ブックタイトル日本シティジャーナル vol.178

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概要

日本シティジャーナル vol.178

vol. 178の通る道なのです。修験道の行者は山伏と呼ばれ、その頭には兜巾と呼ばれる尖頭円型をした黒色の被り物を付けています。それは大日如来と一体になることができることの印とも言われています。また、山伏は法螺貝を吹くことでも有名です。山伏のルーツはおそらく古代イスラエルに由来すると考えられます。祈る際に、古代イスラエルの祭司は山伏のように白い服装を身に付け、ヒラクリティーと呼ばれる神の言葉が記された小さな黒い箱を頭に被り、羊の角笛であるショーファーを吹き鳴らしました。その姿は正に、兜巾を被って法螺貝を吹く山伏の姿と同じです。また、旧約聖書によると、人が神と出会う場所は高い山であったことから、神と出会うために山に登ることは、イスラエルの民にとってはごく当たり前のことだったのです。その古代イスラエルの慣わしと信仰が山伏によって受け継がれ、今日まで大切に守られてきたのではないでしょうか。金峯山寺では神仏和合に基づき、巡礼ルートの一端を担うことも大切に考えられています。神仏霊場会奈良二十六番札所や、役行者霊蹟札所会の札所、そして大和四神めぐりの巡礼地としても金峯山寺は名を連ね、連日、多くの参拝者が訪れています。また、修験道を学ぶ者は、自ら他の巡礼地へ足を運び、日本全国各地を行脚しながら、山岳地帯において修練と学びの時を持ちます。こうして霊性を高めていくことに努めているのです。これらの修験道の背景を考慮するならば、カンカカリャーが祭祀者となる宮古島のINORIE聖会において、修験道を象徴する金峯山寺の真骨頂とも言える護摩供が住職のチームによって導かれたことは、正に奇跡のコラボだった言えるでしょう。多くの人々が宮古の聖地に集い、根間ツルコ氏の祈りと共に修験道者も祈りを捧げ、そこで共に神を祀ることができた瞬間こそ、皆が願い求めていた平和の具現化と言えるのではないでしょうか。2017年宮古島INORIE5555月27日、宮古聖会INORIEの当日、筆者は早朝6時40分羽田発の飛行機に乗って宮古島へと直行便で飛びました。ちょうど3時間のフライトでした。事前に60名ほどの参加者があることを主催者側から聞いていましたが、とにかく初めての試みでもあり、ワクワク感がつのります。1時20分頃、集合場所の砂山ビーチ駐車場に到着すると、そこには既に大勢の参加者が、I N O RI Eとプリントされた白いTシャツを着て、根間氏ら御一行が到着されるのを待っていました。この人達と世界の平和、日本の平和を祈り、ひいては宇宙の融和という大きなテーマまでも想定して、天にもつながる聖地で祈祷会が行われるのかと思うと、心が弾んできます。聞くところによると、大半の方々はこの一大イベントのため県外から来ているとのこと。そして定刻の1時半になると、根間ツル子氏が主催者らと一緒に乗用車で来られました。そこから皆と一緒に車で移動し、海岸近くの樹木に囲まれた、ちょっとした森のような場所を走っていると、目の前に大きな鳥居が見えてきました。その前から狭い道沿いに何十台となく車が一列に止められ、そこから最初の祈りの場所まで歩いて行くことになったのです。10 0mほど歩くと、ひっそりとした森の木陰には、すでに祭壇が作られており、金峯山寺の住職に導かれ、祝詞があげられました。その場所の名前は定かではありませんが、地元の方々は、パザカンミと呼ぶことがあるようです。少子高齢化と過疎化の影響が厳しい離島の地域だけに、宮古島も例外にもれず、地名に限らず古来の風習や言い伝え、宗教的儀式などが、矢継ぎ早に失われつつあります。パザカンミのような古代の聖地を、いかに大切に守り続けるかが今後のチャレンジであり、人々の祈りがあってこそ、宮古島の平和が守られるのではないかと祈らずにはいられませんでした。宮古島の聖地へ入る入口の鳥居30分ほどして祝詞の儀を終えた後、再び皆と共に車で近くのクーラバマと呼ばれる海辺へと移動することになりました。宮古島を最初に訪れた際、何も知らずに筆者もその海辺を歩いた記憶があり、再び同じ場所に戻ってきたことを不思議に思ったものです。公園の駐車場に車を止めて、そこから細道を下って川を渡ると、すぐに砂浜が見えてきました。そして砂浜の一角では既に、金峯山寺から来られた修験道者によって護摩法要を執り行うための準備が完了していました。海辺に作られた祭壇のお供え物古代では柴や薪で壇を構築したことから、真言系の修験道において護摩法要は、柴燈大護摩供(さいとうおおごまく)とも呼ばれています。その伝統的な儀式が、宮古島の海辺で行われることになったのです。野外の海辺で催される護摩法要であることから、祭壇が作られた場所の四方には、1辺が10m少々の長さにしめ縄が張り巡らされていました。宮古島のクーラバマが正に聖地化され、結界した時でした。そして祭壇手前の中心には、1m四方、高さも1mほどの壇が構築され、その中に積まれた護摩符は壇の枠組みと共に青葉で覆い飾られていました。しめ縄で結界された護摩法要地しばらくして、道場の四方が清められた後、法螺貝の響き柴燈護摩壇の周囲を回る参拝者と共に山伏団が大声をあげて自ら名乗りを上げ、問答を繰り返して唱えながら、しめ縄を切って後方より隊伍を組んで結界へ入場してきました。そして住職が祭壇と相対する位置に座られると、山伏らは刀をもって護摩壇を打ち振い、道拓きをする儀式と進みました。直後、大灯火が青柴と古材に点火され、柴燈護摩壇からたちまち、白い煙が舞い上がり、一気に燃え始めたのです。すると、すぐに般若心経の大誦読が始まり、怒号のように響く山伏の声の響きに、一部参加者の誦和も加わり、舞い上がる火の手と共に、あたりは騒然とした雰囲気に包まれました。その山伏の般若心経の祈りの響きと、檀からもくもくと舞い上がる煙と共に、根間ツル子氏も祭壇の前で微動だにせず祈り続けておられました。三位一体、神仏融合を念頭に企画された聖会でしたが、正にその思いが実現した時でした。神を信じる者、仏を信じる者、そして共に祈りを捧げたく参加した者、皆が一つになって祈りを捧げ、宮古島のクーラバマから舞い上がる煙と共に、その祈りの思いが天にまで届くように思える平安の時を過ごすことができたことに感謝があふれてきました。(文・中島尚彦)カリフォルニアのおいしい水アクアヴィル求人情報個室露天、食事処やスパも備える人気の天然温泉店頭価格送料込価格1本あたり(500mlPETボトル)大和の湯、サウンドハウス・ショールームにて(税抜)日本全国へお届けいたします(税抜)カリフォルニア州にて採水、逆浸透膜、オゾン殺菌処理により安心なお水ですご注文は、お電話またはWEBサイトへ!サウンドハウス?0476-89-1111アクアヴィル24本48本19.3円463円1,713円http://www.soundhouse.co.jpお気軽にお問い合わせください調理アシスタント調理補助、キッチン業務全般パ時給1 ,100円~時間/9 : 0 0 ?22:0 0※シフト制・時間応談、経験者歓迎給与?上記参照※経験・スキルを考慮休日?シフト制待遇?社保完備、大駐車場あり、制服貸与、当館無料優待(家族含む)など応募?右記まで電話連絡の上、履歴書持参くださいフロアスタッフレストランでの配膳、フロント受付他パ同時募集時給1 ,000円~時間/9 : 0 0 ?22:0 0※シフト制・時間応談、経験者歓迎マッサージ施術師・セラピスト[業務]高級感ある当館施設内での施術[資格]各種資格取得者歓迎します[時間]11:00~21:00内でシフト制[給与]委細面談(経験者優遇高歩合)[応募]電話連絡の上、履歴書を持参〒286-0841千葉県成田市大竹16300476-28-8111e-mail:info@yamatonoyu.com(担当:採用係)WEBサイト案内日本シティジャーナルをご覧いただきありがとうございます。本紙のバックナンバーはWEBサイトにてすべてご覧頂けます。連載中の歴史に関するコラムは最新情報に随時更新してスペシャルサイト「日本とユダヤのハーモニー」にまとめてあります。ご意見・ご要望等をお待ちしております、FAXやホームページからお寄せ下さい。日本シティジャーナル:http://www.nihoncity.com/日本とユダヤのハーモニー:http://www.historyjp.com/編集後記-3-最近ふと、宮古島の美しい海辺の景色を思い起こすことがあります。その宮古島の海辺で開催された祈りの会は、宮古の霊能者と修験道者が心一つにして祈るという、これまで聞いたことのない一大コラボレーションのイベントでした。先が見えぬまま参加させて頂きましたが、ふたをあけてみると、天候にも恵まれ、大勢の参加者と共に思いを一つにし、手を取り合い祈ることは大切なことだと、海辺で考えさせられる大変有意義なひとときを持たせていただきました。NCJ編集長中島尚彦1957年東京生まれ。14歳で米国に単身テニス留学。ウォートンビジネススクール卒業後、ロスアンジェルスにて不動産デベロッパーとして起業、ビジネス最前線で活躍する。1990年に帰国後、成田にサウンドハウスを立ち上げる。現在ハウスホールディングス代表、日本シティジャーナル編集長を兼務。趣味はアイスホッケーと読書、ここ数年は「日本とユダヤのハーモニー」の執筆に勤しむ。