ブックタイトル日本シティジャーナル vol.185

ページ
1/4

このページは 日本シティジャーナル vol.185 の電子ブックに掲載されている1ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play

概要

日本シティジャーナル vol.185

2018年(平成30年)2月24日発行第185刊毎月第3土曜日発行購読無料日本シティジャーナルvol. 185Nihon City Journal発行:プレスハウス〒286-0825千葉県成田市新泉14-3TEL 0476-89-2333 FAX 0476-89-2334[平日]10:00? 18:00[土曜]12:00? 17:00http://www.nihoncity.com成田市、佐倉市、印西市、富里市、香取市、山武市、船橋市千葉市(花見川区、美浜区)、習志野市、八千代市、四街道市酒々井町、栄町、小林、安食、多古町、横芝光町、芝山町、神崎町発行部数:500,000部マチュピチュとクスコへの冒険旅行世界遺産への旅路には想像を絶するチャレンジが一杯!地球の裏側、ペルーの山奥に位置する空中都市マチュピチュは、世界遺産に指定されている数多くの遺跡の中でも人気が特に高く、今や世界トップクラスの観光名所となっています。15NCJ109日本とユダヤのハーモニーから続く世紀インカ帝国の遺跡として名クスコまで飛行機で行き、そこ東アジア史を塗り替えたイスラエル民族大移動の潮流高く、ケチュア語で「老いた峰」を意味するマチュピチュの写真を見ながら、ある日ふと、その建造物と段々畑をどうしても見たくなりました。突拍子もない思いつきなのですが、日本の琉球諸島とマチュピチュが歴史的につながっている可能性があるように感じられたのです。2014年3月、日本の最南端に近い与那国島をダイビングして海底遺跡を探索しました。そこで潜水チームと一緒に海中で目の当たりにしたのは、信じられないほど整然に整えられた、段々畑の跡としか考えられない光景でした。それらがすべて自然の産物だ、という説もあるようですが、どう見ても人口の遺物にしか見えません。そこには階段があり、通路があり、広場があるだけでなく、三角形の星の形をしたような大きな石の像も彫られているように見えます。そして後日、海中写真に見入っていると、そこに映しだされた光景と、マチュピチュの姿に類似点が多くあるように思えてきたのです。百聞は一見に如かず。自分の目で確かめることにしました。急遽マチュピチュへと旅立つ2018年1月、仕事でロスアンジェルスに行くことになり、その5日後にはヨーロッパでの会議が控えていました。一旦は日本に帰国し、その後にヨーロッパへと再び旅立つというのが常套手段ですが、アメリカから向かった方が近いこともあり、これは天与のチャンスと考え、マチュピチュを含むペルーのインカ遺跡を経由してヨーロッパに行くことを急遽、決定したのです。4泊5日の寄り道となりますが、インカ遺跡を訪ねる最初で最後のチャンスと思うと、ワクワク感がつのります。突如のことなので旅行プランを立てる時間もなかったことから、WEBサイトを見て、ごくアバウトに旅程を考えることにしました。世界各地を巡り歩いてきた筆者ではありますが、それまで南アメリカには行ったことがなく、ましてやペルーの山奥に関する知識などまったくありません。マチュピチュに行くには、インカ帝国の首都があったから移動するのですが、調べてみると、マチュピチュ遺跡を見るには事前の予約とチケットの購入が必要であり、しかも通常は1日足らずで観光を終了するというハードルがあるようなのです。よって、4泊5日の旅を通じて、マチュピチュだけでなく、クスコ周辺の観光名所となっているメジャーなインカ遺跡も全部見るという大胆な計画を立てることにしました。一番気を使ったのは、天候です。というのも2月はマチュピチュの雨季にあたり、連日雨が降るようです。せっかく地球の裏側まで行っても、雨に降られて写真さえまともに撮ることができなければ、ショックは隠せません。よって長期天気予報と睨めっこしながらマチュピチュに行く日取りを決めようとするも、毎日が曇り時々雨のようなので、こればかりは運を天に任すことにしました。そして到着直後はクスコに宿泊し、周辺のインカ遺跡を見学した後、旅の後半でマチュピチュを訪ねることにしたのです。調べてみて特にわかりづらかったのは、クスコからマチュピチュまでの移動手段です。電車を使うにも複数の駅があり、どこまで車を使うのか、また、インカトレイルを歩いて行く方法もあるのかと、わからないことだらけです。また、マチュピチュに入るチケットは事前に購入しておかないと、場合によっては人が一杯で入れないこともあるようです。同様に電車も事前予約が必須というネット情報もあり、先行して旅程を組む必要に迫られました。また、ツアーガイドなしではマチュピチュ観光は難しいという書き込みも散見最終編最終編されますが、生まれてからこの方、ガイドを使って旅行したことなど一度もないのです。そこでまず、マチュピチュのホテルをネットから予約し、定評が高く割安に思えたCasa DelSolホテルに一泊することにしました。実はこの選択肢が功を奏したのです。何故なら、サービス抜群のコンシェルジェが存在し、宿泊とは全く関係ない旅の質問に対しても、親切丁寧に、すぐにメールで返信してくださったからです。ネットで調べてもわかりづらいことを何でも聞くことができたからこそ、ぎりぎりで計画をまとめることができました。そのコンシェルジェとのやりとりから分かったキーポイントは以下のとおりです。1クスコからオリャンタイタンボまでは車で移動し、そこからPart.IIマチュピチュ行きの電車に乗り、チケットは事前に購入しておく。2車の手配は事前に運転手を予約し、ホテルの方で紹介する。3マチュピチュのツアーは99%の方がツアーガイドが使う。4マチュピチュの徒歩ツアーはワイナピチュの登頂に3時間、サンゲートに2時間、インカ橋に1時間、そしてマチュピチュ砦に2時間、合わせて8時間かかる。5マチュピチュとワイナピチュ(隣接する山)のチケットは、入場時間の枠が決められているので、事前に購入する。こうしてコンシェルジュと何度かやり取りするうちに、マチュピチュへの旅程が固まりました。飛行機でクスコに夕方着いた後、2日目の早朝から1日掛かりでクスコ周辺のインカ遺跡を個人で巡り歩きます。3日目は運転手と朝、ホテルで合流し、クスコから北東20km程離れたピサック(Pisaq)でインカ城壁や神殿、遺構を観て、その後、北西方向に60km程移動して円形テラスで著名なモレイ(Moray)とウルバンバの谷を観光し、その後、オリャンタイタンボの遺跡を訪ね、そこからマチュピチュ行きの電車に乗ることにしました。電車の出発は午後4時43分ですから時間の余裕はありませんが、インカ遺跡をすべて見るにはこれしか術がないと思われました。電車の予約は基本、インターネットから行い、チケットを事前購入します。マチュピチュ行きにはInca Rail(インカ鉄道)とPeru Rail(ペルー鉄道)の2社があり、一長一短のサービスを提供しています。そしてどちらが良いのかわからないまま、行きはインカ鉄道のExecutiveClass、帰りはペルー鉄道の超豪華なBelmond Hihramと呼ばれる列車を予約し、マチュピチュへの旅を締めくくるご褒美としてとっておくことにしました。インカ帝国の首都クスコに到着1月27日、コスタリカを経由して夕方4時に南米ペルーのクスコに到着しました。飛行機のタラップをおりて地面を踏むと、そこはペルーの高地。周辺の山並みがきれいに見えます。そして小ぶりな空港ビル内に入り、廊下を歩いていたその時、突如、ぐらっと足がふらつき、頭がぼーっとしてきました。とっさに富士山で高山病になったことを思いだしました。そして遅ればせながら、クスコは標高3400mの高地にあり、3776mある富士山の頂上とさほど変わらないことを思い出しました。でも意識はしっかりとして、体も動いていたことから、大丈夫だろうと自分に言い聞かせ、タクシーに乗りました。ところが街に向かっている途中、なんと眼鏡を飛行機に置き忘れてきたことに気が付いたのです。それでも早くホテルにチェックインしたかったことからUターンはせず、後で空港まで取りに行くことにしました。ホテルからの距離は5km弱。せっかくだから自転車を借りて、観光がてら空港に向かえばいいと安易に思ってはみたものの、そもそも自転車に乗っている人が全く見当たりません。バイクに乗っている人もほとんどいないのです。そして街中は車が多いだけでなく、石畳の道が目立ち、とにかく坂道が目立ちます。ホテルに到着した時、時刻は既に夕方の5時を回っていました。夕暮れまでには戻ってきたかったので、急いで街中に飛び出してレンタルバイクを探し回っていると、原チャリと古いオートバイが1台ずつ置いてある小さな店をみつけました。そして何十年ぶりだろうか、原チャリに乗ることを決意!それが恐怖のバイクツアーの始まりとなり、早速クスコで洗礼を浴びることになったのです。(文・中島尚彦)このマチュピチュ旅行の続きは、http://www.historyjp.com/に掲載しています。是非ご覧下さい。-1-