ブックタイトル日本シティジャーナル vol.196
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日本シティジャーナル vol.196
2019年(平成31年)4月20日発行第196刊毎月第3土曜日発行購読無料もっと古くに再建された黄金門もあります。ヘロデ門の再建時期は明確ではありませんが、その門にある紋章は古代より存在したからこそ、再建された際には再び、同じ場所に彫られたと考えられます。ヘロデ門の紋章は、中心の円形部分が大きいことが、菊花紋との大きな違いです。シュメール王朝が存在した今日のイラクにあるバビロン遺跡では、紀元前575年にネブカドネザル王の命によって建造されたイシュタル門が残されています。そこにも菊花紋に類似した紋章が、王家の紋章として描かれています。実際、イスラエルの歴史を辿ると、イスラエル民族の族長の父と言われるアブラハムは元来シュメールの出身でした。そのシュメール文化圏内において、バビロン王国が台頭したのです。そして前6世紀、バビロンによって滅ぼされたイスラエルの民は、捕囚の民としてバビロンに連れて行かれます。時を経て、優秀なイスラエル人はバビロン王国にて地位が格上げされ、国家に貢献したことが歴史に残されています。それ故、エルサレム神殿のヘロデ門と同じ紋章がバビロン遺跡のイシュタル門に残されていても、何ら不思議はありません。シュメールとイスラエル、バビロンは、イスラエルの民族史の中でも時代こそ違え、イスラエルの民が育まれた大切な場所であり、古くから根付いた文化は世代を超えて踏襲されてきたことでしょう。その結果、菊花紋のデザインが古代より西アジアでは使われ続けてきたと考えられます。古代文明において、紋章は自然界に住む神々と人間との関係を象徴するものであり、神聖文字を図案化したとも考えられます。それ故、菊花紋に類似したデザインは、当初、天を照らす太陽の神のシンボルとして考案され、次第に菊のような形状に整えられていったのではないでしょうか。そして16弁のデザインは古代、シュメールにおいて王家の紋として普及しただけでなく、その後、イスラエルやバビロンなど中近東の地域において、王家の紋章として用いられたのです。西アジア文化に由来する菊花紋の真相もしかすると、歌を詠まれることに没頭した後鳥羽上皇は、古代の様々な文献に目を通している際に、この菊花紋のデザインが描かれている記録を見つけ、それが西アジアでは王家のシンボルであることを知り、そのデザインをこよなく愛したのかもしれません。いずれにしても、菊花紋のデザインは古代、シュメールをはじめ、中近東の地域で使われていた王家の紋章に酷似していることから、菊花紋は日本国内における創作の産物ではなく、海外に由来した可能性が高いようです。紀元前2000年ごろに歴史から消え去ったシュメールにルーツを持つイスラエルの末裔が、前7世紀に国家を失った後、日本に渡来して皇族の歴史が始まったと仮定するならば、後鳥羽上皇をはじめとし、多くの天皇が、その家紋を大切にしてきた理由が見えてきます。また、平安時代、それら西アジア文化の影響を多大に受け、ネストリウス派キリスト教など西アジアの宗教が広まっていた中国の西安にて学んだ空海も、様々な文献を研究する最中、菊紋章の存在に目を留めたかもしれません。そして空海は帰国後、仮名文字の普及とともに「いろは歌」を創作した際、その折句に含めたイエスキリストのメッセージとともに、西アジア王朝の象徴でもある菊花紋も文様として広めたとも考えられます。皇族と近い関係にあった空海だけに、平安初期の桓武天皇をはじめ、後鳥羽上皇の時代に至るまでの天皇も、空海が中国大陸から持ち帰った菊花紋のデザインに触れる機会があった可能性があるのではないでしょうか。シュメールとイスラエル、そして日本の皇室が菊花紋を共有している事実は単なる偶然ではなく、古代日本の歴史を刻んだ大和の民のルーツが、イスラエル、さらにはシュメール文化に由来していたからと考えられます。紀元前722年、北イスラエル王国の10部族は国家を失い、離散した民の行方はわからなくなりました。直後、イスラエルのエルサレム神殿がある南ユダ王国の滅亡も預言者によって再三指摘され、預言者イザヤに導かれた南ユダ王国の王族と祭祀らは、神の契約の箱とともに、密かに国家を脱出したと考えられます。ダビデの子孫による王国は、神が約束されたとおり永遠に続くと固く信じたイザヤ一行は、聖櫃とも言われる契約の箱を護衛しながら、預言によって示された「東の島々」を求めて旅立ち、アジア大陸の沿岸を船で東方へと移動しました。そして最終的に大陸より南西諸島へと渡り、琉球を経由して日本に到達したのです。北イスラエル王国が滅びてからおよそ60年後の紀元前660年、南ユダ王国が崩壊の危機に直面している最中、時を同じくして広大なアジア大陸の東の果てに浮かぶ日の出ずる島々では、倭国の歴史が幕を開けます。国生みの神々は、高天原を経由して日本列島に降臨したと日本書紀や古事記は伝えています。もしその主人公がイスラエルから渡来したイザヤ一行であったとするならば、菊花紋のルーツも理解しやすくなります。イスラエルと日本の文化には多くの共通点が見受けられますが、それが単なる偶然とは言えない根拠の原点が、この暦の接点にあります。北イスラエル民族が歴史から消え去り、南ユダ王国の崩壊が始まった直後、遠い東の新天地で倭国紀元前23世紀アッカド王朝ナラム・シンの戦勝記念碑の歴史が始まった事実を見逃すことはできません。イザヤ一行が日本建国の主導者であったことは、単に時代の一致だけではなく、史書の記述からも理解できます。国生みの先陣をきって列島を探索し、島々を見出したのが伊耶那岐神です。日本書紀には、伊耶那岐神の父の名前は「面足命」と記されています。「面」は訓読みで「オモ」、「足」は中国語で「ツ」または「ジュ」と発音することから、「オモツ」「アモツ」と読むことができます。旧約聖書でも預言者イザヤは、「アモツの子、イザヤ」と書かれています。つまり、イスラエルのイザヤと伊弉諾命は同一人物であることを、史書から知ることができます。その前提で古代史を振り返ると、菊花紋のルーツが古代の西アジアにあるだけでなく、日本の古代史に纏わる多くの謎を解明することができます。(文・中島尚彦)参照:暗号文としての「いろは歌」http://www.historyjp.com/article.asp?kiji=165寿司バー3階旬の食材心からのおもてなしトリップアドバイザー2018年エクセレンス認証緑の風、若葉のささやき極上の天然黒湯ボディーケアーくつろぎの個室空間最上級の癒しをプライベート空間で体験できるリゾート風スパ1階《季節のお薦め》ホタルイカの酢味噌和え……480円真鯛の刺身…………………980円桜海老の握り………………200円?アロマテラピー……………30分4,500円?ボディセラピー…………30分3,200円?リフレクソロジー…………15分1,800円?フェイシャルセラピー……30分4,000円営業時間10:00?22:00年中無休(全館禁煙)1階入館料フィットネス&プールLife Fitness製マシン12台、9mのプール運動を通じて身体と心をリフレッシュ?ジム………1,000円[平日]800円[土日祝]1,000円?ジム+プール…2,000円小学生: 300円(大人同伴の場合)未就学児の入館はご遠慮ください●とてもリラックスできましたお客様の声●スタッフの笑顔に癒されました●個室でのボディケアは最高●とても食事が美味しかった●腰痛に効果あり、軽くなった●肌がつるつる、すべすべに千葉県成田市大竹1630(坂田ヶ池公園近く)0476-28-8111 http:// www. yamatonoyu.com効能・効果(適応症)神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、うちみ、くじき、慢性消化器病、痔疾、冷え性、病後回復期、疲労回復、健康増進、切り傷、やけど、虚弱児童、慢性婦人病、など-2-