ブックタイトル日本シティジャーナル vol.172

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概要

日本シティジャーナル vol.172

vol. 172も2通りあるということも、議論を醸し出す要因です。「君」という文字には、「あなた」という意味と、「君主」という意味があります。それゆえ「君が代」は、一般庶民を背景に想定して「あなたの代」と理解することができます。また、天皇は国家の象徴であることから、日本の君主である天皇の存在に重きを置き、「天皇の御代」と解釈することもできます。いずれにしても、「君が代」の歌詞を書かれた作者の意図は不透明なままです。また代々にわたる繁栄を言い表すために用いられたと考えられる「苔のむすまで」という独特の表現が、果たして「天皇の御代」の永続性を語るに相応しい美しい言葉の響きを持つかどうかについても疑問が残ります。天皇を誉め歌うのに、「あなたの御代は苔に例えることができます」と言えるのでしょうか。さらに「千代」がなぜ「万代」ではなく、それよりも短い年数の「千代」とされ、しかも「センダイ」ではなく「チヨ」と発音されたのでしょうか。続く「八千代」も、同様に「ヤチヨ」と発音されています。何故、九千代(くちよ)、七千代(ななちよ)、八万代という言葉が選ばれなかったのでしょうか。疑問は募るばかりです。「君が代」の歌詞には、口ずさむだけで不思議と伝わってくるヘブライ語の響きがあります。ヘブライ語で神を意味する「ヤ」「ヨ」という発音が「千代に八千代に」というフレーズに繰り返されているだけでなく、そこに含まれる「チヨニ」という言葉の発音は、ヘブライ語では「シオンの民」を意味する言葉と全く同じ発音なのです。また、ヘブライ語で救いを意味するish、「イシ」や、イスラエル人にとっては神を意味する「岩」「巌」という表現が含まれていることも気になります。ある日、「君が代」がもしかしてヘブライ語で書かれているのではないかと考え、ヘブライ語の発音表記と仮定して幾度となく読んでいると、驚くことに、一見日本語で書かれた「君が代」の歌詞が、最初から終わりまで一貫してヘブライ語としても読めることがわかったのです。「君が代」は、元来ヘブライ語で書かれた歌であり、その歌詞に日本語がオーバーラップされ、巧みに組み合わさって完成した古代の賛歌と言えます。折句の真髄を極めた天才的な作品である「君が代」には、古代、日本に移住してきた神の民、ユダヤ人の神に対する熱い思いと、その信仰告白とも言える大切なメッセージが秘められています。早速、検証してみましょう。君が代の意味を正しく理解することにより、古代日本の歴史観が塗り替えられることになります。「君が代」の歌詞は、「きみがよは」から始まります。このフレーズは、ヘブライ語で読むと、「クム・ガ・ヨワ」という3つの言葉に分けられます。「クム」はヘブライ語の(kum、クム)が語源であり、「立つ」または「起き上がる」ことを意味します。「が」はヘブライ語で「来る」「来た」、すなわち英語の「c o m e」と同義語である(b a a h、バ)でしょう。すると、ヘブライ語で「キミガ」の意味は、「来て、立ち上がれ!」となります。続く「ヨワ」は、神を意味する「ヤハウェ」の発音が多少訛って「ヤハー」「ヨワー」に転化したものでしょう。YHWHという神聖な神の名を意味する言葉は、人間が発音することのないよう、当初からヘブライ語では母音が付けられていません。よって今日、イスラエル人は神の名前としてハシェムと呼ばれる仮の名を使用しています。このYHWHという子音4文字は、様々な古代の文献や調査から、おそらく「ヤハウェ」「ヤ―ウェー」と発音されたであろうと考えられています。YHWHは、子音の付け方によっては「ヨーワー」とも発音され、いずれにしても、「ヤハウェ」と酷似した発音になります。また、神は「ヤ」という一文字だけでも、同じ意味になります。すると「キミガヨワ」は、ヘブライ語で「クンバヤハウェ」「クンバヤ」となり、「神よ、立ち上がり、来てください!」という祈りの言葉になることがわかります。今日、「クンバヤ」は黒人霊歌として知られ、アメリカを中心に世界各地で歌われています。アメリカ東海岸沿いの諸島に住むアフリカ系の人たちが英語で「Come by here」と歌い、それが訛ったものではないかと言うのが歌詞の背景に関する定説です。また、太平洋諸島をアメリカからの宣教師が訪れた際に、そこで現地の島民が「クンバヤ」と歌っていたという話も伝承されています。「クンバヤ」の正確な発祥の地は不明のままですが、黒人霊歌として親しまれてきたこの歌の語源も、ヘブライ語の「クンバヤ」と考えられます。これは「君が代」という歌のルーツが世界各地で歌われている「クンバヤ」に結び付いているだけでなく、多くの島々に古代、イスラエルの民が渡来し、そこで「クンバヤハウェ」、「神よ、立ち上がり、来たまえ!」と神を祈り求めた結果ではないかと考えられます。「キミガヨ」の後に続く(tsiyoni、チヨニ)は、ヘブライ語でシオニストを意味します。今日、シオニストはイスラエル文化の復興を強行するユダヤ人の運動を意味することが多いのですが、遠い昔では同じ言葉が「シオンの民」の意味で使われていたのではないでしょうか。だからこそ、「君が代」では、「チヨニ」に続いて神を意味する「ヤ」を付加し、「ヤ・チヨニ」と歌い続け、「神の(シオンの)民」「神の選民」への神の恩寵を語り継いでいたのではないでしょうか。つまり「千代に八千代に」は、ヘブライ語で「シオンの民、神の選民」を意味していたのです。次に「サザレ」ですが、これはヘブライ語で(sasah、サッサ)と(sarid、サリー(ド)」と発音する2つの言葉が合成された言葉です。「サッサ」は喜ぶこと、「サリード」は、「残りの民」「生き残る」を意味します。古代、国家を失ったイスラエル人にとって、「残りの民」という言葉の意味は重要でした。祖国が崩壊する最中、生き残った民が神の憐れみにあずかり、再び「神の選民」としていつの日か、立ち上がることが信じられたのです。そのことを「サッサ・サリー」「サッサレー」と歌い、日本語では「さざれ」と読まれるようになったのでしょう。「サッサリ」が形容する「石の」は、古代、「イシュノ」と発音されていたと想定されます。そのヘブライ語ルーツは人類を意味する(e n o s h、エノシュ)の可能性があります。この「エノシュ」が訛り、発音が反転して「エシュノ」に転化したと想定すると、「サッサレー・エノシュ」となり、「残りの民となる人類は喜ぶ」という普通のヘブライ語として読むことができます。また、「イシュノ」を「救い」を意味する(yasha、ヤシャ)(y e s h a、イェシャ)とし、語尾に祈りの願いを込めた感嘆詞として使われる(n a、ナ)を加えて「イェシャナ」「イシャノ」とすれば、救いを求める祈りの言葉としても理解することができます。すると「サッサリー・イェシュナ」は「残りの民は喜び救われよ!」「神の選民は喜び、救いを祈れ!」という意味になります。「細石(さざれいし)」の後には「巌となりて」という歌詞が続きます。一般的には、小粒のさざれ石が長い年月を経て堆積し、いつしか大きな岩に変貌する意味であると解釈されていますが、このフレーズもヘブライ語で綴られた信仰に関する熱いメッセージだったのです。「巌となりて」は、「イワ・オト・ナリテ」という3つのヘブライ語に分けられます。まず、「イワ」は、神を意味するYHWHというヘブライ語の子音に任意の母音を付け、「神」の呼び名として、「イワ」という発音を考案したと考えられます。イスラエルの民にとって、岩は神、または神の象徴であったことから、日本語においても岩は、「神」の名として使われることを想定したのでしょう。それ故、日本流のハシェム、神の別名となるべく、YHWH4文字の子音からなる「イワ」という言葉が生まれ、岩、そして神を意味するようになったのです。それが古代から「岩なる神」と語り継がれてきた所以です。ヘブライ系ユダヤ人のことをアラム語では「IWARAA」「イワラ」、神の民を「YEHUDI」「イフディ」「イワデ」と呼び、「イワ」という発音が含まれるのも、それらに「神」の意が含まれているからにほかなりません。岩は神であることの証として、新約の時代では、イエス・キリストが「救いの岩」と呼ばれたのです。次の「オト」は、ヘブライ語で「私を」を意味する(oti、オティー)が語源と考えられます。そして「ナリテ」はヘブライ語で「見た」を意味する(Niratah、ニラタ)が多少訛った言葉です。N RTという3つの子音から成る「ニラタ」が、ごく普通に同じ子音を持つ「ナリテ」に転化したのでしょう。すると、「イワオトナリテ」がヘブライ語では「神が私を見てくださった」という意味を持っていたことがわかります。最後に、「苔のむすまで」という締めくくりの文章をヘブライ語で解釈してみましょう。この言葉の響きは、君が代の限りない繁栄を詠う言葉にしては、今ひとつ理解しづらいと思う方も少なくないでしょう。しかしながらヘブライ語で読むことにより、これまでの歌詞の流れに沿って、歌全体の文脈を理解することができます。「コケノ」の原語はヘブライ語で「コル」「カノ」という2つの言葉から成り立ち、実際の発音は「コ(ル)カノ」です。ヘブライ語で( k o l、コル)は、「すべて」「全部」を意味します。続く(k a n o ,カノ)は「基礎」「台」の意味を持つ言葉です。ふたつを合わせると「コカノ」「コケノ」となり、「すべての基礎」、すなわち「全地あまねく」という意味の言葉になります。そして、歌詞の最後の「ムスマデ」は、「語られる」「鳴り響く」という意味を持つ(mushma、ムシュマ)をルート語とする(mushumad、ムシュマ(デ))という言葉です。すると、「コ(ル)カノ・ムシュマッ(デ)」はヘブライ語で「全地にあまねく鳴り響く」「全地に向けて語り告げよ」という意味になります。「君が代」の歌詞とは、神の選民であるイスラエルの民が、自らに託された使命を明文化した、力強い信仰告白のメッセージだったのです。「君が代」は、「神よ、立ち上がって来てください!」という祈りの叫びである「君が代は」(クムバヤハ)、という掛け声からは始まります。そして「千代に八千代に」(チヤニ・ヤチヤニ)と呼ばれた「シオンの民、神の選民」は、神の大いなる恵みを受ける「残された民」として喜んだことが、「細石の」(サッサレー・イシュノ)の意味です。さらに、「神は私を見守っている」という信仰告白が「巌となりて」(イワオティーニラタ)と語られ、最後に「神の恵みが全地にあまねく鳴り響く」という思いが「苔のむすまで」(コルカノ・ムシュマデ)という言葉で締めくくられています。「君が代」とは、ヘブライ語で書かれた信仰の賛歌だったのです。そこには、日本人、そして世界中の人が知るべきメッセージが記されていました。「神よ、立ち上がって来てください!神の選民であるシオンの民よ!残された民は喜ぶ!神は私を見ていた。全地あまねく語り告げよ!」(文・中島尚彦)WEBサイト案内日本シティジャーナルをご覧いただきありがとうございます。本紙のバックナンバーはWEBサイトにてすべてご覧頂けます。連載中の歴史に関するコラムは最新情報に随時更新してスペシャルサイト「日本とユダヤのハーモニー」にまとめてあります。ご意見・ご要望等をお待ちしております、FAXやホームページからお寄せ下さい。日本シティジャーナル:http://www.nihoncity.com/日本とユダヤのハーモニー:http://www.historyjp.com/編集後記-3-思いもよらず、熊本で大きな地震が起きてしまいました。東日本大震災以来、毎週のごとく、最も信頼してきた地震科学探査機構のデータを見ながら、周囲には備蓄を訴えてきました。ところが地震が起きた時点で、熊本は警戒地域に入っていなかったのです。実は4月6日に地震予測エリアから除外されていました。如何に地震の予知が難しいかを思い知らされると同時に、次は我が身に起こりうると心得、防災対策を今一度、見直さなければならないと考えています。皆さんの防災対策は大丈夫でしょうか?!NCJ編集長中島尚彦1957年東京生まれ。14歳で米国に単身テニス留学。ウォートンビジネススクール卒業後、ロスアンジェルスにて不動産デベロッパーとして起業、ビジネス最前線で活躍する。1990年に帰国後、成田にサウンドハウスを立ち上げる。現在ハウスホールディングス代表、日本シティジャーナル編集長を兼務。趣味はアイスホッケーと読書、ここ数年は「日本とユダヤのハーモニー」の執筆に勤しむ。