ブックタイトル日本シティジャーナル vol.196

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日本シティジャーナル vol.196

vol. 196イスラエルにも「三種の神器」が存在するか?日本の皇室が大切に秘蔵してきた神宝との類似点を検証!1981年、「レイダース失われた《聖櫃》(アーク)」という映画が世界的に大ヒットしました。この映画は、シナイ山頂で神がモーセに語った十戒を書き記した石の板が収蔵されている「契約の箱」の行方を探し求めるアドベンチャーの物語です。聖櫃とも呼ばれる「契約の箱」は紀元前7世紀ごろ、北イスラエル王国と南ユダ王国の崩壊と共に姿を消し、未だに発見されていません。歴史の謎に包まれた聖櫃であるだけに、その秘蔵場所を見出すために、これまで無数の人々が世界中を散策し、多くの物議を醸してきました。それほどまでに聖櫃と神宝は、イスラエルの歴史において注視され続け、特にユダヤ教やキリスト教の信者にとっては重要な意味を持っていました。イスラエルの民は、生ける神の栄光を間近に目にしながら荒野を渡り歩き、約束されたカナンの地へと向かったことから、当時、神宝というものを必要としませんでした。唯一地上においては聖櫃とも呼ばれる契約の箱が存在し、幕屋と呼ばれるテントの様相をした聖なる場所の中心にある至聖所に置かれました。契約の箱の中にはモーセが携えてきた石の板2枚が納められており、箱の前には神の命に従って、アロンの杖とマナの壺が置かれていたと推測されます。こうしてイスラエルの民は、神の臨在を象徴する幕屋と共に、荒野を移動し続けたのです。神がモーセと語り合っているという不思議な関係の中に民が導かれていただけに、神のみが聖なるお方であり、何か物が神聖化されるということはなかったのです。しかも神は律法を通して、人間の手で作った像を拝むことを厳しく禁じました。よって、イスラエルの民は古くから、神を心から信じて従うことを教わり、目で見えるものを神聖化することが、ことごとく排除されたのです。それ故、旧約聖書を読んでも、出エジプト記からイスラエル神殿がソロモンによって建てられるまで、神に捧げた金銀の器に関する記述はあるものの、神宝を拝するというコンセプトに合致するような記載は、どこにも見当たりません。四国剣山に纏わる神宝の伝承を再検証!神の奇跡を成し遂げるアロンの杖人間が礼拝する対象ではないものの、神ご自身がモーセに命じられ、大切に扱うことを示した物の事例は、旧約聖書に少なくとも3件記載されています。それらはすべて神の奇跡的な介入を伴うことから、一般の人が見ることも触ることもできないものばかりです。よって、古くから聖なる神宝とみなされていたに違いなく、イスラエルの歴史の中でも重要な位置づけを占めていました。中でも大切なのは、アロンの杖とマンナの壺、そして神ご自身が刻み記したと言われる2枚の石の板です。アロンの杖は、モーセがエジプトのパロに対し、イスラエルの民を国外に去らせるようにと、お願いした際に使ったものです。既にモーセはシナイ山にて、杖を地に投げると、それが蛇に変わることを神から教わっていました。パロと対面した際でも、アロンに託された杖が投げられ、それは蛇になりました。また、その杖をもって、モーセがアロンに対し、「手を川の上、流れの上、池の上にさし伸べ、かえるをエジプトの地にのぼらせよ」と神の言葉を命じ、杖がさし伸べられると、エジプト全土の大勢の民と家畜にぶよの害が及んだのです。旧約聖書の民数記17章には、その後、イスラエル12部族それぞれが杖を取り、部族の名前が杖に書かれたことが記されています。するとレビ族であるアロンの杖のみが翌日、「芽をふき、つぼみを出し、花が咲いて、あめんどうの実を結んでいた」のです。そして神はモーセに対し、その「アロンの杖を、あかしの箱の前に持ち帰り、そこに保存しなさい」と命じらました。こうして芽をふいたアロンの杖は聖櫃、すなわち契約のNCJ109日本とユダヤの箱とも言われるあかしの箱に置ハーモニーから続くかれることになり、後世の証とされたのです。ここで大事なポイントは、アロンの杖はあかしの箱の中に入れられたのではなく、あくまで箱の前にて保存され、人々へのしるしとして大切に保管されたということです。神がおこす奇跡のシンボルとなったアロンの杖は、神ご自身の命令によって聖櫃のそばに保存されることとなりました。それは、神を信じない民が罰を受けて死なないようにするため、人々にとって「しるし」となるためでした。こうしてアロンの杖は、いつしかイスラエルの神宝として、契約の箱と共に大切にされたと考えられます。東アジア史を塗り替えたイスラエル民族大移動の潮流マナの壺が神宝となった所以エジプトを脱出した後、イスラエルの民は神が約束された土地に向かい、荒野を40年間、徒歩で旅することになります。その際、空腹を覚えた民に対し、天から与えられた食物が、マナと呼ばれるパン最終編のような食べ物でした。そのマナを食べて、イスラエルの民は生き延びることができました。そしてカナンと呼ばれる約束の地にたどり着くまでの40年間、人々はそのマナを食べ続けたのです。アロンの杖の時と同様に、神はマナについても、後世の民のために証として残しておくことを教えられました。神はモーセに対し、「子孫のためにたくわえておきなさい」と命じ、人々がエジプトから導き出された際に与えたパンを、証のために見せることができるようにしたのです。その神からの命に従って、モーセはアロンに対し、一つの壺をとり、マナをその中に入れて子孫のために蓄えることを指示しました。アロンは言われた通り、壺の中にマナを入れて「あかしの箱の前においてたくわえた」と、出エジプト記16章に記録されています。あかしの箱、すなわち契約の箱は聖なる至聖所に置かれていることから、立ち入ることが厳しく制Part.II限され、神の祭司しか出入りできません。それ故、神から与えられた奇跡の食べもの、マナが契約の箱の前に置かれている、という事実が大事であり、祭司らはそれを証することにより、後世の民を励ましたと考えられます。旧約聖書に書かれている話は単なる物語ではなく、実際におきた出来事をつぶさに記録したものであり、その奇跡が実物の食べものとして保管されたのが、マナの壺だったのです。神との契約が書かれた石の2枚板アロンの杖、マナの壺は、あかしの箱の前に供えられましたが、もう一つの大切な神宝は、あかしの箱の中に納められることとなりました。それが、イスラエルの神宝の中でも最も大切な2枚の石板です。シナイ山に上ったモーセは、神の命に従って、2枚の石板を携えていました。その石板に、神ご自身が掟の言葉を書き記したのです。初めて書かれた石板は、イスラエルの民が罪を犯したことに怒ったモーセが投げ砕いてしまいました。そして2度目のチャンスが神から与えられ、再び、2枚の石板に神が書き記してくださったのです。その際、神はモーセに木の箱を作ることも命じ、「おまえはそれをその箱におさめなければならない」(申命記10章2節)と語られました。その言葉に従い、モーセはアカシヤ材の箱をひとつ作り、石の板を保存する準備をしました。その後、モーセは神が命じるままに「あかしの板をとって箱に納め、さおを箱につけ、贖罪所を箱の上に置き、箱を幕屋に携えいれ、隔ての垂幕をかけて、あかしの箱を隠した」のです(出エジプト40章20-21節)。ダビデ王のあと、ソロモン王が即位した際に、主の契約の箱、聖櫃がダビデの町シオンからエルサレム神殿までかつぎ上られることになりました。その際、主の箱と共に、「すべての聖なる器」も一緒にかつぎ上られたことが列王記8章に記されています。そして宮の本殿となる至聖所に主の箱は置かれました。その際、「箱の内には2つの石の板のほか何もなかった」ことが聖書に記されています。主の宮には多くの金銀からなる捧げ物が宝蔵されますが、ソロモンの時代、神宝としてあかしの箱の中に納められていたのは、モーセが収納した2枚の石板しかなかったことがわかります。イスラエルに三種の神器はあったか?ダビデ王がイスラエル神殿の建造を子のソロモンに託し、自らの余命がないことを悟った時、イスラエルのすべてのつかさ達が招集され、ソロモンを助けるように命じられました。そして共に神の宮を建て、「その家に主の契約の箱と神の聖なるもろもろの器を携え入れなさい」(歴上22章)とダビデは皆に命じました。この言葉からして、イスラエルの民にとって聖なるものは、聖櫃なる契約の箱と、神の宮に納められる聖なる器であったと想定されます。しかしながら聖書の記述の中には、マナの壺以外に神から指示された聖なる器に関する具体的な記述はありません。よって、ダビデ王が語ったことは、ダビデ王自らが神に捧げた様々な金銀の器のことを指していると考えられます(歴下5章)。聖書には神宝の種類が何種類あるとか、何が大切神宝であるとかいう言及がありません。では、イスラエルには「3種の神器」は存在しなっかたのでしょうか。イスラエル人の間では、そのような言葉自体が今日でもあまり知れ渡っていないようです。後述するとおり、アロンの杖とマナの壺はいつの間にか歴史の中に消え去っており、聖書や他の史書のどこにも、それらの行方についての記述が見られません。また、聖櫃なる契約の箱も、その中に収納されているはずの2枚の石の板と共に、北イスラエル王国が崩壊した直後、消え去ってしまうのです。それ故、無くなってしまった神宝について語り続けることもできないことから、いつしか神器そのものへの思いが、歴史の流れの中に埋もれてしまったのかもしれません。(文・中島尚彦)三種の神器についての話は、http://www.historyjp.com/に掲載しています。是非ご覧下さい。WEBサイト案内日本シティジャーナルをご覧いただきありがとうございます。本紙のバックナンバーはWEBサイトにてすべてご覧頂けます。連載中の歴史に関するコラムは最新情報に随時更新してスペシャルサイト「日本とユダヤのハーモニー」にまとめてあります。ご意見・ご要望等をお待ちしております、FAXやホームページからお寄せ下さい。日本シティジャーナル:http://www.nihoncity.com/日本とユダヤのハーモニー:http://www.historyjp.com/@ricknakajima www.facebook.com/ricknakajima www.instagram.com/kodaishi/編集後記平成の時代もあと残り数日となりました!ふと気が付くと、昭和から平成、令和と3つの時代を歩むことになり、感無量です。特にこの半世紀、日本は世界で一番平和だったといえます。戦争の惨禍を乗り越えて国家が復興し、経済的に大きな発展を遂げた昭和の時代があり、今日、新たに令和の時代を迎えることができることに、感謝の気持ちでいっぱいです。天皇陛下をはじめ、皇族の皆様、本当にありがとうございました。皇室への感謝の思いを込めて、今回、菊家紋について書きおろしています。NCJ編集長中島尚彦-3-