ブックタイトル日本シティジャーナル vol.183

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概要

日本シティジャーナル vol.183

2017年(平成29年)12月2日発行第183刊毎月第3土曜日発行購読無料神宝の行方を追う古代史のロマン歴史の舞台から置き去りにされた四国ロマンに包まれた古代のミステリーツアーは四国の剣山から始まる、と言っても、誰もピンとこないことでしょう。それもそのはずです。関東在住の人で四国を旅したことのある人は限られており、つい最近まで明石海峡大橋もなく、徳島へは船か飛行機で行き来するしかなかったのです。そして天候が崩れると、四国への道はすべて閉ざされていました。日本の歴史は淡路島から始まり、徳島を中心とする阿波の国が古代から重要な位置づけを占めていたにも関わらず、何故かしら日本書紀や古事記において、四国はほぼ、かやの外に置かれ、歴史のベールに包まれていたのです。一説によると、記紀に記されている「黄泉の国」とは、四国を指すのではないとさえ言われています。それは死国を意味するとも囁かれるようになりました。日本国史の表舞台から四国は最も遠い存在に置かれてきたのです。古代では四国の東方はデルタに囲まれ、湿地帯が広大なエリアを占めていました。大きな河川が多いことから旅することが困難なだけでなく、一度陸に上がると、そこからは、急斜面に囲まれた断崖絶壁の山々が続いたのです。四国南方の高知県沿岸も湿地帯が多いだけでなく、時には巨大な津波に襲われることを古代の人々は知っていました。よって、四国という島そのものが、人が居住するにふさわしくない島に思われていた可能性も否めません。人があまり寄り付かない島であったからこそ、むしろ、古くからの文化を温存することができる場所であったとも考えられます。特に人が旅することが困難な急斜面に囲まれた高山や、人気のない遠隔地の離島などでは、外来者の介入や妨害を受けずに大切なものを秘蔵することができたと考えられます。もしかして古代の識者らは、そのような目的意識をもって、わざわざ四国を古代史の舞台から消したとは考えられないでしょうか。大切な何かが四国で秘蔵され、それらを後世に託すため、構想された可能性があるのです。剣山から始まる古代史のロマンツアー四国の霊峰、剣山は石鎚山に次いで西日本では2番目の標高を誇ります。その頂は、紀伊半島や淡路島、伊島、瀬戸内からも遠くに眺めることができます。剣山では古くから、ソロモンの秘宝が隠されているとか、山頂周辺には神宝が埋められている、などの伝承が残されています。剣山とその周辺一帯には、霊峰と言われるにふさわしい特異な面持ちがあります。山の頂上付近には巨大な宝蔵Part.I石や鶴石、亀石などの奇石が存在し、頂上の近NCJ109くからはご日本とユダヤの神水ハーモニーから続くが流れ出ています。また、近隣の神社や遺跡にはイスラエルや邪馬台国に関わるルーツが噂されているものが少なくありません。剣山はいつの日も、神宝に関わる題材と古代史のロマンに溢れています。剣山の頂上からは、東西南北にわたりパノラマの風景を眺めることができます。北方には瀬戸内が目に入り、その先には山陰の霊峰、大山を望むことができます。その東側には淡路島も見えます。そして真東を見ると紀伊水道を一望でき、更に遠くを見渡すと熊野の山脈が広がっています。南方には遠く太平洋を望み、そして西方には西日本最高峰の石鎚山の頂上を見ることができます。パノラマの絶景を楽しむことができるということは、逆からも剣山の頂上を望むことができるということです。古代の渡来者の多くは南方から船に乗って航海を続け、紀伊水道を経由してまず、淡路島に最終編到達したことでしょう。その航路から見える最高峰が剣山だったのです。紀伊水道の途中にある伊島に停泊した時でも、また、淡路島の内陸からも剣山は最高峰として日本列島を旅する者の目に映りました。古代の民が信仰していた神は、高き山に住ま東アジア史を塗り替えたイスラエル民族大移動の潮流われる神として知られていたことから、国生みの原点である淡路島から見て最高峰の剣山が霊峰として認識されたことは言うまでもありません。しかも四国の山は険しく、随所に断崖絶壁が広がることから、霊峰の山頂に到達することは容易ではなかったのです。禁断の地とも思われた人里離れた剣山こそ、古代の聖地となるにふさわしい地勢を有していたのです。聖地を結ぶ仮想線の不思議剣山への憧れと思いを馳せていた2006年のある日、パソコンを見ながらふと、GOOGLEマップを開いて剣山の頂上から伊勢神宮に向けて線を引いてみました。すると地図上に引かれた赤い直線が高野山のマークがついている丸印の真上を通り抜けていることに気がつきました。高野山という山はなく、周辺一帯が高野山と呼ばれていますが、それでも地図上に記された高野山の箇所をぴたりと通り抜け、伊勢神宮と繋がっていることを目の当たりにしたのです(2017年現在、GOOGLEマップにおける高野山の丸印は金剛峯寺の3.6km南に位置し、2006年当時とは異なっています)。空海の最後の拠点となった金剛峯寺も、その直線から1km少々離れた所にありました。足元の悪板い急斜面に囲まれ、決して住み長心地の良い場所とは言えない高野山の山麓を、空海が生涯を終原える地としてわざわざ選んだのは、その繁場見所が剣山と伊勢神宮に結び付け:菅られている一直線上の場所であったからではないか、そんな思いが脳裏をかすめました。そこで、空海という偉大な人物像に注目し、古代史をこれまでとは違った観点から見つめ直してみました。剣山と神宝に纏わる空海の想い空海にとって、生まれ故郷の香川の地から眺めることのできる剣山は、憧れの霊峰であったに違いありません。香川方面から徒歩で剣山を登頂する際には、片道1か月の旅を覚悟しなければなりませんでした。その途中、巨石が祀られている美馬市穴吹の石尾神社を訪れ、そこで神を参拝してから剣山へと向かうことが、古代からのしきたりになっていたのです。そして石尾神社から杖立峠を越えて剣山頂に向かう旅路は大変険しいものでしたが、それでも古代の人々は、剣山の山頂を目指してひたすら歩き続けたのです。信仰に熱心だった空海も、剣山を登頂したに違いありません。そして剣山に纏わる多くの伝承を学び、それらに関連する史実を研究したことでしょう。中には、イスラエルのルーツが噂される遺跡や伝承も多く存在したことから、語学の天才である空海は率先してヘブライ語も学び、理解することに努めたのではないかと思われます。そして多くの日本語や地名などが、実はヘブライ語で大事な意味を持つだけでなく、古くから執り行われている宗教的な行事もイスラエルの文化と密接している極上の天然黒湯上質な大人の隠れ家でゆったりとやすらぐ美味しい寿司に舌鼓!冬の旬メニュー旬の刺身...................600円~あん肝...........................600円生牡蠣(2ヶ).........700円しらこポン酢.......800円ココ・ファームワイナリーワインフェアー「サミット(主要国首脳会議)」の晩餐会での乾杯に用いられ、「JA Lのファーストクラス」にも採用されている“奇跡のワイナリー”風のエチュード4,200円(グラス600円)トリップアドバイザー全国TOP20ランクイン口コミで選ぶ“行ってよかった”日帰り温泉&スパwww.yamatonoyu.com12種類の内湯・露天風呂温泉と食事を楽しむ個室露天天然温泉の様々な効能・効果入館料[平日]800円/[土日祝]1000円※小学生の入館料:300円(大人同伴の入館の場合)営業時間10:00-22:00※年中無休(全館禁煙)未就学児の入館はご遠慮くださいTE L0476-28-8111千葉県成田市大竹1630■スパ&フィットネス1F極上のリラックスタイム体のケアと癒しをプライベートな空間で体験。至高のひとときを約束いたします。《ご利用料金》?アロマテラピー.......(30分)4,500円~?リフレクソロジー....(15分)1,800円~?ボディーセラピー.....(30分)3,200円~?フェイシャルセラピー..(30分)4,000円~●サンクス408●イオン成田?安食成田安食バイパス空港通り成田18IC上福田交差点土屋交差点坂田ヶ池★18成田市街地?51?我孫子方面下総松崎JR成田線成佐案内看板●田倉▼?安食松崎街道佐倉▼東関東自動車道成田空港グラス600円-2-