ブックタイトル日本シティジャーナル vol.173
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日本シティジャーナル vol.173
2016年(平成28年)6月10日発行第173刊毎月第3土曜日発行購読無料日本シティジャーナルvol. 173Nihon City Journal発行:ネットハウス〒286-0825千葉県成田市新泉14-3TEL 0476-89-2333 FAX 0476-89-2334[平日]10:00~19:00[土曜]12:00~17:00http://www.nihoncity.com成田市、佐倉市、印西市、富里市、香取市、山武市、船橋市千葉市(花見川区、美浜区)、習志野市、八千代市、四街道市酒々井町、栄町、小林、安食、多古町、横芝光町、芝山町、神崎町発行部数:500,000部日本のレイライン-最終回重要な指標が一直線に並ぶ現象は偶然か?昨今では誰もが当たり前のように活用している地図や旅の情報などが存在しなかった古代、人々はどのようにして未知の地へと旅をしたのでしょうか。乗り物と言えば木造の船しかなく、航空写真はおろか、自分の居場所NCJ109日本とユダヤのハーモニーから続くさえも東アジア科学的な根史拠にを基づいて塗り替いくということはえたイスラエル常套手段だった民族大移動の潮流特定することができなかった時代、日本列島の島々を旅することは困難を極めたに違いありません。ところが、日本の古代民が残してきた歴史の軌跡には、卓越した地理感に基づく人々の志向性と行動パターンを垣間見ることができます。古代の知者が携えていた天文学や地勢学の知識は、今日の常識では計り知れないほど、優れたレベルに達していた可能性があります。例えば、エジプトのピラミッドや、イギリスのストーンヘンジにある環状列石とも呼ばれるストーンサークルは、遠い昔、優れた天文学や方位学、地勢に関する様々な知識を持つ高度な文明が存在していたことの証として知られています。つまり、太陽や星を観測しながら、地域同士の位置付けや方角、距離までも識別することができただけでなく、暦の考察も行われていたのです。古代社会は英知の宝庫であり、経験則に基づく無数の検証が行われながら文明の礎が築かれてきたからこそ、人類は進化し続け、近代文明が開化するまでに至りました。2御神崎ヤヘー岩(伊平屋島)天体観測から地理感を極めた古代人とてつもない天文学の知識と経験を持つ識者が存在したと想定される古代では、天体を観測しながら情報を取集し、それらを分析した上で地理感を極めてようです。未知の地を旅する際には天体観測のデータをベースに、旅する方向や、距離まで見極めていたのは言うまでもありません。太陽の動き、日射の影、日の出、日の入りの方角をはじめとし、月や星、昼夜の時間の相違などの天体事象に目が留められ、古代の民は地球の在り方そのものを学び取っていました。そして長年にわたる言い伝えにも耳を傾け、時には簡単な地図までも描いたことでしょう。こうして天体観測を極めることにより、古代の人々は信じられないほどの地理感を養っていくことになります。古代の旅において、必ずと言っていいほど重要視された情報が、同緯度線上における拠点や指標の確認です。太陽の動きを注視しながら、真東、真西の方角を見極めることは長旅の基本情報であり、方角を定める基準線ともなったのです。それ故、同緯度線上に複数の目印や要所を定め、そこに拠点を設けること自体は決して難しいことではなく、むしろ古代では、当然の成り行きでした。例えば、山や岬のような大自然の地勢を指標として、オノゴロ島(小松島・日の峰山)のレイライン16453宮崎都井岬2 3諏訪大社41香取神宮八ヶ岳伊吹山5御在所岳富士山6諭鶴羽山伊雑宮剣山石鎚山小松島(日の峰山)足摺岬1ヤヘー岩―小松島―諭鶴羽山2御神崎―都井岬―足摺岬―小松島―伊吹山3宮崎―小松島―諏訪大社4小松島―御在所岳―八ヶ岳5剣山―小松島―富士山―香取神宮6石鎚山―小松島―伊雑宮その場所と同緯度に神社のような要所を造営することにより、その位置付けと相互の関連性を明確にすることができました。単に同緯度線上だけでなく、同一の方角に並ぶ位置関係も、古代では重要視されました。例えば夏至や冬至の日の出、日の入りの角度が東西の緯度線よりおよそ30度離れていることに古代の民は着眼し、その角度に連なる地の指標を重要視するようになりました。何故なら、夏至の日の出を拝することは、同じ方角に位置する指標も一緒に拝することになるからです。こうして太陽や星、月を観測することにより、夏至や冬至の太陽の動きに関わる方角だけでなく、あらゆる事象を通じて地理感が培われていくことになります。その結果、複数の指標や人工の造営物が単に同緯度線上だけでなく、あらゆる方向へ直線上に並ぶように工夫されることも珍しくありませんでした。これら自然の指標や人工の社などの拠点を一直線上に並べる最終編ことに、どのような意味があるのでしょうか。答えは簡単です。まず、現地点から、他の拠点を探しやすいという利点があります。真東、真西に進み続ければ、目的地に到達することができるという旅の安心感が大切にされた時代でした。また、同緯度線上でなくても、同じ方角に向かって一直線上に旅すれば、同様に目的地に到達することもできたのです。そのため、標高の高い山々が指標にされることも少なくありませんでした。遠くに聳え立つ山の頂方向に向かっていけば、目的地に到達できるからです。同一線上に指標や拠点を並べるもう一つの理由は、それらの指標を意図的にまとめ、相互を地の力という見えない力で結び付けることが重要視されたと考えられます。例えば-1-神を祀る聖なる場所を建立するプランがあったとします。願わくは、その場所が霊峰などの聖地と結び付き、地の力を受け継ぎたいものです。そのため、聖地同士を結び付けた線を複数見出し、それらが交差する地点に地の力を集中させた新しい拠点が見出されることになりました。例え人気のない、探すのにも難しい未開の山奥のような場所であったとしても、人々は既存の指標を確認しながら、聖地を見出すことができたのです。大事なことは、その聖地に相応しい霊峰や、自然を極めた拠点同士を結ぶ直線上に存在することでした。それ故、著名な神社を通るレイライン上には霊峰や、周囲を海で囲まれた岬などが名を連ねることが多く、それらが頻繁にレイラインの指標として用いられ、旅の目印としても活用されるようになったのです。古代の日本社会では、主に大陸からの渡来者によって、国家の礎となる文明が築かれていきました。彼らこそ、これらレイラインの構築を多用して、古代より日本列島随所に次々と拠点を見出した主人公です。大陸の優れた天文学と地勢学を携えてきたからこそ、西アジア方面から渡来した旅人は、短期間で日本列島の地勢を網羅し、その中に多くの霊峰や岬、地の指標を見出し、随所に神を祀る社を構築することができました。そのためには同緯度線上だけでなく、様々な角度においても指標が一直線に並ぶようにきめ細かく工夫されました。拠点を定めるための基準であり、時には旅の指標となり、また、地の力を結び付ける仮想の線引きが、レイラインの正体です。日本列島では古代、こうしてレイラインの構想が随所で用いられ、新しい拠点がピンポイントで見出され、そこに神の社や港、集落が形成され、国家の礎が築かれていきました。未開の地へ旅する古代人の視点レイラインの重要性を理解するために、今一度、古代社会の有様を想定し、如何にして当時、人々は未知の世界を旅していたかを考えてみましょう。ある日、未開の大きな島に船が漂流し、そこで暮らすことになったと想定してみましょう。どこに港の場所を定めて船を停泊させ、どこに住まいを構え、どこで神を拝するのでしょうか。どのようにして新たに造成する拠点を定め、それらの位置をそれぞれがわかるようにするでしょうか。まず、島をくまなく散策し、山や川、岬、滝など、目立つ自然の地勢に注目するのではないでしょうか。海岸線を歩き回り、時には船から見る陸地の在り方も確認しながら、岬のような突出した地形や、大きな岩場などは、大切な目印としてすぐに覚えられたことでしょう。さらに平野部と山間部、随所に流れる川にも目を留めるはずです。海や川の近くに住むことは、魚を食するだけでなく、生活のための水を確保するためにも重要です。これらの周辺地域に関する下調べを終えた後、船や徒歩でのアクセスが良く、地域の安全が確保され、水はけがよく、日当たりの良い地勢を有する場所を見出して、そこを自らの居住地と定めるのではないでしょうか。こうして海へのゲートウェイとなる港に適した地勢を有する場所が特定され、漁労に出航するにも最適な地が厳選されました。つまり、十分に周辺の地勢を検証したうえで、人間が住むにもっとも相応しく、安全でわかりやすい場所、エリアが厳選されたに違いないということです。しかしながら大きな島では、港に適した場所が随所に存在するため、場所の特定には困惑することもあったはずです。そこで、誰もがわかりやすく港を見つけることができるように、その場所を例えば、島の最高峰と同緯度に設けたり、島の岬同士を結んだ線上に見出したりするような工夫が凝らされたのではないでしょうか。島の最高峰と同緯度線上に港を造成すれば、たとえ地図がなくても太陽の動きを見ながら、まっすぐに進むだけでその場所を見つけることができます。次に、島の最高峰となる位置も確認したことでしょう。そこからは360度、島の周囲を一望できるだけでなく、島の中心的な存在として、誰でも簡単に見出すことができるからです。海から距離を置いて山間にも集落を造成することも、時には重要でした。山の中では狩猟を行うことができるだけでなく、住居の建造に必要な木材を確保することができるからです。また、山には神が宿るというような山岳信仰も古代では根強く普及していたことから、山々の要所には神を祀る祭祀場が設けられ、季節に応じ次頁に続く