ブックタイトル日本シティジャーナル vol.172

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日本シティジャーナル vol.172

2016年(平成28年)4月29日発行第172刊毎月第3土曜日発行購読無料日本シティジャーナルvol. 172Nihon City Journal発行:ネットハウス〒286-0825千葉県成田市新泉14-3TEL 0476-89-2333 FAX 0476-89-2334[平日]10:00? 19:00[土曜]12:00? 17:00http://www.nihoncity.com成田市、佐倉市、印西市、富里市、香取市、山武市、船橋市千葉市(花見川区、美浜区)、習志野市、八千代市、四街道市酒々井町、栄町、小林、安食、多古町、横芝光町、芝山町、神崎町発行部数:500,000部ヘブライ語が証する古代史の真相日本語とヘブライ語の共通点から学ぶ日本のルーツ今日でもイスラエル人の中には、古代、彼らの先祖が日本へ渡来して住み着いたと考えている人が少なくありません。駐日イスラエル元大使のコーエン氏もその一人です。コーエン氏は四国や諏訪大社周辺を含む各地を旅しながNCJ109日本とユダヤのハーモニーから続く様々な文献を検証することにしま東アジア史を塗り替えたイスラエル民族大移動の潮流ら、数々の古代遺跡を見て回り、自らの先祖が残したに違いないと考えられる多くの痕跡を確認しました。イスラエルの教育機関や政府の要人など、特に高学歴の人たちの中には、日ユ同祖論について深い関心を持っている方が大勢いることからしても、日本とユダヤの関係は、もはや日本人にとっても無視することのできない重要なトピックです。平成28年3月26日から28日までの3日間、イスラエルから日本を訪れていた国立アリエル大学元教授であり、イスラエル教育文化省において20年間、教育指導主事を務めてこられたシャハン教授と時を共にすることができました。「In the footsteps ofthe lost ten tribes」(失われた1 0部族の軌跡を辿る)、という著名な本を執筆されたシャハン教授は、日ユ同祖論におけるイスラエルの権威です。シャハン教授は失われた10部族の軌跡をリサーチするため、4年間にわたりアジア大陸を旅されました。その間、古代の巻き物に記された文献や地図だけでなく、ギリシャ語、アラビア語、中国語、そして日本語などに翻訳された歴史に関わる様々な文献も研究されました。さらには宣教師や戦士、探検家、旅行家などが残した多くの証言から、古代の史実を見極めるための様々なヒントを模索し、史実を確かめようとしたのです。紀元前722年、北イスラエル王国はアッシリアに攻められ、国家が崩壊しました。その際、アッシリアの軍隊により、イスラエルの10部族は捕虜として捉えられ、その後、捕囚の民は歴史の中に埋もれ、どこにいるのかわからなくなってしまったのです。その後、南ユダ王国に残されたユダ族、ベニヤミン族、レビ族の指導者らは、時には捕虜として連れ去られた10部族を追って手紙などを送りながら、イスラエル民族との繋がりを保とうとしたようなのですが、それらの文献も歴史の流れの中に見失われてしまい、捕虜となった民の居所が全くわからなくなってしまったのです。そこでシャハン教授は、手紙を送り届ける役を授かったメッセンジャーの行き来に目を留め、した。そして遂に、アフガニスタンの山岳に集落を形成するパシュート族の中に、10部族に関連する名前や系図を見出したのです。また、ナフタリ族の末裔がアジア大陸の内地に存在していることも発見し、中国の開封においては、イスラエルの渡来者が住み着いた痕跡を見出したのです。さらにはイスラエル10部族が大陸を横断し続け、最終的にインドを経由して日本にまで到達したとしか考えられないような、言葉の類似点を何百と確認したのです。その結果、シャハン教授は多くのヘブライ語が、古代、日本列島において土着し、日本語と化して用いられるようになったと考えたのです。もはや、偶然の一致とは言えないほどの類似した発音を持つ多くの日本語とヘブライ語の存在に、シャハン教授の日本に対する思いは、ますます募っていくことになります。そのシャハン教授と共に3日間、日本国内を旅しながら、本稿のコンテンツに含まれる日本語とヘブライ語の比較対照について様々な意見を頂き、多くのことを学ぶことができたことは、まさに天与の機会でした。これまでの執筆内容、方向性が決して間違いではなく、むしろ、イスラエル人学者の目から見ても、「確かにそうだ!」と相槌を打っていただける内容がふんだんに含まれていることを再確認することができました。そこで、シャハン教授から得た貴重なアドバイスを元に、これまでの内容を改訂し、コメントを頂いた主な箇所を抜粋して書き直すことにしました。元イスラエルの国立大学教授が太鼓判を押すほど、日本とイスラエルの繋がりは切っても切れないものがあります。その史実を、一人でも多くの人に理解していただけるよう、今回「君が代」と「かごめかごめ」の解説をはじめ、様々なキーワードに関する記事を改めて書き下ろしました。ぜひ、参考にしてください。八坂神社は守護神社の意味今日「八坂」と言えば、京都の祇園町にある八坂神社を思い起こすのではないでしょうか。全国2300社にものぼる関連神社の総本社である八坂神社は、古くから祇園神社としても知られていましたが、明治時代より正式に八坂神社と呼ばれるようになりました。「八坂」という名称は、日本書紀などの史書に記載されている「八坂瓊曲玉」という神宝の名称にも見られることから、古代より、神に纏わる言葉として用いられていたと考えられます。一説によると、「八坂」の語源はヘブライ語の(yasaka、ヤサカ)ではないかと言われています。「サカ」というヘブライ語には、「見る」「期待する」という意味が込められていることから、「ヤサカ」を、「神を見る」と解釈したのです。一方、「八坂」は「神の守護」を意味する(yasako、ヤサコ)と理解することもできます。ヘブライ語で(Sako、サコ)とは、「覆う」または「被せ最終編る」ことです。旧約聖書の詩篇1 4 0編8節には、この「サコ」という文字を使った「頭を覆う」という表現が、「私を守護する」「守る」という意味で用いられています。よって、神を意味する「ヤ」を付けて、「ヤ・サコ」と繋げると、「神の守護」という意味になります。「八坂」という名称は、お守りの役割を果たす八坂瓊曲玉だけでなく、神社の名称にも使われていることからしても、「神の守護」の意味となる「ヤサコ」が多少訛って「ヤサカ」になったと解釈することにより、名前の辻褄が合います。こうして祇園神社は神が守られる八坂神社とも呼ばれるようになり、古代から地域一帯、及び日本国を守護する神を祀る神社として、人々から愛され続けてきたのです。神宝なる五百箇御統とはヘブライ語!古代史に登場する曲玉とは、ごく一般的に、石を磨いて作った装身具のことを指します。時には複数の曲玉を紐で結ぶこともあり、そのため曲玉には紐を通す穴が開けられている場合があります。曲玉を紐で結び、護身用のお守りとしたのが、神宝の-1-一つに数えられている「八尺瓊曲玉」です。中でも、三種の神器の一つに数えられる「八尺瓊の五百箇御統」は、極めて重要な神宝であるだけに、その名前の意味は、極めて重要です。「八尺瓊の五百箇御統」という名称の意味を理解することは、これまで極めて困難なことと考えられてきました。定説がある訳でもなく、解釈の鍵となるキーワードもほとんど見当たらず、あったとしても意味をなさないのです。例えば、「八尺瓊曲玉」の「八尺」は、その漢字の当て字から、長さの単位を意味する「咫」(あた、さか)が語源ではないかという説があります。すると「八尺」とは、およそ144c mもの長さになり、首飾りや手首周りにつける装飾品とは成り得ない大きさになってしまいます。「八咫鏡」の場合では、鏡の円周が144cmであると理解することはできますが、「曲玉」ではそのような解釈ができません。辻褄を合わせるため、「八尺瓊曲玉」の「八尺」を、曲玉を結び付けるための紐や緒の長さであるとか、単に大きい曲玉という意味に捉える説などが浮上しました。さらに、ますます栄えることを意味する弥栄(いやさか)が転じた言葉であるという説なども提言されましたが、どれも納得のいく説明ではありません。「八尺」は「やさか」と読まれたことから、「八坂」と同等の意味を持つ言葉であると考えられます。ヘブライ語で「やさか」とは、神が守ってくださることを意味し、(y a s a k h o、ヤサコ)と書きます。(S a k h o h、サコ)は「覆う」または「被せる」という意味であり、神が守ってくださることを表現する際に使われる言葉です。よって、「八尺」(yasakoho)の意味は「神が守る」であり、厳密には「神が彼を守られる」ことを指しています。八尺の名称を用いて曲玉を形容する場合は、「八坂」の後に、「瓊」(に)という一文字を語尾に付加して、「やさかに」と読むことがあります。「瓊」はヘブライ語で、「私を」の意味で用いられるです。すると(yasakoni、ヤサコニ)は、「神が私を守ってくださる」の意味になります。「八尺瓊曲玉」とは、神が私を守護してくださることの象徴となる曲玉のお守りを指していたのです。次に、「八尺瓊」の後に続く「五百箇御統」(いおつみすまる)という名称を検証してみましょう。とても不可解な言葉であることから定説がありません。一説では「五百箇」を数が多いという意味に捉え、曲玉を緒で貫き、紐でまとめて環状に繋いで、首や胴体に巻くことができるようにしたものを、「御統」(すまる)と想定しています。合わせて「五百箇御統」となり、緒で結ばれた多くの曲玉を体に巻きつけることを指していたと考えたわけです。「イオツミスマル」はヘブライ語で明確に理解することができるだけでなく、漢字で「五百箇御統」という文字が当てられた理由まで知ることができます。ヘブライ語で「イオツミスマル」を綴ると、(heh-otmishmaru、ヘオッミシュマル)となります。(h e h、へ)のは数字の5を表すと同時に、神を表す文字でもあります。聖なる神の名前は発音できないことから、古代よりイスラエルの民は神の御名を象徴するハシェムと呼ばれる神の代名詞を用いてきました。もハシェムであり、神様を指しています。次の(ot、オッ)はサインや印を意味する言葉、もしくは、「あなた」を言い表す(a t a ,アタ)という言葉が多少訛って、「オッ」となったものと理解することができます。(mishmaru、ミシュマル)は、守ることを意味する言葉です。管理や守護することに関する名詞として、「守り主」のような意味合いで使われています。すると、「五百箇御統」という言葉の意味が、ヘブライ語で明確に浮き上がってくるのがわかります。「ヘ‐オッ‐ミシュマル」の最初の「へ」は神を意味し、「オッ」はあなた、または印、そして「ミシュマル」は守り主を指します。よって、これら3つのヘブライ語から構成される「ヘオッミシュマル」は、「神、あなたは(私の)守り主!」となります。また、「オッ」の意味を「印」と仮定すると、「神の印が(私の)守り主!」と理解することもできます。「イオツミスマル」には、ヘブライ語で重要なメッセージが秘められていました。神が守り主であり、神から守られているという思いが神宝に込められ、「ヘオッミシュマル」という言葉によって言い表されていたのです。そして神の名前の代名詞であり、ハシェムとなる頭文字のは、アルファベットの字そのものが数字の5を意味することから、「イ次頁に続く