ブックタイトル日本シティジャーナル vol.170
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日本シティジャーナル vol.170
vol. 170およそ平坦な高地を有する山々は、剣山の周辺に広がっています。矢筈山、石立山、赤帽子山、天狗塚などがその一例です。「馬の背」と呼ばれる剣山頂からの風景ササ原とコメツツジの野原が剣山周辺の山々に見られる理由は、古代、これらの山々の頂上周辺にて樹木が切り倒され、集落が造られた形跡の名残ではないでしょうか。そして、「かごめかごめ」の歌詞が証するように、ある時、これらの高地性集落の中で、神宝が秘蔵されていた場所や、神社を有する地域が、ことごとく焼かれてしまったと考えられるのです。その結果、今日見られる「馬の背」のように、山麓の途中から樹木が消え去り、頂上近くになるに従って、野原が広がっているという景色を目の当たりにするのです。これは、山々が古代、山焼きの被害に遭遇し、樹木が一掃された痕跡と考えられ、「かごめかごめ」が証する結末と一致します。第12番札所焼山寺の正門その証として、剣山から24 k mしか離れていない神山町には焼山寺が建立されています。第12番札所としても名が知られている焼山寺の創始は、遅くとも飛鳥時代にまで遡り、その名称のとおり、焼き山についての由緒が複数残されています。中には空海が、火を吹いて人々を襲う大蛇と対決した言い伝えもあります。そして山を火の海にする大蛇と、真言を唱えながら戦う空海との一騎打ちとなり、最終的に大蛇は岩窟の中に封じ込められます。しかしながら、丸焼きの被害をまぬがれるこができずに焼山となってしまったことから、焼山寺が建立されたのです。焼山寺周辺の見晴らしの良い場所からは、剣山周辺の山上にて燃え上がる火の手を見ることができたでしょう。それ故、この焼き打ちを目撃した証として焼山寺が建立されたとも考えられます。「火を付けろ」、「燃やせ」という「かごめかごめ」に含まれる命令を裏付ける環境が、古代の剣山周辺には整っていたのです。7.剣山に魅了された船木氏の動向元伊勢の御巡幸において、縁の下の力持ちとして倭姫命御一行を伊久良河宮から伊勢まで導いたのが、海人豪族として名高い船木氏でした。大陸に由来する船舶技術を携え、経済力にも富んでいた船木氏は、皇室の御一行に船舶を提供しただけでなく、神宝の護衛も任されていたことでしょう。よって、船木氏の動向を見据えることにより、元伊勢の御巡幸における最終段の結末が見えてきます。御一行が伊勢の五十鈴河上に到達し、そこで神が祀られた後、船木氏は短期間で何故かしら伊勢の拠点を去り、船で海岸沿いに紀伊半島最南端まで下り、そこから紀伊水道を北上したのです。そして紀伊半島の吉野川上流にある伊都郡へと向かい、丹生都比売神社の周辺に拠点を設けました。直後、船木氏は淡路島北部の山頂へと向かい、そこで巨石を移動するという難題に着手し、磐座の周辺には環状列石にも見える岩石を並べ、祭祀活動を行ったのです。その周辺一帯は舟木と呼ばれ、船木氏の重要な拠点となったのです。その後、船木氏は大阪の住吉大社方面から摂津国へと拠点を広げ、最終的には明石国の加古川から上流に上り、今日、加西市と呼ばれる地域を拠点とし、住吉酒神社をはじめとする数々の神社を建立しました。また、加古川の支流となる東条川沿い、今日の小野市周辺にも船木の集落は広がりを見せ、多くの住吉神社が建立されました。船木氏が足早に伊勢を去り、淡路島へと向かったことには、大切な理由が秘められていたようです。船木氏により、淡路島の舟木に建立された石上神社は、単に巨石を御神体として祀る神社ではありませんでした。その場所は、元伊勢の原点にある日本の聖地、三輪山だけでなく、長谷寺や斎宮とも同緯度の位置だったのです。しかも、他の御巡幸地と同様に、剣山を結ぶレイラインも構成し、剣山と石上神社を結ぶ直線上には、日本の創始に深く関わる伊弉諾神宮と、霊峰として名高い摩耶山や六甲山もピタリと並んでいたのです。さらに石上神社からちょうど真北に向かうと、そこには明石国の住吉神社も建立され、船木氏の拠点が設けられていたことからも、石上神社の位置が重要であったことがわかります。これら船木氏の動向と振り返ると、剣山を意識していたことが明らかになってきます。船木氏が剣山のレイラインに結び付く場所に拠点を設け、そこで祭祀活動を執り行った理由は、元伊勢御巡幸の最終地点となる剣山に神宝を運んだこと以外に答えがありません。だからこそ、剣山と伊弉諾神宮や摩耶山、六甲山を結ぶ線と三輪山の緯度線が交差する地点を、聖地の力がクロスする重要拠点と定め、その場所にピンポイントで巨石を移動し、そこで祭祀活動を執り行ったのです。神宝が秘蔵された剣山を思うあまり、船木氏は淡路島の石上神社において、剣山の神宝を思い起こしながら神を崇め祀ったのです。8.剣山に精通した空海が「かごめかごめ」の作者か?ヘブライ語と日本語を巧みにブレンドした「かごめかごめ」の作者は、語学の達人、弘法大師空海である可能性が極めて高いと言えます。空海は四国に生まれ育ち、遣唐使として中国へ渡った際、ネストリウス派のキリスト教(景教)を学び、ヘブライ語を習得しました。聖書の教えに触れた空海は、帰国して15年後の821年、今日の香川県にある日本最大の灌漑用溜池として知られる満濃池の改修を3か月で完了させ、多くの農民を救済したのです。空海は海外の文化人らも驚嘆させたほどの偉大なる宗教家、詩文家、書道家でありながら、その天分のみならず、土木灌漑建築というまったく異なる分野においても、当時の最先端技術と情報を唐より持ち帰り、即座に活用して多くの結果を残しました。空海が灌漑治水を学んだ理由は、単に庶民の救済だけでなく、神宝を見出して、新たなる聖地へと遷さなければならないという天命を悟ったからに他なりません。旧約聖書のイザ美濃国から近畿へと安広がる船木氏の拠点住吉酒見社船木町志染町茨木市舟木町押部谷摂津国明石国海神社明石川住吉大社舟木▲三輪山▲葛城山淡路国加古川紀ノ川東条川志染川日前宮ヤ書に繰り返し綴られている重要なテーマは、山と水、そして水路の存在です。空海は神宝が秘蔵されるべき場所は安全であるだけでなく、水源が豊かな場所であることに気づいていました。それ故、全国をくまなく行脚して水路を造り、神宝を収蔵できる環境に恵まれた場所を探し続けたのです。「かごめかごめ」の歌は、収蔵場所が焼かれてしまうことを語り告げていますが、その前に神宝は取り出されて、別の場所に遷されたのです。その巧みな遷座策を実現した張本人が、空海であった可能性が見えてきました。空海が行脚した四国の巡礼場所は、後に四国をほぼ一周する「四国八十八箇所」となりました。これら空海ゆかりの聖地も、イスラエルルーツの神宝、及び「かごめかごめ」の歌と不思議な繋がりがあるようです。まず注目すべきは88という数字です。一般的に「八十八箇所」は、88の煩悩を消し去り、88の徳を成就するという意味に捉えられているようです。しかし「8」の音読みである「ヤ」はヘブライ語で神を意味し、その8を重ねることにより、八重(ヤエ)、つまりヘブライ語での「神」となります。しかも日本語では幾重にも覆われて隠れてしまう、というニュアンスが含まれているため、「八十八」は「神を隠す」と解釈できます。それを更に明確に表現した言葉が「八重桜」であり、この言葉の読みはヘブライ語で「神隠し」を意味します。おそらく空海は、長年に渡り神宝が秘蔵された剣山を基点にして、その周囲を八十八箇所の霊場で結びながら遍路と定めることにより、多くの信望者が剣山という霊峰の存在を知り、その恩恵を受けることを願っていたのでしょう。吉野川丹生都比女神社伊都郡熊野本宮大社曇川熊野速玉大社▲神倉山熊野那智大社伊吹山▲船木関坂田宮近江国八幡山▲船木関花窟神社竹生島船来山▲本巣郡船木郷伊久良河宮中嶋宮(酒見神社)耳常神社斎宮伊勢国伊勢神宮度会郡大紀町伊雑宮船木島田市船木虚空蔵山▲四国の剣山は、空海が生まれ育った東香川の地から近い場所に位置しています。そして古代よりイスラエルの神宝が埋蔵されているという言い伝えが残されていたが故に、剣山を徹底して調査したのではないでしょうか。そして四国の剣山には、確かに元伊勢の御巡幸に結び付く大切な神宝が秘蔵されていたことを知り、それらの神宝の中には、預言者イザヤに導かれて渡来したイスラエルの民が祖国から持ち込んだ、聖櫃に纏わる貴重な神宝が含まれていたと考えられるのです。それ故、イスラエルの神器が日本に運ばれて秘蔵されているという風説は、あながち作り話ではないようです。偶像が多々残されていた剣山周辺は焼かれて清められることが定められますが、その焼き打ちが実行される直前、それらの神宝が持ち出されて違う場所に移設されたと考えると、「かごめかごめ」の歌の主旨とぴったり合います。そして「かごめかごめ」の作者だけに留まらず、それを実行したのも空海であると想定すると、全体の流れがよりわかりやすくなります。「かごめかごめ」の歌は、剣山に秘蔵されていた神宝が、新天地に遷されたことを語り告げていたのです。空海の故郷に聳え立つ剣山は、神隠しの象徴であり、鶴と亀という「お守り」の岩によって、今でも霊峰剣山を守護しています。そして神宝は歴史の中に隠され、新天地にて秘蔵されることになりました。これら一連の働きの背後に存在したのが空海ではないでしょうか。そして空海こそ、世界が探し求めているイスラエルの神宝の秘蔵場所を知る主人公だったのです。(文・中島尚彦)WEBサイト案内日本シティジャーナルをご覧いただきありがとうございます。本紙のバックナンバーはWEBサイトにてすべてご覧頂けます。連載中の歴史に関するコラムは最新情報に随時更新してスペシャルサイト「日本とユダヤのハーモニー」にまとめてあります。ご意見・ご要望等をお待ちしております、FAXやホームページからお寄せ下さい。日本シティジャーナル:http://www.nihoncity.com/日本とユダヤのハーモニー:http://www.historyjp.com/編集後記-3-アメリカの東海岸では史上最強の寒波が訪れ、零下18度という異常事態になっています。日本でも真冬から一転して23度まで気温が上がったと思いきや、また真冬に戻ったりと、昨今の気象変動はとても激しいものです。また、日本列島では火山活動も活発化の兆しを見せており、地殻の歪も蓄積されてきている為、今後、特に関東と南海では大地震の起こる可能性が高まっていると、学者らが警告の鐘を鳴らし始めています。今年こそ落ち着いて、花見ができることを願ってやみません。NCJ編集長中島尚彦1957年東京生まれ。14歳で米国に単身テニス留学。ウォートンビジネススクール卒業後、ロスアンジェルスにて不動産デベロッパーとして起業、ビジネス最前線で活躍する。1990年に帰国後、成田にサウンドハウスを立ち上げる。現在ハウスホールディングス代表、日本シティジャーナル編集長を兼務。趣味はアイスホッケーと読書、ここ数年は「日本とユダヤのハーモニー」の執筆に勤しむ。