ブックタイトル日本シティジャーナル vol.200

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概要

日本シティジャーナル vol.200

2019年(令和元年)8月31日発行第200刊毎月第3土曜日発行購読無料日本シティジャーナルvol. 200Nihon City Journal発行:サウンドハウス〒286-0825千葉県成田市新泉14-3TEL 0476-89-2333 FAX 0476-89-2334[平日]10:00~18:00[土曜]12:00~17:00http://www.nihoncity.com成田市、佐倉市、印西市、富里市、香取市、山武市、八街市、匝瑳市、四街道市、東金市、銚子市、旭市、栄町、東庄町、神崎町、酒々井町、多古町、横芝光町、芝山町、九十九里町、稲敷市、龍ケ崎市、河内町発行部数:300,000部熊が群がる恐山を一人登山?!恐山に生息する子熊に囲まれた恐怖の登山体験!日本列島には多くの霊峰が存在します。古代より山々にあるようです。恐山と呼ぶから四国剣山に纏わる神宝の伝承を再検証!は神が住まわれるという信仰心が育まれた日本では、いつの日も山は人々から崇められ、愛され、時には畏れられもしました。中でも死者が集まる霊東峰アジアとして、足史を踏をみ入塗れるり替すが、えたイスラエル実際は違います。下北半民族大移動の潮流ことさえままならないほどに畏れられてきたのが、青森県下北半島にある恐山です。高野山、比叡山と共に日本三大霊山としても知られる恐山こそ、本州の最北端、みちのくの最果てに位置する古代聖地です。いつか登ってみたいと思っていた恐山でしたが、2019年、遂にそのチャンスが巡ってきました。7月20日、青森県上北郡東北町にて「わかさぎマラソン」の大会に出場することになり、いつもどおり地図を見ながら新天地を研究していると、大会が開催される運動公園の会場から恐山までたったの75km、車で1時間半程度の距離にあることに気が付いたのです。この機会を逃すわけにはいきません。気ままな一人旅として、恐山に登ることにしました。恐山の歴史と背景一口に恐山と言っても、その言葉には色々な受け止め方があり、話す人、聞く人によってイメージは異なります。その原因は、恐山という名称を持つ山が、そもそも存在しないことにには、山神が斎く聖地であり、人が足を踏み入れることができない怨霊にとり囲まれたような未踏の地を想像しがちで島の中心にある直径およそ2kmの宇曽利山湖(うそりやまこ)周辺の山々、8峰からなる活火山を合わせて恐山と呼びます。その最高峰は標高878mの釜臥山(かまふせやま)であり、頂上からは陸奥湾、八甲田山、岩木山、そして北海道まで望むことができます。宇曽利山湖を囲む山々ということで、恐山は従来、宇曽利山(うそりやま)と呼ばれていました。それがいつしか訛り、漢字の「恐」があてられて恐山(おそれやま)になったようです。恐山菩提寺の入口となる総門宇曽利山湖の湖畔には、9世紀に天台宗の慈覚大師、円仁が開いたといわれる日本三大霊場のひとつ、恐山菩提寺があります。夢の中で告げられた「東方行程三十余日の所に至れば霊山あり」という言葉に従い、本州を東北方面に向かって歩き続けNCJ109日本とユダヤのた結果、恐山菩提寺の場所が見ハーモニーから続く出され、そこに地蔵尊を祀ったという伝承が残されています。その後、天台宗の修練道場として栄え、多くの信奉者が集うようになりました。創建からおよそ1200年も経た恐山菩提寺が普通のお寺と大きく違う点は、広い境内の至る所で、火山性ガスや水蒸気が地面から噴き出していることです。その噴出口は「地獄」とも呼ばれ、「無間地獄」や「金堀り地獄」など、多くの固有名詞がつけられた地獄が存在します。有毒性のある火山性硫黄臭ガスがあたり一帯に充満しているため、恐山菩提寺付近には動植物が生息せず、周辺は溶岩からなる大小の岩石で覆われています。その大自然が醸し出す不可思議な絶景は、いつしか死後の世界をなぞらえたものと考えられるようになり、恐山は死者が連なる場所と考えられるようになりました。そして死者最終編を供養する場として、亡くなった子供の霊を慰めるための風車が、いつもカラカラと回っています。極楽浜とも呼ばれる宇曽利山湖の美しい浜の手前には「賽(さい)の河原」があり、至る所に石が積み上げられ、慰霊の印となっています。賽とPart.IIは、福を授かったお礼に神仏にお参りすることを意味する言葉であり、神々に感謝を捧げつつ、慰霊をする場所となったことがわかります。また、大自然の土壌から噴き出す火山ガスに包まれた小さな池は、「血ノ池」と呼ばれ、菩提寺へと向かう道の途中には三途の川を渡る太鼓橋が架けられたのです。三途の川の架け橋となる太鼓橋そしていつの日か、恐山は死者が集まる霊場として、先祖の霊を供養するだけでなく、実際に先祖の声を聞き、死者に会うことができるという話も伝わり始めました。例年7月20日から5日間かけて執り行われる恐山大祭では多くの信者が訪れ、イタコとよばれる霊媒者も集うようになりました。今日でも恐山大祭では、菩提寺の一角にイタコマチと呼ばれるテントが並び、お祭りのないごく普通の日であっても見かけることがあります。そこではイタコがテントの中で待機し、来訪者の願いを聞きながら口寄せを行っています。イタコとは元来、神の花嫁とも呼ばれる霊媒師のことであり、死んだ霊を呼び寄せて語らせることができる人をいいます。そのイタコによる口寄せ行為も、恐山が一般庶民から恐れられるようになった大きな理由のひとつです。このような霊の世界に関わる多くの話題が飛び交う中、恐山はその名前のごとく、怨霊が存在する怖い山として、人々が恐れるようになったのでしょう。死者の霊が漂う山であり、霊媒師が故人の霊を呼び起こすことを常とした恐山だけに、周辺の山々一帯が不気味な存在のように思われたのも無理はありません。こうして地域の住民は長年にわたる言い伝えから、怨霊や祟りを恐れるようになり、亡くなった人々の霊を慰めるためにも恐山を信仰の対象として祀るようになったのです。その背景にはいつも、不思議な霊の存在に纏わる数々の言い伝えがあり、それが恐山をより特異的な存在として世間に知らしめることになります。恐山菩提寺はまさに温泉地獄羽田を出発して三沢空港に到着し、レンタカーを借りてから恐山を目指して運転していると、やがて緩い坂を下った先に宇曽利山湖が見えてきました。直後、湖畔沿いに三途の川のかけ橋となる太鼓橋が目に入ります。そしてその先には、恐山菩提寺の広大な駐車場と総門が見恐山菩提寺の本尊となる地蔵殿ガスが噴き出す殺伐とした地獄模様-1-