ブックタイトル日本シティジャーナル vol.197
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日本シティジャーナル vol.197
vol. 197ワイナピチュ聖なる岩三つの入り口の家貴族の居住区大広場技術者の居住区曲線の石組みが美しい太陽の神殿うのに大勢の観光客で賑わっています。バスに乗り込むと同時に、6時35分には出発し、山道に向かって移動を開始しました。途中の道路は舗装されてはおらず、多少のでこぼこ道を、バスがぐんぐんと進んでいきます。そしてかれこれ30分ほど乗っていると、マチュピチュ遺跡のゲートが見えてきました。午前7時、ゲート周辺は、ちょっとした遊園地の入り口のような雰囲気でした。早朝7時5分、マチュピチュツアーの始まりです。マチュピチュのチケットにも種類がありますが、最初で最後のツアーになると思っていたことから、サンゲートとインカ橋はもちろん、何としてもマチュピチュ砦の背後に聳え立つワイナピチュという山にも登ってみたく思っていました。よってアルベルト氏と相談しながら、11時が最終の入場となるワイナピチュのチケットも、その場で購入することにしました。ゲート周辺から見る限り、マチュピチュの向こうに見えるワイナピチュはそんなに高い山とも考えられず、健脚を有する自分ならば絶対に大丈夫とふんで、チケットの購入に至ったわけです。チャレンジの始まりです。事前の情報からはマチュピチュの時間制限について、あまりよく理解できませんでした。当日、現場のゲートを通り抜け、大勢の観光客を目の当たりにし、ツアーガイドの説明を改めて聞きながらやっとわかってきたのです。つまるところ、ワイナピチュを登頂するには4時間以内にマチュピチュ遺跡を見なければならないということです。マチュピチュへの1日の入場は2500人までに制限されています。また、見学時間も限られ、マサンゲートの構造物跡チュピチュ砦への入場チケットは有効時間が4時間となっています。よって7時からスタートするならば11時で見学は終了しなければなりません。しかもそこからワイナピチュへと向かうならば、その入り口ゲートも11時で閉められることから、それまでにゲートを通り抜けなければなりません。マチュピチュのツアーは時間との勝負、ということを理解する必要がありそうです。通常の砦ツアーには2時間前後かかることから、ツアーガイドのアルベルト氏も、「ワイナピチュに行くならば、インカ橋だけみて、そこからゲートに向かうといいよ。」とアドバイスを頂きました。つまり4時間という枠の中でマチュピチュ砦とインカ橋を見学した後、ワイナピチュに登ることを薦めてくれたのです。しかしながら一生に一度の旅であり、何としてでも主要な遺跡全部を見るためにマチュピチュまで来たのですから、インカ橋とサンゲート、両方を見学するだけでなく、ワイナピチュにも必ず登る!と心に誓いました。天気は快晴、気温も高く、高地で酸素も薄い状態です。しかも2日間のインカ遺跡の旅の疲れがどっと溜まっていることもあり、体調もすぐれません。それでも最初で最後のチャンスだけに、前向きに進むしかありません。大チャレンジが待ち受けていました。驚異的なマチュピチュ砦の実態アルベルト氏と一緒にゲートを通り抜け、マチュピチュ遺跡の中に入ると、すぐに細かい説明が始まりました。まずは道順からです。およその感覚としては、左手の奥の方に続く山道の先にはインカ橋があり、左側手前にUターンして山を登るとサンゲートに到達できるとのことです。そして右手にはワイナピチュがマチュピチュ砦の背後に聳え立っていました。インカ橋やサンゲートへの山道がどのくらい長いか想像もつきませんでしたが、サンゲートまでは往復2時間、インカ橋は1.5時間とも聞いていたことから、かなりの距離は覚悟しなければならなそうです。遺跡のゲート周辺からのビューは素晴らしく、マチュピチュ砦全体を見渡すことができます。そして通路の上に広がる広場を見渡すと、巨石のモニュメントが目に入ってきました。どこかで見たような。。。「あ、そうだ、奈良にある益田岩舟にそっくりな岩!」、ということに気が付きました。岩場の周辺はインカ遺跡に見られる段々畑の広場が続き、とても美しい光景でした。直後、マチュピチュ砦の方へと向かい、遺跡の詳細についての説明を聞き続けながら、アルベルト氏と歩いて回りました。段々畑をはじめとし、山の急斜面を開拓して造成されたマチュピチュ遺跡を目の当たりにすると、見ているだけでもうっとりとしてきます。これだけ多くの石を切り崩して積んでいきながら砦を造ったわけですから、相当な労力を要したに違いありません。おそらくワイナピチュの山が、その原石の大半を占めていたのではないでしょうか。今日、目にすることのできるワイナピチュの山の形状を見ていると、まさに人の手が入り、山が切り崩された結果の姿であることを感じないではいられません。マチュピチュの散策を続けながら、アルベルト氏から聞いた話の中でも特に興味深かったのは、遺跡と太陽との関係、そこに作られた太陽の神殿、そインティワタナ(日時計)中央神殿三つの窓の神殿聖なる広場神官の館王女の広場太陽の神殿陵墓王女の宮殿水汲み場石切場インカの橋へして石を削って構築された建造物の精度です。マチュピチュ砦を歩き回ると、太陽の神殿に近くなればなるほど石積みの精度があがり、より細かい箇所まできちんと石が積み上げられていることがわかります。特に神殿回りでは意図的に軽いカーブをつけて石が切られている場所があり、その少しの隙間をもって、地震の揺れを吸収できるような耐震構造になっているとのことでした。それらの石は大きく、切るだけでも大変なのに、その巨石を移動しながら積み上げていく技術と、設計精度の素晴らしさに驚いてしまいました。とにかく写真をとりまくり、記念に保管しておくことに努めました。太陽の神殿は高さがおよそ5m、円形に組まれた石の壁に囲まれており、夏至の日には南の窓から朝日が差し込むように設計されています。太陽信仰の象徴となる太陽の神殿において太陽の子孫とされる王系一族は神を崇めたのでしょう。その上の方にある3つの窓の神殿の窓も、夏至の日の出方向を示しています。同様に、インティワタナの石柱は、東西南北を正確に示しており、日時計の役割を果たしていたと考えられています。また、コンドルの神殿と呼ばれる聖なる岩場では、コンドルの翼が広がったような様相の石段があります。その地面に見られる三角形の石は、与那国の海底遺跡にある三角形のコンドルの頭のようであり、何かしら関連性があるように思えてしかたありませんでした。アルベルト氏の巧みなリードコンドルの神殿生贄の台農業地区市街地入り口見張り小屋アンデネス(段々畑)インカ道に従って、くまなく砦を歩き回りながら説明に耳を傾けていると、あっという間に2時間が過ぎ去っていました。時計を見ると、もう9時5分です!ワイナピチュのゲートが閉まる11時まで、2時間を切っていたのです。ということは、サンゲートとインカ橋を見学するには、合わせて2時間もなくなっていたのです。決断の時がきました。もはや諦めて、サンゲートかインカ橋、どちらか一つだけを見て、ワイナピチュに向かうか、それともワイナピチュに間に合わない、というリスクを覚悟でサンゲートとインカ橋、両方を見に行くか。ここまできて議論の余地はありませんでした。結論はただ一つ。何が何でもサンゲートとインカ橋、両方を見学して、しかもワイナピチュに登頂するために、11時までにゲートを通る!そのためには走るしかないのです。サンゲートとインカ橋までひたすら走る!まさかマチュピチュに旅してまで、酸素の薄い高山を走ることになろうとは、考えもしませんでした。旅に想定外のアクシデントはつきものですが、地球の裏側まで来たのですから、行かないわけにはいきません。既に9時10分、あと2時間もないという切羽詰まった状況下、サンゲートとインカ橋をまず、見学することにしました。もはや待ったなし。まず、サンゲートに向けて、山道を走り抜けることにしました。(文・中島尚彦)このマチュピチュ旅行の続きは、http://www.historyjp.com/に掲載しています。是非ご覧下さい。WEBサイト案内日本シティジャーナルをご覧いただきありがとうございます。本紙のバックナンバーはWEBサイトにてすべてご覧頂けます。連載中の歴史に関するコラムは最新情報に随時更新してスペシャルサイト「日本とユダヤのハーモニー」にまとめてあります。ご意見・ご要望等をお待ちしております、FAXやホームページからお寄せ下さい。日本シティジャーナル:http://www.nihoncity.com/日本とユダヤのハーモニー:http://www.historyjp.com/@ricknakajima www.facebook.com/ricknakajima www.instagram.com/kodaishi/編集後記新しく令和の時代が幕を開けました。皇位の継承に関する一連の儀式やニュースを見ながら、国家の象徴となる天皇の重責がいかに大きいかを痛感しました。「象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠い」という上皇様のお言葉は衝撃的であり、熱い思いがこみ上げてきます。長い間、本当にありがとうございました。令和の時代、その道のりは決して生易しいものではないでしょう。平和を願う日本国民は、いつの日も天皇陛下と一丸となり、世界平和のために貢献する喜びを共に分かち合いたいものです。NCJ編集長中島尚彦-3-