山ー濱宮ー飯野高宮]10市守宮(蛭子神社)[剣山ー三輪山ー市守宮]佐佐牟江宮(竹佐々夫江神社)[剣山ー濱宮ー佐佐牟江宮]11穴穂宮(神戸神社)[剣山ー沼島(上立神岩)穴穂宮]伊蘓宮(磯宮)[杖立山ー剣山ー高城山ー杖立山ー伊蘓宮]-2-